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2013年10月21日 (月)

大井町~大森

JR大井町駅から隣の大森駅まで、駅間距離2.2kmのルートを散歩。 東は東海道本線、西は池上通に挟まれた、大井4丁目、6丁目を、グニャグニャ、ジグザグ、行ったり来たりして、万歩計では1万2千歩、9kmの散歩となった。

①大井町駅・・・・・・・・・・・大正3年(1914)、京浜線(後に京浜東北線)の運行開始と同時に旅客駅として開業した。・・・・・・・・昭和2年(1927)には目黒蒲田電鉄(現:東急)大井町線が開業。平成14年(2002)東京臨海高速鉄道りんかい線の大井町駅が開業。・・・・・・・・1面2線の島式ホーム、脇には東海道線の上下2本の線路がある。ホームの上は駅ビル「アトレ」。

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②八幡屋・・・・・・・・・・大井4丁目「大井中央病院」近くの裏道に、創業60年を超える老舗の中華そば屋さんがある。白地に大きく「中華そば 八幡屋」の看板、いいね!・・・・・・・・・・店は80歳を超えたおばあちゃんが一人で切り盛りし、2年程前に火傷し休業中であった。 今日は9時前に来たので、開店前なのか?休業中なのか?どちらにしても、赤地に白抜きで「中華そば」の暖簾は出ていないね!

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③大井4丁目の裏道・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・チョイト、洒落たマンションだ!

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・・・・・・・・・・・・・・作守稲荷は、もともと薩摩藩抱屋敷内にあった屋敷神。

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・・・・・・・・・・・・・車はもちろん通れません! 外灯はつくようだ、でも痴漢に注意!

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・・・・・・・・・・・・・こちらの三社宮は屋敷神か? 

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・・・・・・・・・・・・・大正末期から昭和初期の建築と、私が推定した住宅。 1階の応接間と推定される部屋の窓上にはステンドグラスもチラッと見える。 住宅の裏手には鉄筋コンクリート造の古そうな蔵もある。

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・・・・・・・・・・・・・・東海道線の下を抜け、大井4丁目と南大井5丁目を結ぶ、歩行者専用の「関道地下道」。昭和42年(1967)の竣工。・・・・・・・・地上を走る東海道線は、踏切をなくすために地下道にしたのであろう? まさに地下にもぐるようなアプローチ!

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④西光寺・・・・・・・・・・浄土真宗本願寺派の西光寺は、弘安9年(1268=鎌倉時代)に開創した。 もとは、麻布善福寺末であった。・・・・・・・・・雨上がりの影響か、苔が綺麗であった。

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⑤光福寺・・・・・・・・・・・・・大井6丁目の光福寺は、延暦元年(782=奈良時代)、天台宗神宮寺として開創した、と伝えられている。・・・・・・・・・・境内の大イチョウは、高さ40m、幹周り6.4m、樹齢約800年で、明治時代までは東京湾に出漁する漁民の目印になっていた。 木もデッカイが、イチョウのおっぱいもデカイ!

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⑥S邸・・・・・・・・・・光福寺脇に建つ、昭和初期の木造住宅。 玄関のアーチが特徴的、庭木が茂り、全体が見えずチョイト残念だ。

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⑦飯野装芸・・・・・・・・・池上通に面して建つ大井5丁目の内装屋さん。木造3階建て+木造2階建て、モルタル塗り。一見、鉄筋コンクリート風の造り。 おそらく戦前の建物だろう?

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⑧来迎院・・・・・・・・・・大井6丁目の天台宗寺院の来迎院は、安和2年(969=平安時代)、南品川の常行三昧寺(現:常行寺)の僧が、現在地に鹿島神社と共に創建した。もとは、鹿島神社の別当である。

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・・・・・・・・・寺の前の道路工事により、境内が分断され、江戸時代の石仏が道路を挟み、門前に祀られている。

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⑨鹿島神社・・・・・・・・・来迎院と隣り合わせで、大井村の鎮守さまである鹿島神社がある。創建は来迎院と同じ安和2年(969)。・・・・・・・・・・昨日まで雨の中で、例大祭が行われていた、今日はその後片付けで、露店の屋台、神酒所、飾り物などの撤去が行われてた。 境内は洪水の後のように、泥でグシャグシャ、見るも無残な姿で、神社の神聖な雰囲気は消えていた!

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⑩大森貝塚・・・・・・・・・“日本考古学発祥の地”として、明治10年(1877)、アメリカの動物学者E・S・モースによって発見・発掘された縄文時代後期(約3000年前)の遺跡。・・・・・・・・その記念碑が、大田、品川の両区に300mの距離を隔て、それぞれ建てられている。 ここで問題、「なぜ、2つの区に記念碑が在るのでしょうか?」・・・・・・・・答え、「大森貝塚は両区の境に位置し、遺跡の在ったところが曖昧で、判らなくなったから」 モースは発掘報告書に貝塚の住所や地図を載せなかったため、いつの間にか大森貝塚の位置が不明となってしまった。 そして、昭和4年(1929)に今の大森貝塚遺跡庭園(品川区)に「大森貝塚碑」が、翌昭和5年(1930)には大田区に「大森貝墟碑」が建てられた。さらに、国は両方の碑を“国の史跡”に指定した。まさに、混乱状態となる。・・・・・・・・昭和52年(1977)、大森貝塚発掘時の「発掘補償金」に関する文書が見つかり、そこに記された発掘地の住所が、現在の大森貝塚遺跡庭園(品川区)の位置に該当し、これで“大森貝塚”の位置が明らかとなった。

・・・・・・・・・・・品川区大井の大森貝塚遺跡庭園の「大森貝塚碑」・・・・・・・・・碑は車窓から見えるように配されている。

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・・・・・・・・・・・・・・貝塚碑の近くには、モースの像もある。

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・・・・・・・・・・・大田区山王の「大森貝墟碑」・・・・・・・・こちらは、喧嘩に負けた駄々っ子のように、NTTデータのビルの裏でひっそりと東海道線の電車を見つめている。

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