浅草橋~飯田橋
2020年東京五輪の決定で、国民に新たな目標ができた。 おめでとう! 今後の7年間、東京の変化が楽しみだ。散歩の楽しみも増えるね!
前回1964年のときは、私は18歳の受験生であった。 “オリンピックより受験が大切だ”と言われ、会場に出向いての観戦はダメ、テレビ観戦で我慢した。東洋の魔女、ウエイトリフティングの三宅、体操の遠藤、マラソンの円谷、最後の閉会式など、興奮したものだ。 もう、受験勉強どころではなかった。 そして、その感動を映画にした市川昆監督の記録映画「東京オリンピック」により再度興奮した、思い出多き時代だった。 2020年の五輪には、より大きな感動を期待しよう。
今日の散歩は五輪とは関係なしに、浅草橋の我が家から、本郷1丁目・2丁目を抜けて飯田橋駅まで、1万3千歩、10kmです。
①櫻稲荷神社・・・・・・・・・台東区台東の蔵前橋通りから入る細い路地に朱の鳥居がある。これぞ、地元の人も知らないような「櫻稲荷神社」だ。 私は数年前まで、この前を歩いて通勤しており知っていたので、今日は久しぶりに参拝してみた。 参拝後は人一人がヤット通れる路が社殿の横にあり、知る人ぞ知る通勤の近道か?・・・・・・・・ちなみに、神社は大名藤堂家邸内に鎮座していた稲荷神社を関東大震災後、現在地に遷座して櫻稲荷神社とした。
②三組坂・・・・・・・・・・湯島天神の近く、本郷台地に上る坂で、坂の両脇にはラブホテルが目立たずに数件並んでいる。・・・・・・・・・徳川幕府は、家康が駿府で亡くなり、お附きの中間、小人、駕籠方の“三組”の者に、この地一帯を与え江戸に帰した。その後、元禄9年(1696)に三組の御家人拝領の地である由来を大切にして町名を三組(みくみ)町と改めた。この町内の坂として“三組坂”と呼ぶ。 三組町は昭和40年4月以降、今の湯島三丁目となった。・・・・・・・・・この坂もかつては私の通勤経路の一部であった。
③霊雲寺・・・・・・・・・・・・・・湯島の町中に、広い境内の霊雲寺(れいうんじ)がある。 霊雲寺は関東大震災、第二次世界大戦の戦災で堂宇を焼失し、現在の堂宇は昭和51年(1976)に鉄筋コンクリート造で再建したものである。・・・・・・・・・・江戸時代、浄厳律師覚彦は柳沢吉保の帰依を受け、時の将軍綱吉から現寺地を得て、元禄4年(1691)に霊雲寺を開創した。 昭和22年(1947)に真言宗霊雲寺派を公称して真言律宗から独立した。
④本郷3丁目の国登録有形文化財・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・さかえビル・・・・・・・・もとは近藤薬局、今はコンビニだが、昭和9年(1934)竣工時の、開口部まわりの凝った飾りは変わっていないようだ。
・・・・・・・・・・・・・本郷中央教会・・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工の建物です。この教会は元ヴォーリズ(メンソレータムの近江兄弟社を設立した実業家でもある)建築事務所のヴォーゲルが川崎忍(立教女学院の寄宿舎などを設計)と共同設計したそうです。・・・・・・・・・教会の建物の中に幼稚園があり、通園時間近くは若いお母さんが多く、不審人物は入りにくい。気の弱い私は、今日も前を素通りしてきた。
⑤泰山ビル・・・・・・・・・・本郷3丁目に建つ一見古そうに見えたビル、昭和34年(1959)の竣工の旧本郷ビル。 外壁は色分けされ2棟のようだが1棟だ。 現在はシェアハウス。
⑥ヱチソウビル・・・・・・・・・・・・関東大震災直後の大正13年(1924)に竣工した、鉄筋コンクリート造4階建てのアールデコ風の建物。 前面の本郷通りの向かいから眺めると、建物上部の幾何学模様が目に入るが、建物前の歩道を歩いていても歴史ある建物に気付く人は少ないようだ。
⑦丸ノ内線本郷三丁目駅・・・・・・・・・・なぜ、こんな横路の奥に在るの、すぐそばには本郷通りがあるのに? と思う駅。 答えは、本郷3丁目の交差点を電車が直角に曲がれないから。・・・・・・・・・・昭和29年(1954)に開業。 現在の蝶の羽のようなアーチ型屋根で覆われた駅舎に改良されたのは平成14年(2002)である。
⑧弓町の大クス・・・・・・・・・・・弓町本郷教会の近くに、樹高は20m、幹回りは8.4m、樹齢600年以上と言われる巨大なクスノキがある。ここは、江戸時代、楠木正成の末裔にあたる旗本甲斐庄氏の屋敷であった。大正時代には駒澤銀行頭取の邸宅となり、昭和になると所有者も変わり、戦後は「楠亭」というフランス料理のレストランとなり、さらに現在のマンションとなった。・・・・・・・・・今はマンションの前で、世の中の移り変わりを高所から見つめている。
⑨旧古市邸・・・・・・・・・・・クスノキの前に建つ瀬川ビルの奥には、初代東大工学部長古市公威邸がある。 明治20年(1887)に建てられた数寄屋造りの邸宅で、静寂の空間を創っている。 国の登録有形文化財だが非公開、残念!
⑩隆慶橋・・・・・・・・・・・・飯田橋の上流で、神田川に架かる隆慶橋(りゅうけいばし)は、昭和10年(1935)前後に架けられた現存する鋼橋である。・・・・・・・・・・・ここには、江戸時代に木橋が架けられていたそうだ。 浅草花川戸の町奴:幡随院長兵衛が旗本:水野十郎左衛門と対立し、湯殿でだまし討ちにあい、その死体が流された場所が、この隆慶橋であったそうだ。・・・・・・・・・現在は上流に新隆慶橋が架けられ、ほぼ歩行者専用橋となっている。ここでも、頭上の首都高が邪魔だね!
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