浅草橋~市ヶ谷
今朝、浅草橋の我が家の頭上には薄い雨雲が漂い、ポツリポツリと落ちてきた。 普段なら散歩はせずに、自宅待機の空模様だが、今日は水道橋の循環器クリニックで、定期検診の日だ。 小雨の中、我が家から水道橋に立ち寄り、市ヶ谷まで歩いてきた。
①都心の駅?・・・・・・・・・・・・・・我が家の最寄駅:浅草橋の西口は、乗降客が少なく、都心の駅とは思えない。 若者で賑わう秋葉原の隣り駅、隣接する千代田区・中央区まで150m程、町は商業地区で明らかに昼間人口の多いのだが、、、、、東京駅のようにワクワクするスタイルのスッキリしたOLが、ゾロゾロかっこよく駅から出てこないね! 西口から出てくるのは、頭の薄い、腹の出た、中・高年のサラリーマンだ! ヤッパリ、山手線の円の中に入らないと、総武線では勝ち目がないか!
②美倉橋・・・・・・・・・・・・神田川に架かり、最下流の柳橋から、浅草橋、左衛門橋に続く、4番目の橋。 橋上には清洲橋通りが走る。・・・・・・・・・昭和4年(1929)に架けられた震災復興橋の一つ、長さ35.35m、幅23.31mの鋼橋。 工事費は当時の金額で、78万8千円也。“醤油1升63銭の時代だ”こう書いても、読む人はピントこないね! もちろん書いている私も実感なし!
③文唱堂倉庫 ・・・・・・・・浅草橋駅と秋葉原駅の中程に、昭和2年(1927)創業の「文唱堂印刷」の煉瓦造り倉庫がある。 おそらく創業時前後に建てられたのであろう、煉瓦を積んだ土が滲みだし、赤い煉瓦が黄色く化粧したようだ。・・・・・・・・・そろそろ、洗顔して化粧を落とし、綺麗な素顔を見せて欲しいね!
④昭和橋架道橋・・・・・・・・・昭和7年(1932)の総武線両国~お茶の水間開業に合わせ開通した、昭和通り上に架かる総武線の鉄道橋。 昭和35年(1960)頃までは、日本最大のスパン長のプレートガーダー橋であった。橋脚の下は秋葉原駅昭和通り口。・・・・・・・・・昭和通り上の首都高が邪魔をして、昭和橋架道橋の全容が撮れない、コンチクショウ首都高め!
⑤昭和の並び・・・・・・・・・左端の海老原商店は昭和3年(1928)の建築、その右隣りT邸は大正12年(1923)の建築。 須田町の看板建築、4軒並んで撮影できるチャンスは少ないので、今日はついてるね!
⑥万世橋・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)に竣工した、石とコンクリートで造られたアーチ橋。関東大震災の復興橋の一つ。・・・・・・・・・下流側の左右の親柱横の階段を下りると、現在はどちらも入れないように閉鎖されている地下式の怪しい部屋がある。 私は、万世橋完成の頃は、帝都のシンボル的な橋なので、近代化の一つとして公衆便所を併設したものと考えていた。 どうやら私の間違いのようで、何やら機械室のようだ。 さて、真実は?
⑦神田須田町の老舗 ・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・いせ源・・・・・・・・・天保元年(1830)創業、都内で唯一のあんこう料理専門店。昭和7年(1932)建築。
・・・・・・・・・・・・・・竹邑・・・・・・・・・・・・竹邑(たけむら)は昭和5年(1930)創業の甘味処。
・・・・・・・・・・・・・・ぼたん・・・・・・・・・・明治30年頃に創業した鳥すきやきの老舗。昭和4年(1929)建築。
・・・・・・・・・・・・・神田まつや・・・・・・・・・・明治17年(1884)に創業した蕎麦屋さん。大正14年(1925)建築。
・・・・・・・・・・・・この他に、明治13年(1880)創業の神田藪そばは再建計画中。 昭和8年(1933)創業の喫茶店ショパンは、私の撮り忘れ。 明治40年(1907)創業、夏目漱石も通った洋食の松榮亭も、撮り忘れた! ゴメン、いずれまたね!
⑧山本歯科医院・・・・・・・・・・・・・明治30年頃、神田須田町付近で創業し、関東大震災後の、昭和3年(1928)に現在の診療所兼住宅が建てられた。 木造3階建ての看板建築で、外観の装飾が特徴的だ。 国の登録有形文化財。
⑨男坂・女坂・・・・・・・・・・・駿河台2丁目の台地から猿楽町へ下る石段の坂に、「男坂」と「女坂」と対にして名づけられた二つの坂がある。どちらも、大正13年(1924)に復興計画の一環で造られた。
・・・・・・・・・・・・男坂・・・・・・・・・・明治大学猿楽町校舎の脇を降りる真直ぐな階段道。 勾配30度、段数73段の階段は、こけたら一大事、いっきに猿楽町に落ち込む。・・・・・・・・・6月に踏切で転倒した私は、いまだリハビリ中である。さらに骨折したら、完全な笑い者になりそうだ。今日は女坂を下ることとした。
・・・・・・・・・・・・女坂・・・・・・・・・・男坂から100mほど東に行くと、2折れ、総段数82段の女坂がある。 2か所の踊り場は広く、こけても頭を打つ程度で骨折はしないだろう。
⑩トヨタ自動車東京本社ビル・・・・・・・・・・・昭和57年(1982)に竣工した、地上19階建ての東京本社ビル。 このビルの脇に、小石川後楽園に向う、散歩道がある。 緑豊かで、昼休みは、近くのOLが弁当片手に集まり昼食会場と化す。・・・・・・・・・このビルの隣り(写真奥のビル)に、私の通うクリニックがあるのだ。
⑪外濠・・・・・・・・・・・・・・・・定期検診では、もちろん『異状なし』。 その一言で、気分はハッピー。 気持ちも軽く、市ヶ谷まで外堀通りを歩いてきた。
・・・・・・・・・・・・・・東京日仏学院 ・・・・・・・・・・・・フランス政府の公式機関で、フランス文化発信拠点。 建物は昭和26年(1951)に坂倉準三の設計で建てられた。
・・・・・・・・・・・・・・市ヶ谷見附跨線水道橋 ・・・・・・・・・・・昭和4年(1929年)に完成した水道橋。 釣り堀の脇にある、ホームからまる見えの有名な水道橋だ!
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