« 王子~十条 | トップページ | 大岡山~都立大学 »

2013年8月 3日 (土)

二造の跡

十条駅前で、どちらの方角に歩こうか? カワイイ娘が私の前を南の方向へ横切り、私も南の方へ向かうことにした。 チョイト歩いたところで、この方向には石神井川沿いに“二造(にぞう)”の施設跡が点在することを思いだした。 昨日散歩した、東京第一陸軍造兵廠工場跡の「北区中央図書館」の続きとして、今日は“二造”巡りに決めた!・・・・・・・・・埼京線十条駅から、隣の板橋駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

明治9年(1876)に陸軍砲兵本廠が石神井川沿いの元加賀藩前田家下屋敷跡地に設置される。ここでは火薬が製造されることとなった。 明治12年(1879)には東京砲兵工廠板橋火薬製造所と改称し、大正12年(1923)には陸軍造兵廠火工廠板橋火薬製造所となり、昭和15年(1940)に東京第二陸軍造兵廠(=“二造”)に改称した。 当初は約3万坪の敷地が、昭和20年の終戦時には15万坪に拡張され、従業員も2000名程いたそうだ。・・・・・・・・埼京線の板橋~十条間で、線路の東側に兵器を作る東京第一陸軍造兵廠があり、西側には火薬を作る東京第二陸軍造兵廠があった。・・・・・・・戦後生まれの私には、記憶はなく、思い出もなく、何も知らないので、チョイト悲しいね!

①グッド・デザイン・・・・・・・・・・板橋区加賀の二造の跡地・建物は、戦後、払い下げられ、学校・病院などに生まれ変わってきた。 戦後70年近く経過し、グッド・デザインの建物が並び始めた。

・・・・・・・・・・・・・資生堂美容技術専門学校・・・・・・・・平成18年(2006)竣工した、洗練された機能的な美しさを出している校舎だ! 大林組の設計・施工。

2013_0803_090920m

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3年前の秋に撮った写真はおまけ!

_20101105_142800_1m

・・・・・・・・・・・・・加賀レジデンス・・・・・・・・・・平成20年(2008)竣工、総戸数246戸、14階建ての白亜のマンション。 鹿島建設の設計・施工。

2013_0803_090738m

②石神井川・・・・・・・・・・二造の敷地中央を流れていた石神井川。

2013_0803_091110m

2013_0803_092000m

③二造のモニュメント・・・・・・・・・・・石神井川に架かる緑橋の際の緑地に、地べたに寝かされた二造の工場外壁のモニュメントが残されている。 説明板に載っていた写真はおそらく終戦直後のものだ。

2013_0803_091518m

2013_0803_091322m

④愛歯技工専門学校・・・・・・・・・・・石神井川沿いのキャンパス内の建物も二造のものだ。

・・・・・・・・・・・・・現在は、サークルの部室・駐輪場など多用途に使用していると思われる建物。 火薬庫として使用していたらしく、万一の爆発事故を想定して壁を頑丈にし、爆風を上に吹き飛ばすため屋根を弱く造ったらしい。 柱の一部は壊れ、中に煉瓦が見える。

2013_0803_092036m

2013_0803_092128m

2013_0803_0922241m

2013_0803_092250m

・・・・・・・・・・・・・管理棟か? こちらは、外壁など塗り直し、サッシも替えたようだが、現地でよく見ると1階の窓には馬蹄形の枠があり二造の建物だ。 2階は増築したと思われる。

2013_0803_0925342m

⑤愛誠病院・・・・・・・・・・・・・石神井川の北側、東京家政大学との間に、愛誠病院が在る。ここでは、二造の建物の数棟が再利用されている。

・・・・・・・・・・・・・外来棟・・・・・・・・・・こちらは最近の新しい建物。

2013_0803_0944382m

・・・・・・・・・・・・・本部事務棟・・・・・・・・・写真の1階部分は二造の建物のようだ。

2013_0803_0942002m

・・・・・・・・・・・・・薬局・デイケアの建物・・・・・・・・・・塗り替えられてはいるが、間違いなく二造の建物。

2013_0803_0935302m

2013_0803_0937242m

2013_0803_093616m

・・・・・・・・・・・・・精神神経科外来棟・・・・・・・・・・こちらも二造の建物。

2013_0803_093110m

2013_0803_093140m

⑥理化学研究所板橋分所・・・・・・・・・・石神井川と愛誠病院の間に、川筋に沿い細長く建物が数棟並んでいる。 その中に煉瓦造りの建物がある。

2013_0803_0930261m

2013_0803_092926m

⑦加賀公園・・・・・・・・・・・石神井川を挟み、理化学研究所の対岸が加賀公園である。このあたりの一帯は、かつて加賀前田藩下屋敷跡で、約22万坪(兼六園の約7倍)の広さを有していた。 現在の公園は、屋敷内庭園にあった築山の跡で、広大な下屋敷のホンの一角である。

2013_0803_0950502m

・・・・・・・・・・・・・・公園の小高い築山の一角に、コンクリートと煉瓦によって造られた、弾丸を試射した時の標的が残っている。 火薬の種類や量を変え、弾丸の速度などを測定したそうだ。

2013_0803_095428m

・・・・・・・・・・・・・・加賀公園築山の中程から、隣りの野口研究所の構内に向かって一本の道路のような部分が残っている。これは火薬製造所内を通る電気軌道(トロッコ)の線路敷き跡で、線路は製造所外の王子・十条などにあった軍の関連施設につながっていた。

2013_0803_095558m

2013_0803_0955382m

⑧圧磨機圧輪記念碑・・・・・・・・・・・加賀西公園の一角に、円盤状の石を組み合わせたモニュメントがある。 これは、板橋火薬製造所の創設者が幕府の命によりベルギーから輸入したもので、明治9年(1876)から実際に火薬製造(黒色火薬)に使用されていた臼のようなものだ。 硫黄、木炭、硝石を混ぜたものに、水を加えながら、石神井川の水車で得られた動力によって圧輪を回して、磨り潰すことにより黒色火薬が作られる。・・・・・・・・・記念碑中央の花びらのようなものは、東京砲兵工廠のマークである。

2013_0803_101148m

⑨板谷公園・・・・・・・・・・・加賀公園近くに、昭和12年(1937)開園という 「東京市板谷公園」がある。 公園は小樽の板谷商船創業者:板谷宮吉が東京市に用地提供した、板橋区では最も古い公園だ。・・・・・・・・この公園は、二造との関係はない。

2013_0803_095844m

« 王子~十条 | トップページ | 大岡山~都立大学 »

散歩」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

北区」カテゴリの記事

板橋区」カテゴリの記事