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2013年11月

2013年11月30日 (土)

銀座

午後から、私がゼネコンに勤務していた頃の職場の同窓会に出席。30名程のお友達と久しぶりの御対面! 皆さん20年程前と変わらず若い! 更けたのは私だけかも?・・・・・・“友あり アッチャコッチャから来る また楽しからずや”

東京駅八重洲口近くで同窓会を終えた後、買い物がてら銀座経由で浅草橋の我が家まで歩いて帰宅。1万5千歩、10km。

①グランルーフ・・・・・・・・・・東京駅八重洲口の南北両サイドの超高層ビル、「グラントウキョウサウスタワー」と「グラントウキョウノースタワー」をペデストリアンデッキで結び、その上に膜構造の大屋根で覆っている。

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②銀座、ブラブラ!・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・今日は11月末日、“12月”に入らないと人出もチョイト少ないね!

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・・・・・・・・・・・・・・クリスマスムードを盛り上げる電飾も、点灯は明日あたりからか? 準備はOKのようだ!

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・・・・・・・・・・・・・年末ジャンボ、福引、クリスマスの雰囲気が出てきた。

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・・・・・・・・・・・・チビ象“サトちゃん”もクリスマス衣装で登場

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・・・・・・・・・・・・・・クリスマス・プレゼントの下調べ? おねだり? いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・外人さんは銀ブラで、TOKYOの夜をお楽しみ

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・・・・・・・・・・・・大福も売れてま~す!

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・・・・・・・・・・・・・買物が済んだら、帰宅することに・・・・・・・・

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●・・・・・・・・・・・お買い物の一つです

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・明日から“12月”、なぜか心がウキウキするね! 60過ぎてもクリスマスプレゼントは楽しみなのだ!

2013年11月29日 (金)

靖国通り・続き

一昨日の靖国通りの散歩の続きです。市ヶ谷駅から新宿駅まで、1万2千歩、9km。

①JR市ヶ谷駅・・・・・・・・・・・・・明治28年(1895)、甲武鉄道の駅として、外濠の土手に開業した。・・・・・・・・・私が40代の頃、勤務先の最寄駅であった。駅周辺も徐々に変化しているが、まだ私も呆けておらず、何処に何屋があるか知ってるね!

・・・・・・・・・・・・・・駅前の靖国通り

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・・・・・・・・・・・・・・JR市ヶ谷駅

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・・・・・・・・・・・・・明治44年(1911)、四谷見附から市ヶ谷方向を望む。外濠の先には陸軍士官学校(現:防衛省)がみえる。(写真:新宿歴史博物館「新宿風景」より)

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②外堀通りとの分岐点・・・・・・・・・・・靖国通りは市ヶ谷駅近くで外堀通りと交差して新宿へ向かう

・・・・・・・・・・・・・・外濠に沿い、写真右(飯田橋方向)から左(四谷方向)へ向かう外堀通り

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・・・・・・・・・・・・・・市谷八幡町では100m程外堀通りと共用し、靖国通りは写真の右側(新宿方向)へ向かう。

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市谷亀岡八幡宮・・・・・・・・・・・市谷八幡町に鎮座する神社。文明11年(1479)に、太田道灌が江戸城西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まり。“鶴岡”に対し“亀岡”と命名した。

・・・・・・・・・・・・・急な階段を上ると、文化元年(1804)建立の銅鳥居がお出迎え。

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・・・・・・・・・・・・・・戦災では、樹木を含め全焼した。 現在の社殿は昭和37年(1962)の再建。

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・・・・・・・・・・・・・・境内の摂社:茶ノ木稲荷神社のカエデは色づき、絵馬とコラボレーション。

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④防衛省・・・・・・・・・・・明治7年(1874)、市ヶ谷の台地に陸軍士官学校が開校した。その後戦時中、参謀本部が置かれた。 戦後は、昭和35年(1960)に東部方面総監部が置かれ、10年後の昭和45年には三島由紀夫ら楯の会が乱入する事件が発生した。 平成12年(2000)に防衛庁本庁庁舎が六本木から市ヶ谷に移転した。・・・・・・・・・・・厳重な警備で、通勤職員に紛れて入り込むのは無理だ! 中韓対応で忙しそうだから、邪魔しないように玄関を素通り。

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⑤桝箕稲荷神社・・・・・・・・・・・・・靖国通りを挟み、防衛省前の町は「坂町」と呼ばれている。その坂町の鎮守さまが桝箕稲荷神社(ますみいなりじんじゃ)である。 元和年間(1615~1624=江戸時代初期)に創建され、当初は「真須美稲荷」と称していたが、稲を司る神様ということから稲穂にちなみ「桝箕(ますみ)」と称されるようになった。・・・・・・・・空襲で社殿は焼失し、昭和23年(1948)に仮社殿造営、昭和34年(1959)に現在の新社殿を造営した。・・・・・・・・・現在の社殿が仮社殿のように見えるのは私だけか?

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⑥曙橋・・・・・・・・・・・・靖国通りの上に架かり、荒木町の近くに位置する陸橋である。橋上を走るのは外苑東通り。昭和32年(1957)に開通、長さ112m、幅22mで、戦後初の立体交差の陸橋。

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・・・・・・・・・・・・・・橋上から防衛省方向に靖国通りを望む

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⑦大根塔・・・・・・・・・・・地下鉄曙橋駅の西側、靖国通りに面し10mぐらいの高さの塔かある。敷地の大きさも20坪くらいありそうだ。 塔には老夫婦の銅像が置かれ、下に「大魂塔 創業」のプレートが嵌め込まれている。 何だコリャ?・・・・・・・・・この地は、「丸正創業之地」で、銅像は八百屋から身を立てスーパーマーケット“丸正”を創業した飯塚正兵衛夫妻で、創業者を称え一族・関係者が建てた塔である。・・・・・・・・・・都心の一等地、こんなのアリ?

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花園神社 ・・・・・・・・・・・・一昨日は「三の酉」で後片付けの真最中。 いよいよ年末年始の準備だ! 結構、行事が多く忙しいね!・・・・・・・・・・神社は忙しくても、私はヒマだ。手を合わせて行こう!

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⑨都電の専用軌道跡・・・・・・・・・・靖国通りから区役所通りにはいる角に、遊歩道“四季の道”ある。 この遊歩道は、かって、都電の専用軌道で、ゴールデン街の脇を通り新宿6丁目に出ていた。昭和45年(1970)都電は廃止となり、その4年後に遊歩道として整備された。・・・・・・・・・当時、私は大学生で、都電が走る“新宿の景色”として好きだった。 今はゴールデン街の方が“新宿の景色”になった! 

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、昼間の閑散としたゴールデン街をパチリ!

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⑩新宿大ガード・・・・・・・・・正式名は青梅街道架道橋である。靖国通りの終点で、ガードの先は青梅街道となる。・・・・・・・・・・・ここには、明治時代は架道橋はなく、踏切であった。大正になると、架道橋が造られていたが年代は不詳。昭和43年(1968)頃から、現在の姿の架道橋に拡張された。

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・・・・・・・・・・・・・大ガードの脇に、西武新宿駅が入る「西武新宿ビル」がある。昭和52年(1977)竣工、地上24階建て。 煉瓦色のシックな外観は印象的だ。かつての駅の敷地に建てたため細長い平面で、B2階~8階が商業施設「PePe西武新宿」、10階から24階までは西武系ホテル「新宿プリンスホテル」(客室数571室)になっている。

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2013年11月28日 (木)

田端~三河島

JR田端駅から歩きはじめ、いつものように裏通り・路地をクネクネ・グルグル歩き回った。散歩慣れし、方向感覚もたしかな私が、今日は何としたことか、荒川・町屋では方向感覚を失い同じ処を3回・4回と歩いてしまう大失態をしでかした。地図を持たずに歩いており、着いたところはJR三河島駅。1万3千歩、9kmの散歩です。

①第一下田端ガード・・・・・・・・・・・田端駅北口を出て、田端ふれあい橋を渡り、東田端1丁目にガードはある。 東北本線のガードで、上野を出た列車はこのガードをとおり尾久駅へ向かうことになる。 ガード上には田端車両基地への引込線を含め6本の線路が敷かれている。・・・・・・・・・ガード下は歩行者専用だった。 しかし、ガード手前の商店街は歩行者優先の表示はないのに、車道を歩く人が多い。 よそ者には戸惑うルールがあるようだ!

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②謎のビル・・・・・・・・・・ガードをくぐり明治通りに出る手前(田端新町2)に、シャレた大きなビルを発見。 学校か?、病院か?、老人ホームか? やたらデカイ建物だ、敷地を一周してみたが建物の名前を示すものを発見できず。 しかも、人の出入りは少ないようだ。 とりあえず写真に収め、調べてみた。・・・・・・・・地図にも建物名の表記なし。 ますます興味深々!・・・・・・・・・ここで私が“冴えてる推理”を行った。 建物名を表示しないのは、テロ対策だろう。 敷地の近くにNTT東日本のテクノビルが在る。・・・・・・・・正解! ビルはNTTコミュニケーションズの建物で、今年4月にオープンした6階建ての「東京第6データセンター」であった。・・・・・・・・・都内最大規模のデータセンターだ。民間の電子情報を処理する性格上、名を伏せているのだと思われる。この建物と、斜め向かいのNTTのビルは、地下の「とう道」で結ばれているそうだ。

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③尾久橋通り・・・・・・・・・・・頭上に日暮里・舎人ライナーが走る尾久橋通りを渡り荒川区に侵入する。

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④遠く先を見通せない東尾久の裏道・・・・・・・・・・・・・

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⑤荒川の共同住宅・・・・・・・・荒川区荒川6の裏道で、スゴイ共同住宅を発見。

・・・・・・・・・・・・・・木造家屋が密集する一帯

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・・・・・・・・・・・・・・・両側に細い円柱がたち、腰はモザイクタイル貼り、柱・梁はモルタル仕上げ、これはひょっとすると古い建物かも? 疑問に答えてくれたのは向かいのおばさん、『古い共同住宅で戦前からの建物だと思いますよ!』。

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・・・・・・・・・・・・・・ヤクルトおばさんが来ました。集金のようです。

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・・・・・・・・・・・・・・・狭い路地も各戸の玄関が並ぶメインストリート。 

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・・・・・・・・・・・・・共同の洗濯場の跡か? その脇には「第三号 防火用水」と書かれたドラム缶が朽ちている。

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・・・・・・・・・・・・・2階へ上がる木製の外階段もある

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・・・・・・・・・・・・チョイト、ぐるり一周!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらの路地では「第四号 防火用水」と懐かしき洗濯板を発見!

