阿佐ヶ谷~高円寺
阿佐ヶ谷駅からブラブラ南へ、いつの間にか北へ、そして最後は東の高円寺駅に、裏道を歩いて、1万2千歩、9kmの散歩です。
①阿佐ヶ谷駅・・・・・・・・・・・・・大正11年(1922)に開業し、昭和41年(1966)に高架化工事が完了し高架駅となった。・・・・・・・・・・・・下町育ちの私には、縁の薄い駅。 知り合いの御宅訪問、仕事で出先訪問、治療を受けた病院通い、若い二人の食事、、、、、いずれにしても、散歩以外で阿佐ヶ谷駅に下車した記憶は皆無、思い出の残っていない駅だ。
②阿佐谷の裏道・・・・・・・・・・・駅名は「阿佐ヶ谷」、町名は「阿佐谷」で“ヶ”(毛)がない。ハゲの街だが、所々に残る昭和裏道の匂い。
③阿佐ヶ谷住宅 ・・・・・・・・・・・善福寺川緑地公園に隣接する立地(杉並区成田東)に、昭和33年(1958)に造られた全戸数350世帯からなる日本住宅公団の分譲型集合住宅地。 地上3~4階建て鉄筋コンクリート造の118戸と、地上2階建てテラスハウスタイプ232戸で構成される。・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷住宅は、日本住宅公団が発足して3年後の昭和33年に竣工したが、建物の設計は発足したばかりの公団の設計課が行なったものと、前川國男建築設計事務所が行った傾斜屋根型テラスハウス(“へ”の字型の屋根)の174戸分がある。 テラスハウスとは、terrace+houseの和製英語で、各戸が専用の庭をもった長屋のことである。・・・・・・・・・・建物の老朽化し治安も悪化したため解体・再開となり、取り壊しが始まった。 前川國男が高度経済成長期を前にした昭和30年代に手掛けたテラスハウスは、鷺の宮住宅だけとなった。・・・・・・・・・曇天の下、取り壊しの現場を今日は寂しく目に焼き付けてきた!
・・・・・・・・・・・・・・道路部分を残し、立入禁止となった住宅地。
・・・・・・・・・・・・・・・テラスハウスも取り壊し! せめて、1~2棟は保存できなかったのか?
・・・・・・・・・・・・・・低層の集合住宅も取り壊し!
・・・・・・・・・・・・・通る人もなくなった住宅地内の道路に、お婆さんが一人何かを思い出しながら散歩中。
・・・・・・・・・・・・・役目を終えた、給水塔も寂しそう!
・・・・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷住宅の航空写真(Googleマップから)
・・・・・・・・・・・・・阿佐ヶ谷住宅の工事範囲
④高円寺・・・・・・・・・・・・正真正銘の高円寺。弘治元年(1555)に開山した、曹洞宗の寺院である。 将軍徳川家光が鷹狩りの際、度々立ち寄り、お茶の接待をした徳川家ゆかりの寺。・・・・・・・・・・寺は江戸時代、明治時代、昭和20年と罹災し、寛保2年(1742)、弘化4年(1847年)、明治33年(1900年)、昭和20年(1945年)と4度罹災し、現在の本堂は昭和28年(1953)に宮大工・中村青雲により再建された。・・・・・・・・・駅名、地名になるほどの寺であるが、そのわりには簡素で、静かな寺である。
・・・・・・・・・・・・・・境内の開運子育地蔵堂。堂内を覗くと、“子作り”地蔵堂かと思った。