京成稲毛~京成千葉
京成電鉄千葉線沿いに、稲毛でのパソコン同好会終了後、京成稲毛から京成千葉まで、1万歩、7kmの散歩です。
①京成稲毛駅・・・・・・・・・京成千葉線の津田沼~千葉間が開通したのは大正10年(1921)である。京成稲毛駅(当時は、稲毛駅)は、その時、同時開業した駅である。 開業時は、海に近く、神谷伝兵衛の別荘や愛新覚羅溥傑の邸宅、稲毛浅間神社と稲毛公園の松林が昔の面影を残している。・・・・・・・・・・・かっては、駅に近い国道14号(千葉街道)が海岸線であった。駅から徒歩5分で海に出られたとは、現状からは信じられないね!
・・・・・・・・・・・・・・京成稲毛駅を出た電車は、隣りのみどり台に向け、切通しを抜ける。
②黒砂浅間神社・・・・・・・・・・京成稲毛駅近くの「稲毛浅間神社」は神主・巫女さんが常駐する、立派な神社だが、こちらの「黒砂浅間神社」は無人のようだ。 千葉市黒砂の小高い森の中にある小さな神社。・・・・・・・・・・・文化12年(1815=江戸時代)に浅間大菩薩を遷座した。歴史ある社だ! 境内には馬頭観音・道祖神・石碑など多く残され、黒砂村の鎮守さまのようだ。・・・・・・・・現社殿は昭和49年(1974)に再建した。
③菅沼医院・・・・・・・・・・・・終戦後の医院建築の面影残し、何となく気になる建物。 白いボードに大きな字で書かれた、医院名、診療科、診療時間、まさに医院の必要アクセサリーだ。 玄関前の大谷石で組まれた背の低い門柱。 出の深い玄関の庇。 “町のお医者さん”だね。
④みどり台駅・・・・・・・・・千葉線の開業2年後の、大正12年(1923)にみどり台駅は開業した。 この駅は駅名が5回も変更された、当初の開業時は“浜海岸”、昭和17年には“帝大工学部前”、昭和23年からは“工学部前”、昭和27年からは“黒砂”、昭和46年からは“みどり台”。・・・・・・・・よく変わるね!・・・・・・・・開業時の“浜海岸”、戦後の“黒砂”、どちらも海を連想させるが、その頃は、京成は確かに海岸べりを走っていた。沖合いが埋め立てられて、今は静かな住宅街を走っている。
⑤西登戸駅・・・・・・・・・・・・大正11年(1922)開業の西登戸駅。 “登戸”は“のぶと”と読み、小田急線の“登戸”は“のぼりと”と読む。 西登戸駅は、開業から昭和42年(1967)まで駅名を“千葉海岸”と称していた。・・・・・・・・・今は海岸まで駅から2km程ある。海岸線が遠退けば、その分千葉県の面積が広がり、人口も増えているのか? でも、蛤は減っているようだ、最近、千葉街道沿いに焼き蛤を売る店が見えないね。 残念、寂しい!
・・・・・・・・・・・・・・・線路際には曼珠沙華が見える季節となった
⑥登渡神社・・・・・・・・・・・千葉市登戸の登渡神社は、千葉氏の末裔が祖先を供養するため、今は住宅地となっているこの地区の最高点である遠望台(標高約15m)に千葉神社の末寺を正保元年(1644)に勧請したことに始まる。・・・・・・・・・平成2年(1990)に平成の大造営により、本殿を境内の奥へ移築し、その前に拝殿と幣殿を設けた。
・・・・・・・・・・・・・・神社の隣りの柿は、そろそろ柿ドロボウが狙いそうな色となってきた。
⑦新千葉駅・・・・・・・・・・大正12年(1923)に開業した古い駅だが、駅名は“新千葉駅”?
⑧千葉機関区の碑・・・・・・・・・・・・千葉駅横のJR千葉支社の構内に、昭和36年(1961)に廃止された、蒸気機関車の基地として千葉機関区跡に動輪の碑がある。・・・・・・・・・・・私が子供の頃(昭和28年頃)、外房方面へ行く時は、両国から汽車で行きました。その頃の千葉駅は今の東千葉駅の所にあり、スイッチバックするため機関車の付け替えが行われたのだ。思い出すな~~、蒸気機関車全盛の時代だ!
⑨京成千葉駅・・・・・・・・・・JR千葉駅前の千葉そごうの建物と一体となった京成千葉駅。昭和42年(1967)の開業である。