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⑥防災通り・・・・・・・・・・・東尾久1丁目付近の1.36kmの道路に、「尾久の原防災通り」と命名されている。 これは、木造家屋が密集し、狭隘な道路によって、消防活動が十分できないため、整備された道路に付けられた名前だ。

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・・・・・・・・・・・・・・消防活動に不安がある場所には、消火器とバケツが用意されていた。

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●・・・・・・・・・・・・・このあとは、宮地陸橋の下をとおり三河島駅

2013年11月27日 (水)

靖国通り

浅草橋から市ヶ谷まで、靖国通り沿いに歩き、1万5千歩、11kmの散歩です。

①靖国通り・・・・・・・・浅草橋“駅”と町名の“浅草橋”は台東区、浅草橋の“橋”は台東区と中央区を結び、浅草橋“交差点”は中央区にある。 その浅草橋交差点は、江戸通り(日本橋方向)、江戸通り(浅草方向)、靖国通り、千葉街道、清洲橋通りの5叉路で、交差点も広く見通しが良い。・・・・・・・・・・関東大震災後、帝都を南北に走る昭和通りと、東西に走る靖国通りの整備は復興の目玉であった。靖国通りは、浅草橋交差点を始点に、新宿大ガード東交差点を終点とする、総延長11.2kmの都道である。 道路の元は大正時代に開通し、震災後に幅が広げられ、当時は「大正通り」と呼ばれていた。

・・・・・・・・・・・・・靖国通りのスタート地点「浅草橋交差点」

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・・・・・・・・・・・・・新宿方向を望む

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②鷹岡東京支店・・・・・・・・・・・・須田町交差点の一角に建つ鷹岡東京支店のビルは、昭和10年(1935)に建てられた、スクラッチタイル張りのモダンな建物だ!

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③神田青果市場発祥の地・・・・・・・・・・淡路町交差点近く(須田町1-8)に、「神田青果市場発祥之地」の碑がある。 このあたり一帯には江戸・明治・大正時代を通して巨大な青果市場があった。 約1万5千坪の広大な青物市場では、神田川による水運なども利用し、各地から優秀な青物が運び込まれ商われていた。 店は店員の住まいも兼ねており、多くの八百屋が集まった町のように見えたらしい。 関東大震災で市場は壊滅したが、ただちに復興したそうだ。 その後、昭和3年(1928)に秋葉原に移転し、平成2年(1990)には大田区へ移転した。

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④駿河台下・・・・・・・・・・・・“駿河台”と言えば我が母校“明治大学”、“駿河台下”と言えば私の本屋“三省堂”。

・・・・・・・・・・・・・・交差点から明治大学リバティータワーが見える。

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・・・・・・・・・・・・・交差点角には昭和56年(1981)に竣工した三省堂ビル。現ビルを建てる前は、3階建てくらいの建物だったと記憶している。正面玄関の右奥に木造の階段があり、歩くとギシギシ音がする、そして2階は教科書売場。英語が苦手の私は、教科書に付随した指導の手引書のようなものを買いに行った記憶が、頭の中にこびりついている。

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・・・・・・・・・・・・“駿河台下”で忘れることができない場所は、人生劇場・神田日活(現:石井スポーツ)の間の路地を入り、一本目を右に曲がったところのあったスタンドバー「」です。 今は建物は残っているが廃業した。知ってる人いるかな? 40年前、京華高校学校時代の私的な思い出の場所です。

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⑤神保町・・・・・・・・・・中・高等学校は文京区白山の私立に通っていたので、水道橋・神保町・駿河台は学校帰りの“お立ち寄り”処であった。 今でも残る懐かしい建物もある。

・・・・・・・・・・・・・廣文館書店・・・・・・・・・神保町交差点角に古くからある書店。昭和30年代は、まだ大型書店は無く。 この規模の書店が並んでいた!

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…・・・・・・・・・岩波神保町ビル・・・・・・・・・・廣文館書店の向かい角に、昭和42年(1967)竣工した岩波神保町ビル。10階には「岩波ホール」という映画館がある。

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・・・・・・・・・・・・・一誠堂書店・・・・・・・・・創業100年をこえる、神保町でも老舗中の老舗。初代が新潟・長岡で創業したのが明治36年(1903)。その3年後、明治39年(1906)に神田に移転した。専門分野は洋書を含めて文科系の古書籍全般。現在の建物は昭和6年(1931)に竣工した。・・・・・・・・私には敷居が高い書店である。

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・・・・・・・・・・・・三鈴堂眼鏡店・神保町案内所・・・・・・・・・・靖国通り沿いに、大正14年(1925)に建てられた11軒の棟割り長屋で、現在は2軒のみ残っている。3階の丸窓は特徴的だ!・・・・・・・・写真左の三鈴堂眼鏡店は、明治12年(1879)創業の老舗だ。右は町の案内所として使用中。・・・・・・・・昭和40年代は、神保町の交差点を挟み靖国通り沿い東西に棟割り長屋が残っていたのを記憶している。11軒並んだ姿を想像すると、懐かしい昭和レトロの風が吹いてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・矢口書店・古賀書店 ・・・・・・・・・昭和3年(1928)の建築。木造3階建て、モルタル塗り。

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⑥旧日本住宅公団本社・・・・・・・・・・・九段坂の中程、田安門前に旧日本住宅公団本社がある。 日本住宅公団(現:UR都市機構)は昭和30年(1955)に設立した。本社ビルは昭和37年(1962)に建てられ、建築当初はクリーム系の建物であったが、現在は東京理科大学が購入・改装し校舎として利用されている。・・・・・・・この敷地は旧陸軍将校の親睦団体・偕行社の跡地だ!

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⑦旧松葉館(松岡九段ビル)・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に松葉館という名前の旅館として九段坂上に建てられた。 戦前は九段下の軍人会館(九段会館)とともに多くの軍人に利用された高級旅館だったであろう。 斜向かいには陸軍の偕行社(旧住宅公団本社ビルの位置)もあり、まさに軍の町だった。・・・・・・・・・・・戦後は事務所ビルに改装し利用されている。現在は建物の外壁はパネルが貼られ、隠されてしまった。しかし裏手に回ると、丸みのある庇など当時の面影が残っている。・・・・・・・・・私の20~40代の勤務地はこの近くなので懐かしい思い、チョイト中を覗いたが、改装されていた。

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⑧九段坂病院・・・・・・・・・・九段上に、大正15年(1926)に私立病院として創立し、戦時中は一時、国の所有となり、戦後は国家公務員共済組合の所有となり、現在に至ってる。・・・・・・・・・九段坂病院の本館建物は、岡田信一郎の設計で戦後建てられたが、老朽化が進み、建て替えも難しいことから、平成27年(2015)に九段会館隣の千代田区役所跡地に移転することとなった。・・・・・・・・・昭和48年頃、私の勤務先は九段坂病院の真前で、肝臓が悪化したときここで診てもらった。 医者から、酒はダメ、タバコはダメ、コーヒーはダメ、刺激物はダメと注意され会社へ戻り、“死んだらこれも天命”と開き直り、即タバコを吸い、コーヒーを飲み、昼食はカレーライスを食べた、思いでの病院だ! ついでに、引っ越し先の千代田区役所跡地は、大学の受験勉強で通い詰めた場所(当時は図書館があった)でもある。

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⑨靖国神社・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・大鳥居・・・・・・・・大正10年(1921)、日本一の大鳥居として誕生したが、昭和18年に撤去された。現在の鳥居は昭和49年(1974)に再建された。高さは25m、笠木(横木)の長さ34m、重量は100トン。

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・・・・・・・・・・・・・大村益次郎像・・・・・・・・・昭和44年(1969)、私が新入社員として、九段の会社に入社した時、 新人研修でこの像の台座に正座させられた、辛い思い出の像。

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・・・・・・・・・・・・第二鳥居・・・・・・・・・・明治20年(1887)に建てられた、青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇る。

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・・・・・・・・・・・・・・神門・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に建造された。中央の二つの扉には、直径1.5mの菊花の紋章が取り付けられています。

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・・・・・・・・・・・・拝殿・・・・・・・・・明治34年(1901)の建造。

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2013年11月24日 (日)

皇居東御苑

秋の香りに誘われて、夫婦で皇居東御苑 を散歩。1万2千歩、9km。

・・・・・・・・・・・・皇居東御苑は、旧江戸城の中心部分である本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、昭和43年(1968)から一般公開された。

・・・・・・・・・・・・昭和天皇のお住い「吹上大宮御所」、今上天皇のお住い「吹上御所」は、厳密には江戸城ではなく、明暦の大火(明暦3年(1657))以降に道灌掘で隔てられた火除け地として、建物が建てられないようになっていた場所に建てられている。・・・・・・・・何だかんだ言っても広い皇居は、一部に天皇のお住いがあり、一部は東御苑として公開され、さらに一部は北の丸公園で、残りの一部は皇居前広場である。 この皇居内で日頃から住み、寝起きしている人は何人いるのか、チョイト興味あるね!

①皇居外苑・・・・・・・・・・東京駅赤レンガ駅舎の正面の広場。イチョウの黄葉がお出迎え!

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②巽櫓・・・・・・・・・・松平健の吉宗が白馬にまたがり、パレスホテル東京(写真後ろの高層ホテル)へ向かい走っていく姿を想像した。 あまり絵にならないね!

