目黒~戸越
目黒駅から、都営浅草線戸越駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
①目黒駅・・・・・・・・・明治18年(1885)3月1日、官設鉄道(新橋~横浜間)と日本鉄道(上野~熊谷)を結ぶ、日本鉄道品川線(品川~赤羽)が開通した。このとき、途中駅は渋谷、新宿、板橋の3駅のみ。 半月後の3月16日、途中駅として目黒、目白が追加開業した。 目黒駅は、池袋より早く開業した、古参の駅だ。・・・・・・・・・・大正12年(1923)には、目黒蒲田電鉄(東急目黒線)が開業し、平成12年(2000)には地下鉄南北線と三田線が乗り入れた。・・・・・・・・・大きな図体の駅となったが、掴みどころのない、魅力に欠ける駅だ。
②行人坂・・・・・・・・・・・目黒駅からホリプロと大円寺の前を通り、目黒雅叙園に下る坂が行人坂(ぎょうにんざか)である。 由来は、『出羽湯殿山の行人がこのあたりに堂を建立したため この名で呼ばれるようになった』と標識に書かれている。 高低差30m程、長さ210mは、上りの人にはキツイ! 下りの人には足下注意!
・・・・・・・・・・・・・・坂の上からは、はるかに目黒城(目黒エンペラー)が望める。目黒エンペラーは昭和48年(1973)にオープンし、世の話題となり一躍有名になった“元祖ラブホテル”。
③大円寺・・・・・・・・・・・行人坂の途中に、寛永年間(1624~1644)に創建された、天台宗の大円寺がある。 明和9年(1772)の冬に出火した、明和の大火「行人坂火事」の火元となった寺である。・・・・・・・・・・・本尊は釈迦如来で、今日は本堂に隠れていた。 また七福神の一人、大黒天も祀られている。 境内には行人坂火事の犠牲者を供養する石造五百羅漢像が、それぞれ個性ある顔でずらりと並び圧巻だ。 像は全て江戸時代の作。・・・・・・・・・・さらに、江戸時代、放火事件をおこした八百屋お七の恋人・吉三の墓もある。お七の墓は文京区白山に在る。墓ぐらいは一緒にしてあげたいね!
④東京電力下目黒変電所・・・・・・・・・・・行人坂を下ると、チョイト古そうな変電所がある。外装は塗り直されて、サッシは取り替えられているが、もしかしたら戦前の建物かも?
⑤大鳥神社・・・・・・・・・・山手通りと目黒通りの交差点角に、かつての目黒村の鎮守さまであった大鳥神社がある。 創建は景行天皇(紀元前13年~130年)の時代と伝えられている。(由緒はあやしいね!)・・・・・・・・・現在の社殿は昭和37年(1962)にできた。・・・・・・・・・・私がこの神社を意識したのは、昭和40年頃、ラジオの交通情報で、たびたび、毎日のように、大鳥神社交差点の渋滞が伝えられたことだ。当時としては、PR効果は抜群だった!・・・・・・・・・“大鳥神社”と言えば、“お酉さま”だ。今年の酉の市は、11月3日と15日、27日の3日。 今年は“三の酉”まであるので、火事が多いかも? 商売繁盛と火の用心、ついでに恋愛成就を祷り、参拝を忘れず!
・・・・・・・・・・・・・若い人の参拝も増えてきた。いい傾向だね!
⑥蟠龍寺・・・・・・・・・・・山手通りに面し門があるが、本堂は100m程奥まった位置に在り、草木に囲まれ都会の中の静寂がある。浄土宗の蟠龍寺は、慶安元年(1648)に開創した称明院を、増上寺の高僧が宝永6年(1709)に霊雲山称明院蟠龍寺として改名再建した。・・・・・・・・境内の巌谷には石仏の弁財天が祀られている。
⑦青木昆陽の墓・・・・・・・・・・・・山手通りから、私好みの裏道が見えた。 石畳風の裏道、奥には階段が、階段を上ると、そこは目黒不動尊の墓地! その一角に「青木昆陽の墓」がある。・・・・・・・・・青木昆陽、別名:甘藷先生。
⑧目黒不動尊・・・・・・・・・・正式名称は天台宗の泰叡山(たいえいざん)瀧泉寺(りゅうせんじ)である。大本堂は、急な石段を登った先に、さらに一段高い場所に建つ、入母屋造りの大規模な堂で、昭和56年(1981)鉄筋コンクリート造りで再建された。境内には、本堂以外にも多くの堂宇があるが、比較的新しい建物が多いようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・本堂の後ろには大日如来が祀られている。こちらにも参拝する人が、、、、、、アレ? 赤い服の娘は、さっき大鳥神社で合った娘だ! 神仏に頼み事とは、就活か? 婚活か? マァ、何でもいいか、詮索は止めておこう!
●蛇足・・・・・・・・・・・瀧泉寺は不動明王を本尊とし、一般には目黒不動尊と呼ばれている。江戸五色不動の一つ。 五色不動とは、五行思想の五色(白、黒、赤、青、黄)にまつわる不動尊のことで、目白不動(金乗院)、目黒不動(瀧泉寺)、目赤不動(南谷寺)、目青不動(教学院)、目黄不動(永久寺)、目黄不動(最勝寺)が該当する。
⑨氷川神社・・・・・・・・・東急目黒線不動前駅から、南東に100m程の地に鎮座する氷川神社。桐ヶ谷村(現在の西五反田)の鎮守さまとして、江戸期に創建された。現在の社殿は昭和13年(1938)に造営された。
⑩西五反田の蔵・・・・・・・・・・・西五反田に建つ、極普通の大谷石の蔵で、昭和の造りのようだ。・・・・・・・・・・・今日の散歩は、選んで歩いたわけではないが、何故か寺社巡りとなり、寺社以外の建物が目に入り安堵した。
⑪池上線・・・・・・・・・・・新桐谷橋で池上線を越えると、戸越駅はすぐだ!
●・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、賽銭を配って歩いた日となり、懐も軽くなった。