高円寺~中野坂上
中央線高円寺駅から、青梅街道の南側の裏道を歩き、地下鉄丸ノ内線中野坂上駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。
①高円寺駅・・・・・・・・・・・・大正11年(1922)の開業。昭和39年(1964)から高架線となる。 御存じ、阿波踊りの駅だ。・・・・・・・・「高円寺阿波おどり」は昭和32年(1957)から始まり、毎年8月の最終土曜・日曜に実施しているそうだ。 8月最終の土曜は「浅草のサンバカーニバル」とバッティングしてしまう。 私の足は、個人的趣味と地元のよしみでサンバを見に浅草に向かい、阿波おどりを見に高円寺に向かう機械は少ないだろう!
②オー、可愛いね!・・・・・・・・・駅前の通りの向かいからチョイト見上げると、ビルの玄関上に3匹の犬が! よく見ると、某動物専門学校の“客寄せドッグ”。 可愛いくできており、テーマパークの恐竜みたいに頭が動くと、もっと面白いのだが!
③長仙寺・・・・・・・・・・・・高円寺駅南側の、真言宗豊山派長仙寺は、宝永元年(1704)に現在地に創建された。 戦災で堂宇を全焼し、昭和44年(1969)に鉄筋コンクリート造の現本堂庫裡を再建した。 昭和56年(1981)には八脚門が建てられた。・・・・・・・・・本尊不動明王像は高さ35cmほどの立像で室町時代の作らしい。・・・・・・・・・・・緑の多い静かな広い境内が、高円寺駅に近いことを忘れさせる。
④フヂヤ薬局・・・・・・・・・・・高円寺商店街の中ほどにある薬局。 大正時代の建物だそうで、関東大震災にも耐えた蔵のような造りで、後ろ側には木造の住居部分もある。・・・・・・・・・老朽化が目立つので、ぜひお手入れを!
⑤K邸・・・・・・・・・・・高円寺南に建つ、大正12年(1923)頃の木造住宅。サッシなどはアルミに交換され、外壁は塗られ、古さを感じない。
⑥I邸・・・・・・・・・・・・梅里2丁目の住宅。玄関右の洋風の部分は応接室か?
⑦華徳院・・・・・・・・・・・・・天台宗寺院の華徳院(けとくいん)は、貞観の頃(860頃)、下野国佐野にて創建された。天正年間には武蔵国霞ヶ関(現:千代田区)に移転し、慶長年間には我が家と同じ町(浅草橋2丁目)に再転した。 浅草橋の頃は、運慶の作といわれた丈六仏の閻魔王像を本尊として、「蔵前の閻魔堂」と呼ばれていた。 (寺があったとされる地には、現在「閻魔堂跡」の碑がある。) 関東大震災により、昭和4年(1929)現在の杉並区松ノ木へ移転した。・・・・・・・・・・“浅草橋”と聞き、親しみが湧いた寺だ。
⑧高円寺アパート・・・・・・・・・・昭和36年(1961)に建てられた、総戸数173戸(4棟)からなる都営住宅だが、2階以上の住人は立ち退いたみたいで、階段、入り口はベニヤで塞がれていた。 1階の店舗部分は営業中の店もあったが、遅かれ早かれ立ち退きかな?
⑨新渡戸文化学園:新渡戸記念館・・・・・・・・・・・5000円札の新渡戸稲造が、晩年、校長を務めた学校。・・・・・・・・・新渡戸稲造は岩手県出身の農学者、教育者、論理哲学者で文久2年(1862)に生まれ、昭和8年(1933)に没した。この間、京都帝大・東京帝大の教授、第一高等学校校長、東京植民貿易語学校校長、拓殖大学学監、東京女子大学長、津田塾顧問、東京女子経済専門学校(のち新渡戸文化短期大学)の初代校長などを歴任した。 チョイト、やりすぎだね!・・・・・・・・・その新渡戸文化短期大学が中野に在る。 ここの「新渡戸記念館」と称する校舎を見てきた。 鉄筋コンクリート3階建の校舎は昭和12年(1937)の建築で、設計は東洋英和女学院、早稲田スコットホールなどを手掛けたウィリアム・メレル・ヴォーリズである。 建物は記念館と称しているが、記念品を展示しているわけではなく、短大生活学科の教室である。
⑩五柱五成神社・・・・・・・・・・・・・鍋屋横丁交差点の裏で、色とりどりの旗に囲まれた小さな社と赤い鳥居、そして大イチョウがゴチャゴチャと目に入ってくる、カラフルな神社。 文政6年(1923)に伏見稲荷大社より勧請し、オールマイティーの稲荷の大祖神として「天圀蔵五柱五成大神(あめこくぞうごしゃいなりおおかみ)」を祀っている。・・・・・・・・願い事が叶うと、五色の旗をあげるらしい。 旗の数を見ると、結構、御利益あるかもね!
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