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③皇居東御苑・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・皇居東御苑の入り口の一つ大手門を入ると、皇室の美術工芸品を公開している三の丸尚蔵館がある。平成5年(2017)に開館。

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・・・・・・・・・・・・・・同心番所、百人番所、大番所をチラリ横目で通り過ぎる。

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・・・・・・・・・・・・・本丸大芝生に出る。ここで天皇即位後の一生に一度の大行事である大嘗祭が平成2年(1990)に行われた。 芝生の周囲は木々が色付き秋景色。

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・・・・・・・・・・・・・江戸城天守閣跡の天守台。 明暦の大火で焼失し、その後再建されていない。 東京オリンピックに向け再建するうわさ話があるようだ。 宮内庁がOKしないと思うね!

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・・・・・・・・・・・・・桃華楽堂は香淳皇后の還暦を祝い、昭和41年(1966)に建設された音楽堂。 建物の屋根は「テッセン」の花弁を模した形で、八角の外壁は華やかな有田焼・信楽焼の陶片とタイルで彩られてる。建築家:今井兼次(1895~1987)の設計、前田建設工業の施工。・・・・・・・・私の還暦の祝は赤いセーターだった。格が違うね!

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・・・・・・・・・・・・・・雅楽などを演じる宮内庁楽部の建物。 “楽(らく)”する人を収容する建物ではない、誤解しないように。 昭和35年(1960)完成。

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・・・・・・・・・・・・・楽部から急な汐見坂を下ると白鳥壕に出る。

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・・・・・・・・・・・・・・池泉回遊式の二の丸庭園。庭園の一角には茶屋も建てられている。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和天皇の発意で造られた雑木林。 一面、秋・秋・秋!

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・・・・・・・・・・・・・・入ってきた大手門を出て、大手町へ

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④歩き疲れて休憩・・・・・・・・・消費カロリーを上回るカロリー摂取!

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2013年11月23日 (土)

千住柳町

日没が早くなり午後4時を過ぎると、そろそろ灯りをともし、夕飯の準備を始める家もある。 私は夕暮れ時に、北千住駅から15分程の千住遊郭があった“千住柳町”界隈をぶらついて来た。 9千歩、7km。

・・・・・・・・・・日光街道の千住宿としては、水戸黄門の時代以前から宿場女郎・飯盛女がいたことは想像できる。 当時、日光街道は現在の日光街道(国道4号線)の東側(北千住駅より)にある、今は街道の面影残すショッピングロードとして賑わっている。 近くの金蔵寺には遊女の供養塔も残されている。

・・・・・・・・・・大正時代中頃、警視庁は国道4号線の西側に新遊郭地「柳新地」を指定した。 「柳新地」は北千住駅西口から日光街道(国道4号線)を渡り、駅からチョイトと遠い現在の千住柳町にあった。 指定後、関東大震災があり、吉原・洲崎など被災地の客が押し寄せ、街は賑わったそうだ。昭和初期には、50軒以上の店、300人以上の娼妓の規模となった。

・・・・・・・・・・戦後は昭和32年(1957)の赤線廃止まで営業が続けられていた。戦後70年にならんとする今、当時の赤線跡を見つけることはできないが、当時の面影残す路地・住宅の雰囲気は残ってる。

①千住寿町の裏道・・・・・・・・・・・・

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②大正通り・・・・・・・・・・正しくは「大正記念道」で、「大正通り」は通称。荒川放水路の完成によって廃止になる堀を埋め立て、大正5年(1916)に完成した。大正天皇御即位の記念として、命名された道路だ。・・・・・・・・国道4号線の西側の、千住中居町から千住柳町をとおり千住大川町に至る、地域の幹線道路。 名前に釣られ、“大正ロマン”をさがしても見つからず!

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③千住大門商店街・・・・・・・・・・その名のごとく、千住遊郭の大門に位置する商店街だ、しかし遊郭の跡を示す物証はない。 今は、落ち着いた地域密着型の商店街である。・・・・・・・・・千住柳町には、「大門通り」、「いろは通り」、「仲通り」なる、商店街があった。 “大門”、“仲通り”は吉原に、“いろは通り”は玉ノ井にもある名前だ!

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④千住柳町・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・千住柳町の中央に位置する地点、昭和の面影もほぼ消えてしまった。

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・・・・・・・・・・・・・・オー、公園で遊ぶ小学生、いいね。 小さな昭和の雰囲気だ! 

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・・・・・・・・・・・・・・この路地を行くと質屋の前にでる、どんな娘が通った店か?

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④ニコニコ商店街・・・・・・・・・・千住柳町と千住大川町の境にある商店街。昭和初期の遊郭華やかなりし頃は、一番の繁華街であったそうだ。この商店街の近くに、遊郭が並んでいたらしい。・・・・・・・・今は、残念ながらシャッターが下りっぱなしの、寂れに寂れた商店街となった。

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⑤千住大川町・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・黙って静かに町の変化を見つめる金の湯の煙突

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・・・・・・・・・・・・・公園の隅でお年寄りが犬の自慢話中

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・・・・・・・・・・・・・玄関先のクリスマス。この家には、サンタも迷わずに来ることだろう! 

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2013年11月22日 (金)

平井~新小岩

総武線平井駅から歩きはじめ、新小松川橋を渡り新小岩駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①平井の花街・・・・・・・・・・・・・平井駅の南側近くに花街があったことは知っていた。 60年以上東京に住んでいて、平井駅のどの辺に花街があったのか、場所は知らなかった。  祖父も、親爺も私に教えずに死んだ。小・中・高等学校・大学でも教えてくれず。不徳の致すところ也。・・・・・・・・今日、駅南側の裏通りの呑み屋街らしきところを、丁寧に歩いてみたら、花街の名残の料亭と御対面でき、“オー、此処だったのか!”、一瞬の感動を経験した。

・・・・・・・・・・・・平井の花街は、大正12年(1923)の関東大震災後に、被災者がこの地に住むようになり、必然的に花街も誕生したらしい。私の知らない戦前には、芸妓250人、置屋45軒、待合30軒あったそうだ。 戦後は、空襲で壊滅した町に復活したものの、時代が変わり昭和50年代に幕を閉じた。・・・・・・・・今は、「料亭 まじま」が一軒営業している。

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②善通寺・・・・・・・・・・・平井1丁目の荒川べりに複数の寺が並んでいる。その一つに、浄土真宗本願寺派で、康正年間(1455~1457=室町時代)に創建された善通寺がある。以前は小松川村にあったが、大正4年(1915)荒川の開削工事により現在地に移転した。・・・・・・・・本尊は、中将姫が織ったという蓮糸織阿弥陀如来曼陀羅。中将姫とは奈良時代の藤原氏の娘で、超美女だった(?)。しかし、継母によって身に危険を感じ、大和の当麻寺の尼となった。・・・・・・・・・・奈良の当麻寺は大学生の時に一人旅し、この時のある出来事(ナイショ!)が、工学部に在籍していた私が文学部の講義も受講する切っ掛けとなった。(懐かしい、青いレモンの思い出だ!)

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・・・・・・・・・・・・・・【余談】 当麻寺に入った中将姫は薬草の知識も学び、その処方を世話になった大和の藤村家に伝授した。それが藤村家家伝の薬・中将湯となった。 明治26年(1896)、津村家では「中将湯本舗津村順天堂」創業した。 津村順天堂はバスクリンで知られているが、バブル期に経営の多角化を図り失敗し、現在は「バスクリン」の商号・商品は手放され、アース製薬の子会社が引き受けている。

③最勝寺・・・・・・・・・・善通寺から3寺隣りの、天台宗の牛宝山明王院最勝寺。・・・・・・・・・貞観2年(860=平安時代初期)に隅田川畔(現在の墨田区東駒形)に草創された寺。大正2年(1913)、駒形橋の架橋工事により現在地(江戸川区平井)に移転した。・・・・・・・この寺は、“五色不動”の一つ、“目黄不動尊”で知られている。・・・・・・・・ちなみに他の“五色不動”は、“目黒不動”瀧泉寺(目黒区)、“目白不動”金乗院(豊島区)、“目赤不動”南谷寺(文京区)、“目青不動”教学院(世田谷区)、“目黄不動”永久寺(台東区)・・・・・目黄は複数あるようだ。・・・・・・・・・・本日、目黄不動は不動堂でお休み中、拝顔できず!

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④小松川大橋・・・・・・・・・・・・小松川大橋(こまつがわおおはし)は国道14号(京葉道路)が荒川を渡る橋で、上流側が「小松川橋」、下流側が「新小松川橋」と呼ばれる。・・・・・・・全長495mの鋼ゲルバー箱桁橋、昭和44年(1969)に竣工。・・・・・・・・秋晴れの下、風もなく、爽やかな気分で橋を渡る!

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⑤光福寺・・・・・・・・・・江戸川区松島1丁目にある、天文元年(1532)に開山した真言宗の寺。 今年の春に来たときは新緑で美しかった、今日は侘びしい秋色だ!・・・・・・・・・本堂左側の不動堂には、聖観音が安置されている。この観音さまは、住職一代に一度しかご開帳出来ないことになっており、その度毎に衣の色が変わっていることから「衣更観音」と呼ばれているそうだ。・・・・・・・・・一度、御開帳を見てみたいね!

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⑥新小岩駅南北自由通路整備・・・・・・・・・・・・総武本線新小岩駅は1日あたり約14万人の乗降客が利用する駅だが、南北の往来は駅隣りの都道を利用することになり、そのため、駅によって南北が分断されているイメージがあった。・・・・・・・JR、葛飾区では、今年度内に着工し、平成30年度の供用開始を目標に、南北間を貫く自由通路を整備することになった。・・・・・・・・・・便利になり、明るくなり、良いね!

・・・・・・・・・・・・・駅南側の「ルミエール」商店街を真直ぐ駅に向かうと、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・駅南口前ロータリーに出る、正面には改札がある、、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・南口改札を入り直進すると北口改札に出る、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・北口改札からは直進して蔵前橋通りへ伸びる駅前通りがある、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・この、ルミエール商店街から南口改札につながり、ホーム下をぶち抜き、北口に至る一本の真直ぐな動線が幅10mの自由通路になるのだ。・・・・・・・・完成が楽しみだ、乞うご期待!

