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2013年8月 5日 (月)

板橋~千川

還暦はとうに過ぎ、熱中症に要注意のお年頃、無理のない程度の散歩に心掛け、今夏も順調に過ぎている。気を抜かず今日も2時間ほどの散歩にした。 

埼京線板橋駅から地下鉄有楽町線千川駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

板橋駅 ・・・・・・・・・・・日本鉄道による品川~赤羽間開通の、明治18年(1885)に同時に開業した古い駅である。 ちなみに、隣りの池袋駅の開業は明治36年(1903)である。・・・・・・・・・・・・駅の赤羽寄りに在る仲仙道踏切からパチリ!

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②下板橋駅・・・・・・・・・・・こちらは、JR板橋駅の西側400m程の位置に在る、東武東上線下板橋駅。 大正3年(1914)、東上鉄道 池袋~川越市間の開業時に同時開業した。

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③東上鉄道記念碑・・・・・・・・・・・・下板橋駅の踏切の脇に残る記念碑。東武東上線の前身である東上鉄道は、大正3年(1914)に池袋~川越市間が開通した。 この開通を記念して、大正8年(1919)住民132名の寄付で記念碑が建てられた。・・・・・・・・・今の時代、鉄道が通り記念碑を建てるのは政治家だけだろうな? 当時の住民は“おらが町さに、鉄道が走った!”と、歓喜の涙で迎えたことだろう。

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④大山駅・・・・・・・・・・下板橋駅の隣りが大山駅。昭和6年(1931)開業、相対式2面2線の地上駅。元気な駅前商店街もあり、活気ある駅だ。

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⑤都電7508・・・・・・・・・・板橋区大山西町の公園に、昭和37年(1962)に製造され、昭和61年(1986)に廃車となった都電7508号が保存されている。 “保存”といっても、雨ざらし状態で置かれ、内部は図書館的に本が置かれているだけだ。・・・・・・・・・・昭和の後期には、機関車・ジーゼルカー・都電などが廃車となると、公園に移されることが多かった。しかしその後、受入れ側の手入れが十分でなく、みじめな姿を見ることが多い、ここもその例だ! 都電が可哀そうなので写真は1枚だけにした。

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⑥都営大山西町アパート・・・・・・・・・・都電の横に並び建つ、昭和34年(1959)から昭和36年(1961)にかけ建設された、6棟189戸で構成される都営住宅。 板橋区内の都営住宅ではかなり古い建物だが、改修工事が行われ、骨董的な古さは感じられない!

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⑦大谷口給水所・・・・・・・・・・・板橋区大谷口(おおやぐち)には、大谷口給水塔が建てられていた。給水塔は東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。地域のシンボルとして、北区・板橋区などに水を供給していたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。・・・・・・・・・・同博士の設計による給水塔は駒沢給水所給水塔野方給水塔がある。

・・・・・・・・・・・・・・かつての大谷口給水塔

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・・・・・・・・・・・・・給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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