浅草橋~新橋
浅草橋の我が家から新橋まで裏通りを散歩。
①浅草橋・・・・・・・・・浅草寺の門前橋として、神田川に架けられた橋。 しかし、浅草寺から浅草橋まで2km程あり、よく駅前で“浅草寺はどこですか?”と聞いてくる人も多い! ・・・・・・・・・江戸時代には、奥州から江戸城への入口として、浅草見附が設けられた。今は、橋の架かる神田川が北側の台東区と南側の中央区の区界となっている。・・・・・・・・・現在の浅草橋は昭和5年(1930)に震災復興橋として、総工費27万7千円(上流の万世橋は35万円、下流の柳橋は12万1千円)で竣工した。・・・・・・・・・私が小学生の頃(昭和30年頃)は、護岸は低く船宿の桟橋から川べりに下りられ、魚獲りで遊んだ処だ!
②懐かしい(其の1)・・・・・・・・車にチャイルドブックの名が!・・・・・・・・・私が幼児の頃、幼稚園に通う園児が手に持って帰ってくる本に、「チャイルドブック」と「キンダーブック」があった。共に薄手の絵本で、園児には毎月配布されていたようだ。 定員オーバーで幼稚園に入園できなかった私は、友達の園児が持って帰ってくるのを羨ましく思っていた。 友達の家に遊びに行くと読ましてもらった記憶が残っている。・・・・・・・・・・・・両絵本とも健在で、今でも子供の夢をつないでいるそうだ。
③江戸屋・・・・・・・・・・・・・日本橋大伝馬町の、創業:享保3年(1718)、刷毛・ブラシの老舗。 現在の建物は、震災後の大正13年(1924)に再建された。・・・・・・・・・・・今日は土曜で休みかな?
④懐かしい(其の2)・・・・・・・・・・チョイト、忘れかけていた牛乳石鹸の社名・・・・・・・・・牛乳石鹸と言えば、ザ・ピーナッツとクレージーキャッツの「シャボン玉ホリデー」だ! 昭和31年(1956)から11年間の長きにわたり放送されたミュージカル番組。 この番組を知らない中・高年は居ないだろうね! ♪♪ シャボン玉 ルル ルルルルル シャボン玉 ララ ラララララ ロマンティクな夢ね まるい素敵な夢ね リズムに乗せて 運んでくるのね ホリデー ホリデー シャボン玉 シャボン玉ホリデー ♪♪ モ~~ ・・・・・・・・・ついでに、ミツワ石鹸、ウタマロ石鹸、ペリカン石鹸、ミヨシ石鹸、、、、、ぞろぞろ、思い出すね!・・・・・・・・・写真の建物は小舟町の東京支社で、昭和40年(1965)の建築。
⑤江戸橋・・・・・・・・・・・日本橋の下流、昭和通りが日本橋川を渡る橋で、この川筋の中では交通量の最も多い橋の一つである。関東大震災後、復興計画として昭和通りとともに造られた橋である。昭和4年(1929)竣工の鋼製アーチ橋で、親柱や欄干なども重厚な趣きがあり、日本橋に引けを取らない。 でも、日本橋と同様で、頭上を走る首都高が邪魔だ!
⑥楓川・・・・・・・・・・・・楓川の読みは“かえでがわ”ではなく“もみじがわ”が正しいが、川は現存しない。楓川は、かつて東京証券取引所の裏で日本橋川から分岐し、首都高京橋JCTのところで京橋川に合流していた。 川の埋立は昭和35年(1960)に始まり、昭和40年(1965)には消滅した。その後、首都高が川筋に造られ、楓川に架かる橋は、それぞれ数奇な運命をたどることとなった。
・・・・・・・・・・・・海運橋・・・・・・・・・・みずほ銀行兜町支店近くに架かっていた、現在は親柱が保存されている。昭和37年(1962)に隣りの兜橋と共に撤去された。
・・・・・・・・・・・・・みずほ銀行兜町支店 ・・・・・・・・・・・歴史の教科書に必ず載っている、明治6年(1873)(建物は前年竣工)に誕生した、我が国初の国立第一銀行の発祥地である。 プレートが銀行の角に貼られている。
・・・・・・・・・・・・・千代田橋・・・・・・・・・海運橋の隣り(下流側)に、大正15年(1926)竣工の千代田橋があった。こちらは首都高の下に、高欄は改修されているが、石造の親柱、袖柱が竣工当時のまま残っている。
・・・・・・・・・・・・・久安橋・・・・・・・・・東京駅八重洲口の真正面にぶつかる八重洲通りが橋上を通る久安橋。“久安”の名は、橋の付近に御坊主久安の拝領地があったことに因んでいるらしい。・・・・・・・・・・・・現在の橋は、震災の復興事業により、八重洲通りの造成と共に架け替えられた。その後、川の埋め立て、橋下に首都高の開通などがあったが、平成3年(1991)、デザインを一新し改装された。
・・・・・・・・・・・・・弾正橋・・・・・・・こちらの橋名は、江戸時代の町奉行:島田弾正の屋敷が橋の近くにあったことに由来する。 この橋も、平成5年(1993)に再整備され、橋と公園が一体化となった空間が作られた。・・・・・・・・・・久安橋では橋下を走っていた首都高が、ここでは頭上を走り、本当に邪魔だ!
⑦懐かしい(其の3)・・・・・・・・・・コンクリート製すべり台・・・・・・・・・・京橋公園に設置されていた昭和5年(1930)製のすべり台。現在の安全基準に適合しないため取り壊されたので、その写真がすべり台のあった場所に残されていた。
・・・・・・・・・・・・・・・ここはしっかりホローできるように、取り壊し前の写真を撮って残していた。(平成11年撮影) 私の遊んだ浅草橋の公園にも同じようなすべり台があり、懐かしさのあまりパチリと残しておいた。 夏に滑ると、コンクリートが熱く、尻がポカポカする、心地よいすべり台だった。・・・・・・・・・・そうそう、思い出した本郷の元町公園にもコンクリート製のすべり台が残っている。
⑧東京劇場・・・・・・・・・・正式名は東京劇場。昭和5年(1930)に演劇場として開業し、歌舞伎などが上演された。 戦後、歌舞伎座が再建されたことにより、東劇は映画館となり、昭和49年(1974)まで、旧建物が残っていた。 昭和50年(1975)に現在の高層ビルに建て替えられた。・・・・・・・・・・私の知る東劇は旧建物で、今振り返って思い出すとオペラハウスのような、映画館とは思えない造りであった。
・・・・・・・・・・・・・・戦後も残っていた、私の知る東劇。(Wikipediaより)
⑨懐かしい(其の4)・・・・・・・・・・ビクターの犬・・・・・・・・・蓄音機に耳を傾けるフォックステリアは名をニッパーといい、イギリス生まれだ。 この犬を見ると思い出すのは、松尾和子+フランク永井+吉永小百合+三田明の豪華メンバーが歌う「思いでのレコード」 ♪♪ 君ときいてる なつかしのレコード パパとママのかたみのレコード 雨の日も風の日もいく年月 かなしいときは かなしく歌い たのしいときは たのしく歌って パパとママをなぐさめたんだね どんなに仲良くきいたやら パパとママ 今はかたみの古いレコード ♪♪ 昭和40年(1965)の歌だ。
⑩旧新橋停車場(鉄道歴史展示室)・・・・・・・・・明治5年(1872)に開業した新橋駅舎を、汐留の当時の場所に復元した建物。内部は鉄道歴史展示室として公開されている。・・・・・・・・・本日は企画展「おみやげと鉄道」を見てきた。(残念だが撮影禁止)
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