2013年11月21日 (木)

王子~板橋

京浜東北線王子駅から埼京線板橋駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

音無橋・・・・・・・・・・・・石神井川に架かる、昭和5年(1930)完成の音無橋。  御茶ノ水の聖橋に良く似たコンクリート造の三連アーチ橋は、千住大橋四ツ木橋白鬚橋などを手がけた増田淳による設計。 増田淳(1883~1947)は東京帝大土木工学科を卒業した後、15年間アメリカで橋梁の設計技術を学び、帰国後、東京に設計事務所を開設し、全国で80橋以上の橋梁を設計した。・・・・・・・・・・・渓谷を連想させる橋下の親水公園もいいね!

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②北区役所・・・・・・・・・・音無橋近くにある北区役所は、一番古く床面積が最大の第一庁舎(中央棟)が昭和35年(1960)の建設で50年以上経過し耐震強度不足である。 また、庁舎が周辺6ケ所に分散しており区民サービスを低下させている。 さらには、50年近く経過した建物が多く設備の劣化と維持コストの増加で頭を痛めているようだ。・・・・・・・・・建て替えの話があるが、お役所仕事なのか? 長すぎる! 「新庁舎建設基本構想」が昨年まとまったが、内容はコンセプト止まりで、具体策はなし。今後、10年先に建設工事の着手を考えているようだ。・・・・・・・・・・10年間の間に大きな地震が来るかも? 役所で執務する所員は怖くないのかね!

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③王子/王子本町アパート・・・・・・・・・・・陸上自衛隊十条駐屯地の東南に、都営住宅の王子アパートと王子本町アパートが隣接している。 王子アパートは昭和31年(1956)から昭和35年(1960)にかけ建てられた8棟(191戸)の団地。 王子本町アパートは昭和40年(1965)から昭和46年(1971)までに建てられた16棟(280戸)の団地。・・・・・・・・・ここでも、建替え工事が進められていた。 どこの団地でもお年寄りは、今更、引っ越、家賃の値上げはイヤだ! 猪瀬知事には、お年寄りにやさしい都政を期待しよう!

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・・・・・・・・・・・・・・・建て替えでも新築なのだから、もうチョット、設計を工夫して、団地らしくない団地を造れないものか? 50年経っても、団地のデザインは変わらず、進歩なし!

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④北区中央公園・・・・・・・・・・・自衛隊駐屯地の南側に、戦前は陸軍で使われる銃弾などの兵器を製造していた東京第一陸軍造兵廠があった。 戦後は米軍の王子キャンプ(ベトナム戦では野戦病院)となり、昭和46年(1971)に返還された。 その広大な敷地に昭和51年(1976)に北区中央公園が開園した。・・・・・・・・公園内を散策

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・・・・・・・・・・・・・・公園内には戦前の東京第一陸軍造兵廠の本部の建物が残されている。現在は、中央公園文化センターとして区民の生涯学習・会議・研修の施設となっている。・・・・・・・・・現在は、耐震補強・エレベータ設置工事のため仮囲いの中で、見ることはできない。 残念、無念!

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・・・・・・・・・・・・・・3年前に撮った東京第一陸軍造兵廠の本部の建物。昭和5年(1930)完成。

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⑤滝野川橋・・・・・・・・・・石神井川に架かる、滝野川橋は昭和36年(1961)に竣工。

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⑥四本木稲荷神社・・・・・・・・・・・四本木(よもとぎ)稲荷神社は、かつては自衛隊駐屯地の東側にある稲荷公園にあった。 当時(日露戦争の頃)、公園の地には十条兵器製造所があり、工場を拡張するとき、この地にあった古墳を壊した。 その後、火薬の爆発などによる事故で死傷者も出、古墳の祟りと言うことで、社殿を造り工場の守り神としたそうだ。 戦後は工場もなくなり、神社は現在地(滝野川3丁目)に移された。・・・・・・・・・境内全体に木が茂り、狭いながらも森の中に入ったような雰囲気の神社。

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⑦滝野川八幡神社・・・・・・・・・・・神社は旧滝野川村の鎮守さま。建仁2年(1202=鎌倉時代)の創建ともいわれているが、詳細は不明。 明治18年(1885)に改築された本殿は総欅造り、拝殿は大正11年(1922)に修築された。・・・・・・・・・お祭り・縁日・七五三・初詣ん、何でも似合いそうな、“おらが村の鎮守さま”。・・・・・・・・・・社殿の裏で、縄文時代後期の住居址が発見され、考古学上も貴重な遺跡らしい。

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⑧きつね塚通り・・・・・・・・・・・・・・中山道滝野川6丁目交差点から板橋駅方向に伸びる250mほどの小さな商店街が「きつね塚通り」である。 「きつね塚通り」の名は、かつて、この通りが王子稲荷への道だったことに由来しているそうだ。・・・・・・・・チョイト、寂れ、シャッターの下りた店も多い。

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・・・・・・・・・・・・・・この通りには、昭和の匂いが残る建物が残されている。モルタル系看板建築の4軒長屋。

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・・・・・・・・・・・・昭和初期のアパート風建物。1階は店舗だが、2階の窓、1階玄関まわりに匂いが残っている。

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・・・・・・・・・・・・・強烈に昭和の匂いを放つは、神召教会(しんしょうきょうかい)である。キリスト教正統派プロテスタント教会。・・・・・・・・・昭和2年(1927)に完成した、鉄筋コンクリート造2階建ての小ぢんまりとした教会。白と直線を基調とし、装飾を廃したシンプルな作りは昭和の匂いだ。

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⑨近藤勇の墓・・・・・・・・・・・板橋駅東口ロータリー前に、新選組近藤勇の墓がある。函館で戦死した土方歳三をはじめ新撰組隊士と共に墓が建てられています。 ・・・・・・・・・・近藤 勇は、慶応4年(1868)板橋刑場で処刑された。処刑後、首は京都に運ばれ、胴体は刑場よりチョイト離れた、この場所に葬られたそうだ。・・・・・・・・・首をもってきて、胴体と一緒に葬ってあげたいね!

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2013年11月20日 (水)

鮫洲~品川

京浜急行鮫洲駅から品川まで、旧東海道の散歩です。 1万1千歩、8km。

①鮫洲駅・・・・・・・・・吹きっ晒しの島式ホーム1面2線の両外側に通過線が有り、やたらめったら急行・特急などが通過する駅だ。1本通過するのを待つ程度なら我慢できるが、2・3本の列車の通過待ちは、気短な人間には堪える駅である。・・・・・・・明治37年(1904)に開業し、平成3年(1991)高架駅となる。

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・・・・・・・・・・・・・私と同じ初老の年代の人に“鮫洲に行ってくるよ”と言えば、免許取得・免許更新で鮫洲運転免許試験場へ行くことであった。 最近は最寄りの警察署でも更新でき、鮫洲へ行く用事も無くなったね! 昨日のブログにも書いたが、早朝の電車から人がゾロゾロ降りて、代書屋街の道を歩き、空いている代書屋に飛びこむ景観も見られなくなった。 朝の旧東海道も静かになった。

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②海晏寺・・・・・・・・・旧東海道から第一京浜国道の向かい側に、煉瓦塀の海晏寺(かいあんじ)が見えたので、好きな煉瓦塀に引き寄せられ立ち寄ってきた。・・・・・・・・・・建長3年(1251=鎌倉時代)に臨済宗の寺として開山した。 本堂は鉄筋コンクリート造で、戦後の再建。・・・・・・・「鮫洲」の地名は、海晏寺の本尊:観音像が品川沖でかかった鮫の腹から出た物と伝えられていることに由来するらしい。

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③海雲寺・・・・・・・・・・・・旧東海道にもどり、曹洞宗の海雲寺です。 この寺は、建長3年(1251=鎌倉時代)に近くの海晏寺内に建てた「庵瑞林」に始まるそうだ。慶長元年(1596)に海晏寺の和尚により開山し、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661=江戸時代)海雲寺になった。・・・・・・・・・正面2堂のうち、右側が本堂で、左側は荒神堂で千躰荒神を祀っている。江戸時代から「品川の荒神さん」として知られている。

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・・・・・・・・・・・・・・千躰荒神王は火と水の神で、台所の神である。今月の27日、28日は「千躰荒神大祭」で御開帳があるので、参拝してお札を授かると火事に安心できるようだ。・・・・・・・・・・荒神堂の中には多くの扁額が奉納され、格天井には纏が描かれている。

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④品川寺・・・・・・・・・・海雲寺の北隣に真言宗醍醐派の品川寺(ほんせんじ)がある。大同年間(806~810=平安時代初期)に創建された古刹で、江戸六地蔵、第一番のお地蔵さんが出迎えてくれる。・・・・・・・・・・・江戸六地蔵とは、深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706)に発願し、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を造立した。病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。像高はいずれも270cm前後である。第一番から第五番までの5体は現存し、第六番(江東区永代寺、千葉街道沿い)は明治元年(1868)に廃仏毀釈により取り壊された。・・・・・・・第一番・・・品川寺(旧東海道沿い)   第二番・・・東禅寺(浅草、奥州街道沿い)   第三番・・・太宗寺(新宿、甲州街道沿い)   第四番・・・眞性寺(巣鴨、旧中山道沿い)   第五番・・・霊巌寺(深川、水戸街道沿い)

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・・・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)に竣工した鉄筋コンクリート造の観音堂(本堂)。

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、幹周り5.35m、樹高25m、樹齢600年の大イチョウが、ギンナンの実を大量に落として黄葉している。

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⑤竹内医院・・・・・・・・・・青物横丁駅近くに明治40年(1907)に建てられた、ノスタルジックで素敵な医院だ。現在は3代目の院長で、祖父の代から続く医院らしい。診察室には最新設備が整っているそうです。・・・・・・・・・・専門は耳鼻咽喉科なので、一度診察を受けてみたいが、我が家から遠すぎる!

