六郷土手~大森
秋晴れの下、多摩川を見たくなり、京急線六郷土手駅で下車し、JR大森駅までの散歩です。(歩数は万歩計の動作不良で計測できず)
①六郷土手駅・・・・・・・・・・・・明治39年(1906)、京浜電気鉄道の六郷堤駅として開業。 多摩川が蛇行し、乳首のように川崎側に出っ張った先端に位置する駅。ホームの端は多摩川に架かる橋梁の際で、駅が集客するエリアは狭いにもかかわらず、乗降客は思った以上にいるようだ!
②六郷川橋梁・・・・・・・・・・多摩川に架かる橋梁だが、名称は“六郷川”橋梁。
・・・・・・・・・・・・・六郷川橋梁はJR、京急にそれぞれある。写真、右はJRの六郷川橋梁、左のトラス橋が京急の六郷川橋梁。対岸は川崎市。
・・・・・・・・・・・・・京急六郷川橋梁・・・・・・・・・・明治38年(1905)に、最初に多摩川に架橋したのは木造の仮橋であった、6年後の明治44年(1911)に本格的なトラス橋が架橋された。 昭和47年(1972)、現在のトラス橋に架け替えられた。
・・・・・・・・・・・・・・JR六郷川橋梁・・・・・・・・JRの六郷川橋梁は2本ある。上流側に京浜東北線六郷川橋梁があり、下流側に東海道線六郷川橋梁がある。 初代は明治4年(1871)に架けられた木造橋である。 二代目は鉄製のトラス橋に変わり、明治45年(1912)に三代目が架けられた。 現在は四代目で、昭和42年(1967)に京浜東北線六郷川橋梁が、昭和46年(1971)に東海道線六郷川橋梁が架けられた。 二橋とも、流水部のみ3連連続トラスとし、河川敷を渡る部分はコンクリート製連続桁である。
③多摩川土手・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・旧多摩川河川敷ゴルフ場・・・・・・・・・・・現在は「多摩川緑地野球場/サッカー場」となっている河川敷に、昭和45年(1970)頃は9ホールの河川敷ゴルフ場が在った。・・・・・・・・・・・・ここは、私が最初にゴルフクラブを振り、ゴルフを止めたゴルフ場だ! 当時、近くで寝起きしていた私は、早朝ゴルフに挑戦した。 下請けの鉄骨会社から貰った、一斗缶イッパイのロストボールを持って、毎朝河川敷に出勤した、、、、、二週間後には空き缶となった。多摩川に、ポチャ!ポチャ!、、、、、、才能が無いことに目覚め、以後ゴルフクラブは廃棄し、ボーリングに転向した!・・・・・・・・・・今日は、河川敷ゴルフ場があったあたりを歩き、40年前を思い出して歩いた。
・・・・・・・・・・・・・旧昭和電工中央研究所跡地・・・・・・・・・・・昭和45年(1970)頃の私は、ゼネコンに勤務し、化学品製造会社の研究所構内に寝泊まりして常駐していた。・・・・・・・・今は無き研究所の跡地には、大きなマンションが建っている。(写真中央)
④安養寺・・・・・・・・・・・真言宗の医王山安養寺(別名:古川薬師)は、永禄11年(1568)の創建である。 現在の本堂は、正徳5年(1715)に建てられたもので、昭和44年(1969)に改修された。・・・・・・・・・・寺の入り口には、延宝2年(1674)に雑色に建てられた古河薬師道の道標が残されている。
⑤カトリック蒲田教会・・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)に建てられた、三角屋根の教会。白い外壁と柱のコントラストが映える、美しい教会である。
⑥東急多摩川線踏切・・・・・・・・・・・60過ぎた親爺は踏切に要注意! 「転ぶと、骨折・脱臼するよ」と自分に言い聞かせて、渡りましょう!
⑦木造の商家・・・・・・・・・・大田区中央の商店街にある、木造平屋の商家風建物。 懐かしいい構えの建物だ。 今では珍しい木造の出窓と、玄関の木製建具、いいね!
⑧大森駅・・・・・・・・・・大森駅は、鉄道開業4年後の明治9年(1876)にできた古い駅。島式ホーム1面2線だが、ホームの上屋は完全に木造で、いい味を出している。
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