大岡山~都立大学
東急目黒線大岡山駅から東急東横線都立大学駅まで、1万1千歩、8km、夫婦での散歩です。
①大岡山駅・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)、 目黒蒲田電鉄線(元:目蒲線→現:目黒線)の駅として開業。昭和2年(1927)には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業した。・・・・・・・・・平成9年(1997)地下化工事が完成し、2面4線の方向別ホームとなる。平成19年(2007)には駅直上に東急病院が移転開業する。・・・・・・・・・東急病院は135床の総合病院で、駅上に開業した。 病院に列車の振動が伝わらないように、レールの下にばねを入れたそうだ。 5階建ての病院は外部をツタで蔽い、省エネ・緑化に貢献している。・・・・・・・・・・・私が高校生の頃は地上ホーム・木造駅舎で、まさに田舎の駅だった。
②東京工業大学・・・・・・・・・・・東京工業大学は、明治14年(1881)の東京職工学校の開設に始まる。 明治15年(1882)には東京市浅草区蔵前東片町(現:蔵前1丁目の榊神社の場所)の浅草文庫の地で、校舎新築に着手した。 明治23年(1890)に、東京工業学校と改称する。 関東大震災では壊滅的な被害をこうむり、現キャンパスの大岡山への移転を決定する。 昭和4年(1929)には旧制の東京工業大学となり、昭和24年(1949)に新制大学となる。・・・・・・・・・私の大学受験では、第一志望校であったが、大学側が拒否したため“縁”は遠のいた。 その後、我が娘が蔵前の旧東工大跡地に建つ中学に入学し、高校は東工大附属の工業高校に進学し、再び“縁”ができたと思いきや、、、、、大学は娘が拒否し、美系の大学へ行ってしまった。・・・・・・・・・家内は、娘の附属高校の入学式/卒業式で大岡山キャンパスには足を運んでおり、構内を興味深く見ていた。
・・・・・・・・・・・・本館・・・・・・・・・昭和6年(1931)着工、昭和9年(1934)竣工の本館は、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建てで、大岡山キャンパスの中心となる堂々とした建物だ。
・・・・・・・・・・・・・・昭和15年(1940)の本館全景(東工大HPより)・・・・・・・現在は前面に桜の樹が茂って、全景を一目で見ることは難しい。中央の時計塔はシンボル的であり、敷地の高低差も活かされた設計だ!
・・・・・・・・・・・・・西1号館(旧分析化学教室)・・・・・・・・昭和6年(1931)竣工の鉄筋コンクリート造2階建ての実験施設。 本館から芝生のスロープを下がったところに建つタイル貼りの外壁の建物。 本館から眺めると、木々の間から搭屋と煙突が見られる。
・・・・・・・・・・・・・創立70周年記念講堂・・・・・・・・・昭和25年(1951)の創立70周年を記念して、昭和33年(1958)に谷口吉郎の設計、清水建設の施工で竣工した講堂。 建物は本館前の斜面に、スロープを活かした設計で建てられた。 設計した谷口吉郎は、昭和4年から昭和34年までの30年間、東工大建築学科で教鞭をとっていた、近代の代表的な建築家。文化勲章受章。
・・・・・・・・・・・・・東工大の学生は日曜も芝生で読書? やはり、頭がいいのかな?
・・・・・・・・・・・・・博物館・百年記念館・・・・・・・・・・東工大正門脇に建つ百年記念館は、昭和62年(1987)にオープンした、大学の業績の保存と展示を行う4階建ての施設。設計は当時大学の教授であった篠原一男。
・・・・・・・・・・・・・附属図書館・・・・・・・・・・・平成23年(2011)に竣工した附属図書館。 鋭い鋭角三角形の建物で、2階・3階が閲覧室となっている。 本館を見渡す丘と図書館前の広場の地下に収蔵庫が在る。
・・・・・・・・・・・・東工大に咲いていた!
③カトリック碑文谷教会・・・・・・・・・・・・目黒区碑文谷に、昭和29年(1954)、サレジオ会によって建立されたロマネスク様式の教会。 別名:サレジオ教会と呼ばれている。 内部は壁・天井一面にフレスコ画が描かれている。この絵はイタリア人:フェラーリ修道士が7年にわたり心血を注いだ労作だ!・・・・・・・・・・安土桃山時代の華麗な障壁画を見ているようだ!・・・・・・・・・・有名人の結婚式も多い教会だ! 納得!
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