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⑥明治期の蔵・・・・・・・・・・・街道沿いの住宅の蔵。 ここの主人の話では、「明治時代に本家からここへ移設した蔵で、関東大震災(1923)では壊れ、2年かけ修復した。」とのこと。 チョイト、傷んできたようで、そろそろ心配らしいね。

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⑦旧交番跡・・・・・・・・・・・・目黒川に架かる品川橋の南詰めに残る交番跡。建築年代不詳。

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⑧養願寺・・・・・・・・・天台宗の養願寺は、正安元年(1299)に創建された寺。

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・・・・・・・・・・・・・・・養願寺の裏手に、長い煉瓦塀(正徳寺の塀のようだ)がある。 歴史のありそうな塀で、調べてみたくなった。

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⑨法禅寺・・・・・・・・・・・・・・浄土宗の法禅寺は、明徳元年(1390=室町時代)に創建された。・・・・・・・・この寺の門には煉瓦が使用されている。門柱も重厚で、建てられた経緯が気になるね。

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⑩善福寺・・・・・・・・・・今日の散歩で、一番印象深かった寺で、時宗の善福寺は、音響山伝相院と号す。 永仁2年(1294=鎌倉時代)に開山した。・・・・・・・・本堂を見ると、ナンダ!この荒れようは、廃寺のような雰囲気だ! 外壁は漆喰で仕上げられているので、白っぽく、手入れが不足しているのか、木部まで白っぽくなり、カビが生えた寺のようだ。 よく見ると鏝絵(こてえ)だ、しかも作者は鏝絵の第一人者:入江長八である。・・・・・・・・・朽ちすぎた本堂が哀れになってきた。 文化庁で何とかならないものだろうか?

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⑪星野金物店・・・・・・・・・・・北品川明の金物屋さんで、明治時代の創業。 タイル張りの壁に、銅板の屋上と庇は昭和初期の建物か? 時代を感じるね!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・八ツ山鉄橋には「旧東海道」のプレートがある。ここで私の旧東海道の散歩は終わり。・・・・・今日の散歩は、見るものが多すぎた! まだ写真も一杯あるが、これ倍以上書くとガイドブックになるので、ヤメタ!・・・・・・・あくまでも、健康の為の散歩だ!

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2013年11月19日 (火)

四ツ木の夕日

夕方、京成線四ツ木駅で下車し、荒川の夕日を見てきた。

・・・・・・・・・・・・・・・影も長くなり、日の落ちる時間も早くなった

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・・・・・・・・・・・・・・人影のない、四ツ木駅前の商店街

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・・・・・・・・・・・・・・・京成押上線荒川橋梁

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・・・・・・・・・・・・・・・土手上にはカメラ片手に、子連れのカメラマンもいた

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・・・・・・・・・・・・・・・今日は富士山も見えるぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・夕日にサイナラ

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・・・・・・・・・・・・・・駄菓子屋の前には子供が集合。 お店の前はガラガラ。

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・・・・・・・・・・・・・・・帰ろう!

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平和島~鮫洲

旧東海道を平和島から鮫洲まで歩いてきた。1万3千歩、9km。

①美原通り・・・・・・・・・・・・・旧東海道の品川宿と川崎宿の間に位置する「美原通り」は、南端が大森警察署交差点、北端が平和島口交差点で、総延長1km程の第一京浜の裏通りである。・・・・・・・・「美原通り」は、大正7年(1918)の第一京浜国道建設工事の祭、「三原通り」であった商店街を避けて国道を敷設したことで、現在も旧東海道のおもかげを多少残している。 通りの名は美原通りに改称された。

・・・・・・・・・・・・・・・美原通り(旧東海道)沿いには海苔問屋も多く、街道の雰囲気は多少残っているが、チョイト“おもかげ”不足で観光客はここまで来ないようだ。只今、街道沿いの4商店街では街道の景観を整備し、観光客の増加も狙った、地域ぐるみの取り組みが始まっている。 各店舗は統一の景観基準により、木製の表看板・袖看板や店頭看板、瓦屋根の軒びさし、木製格子、店頭の大型ノレンなどが設置され、さらには浮世絵を描いたシャッターアートにも取り組んでいる。・・・・・・・・・・商店街が活性化するといいね!

・・・・・・・・・・・・・・・通勤時間帯は自転車専用道(?)のようだ。 景観を重視し、駕籠で通勤したら面白いかも?

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・・・・・・・・・・・・・・・開店準備中の海苔問屋

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・・・・・・・・・・・・・こちらは、営業中の自転車屋さん。看板には「創業 大正八年」の文字が見える。 スポーツカーも売ってんの?

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・・・・・・・・・・・・・美原不動尊・・・・・・・・御利益は期待できるのかな???

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②第一京浜国道・・・・・・・・・中央区日本橋から横浜市神奈川区まで、ほぼ旧東海道に沿ってとおる国道15号線。 京浜急行大森海岸駅の前後では、旧東海道は国道の下に埋もれてしまった。

・・・・・・・・・・・・・・・国道に立つ、大森の“海水浴場跡”の案内板

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・・・・・・・・・・・・・・第一京浜国道の前身は、明治18年(1885)に「1號國道」に指定されたことに始まる。昭和27年(1952)からは道路法により「国道15号」となる。・・・・・・・・ちなみに、第二京浜国道は、品川区五反田から横浜市神奈川区までで、第一京浜国道のバイパスとして昭和33年(1958)全線開通した。・・・・・・・・さらに、ちなみに、フランク永井の「夜霧の第二国道」は第二京浜国道のことである。 歌は昭和31年(1956)のヒット曲  ♪♪ つらい恋なら ネオンの海へ 捨てて来たのに 忘れてきたに バック・ミラーに あの娘の顔が 浮かぶ夜霧の ああ 第二国道 ♪♪

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③鈴ヶ森刑場跡・・・・・・・・・南大井の第一京浜国道から旧東海道が分かれる地点に鈴ヶ森刑場跡がある。 大経寺の境内に残る鈴ヶ森刑場は、江戸時代から明治3年(1870)まで使われていた処刑場。・・・・・・・・・・現在は国道の脇であり、もし今ここで処刑されたらチョイト恥ずかしいね!

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・・・・・・・・・・・・・磔台(はりつけだい)・・・・・・・説明文では「丸橋忠弥を始め罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられその上部に縛りつけて刺殺したのである」・・・・・・・・・磔は痛そうだ、刑の執行も見たくない!

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・・・・・・・・・・・・火炙台(ひあぶりだい)・・・・・・・・・説明文では「八百屋お七を始め火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。真中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである」・・・・・・・・・・・・怖いね、懇ろに手を合わせてきたよ!

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④旧東海道の建物・・・・・・・・・・鈴ヶ森刑場から北は品川区、南は大田区。品川区の街道沿いに昭和レトロの建物が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらの建物は古くないが、安政3年(1856年)創業の蕎麦屋さん。

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⑤天祖神社・諏訪神社・・・・・・・・・京急立会川駅の南に位置する神社で、かつては東京湾に面し立会川を挟み並んで祀られていた天祖神社と諏訪神社を、社殿の改築を機に昭和40年(1965)に合祀した。・・・・・・・・築50年経つ神社だが、手入れが良いようで綺麗だ!

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⑥50mで海だった・・・・・・・旧東海道から海側へ50m程行くと、昭和56年(1981)に完成した堤防が民家ギリギリに残っている。 今は、堤防のさらに海側に新しい堤防があり、先には埋立地の勝島があるので、堤防の外側は勝島運河となっている。・・・・・・・・旧東海道が海べりにあった証だ!

・・・・・・・・・・・・・・・・写真中央のフェンス下のコンクリートの塊が堤防であった。

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・・・・・・・・・・・・・・勝島運河

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⑦鮫洲八幡神社・・・・・・・・・・鮫洲駅の脇にある、この辺りの総鎮守さま。 創立年代は不明だが、寛文年間(1661~1673)には、すでにあったらしい。

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⑧鮫洲駅前・・・・・・・・・・・・鮫洲には東京で最も古い鮫洲運転免許試験場がある。 かつては、鮫洲駅から試験場までの通りの左右に“代書屋”がぎっしり並び、早朝から開店し、呼び込みのおばさんが各店の前に立っていた。写真を撮って、書類をタイプで打ち、茶封筒に入れた申請書をもらってから試験場に行ったのを記憶している。メガネ屋も必ずあった、視力が不足していると強力な度のメガネを売りつけていた! 三文判を売っている店もあった!・・・・・・・・・今は、写真の持参は不要、書類はIT化され、“代書屋”の需要は激減したようだ。駅前には1軒の代書屋が残っていた、店の中もガラガラ、時代は変わったね。

・・・・・・・・・・・・・・・かつて、ズラリと並んでいた駅前の代書屋は店を閉じた。

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・・・・・・・・・・・・・・・1軒だけ残っている。 懐かしさを感じる店構えだね!

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2013年11月18日 (月)

大鳥居~平和島

京浜急行空港線大鳥居駅から本線の平和島駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①大鳥居駅・・・・・・・・・・・明治35年(1902)、蒲田~稲荷橋間の開通と同時に開業した。 平成9年(1997)、環八と産業道路の交わる大鳥居交差点の真下にホームが地下化された。・・・・・・・・・駅名の“大鳥居”はいずこに? 戦前まで、駅の北側に穴守稲荷神社の大鳥居(一の鳥居)があったことに由来する。 敗戦にり、旧羽田空港(現:穴守稲荷神社のある一帯)周辺は駐留軍により強制退去を命じられ。全て取り壊された。・・・・・・・・・今は空港へ向かう弁天橋近くに赤鳥居(大鳥居)が立っている。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の手前で地下に潜る空港線

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②三徳稲荷神社・・・・・・・・・・・・大鳥居駅と糀谷駅の中間に、三徳稲荷神社がある。神社は宝暦6年(1756)に建立された。 その後、関東大震災で神社は消滅したが、翌大正13年(1924)に再建された。 しかし、先の大戦で再び、神社も神輿もすべて焼失した。 戦後はアメリカ軍の占領により、神社は跡形もなくなり、境内の土地はアメリカ軍に接収された。 返還後の、昭和40年(1965)氏子の協力で現在の社殿が建立された。・・・・・・・・・・・“三徳”とは? 「三つの徳を授ける」という意味で、七福神の福禄壽が起源らしい。 「福」幸運になりますように  「禄」封禄が授るように  「壽」長生き出来ますように  各願いを叶えてくれる、ありがたい神社だ。 

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・・・・・・・・・・・・・・三徳稲荷神社と空港線の間に「観音堂」があり聖観音が祀られている。

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③西糀谷商店会の老舗?・・・・・・・・・・・西糀谷駅前の商店街を北へ向かうと・・・・・・・・・旭屋米店、理容ハセ川、うなぎどじょう川松と歴史・由緒ありそうな店が並ぶ。

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④旧東海道・・・・・・・・・・大森警察署前交差点で第一京浜が産業道路と分岐する。その脇で、一車線一方通行の旧東海道が顔を出している。・・・・・・・・“ヨシ! 久しぶりに、ここから品川まで歩いてみるか。”と思い、今日はとりあえず平和島まで歩いた。

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・・・・・・・・・・・・・・内川橋・・・・・・・・・・大森東1丁目と2丁目の境を流れる内川に架かる、昭和31年(1956)完成のコンクリート橋。 東海道から分岐する羽田道は、ここから始まる。・・・・・・・・・・・ここには、歌舞伎の「浮世塚比翼稲妻」の舞台となった旅籠があった。それ故、橋が歌舞伎色に塗られていた。 “旧東海道”を売りにして、集客戦略だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・去年の写真では、内川橋は白かった。

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・・・・・・・・・・・・・浄土真宗本願寺派の徳浄寺・・・・・・・・・・寛永4年(1627)四ツ谷にて創建され、元禄年間(1688-1704)に現在の大森東へ移転した。 天保年間(1830-44)に建てた本堂は戦災により焼失、昭和35年(1960)に現在の鉄筋コンクリート造、インド風様式の本堂を再建した。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はココまで。

2013年11月17日 (日)

赤坂

夫婦で秋空の散歩と芸術鑑賞で、四ツ谷駅からニューオオタニ美術館へ行ってきた。1万歩、7km。

①学習院初等科の門柱・・・・・・・・・・・学習院の歴史は、弘化4年(1847=江戸時代)に京都御所で公家の学問所が開設されたことに始まる。 明治10年(1877)には、東京神田に華族学校「学習院」が開設される。 初等科が現在地の四谷の開設したのは明治32年(1899)で、現在の建物(本館校舎)が建てられたのは昭和15年(1940)である。 門柱もこの時に竣工した。・・・・・・・・・・・卒業生に、麻生太郎、鳩山由紀夫、鳩山邦夫、近衛文麿、東條英機、加藤シヅエ、藤原あき、そして三島由紀夫、志賀直哉、久我美子、クリス松村なども、多彩だ!

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②迎賓館・・・・・・・・・・・・元赤坂の迎賓館は、東宮御所として明治42年(1909)に建設された。 旧古河邸旧岩崎邸などを設計した建築家:ジョサイア・コンドルの弟子の片山東熊により設計された。 片山東熊の作品は旧竹田宮邸旧東京帝室博物館表慶館などが現存する。・・・・・・・・・・明治期に完成し、明治・大正・昭和と利用される機会の少なかった超豪華建築である。戦後も国会図書館、弾劾裁判所、オリンピック組織委員会などが使用したが、それぞれ短期の使用であった。 昭和42年(1967)、迎賓施設として改修することが決まり、108億円の費用と5年の歳月により、昭和49年(1974)に新装の迎賓館が完成した。 明治以降の建物では初の国宝となった。・・・・・・・・私も度々訪れるのだが、ガードが固く中には入れてくれない建物だ! 今日も正門から遠く眺めるだけ、拝観料払うからチョイト裏口から中に入れてほしいね!

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・・・・・・・・・・・・・・迎賓館付近の秋

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③ホテル ニューオオタニ・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・ニューオオタニ ザ・メイン・・・・・・・・・東京オリンピックを2年後に控えた昭和37年(1962)、外国人の受入れ施設の不足が懸念され、大谷重工業の大谷米太郎社長が、千代田区紀尾井町の旧伏見宮邸跡地でホテル建設に着手した。 着工は昭和38年(1963)年4月、竣工は昭和39年(1964)年8月、翌9月に現在のニューオオタニが開業した。地上17階建て、客室数1085室、最上階は回転ラウンジという巨大ホテルが僅か1年半で完成したのだ。 建築史上、特筆される超高速施工である。・・・・・・・・・平成17年(2005)から2年間かけ改装された。 現在は、「ニューオオタニ ザ・メイン」として営業中。 次の東京オリンピックにはどうするのかな?

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・・・・・・・・・・・・・ニューオオタニ ガーデンタワー・・・・・・・・・・・・昭和49年(1974)、ザ・メインの隣りに、新館(現:ガーデンタワー) が開業した。地上40階建て、高さ144.5mの超高層ホテルである。 こちらもニューオオタニを代表する有名な建物となった、築後40年近く経つが、古さを感じさせない。

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・・・・・・・・・・・・・ニューオオタニ ガーデンコート・・・・・・・・・・・・ザ・メイン、ガーデンタワーに続いて、「ニューオオタニ ガーデンコート」が建っている。こちらはオフィスビルとして賃貸している。 地上30階建て、高さ134.7m、総工費350億円で平成3年(1991)に竣工した。・・・・・・・・・・この建物の3階に、「ニューオオタニ美術館」がある。

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・・・・・・・・・・・・・・『ロマンティック・バレエの世界』と題し、現代のバレエが誕生した1800年代のバレリーナを描いた版画を中心に展示されている。・・・・・・・・私には、チョイト不向きで、高尚で、質の高い展示だ。 私には、盆踊りの世界が合っているかも?

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④赤プリが無くなった!・・・・・・・・・・・・・ニューオオタニから、赤坂プリンス新館の方角を望むと、あの赤坂のシンボル的な建物が消えた! 昭和57年(1982)に丹下健三の設計で建てられた、若い二人に人気のホテルであった。 

・・・・・・・・・・・・・・・下の写真の右側に建っていた、後ろに旧李王家邸(赤坂プリンスホテル:写真中央の塔のある建物)が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・赤坂見附交差点のこのアングルでは、写真中央に建っていた、寂しいね!

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⑤赤プリより古いホテル・・・・・・・・・・・赤坂氷川公園前に立つお城。赤プリが建てられた時期にはすでに営業中の老舗ラブホテル。 昭和48年(1973)開業。・・・・・・・・残念ですが、利用したことがなく、内部は???

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2013年11月14日 (木)

大森町~大鳥居

京浜急行本線大森町駅から空港線大鳥居駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①大森町駅・・・・・・・・・・・・明治34年(1901)六郷橋~官設大森駅間が開通。 開通時の駅は道路上の停留所で、明治39年(1906)には線路は軌道となった。 現在の大森町(おおもりまち)駅の近くに、大森山谷駅があったが戦後廃止された。 現在の大森町駅は昭和27年(1952)に開業した。平成24年(2012)に高架駅となる。・・・・・・・・・まだ、高架下は整備中で改札・切符売り場も仮住まい状態、いずれ高架下に落ち着くことになる。

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②貴舩神社・・・・・・・・・・・・大田区大森東の裏通りに鎮座する神社で、京都の貴舩神社(きふねじんじゃ)を総本社とする。 創建年代は不詳だが、文永3年(1266=鎌倉時代)以前からあったらしい。・・・・・・・・文化10年(1813)に建立された旧社殿は関東大震災により倒壊し、現社殿は昭和30年(1955)に、正面の柱間が一間の流造りで建立された。

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③緑地公園・・・・・・・・・徳川家康は江戸に幕府を開く6年前の慶長2年(1597)、多摩川の水を下流域(大田区・川崎市)の灌漑用水として使用できるように、六郷用水(現在の総称)の工事を命じた。 慶長16年(1611)に完成し、現:大田区の水田は潤い、“城南の米蔵”と変化した。 しかし、大正期から大田区は市街化し、用水路は排水路と化した。 戦後、排水路と化した用水は、下水道の整備により暗渠化・埋め立てなどで消えていくことになる。 大田区東部では埋め立てられた用水路が緑地公園として活用されている。

・・・・・・・・・・・貴船堀緑地・・・・・・・・・貴船神社近くの緑地で、総延長600m程の緑地。東京湾側には貴船水門(昭和41年(1966)完成)があり、水門の内側は船溜まりとなっている。

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・・・・・・・・・・・・旧呑川緑地・・・・・・・・・・・こちらは、東蒲田付近から始まり呑川水門の手前まで約2km程の緑地。 呑川水門は昭和41年(1966)の完成。 水門の内側は船溜まり。

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・・・・・・・・・・・・北前掘緑地・・・・・・・・・東糀谷の北前掘緑地は400m程あり、こちらは北前堀水門(昭和41年(1966)完成)に続いている。 緑地の中程には昭和59年(1984)に完成した北前橋が残されている。

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・・・・・・・・・・・・・南前堀緑地・・・・・・・・・こちらも東糀谷にある300m程の緑地。緑地の先には南前堀水門(写真なし)がある。 緑地の西端には、満潮時、地盤の低い糀谷地域に海水が逆流しないように水門を閉め、雨水や生活排水を堀へポンプで排水するため排水機場が戦前に造られた。 昭和56年には煉瓦造りの排水機場は役目を終えた。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨年の12月、東京都は貴船・吞川・北前堀・南前堀の4水門を廃止し、防潮堤を整備すことになった。 水門は取り壊され、船溜まりは埋め立てられるようだ。 これで、昭和の景観がまた一つ消えていく、残念!

④羽田可動橋・・・・・・・・・呑川河口(海老取川)近くに架かる、首都高速道路1号羽田線の橋梁である。・・・・・・・・・・建設の経緯は、海老取川の下を走る羽田トンネルの渋滞解消を狙い並走する道路が必要となった。 しかし、川底には東京モノレール、羽田トンネルが走り、スペースが確保できず、川には大型船が航行し、上空は航空機により高い構造物を造ることが難しく、高さの低い、中央が旋回する構造の橋を造ることになった。 そして、平成2年(1990)に可動橋が完成した。 しかし、平成6年(1994)に首都高速湾岸線が開通すると交通量は減少したため、平成10年(1998)には使用停止となった。 わずか8年間の使用であった。・・・・・・・・・首都高速道路は金持ちのようだね! 儲かっているのか?

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・・・・・・・・・・・・・・参考にGoogleマップの航空写真(チョイト拝借)・・・・・・・・船が通れるように開いてます

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2013年11月13日 (水)

大森~大森町

JR京浜東北線大森駅から、京浜急行大森町駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①しのはら・・・・・・・・・ハローワーク大森の前に、昭和初期の建築を活かした蕎麦屋さんがある。 以前司法書士事務所だった建物を蕎麦屋に改装したそうで、外壁はスクラッチタイル貼り、内部には金庫がオブジェとして客室に鎮座しているそうだ。・・・・・・・・・・私が店の前を通るのは開店前の時間が多く、蕎麦を食べる機会に遭遇しないのが残念だ!

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②M邸・・・・・・・・・・大森北4丁目、チョイト目に入った戦前の住宅らしき建物。

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③甘酒稲荷神社・・・・・・・・・・平和島駅西側の公園の脇に鎮座するのは甘酒稲荷。 創建年代は不詳。 かつては(武蔵国荏原郡不入斗村内川耕地貝塚)稲生社と称し、嘉永5年(1852)に再建された。 咳の病に霊験ある神様で、遠くから参拝する人もいたらしく、平癒した後に甘酒が奉納されていたので、甘酒稲荷と称されたそうだ。・・・・・・・・・・今日みたいに寒い日は、参拝客に甘酒をふるまってほしいものだ!

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④野口理髪店・・・・・・・・・・・平和島駅前、第一京浜に面して営業していた散髪屋さん。建物は木造モルタル塗り2階建て。 縦長の窓から伸びるブリキの煙突、入り口わきの壊れたコンクリート製のゴミ箱(ブリキで補修)、建物右側コーナーの丸みあるデザイン、昭和の散髪屋だ!

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・・・・・・・・・・・・・・営業中の野口理髪店(Googleマップより)

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⑤大森 海苔のふるさと館・・・・・・・・・・・・羽田空港に近い平和の森公園に「大森 海苔のふるさと館」がある。・・・・・・・・・・・・大森周辺は江戸時代から昭和38年(1963)の生産中止まで、江戸前:浅草海苔の生産地であった。 戦後、東京湾の埋め立てにより海苔の生産を中止したが、現在も海苔問屋の多くが営業している。・・・・・・・ふるさと館は伝統文化を保存するため、海苔生産の資料を保存・展示している施設である。 見学者のいないガラガラの館内を、ゆっくり拝見してきた。

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・・・・・・・・・・・・・平和の森公園から、昭和島方向を望む

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⑥内川・・・・・・・・・・・・東京湾から東海道線にぶつかるところまで遡る、小さな短い川が内川である。 海苔の町を流れる川で、かつては生活の川であった。 現在は護岸も整備され綺麗な水が流れる癒しの川となった。

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⑦金子海苔店・・・・・・・・・・・・大森東で営業中、慶応2年(1866)創業の老舗の海苔問屋さん。 こちらの店の裏側に大きな倉庫がある。戦前の建築であろう?

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2013年11月11日 (月)

散歩はお休み

母と妻と娘と私の四人の家族旅行のため、散歩はお休みです。

チョイト、雨も降る寒い會津旅行をしてきました。

・・・・・・・・・・・・車窓からは見える秋景色。列車の窓が開かないので、チョイト色がわるいね!

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・・・・・・・・・・・・・・塔のへつり

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・・・・・・・・・・・・重要伝統的建造物群保存地区に指定されている大内宿。 なぜか、茅葺屋根の家屋の大半は土産物屋に変身してしまった。

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・・・・・・・・・・・・・寂れてきた會津の奥の温泉街

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・・・・・・・・・・・・・武家屋敷

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・・・・・・・・・・・・90歳の母を、さざえ堂の最上階まで上らせるのに一苦労! 下りは、後ろから蹴飛ばせたら楽そうだ!

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・・・・・・・・・・・・落城前の空模様の鶴ヶ城

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●・・・・・・・・・・帰りの列車の車窓には雪が降るつけ、田畑はあっという間に真っ白となった! まさに、秋から冬に移ったようだ!

2013年11月 9日 (土)

池上~大森

東急池上線の池上駅から大森駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①萬屋酒店・・・・・・・・・・・池上本門寺参道沿いの酒屋さん。 明治8年(1875)に棟梁:加藤甚五郎により建てられた、出桁造りの町屋建築である。 国の登録有形文化財。

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②照栄院・・・・・・・・・・萬屋酒店前の参道を進むと本門寺だ、私は参道を右に折れ、裏道を歩くことにした。

・・・・・・・・・・・・・・道路際に『妙見堂』の石の標識(昭和5年(1930)建立)を発見! この道の先に、本門寺の妙見堂(妙見大菩薩を祀っていた小さな堂)がある。 本門寺は三日前に参詣したので、今日はパスするが、途中まで行ってみよう!

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・・・・・・・・・・・・・・小さな妙見橋(昭和57年(1982)完成)を渡る。橋の下の呑川(どんかわ)は大田区の中央部を東西に流れ、羽田に注ぐ2級河川。ここには排水が流れ込み、以前は水の汚れが最悪であった。 川を浄化するため上流では落合処理場(新宿区)で高度処理した水を流しているそうだ。 “毒をもって毒を制す”、ここでは、排水をもって排水を制している。

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・・・・・・・・・・・・・橋を渡った先に、正応4年(1291)創建の照栄院がある。照栄院は、本行寺、理境院と共に池上三院家の一つです。・・・・・・・・妙見堂を管理している、落ち着いた静かな寺だ! 妙見堂には寄らずに散歩を続けることにした。

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④めぐみ坂・・・・・・・・・・池上本門寺前の東側、山裾から本門寺に続く坂である。長さ230m、平均勾配5度の急な坂だ。

・・・・・・・・・・・・坂の上り口に妙雲寺があり、門の脇に祠に祀られた石仏がある。

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・・・・・・・・・・・・曲がりくねった坂は終点が見えず、“どこまで上らせるのだ!”と怒鳴りたくなる気持ちだ。

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・・・・・・・・・・・・坂の途中に、「めぐみ坂」の由来となった、日本基督教団大森めぐみ教会がある。 本門寺のある、お山の一角に教会では都内で一番広い2000坪の敷地を有し、昭和42年(1967)に現在の聖堂が建てられた。 

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・・・・・・・・・・・・・・・坂の9合目ぐらいに堤方(つつみかた)神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代初期に創建したと伝えられている。 幣殿・拝殿は天保11年(1840=江戸時代末期)の建設らしい。

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・・・・・・・・・・・・坂の頂上は、ナント、本門寺の五重塔の前だった。 三日前に来たよ、疲れた! 墓地の中を抜け、本門寺のお山から下ることにした。

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⑤モダンな住宅・・・・・・・・・・・・中央5丁目にて発見! クリームに赤の縁取りで塗られた、チョイト古そうな住宅。玄関前には赤のスポーツカー。 センス、いいですね! 

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⑥龍子記念館・・・・・・・・・・・中央4丁目の住宅地に建つ、日本画家:川端龍子(=かわばたりゅうし、1885~1966)記念館を拝見。 この建物は、龍子の文化勲章受章と喜寿を記念して昭和38年(1963)に、自ら設計して建てられた。・・・・・・・記念館の展示室は、蛇行した多角形平平面の大きな一部屋で構成されており、作品を鑑賞しやすい造りである。・・・・・・・説明しずらいが、この記念館を見て私の受けた印象は、『日本画の巨匠の感性は、築地本願寺震災記念堂などを手掛けた建築家:伊東忠太(1867~1954)に似ているようだ!』 ・・・・・・・・・大作が12点展示され見ごたえある記念館であった。(内部は撮影不可で、チョッピリ残念!)

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⑦大正元年の住宅・・・・・・・・・・・南馬込3丁目の裏通りに面して建つ、住宅に思わずビックリ! ナント、塀らしきも物が無い住宅、しかも見えている建物1階は洋風、ガラス越しに内部も見える、無防備な!・・・・・・・・・庭を掃除しておられた女性に聞くと、『この建物は大正元年(1926)頃の建築で、第一生命創設者の方の住宅で、現在は3代目の方が住んでおられる。』とのことでした。 文化財級の建物であると思うよ!

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2013年11月 8日 (金)

浅草橋~有楽町

我が家(浅草橋)から、人形町を抜け東京駅、有楽町駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

①浅草橋駅周辺・・・・・・・・・・・・・チョイト、寒くなってきました、写真で暖かそうに撮ってみました!

・・・・・・・・・・・・・・西口周辺は相変わらず人影が少ないね!

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・・・・・・・・・・・・・・・立ち呑みでも、温まればOK!

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・・・・・・・・・・・・・・・東口周辺には人影も多い

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・・・・・・・・・・・・・・船宿にも灯りがともり、屋形船の準備もOK!

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人形町 ・・・・・・・・・・・裏通りの料理屋。 店に入りたくなるね! 

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小網神社 ・・・・・・・・・人形町の隣り小網町に鎮座する神社。 『強運厄除、東京銭洗い弁天』をキャッチフレーズとする神社で、若いサラリーマンが手を合わせる姿をよく見かける。・・・・・・・・・・・社殿は昭和4年(1929)の建築。

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④東京駅八重洲口・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)に竣工した鉄道会館ビル(旧大丸東京店)の跡地に、駅左右の超高層ビルを結ぶ長さ230mのペデストリアンデッキ「グランルーフ」が完成した。 ペデストリアンデッキは大きな膜構造の大屋根で覆われ、快適な歩行空間を創り出している。 施工は鹿島建設+鉄建建設。・・・・・・・・・駅前のバスバースや広場は現在整備中で、来年末に全てが完成する予定。 ・・・・・・・・・大丸百貨店が建っていたとは、想像しにくくなってきたね!

・・・・・・・・・・・・・・・写真左右の超高層ビルを結ぶ「グランルーフ」

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・・・・・・・・・・・・・・・地上面からペデストリアンデッキへの上り下りはエスカレータ・階段で!

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・・・・・・・・・・・・・ペデストリアンデッキにはベンチがある、店舗もある、屋根もある。

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・・・・・・・・・・・・・・ペデストリアンデッキの下では、八重洲口駅前広場を整備中

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東京駅丸の内駅舎 ・・・・・・・・・・・復元工事も終わり一年経過した、さすがに見物客も減り、平常時の駅の姿に落ち着いたようだ。 大正3年(1914)完成時の堂々たる姿をゆっくり観賞できるね!

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⑥JPタワー・・・・・・・・・・丸の内駅舎前のJPタワー(旧東京中央郵便局)にも、チョイトお立ち寄り!

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2013年11月 7日 (木)

墨田・東向島

朝から雨、午前中は水道橋の循環器内科で定期検診を受診。 X線、心電図、血液検査など、結果は『異状なし』。 お土産に、降圧剤、便秘薬の処方箋をありがたく頂戴して、受付嬢には「年明けに来てください。お大事に!」の一言を貰って帰る。 これで、好きなとんかつ、コロッケも安心して食べられる、嬉しいね!

午後3時過ぎに雨も上がったと思い、京成押上線八広駅から気儘に歩き京成曳舟駅まで、1万歩、7kmの夕ぐれ散歩。

①荒川土手・・・・・・・・・・・・・八広駅の北側で土手に上り、四ツ木橋の先まで、土手上を歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・・京成押上線荒川橋梁 ・・・・・・・・・・・押上線は八広駅を出ると、すぐ荒川橋梁を渡ることになる。 今日はPM2.5の北京のような空模様、橋梁を渡る電車もハッキリ見えな!

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・・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋・・・・・・・・・・押上線荒川橋梁の上流に架かる橋。 隣りの四ツ木橋の慢性的な渋滞を緩和するため、昭和48年(1973)に竣工した。長さ472m。

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・・・・・・・・・・・・・・四ツ木橋 ・・・・・・・・・・・・・昭和14年(1936)に着工し、戦時中は工事を中断し、昭和27年(1952)に現在の四ツ木橋が完成した。 橋長507.4m。

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・・・・・・・・・・・・・・四ツ木橋を過ぎると、雨粒がポツリ、ポツリ、対岸の霞んできた。 傘はないので、とりあえず町中を歩くことにした。

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②墨田3、4丁目・・・・・・・・・・・・南東側は京成押上線、北西側は東武スカイツリーラインに挟まれた下町地区の裏道をブラブラ。 

・・・・・・・・・・・・空き家となた一画。戦後のバラックの面影を残し、取り壊しを待ている。

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・・・・・・・・・・・・・路地を曲がりくねり行くと神社の裏手にぶつかった!

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・・・・・・・・・・・・・神社は隅田稲荷神社・・・・・・・・・・・天文年間(1532-1553)、この地(旧:善左衛門村)を開拓した江川善左衛門雅門が、伏見稲荷大神を勧請し氏神として祀った。善左衛門村の鎮守となって、昭和7年には村社に昇格した。 昭和18年(1943)、社殿は改築された。・・・・・・・・・この神社は地図を見ながら参拝に行くのは難しく、道に迷うと参拝できるようだ!

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③玉ノ井・・・・・・・・・・また来てしまった。永井荷風の小説『濹東綺譚』の舞台となった街。荷風は、私娼窟:玉の井を舞台に小説家と娼婦の出会いと別れを、自身の体験で描いた、美しくも哀れな物語。 来る度に、小説の面影残す建物が一軒、又一軒と消えていく。・・・・・・・・・・・今日の写真は以下と重複するので省略。 今年1月に来たときの記事はこちら。 7月の記事はこちら。・・・・・・・・・・小説を読むのが面倒であれば、東宝映画「濹東綺譚」(昭和35年(1960)製作)、監督:豊田四郎、出演:芥川比呂志・山本富士子・乙羽信子を見よう! 

④京成曳舟駅・・・・・・・・・・・・高架化工事中、夕暮れの曳舟駅。

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⑤スカイツリー・・・・・・・・・・・曳舟側から、三日月とツーショットで!

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2013年11月 6日 (水)

池上

都営地下鉄浅草線の終着駅「西馬込」から、池上本門寺に参詣し、東急池上線池上駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①西馬込駅・・・・・・・・・・昭和43年(1968)、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。

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・・・・・・・・・・・・ホームは第二京浜(国道1号)の下にある。道は川崎につながるが、地下鉄はここで終点、以前は川崎方面に延伸の計画があったそうだ。 

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・・・・・・・・・・・・・相対式2面2線の終着駅だが、車止めは無い。線路はこの先、車両基地の「馬込車両検修場」へと続く。

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②馬込車両検修場・・・・・・・・・・・昭和35年(1960)の都営1号線(現:浅草線)開業時には、まだ車両基地はなかった。 8年後の昭和43年(1968)、泉岳寺~西馬込間開業時に、馬込検修場と車両工場が分離して完成した。 平成16年(2004)、現在地に馬込検修場と馬込車両工場が統合した馬込車両検修場が完成した。

・・・・・・・・・・・・・・回送列車は、西馬込駅から地下を走り、車両基地の北側(写真左端)で地上に顔を出す。

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・・・・・・・・・・・・・・そのまま北側(写真右端)を走り、池上梅園前の高架橋まで進む。

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・・・・・・・・・・・・・・池上梅園前の高架部分。 ここで、回送列車は折り返し基地へと入って行く。

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・・・・・・・・・・・・・車両基地。 只今、通勤時間帯で車両は出払い、稼ぎに出てます。・・・・・・・・・・車両基地の敷地の一部は昭和30年代にプロレスの力道山の邸宅が在った場所らしい。 広すぎて、何処に建っていたかは知らないよ!

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・・・・・・・・・・・・・留守番の1編成と、工場の中には数編成が待機中。

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・・・・・・・・・・・・・・馬込車両検修場の上を横切るどどめき橋

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③池上梅園・・・・・・・・・・・・池上本門寺の西に位置し、丘陵斜面を利用して、紅梅220本・白梅150本が競う区営の梅園。 戦前は日本画家:伊東深水の自宅兼アトリエ「月白山荘」であったが戦災で焼失した。 戦後は一時期、料亭として利用され、昭和53年(1978)に大田区に移管された。・・・・・・・・梅の季節を外しても見ごたえある庭園だ。

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④池上本門寺・・・・・・・・・・・・弘安5年(1282=鎌倉時代)、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。 その途中、武蔵国池上郷(現:大田区池上)の池上宗仲の館に到着し最期の20日間を迎えた。 池上宗仲の館の背後の山上に開山した寺が長栄山本門寺である。・・・・・・・・・建物の多くは空襲で焼失したため、戦後再建の堂宇が多い。

・・・・・・・・・・・・・総門・・・・・・・・・・・元禄年間(1688~1704)に建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・此経難持坂(しきょうなんじさか)・・・・・・・・96段の石段

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・・・・・・・・・・・・仁王門・・・・・・・・・昭和52年(1977)再建、鉄筋コンクリート造。

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・・・・・・・・・・・・・大堂(祖師堂)・・・・・・・・・・・昭和39年(1964)再建。本堂のようなものだ!

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・・・・・・・・・・・・・経堂・・・・・・・・・・・天明4年(1784)に建立された。戦災を免れた建物。

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・・・・・・・・・・・・・・五重塔・・・・・・・・・・・・慶長13年(1608)建立。ベンガラ(赤色塗料)を全面に塗った高さ31.8mの塔。国の重要文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・宝塔・・・・・・・・・・文政11年(1828)、日蓮の550遠忌を記念し再建された。 只今、工事中。

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・・・・・・・・・・・・本殿・・・・・・・・・・・本師(釈尊)のおわします殿堂との意味で、戦災で焼失した釈迦堂を、昭和44年(1969)に再建したものである。鉄筋コンクリート造。

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・・・・・・・・・・・・・・・力道山の墓・・・・・・・・・力道山は、本門寺と故郷の長崎県:長安寺に分骨されている。

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⑤本行寺・・・・・・・・・・本門寺のある山裾に、子院の中で筆頭とされている本行寺はある。 境内は、日蓮が湯治の途中、身を寄せた池上宗仲の館跡にあたる。 つまり、日蓮が没した地でもある。

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・・・・・・・・・・・池上宗仲の館の仏間であった部屋の跡に建てられたお堂。ここには、日蓮「ご臨終の間」が残されている。

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⑥實相寺・・・・・・・・・・・本行寺の隣りに、本門寺の子寺である實相寺がある。 天文19年(1550)江戸馬喰町に開創し、明暦の大火の後、浅草新寺町に移転し、関東大震災後に現在地に移った。・・・・・・・・・門と本堂は国登録の有形文化財である。

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⑦池上駅・・・・・・・・・・大正11年(1922)、池上電気鉄道が当駅と蒲田駅間で開通したとき同時に開業した。 開業の頃は、寺社詣でが観光の中心であった時代だ、本門寺への参拝客の下車駅として、おおいに賑わったであろう!・・・・・・・・・・・木造の駅舎、ホーム上屋、作り付のベンチ、、、、、いいね!

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2013年11月 5日 (火)

馬込

都営地下鉄浅草線馬込駅から、お隣・終点の西馬込駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①馬込駅・・・・・・・・・・昭和43年(1968)、都営1号線(現:浅草線)の駅として、西馬込~泉岳寺間開業により設置された。

・・・・・・・・・・・・・馬込の松原橋は、橋下を環七通りが走り、橋上を第二京浜が通る立体交差となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の南側の出口は松原橋の真下(環七通り)に出る構造となっている。 上の写真の左側橋脚の陰に出口がある。・・・・・・・・・・橋の下に出る、珍しさと面白さを楽しんでいるのは私だけのようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・馬込駅の北側の出口は第二京浜に面している。(2013/10/30撮影)

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・・・・・・・・・・・・・ホームは島式1面2線。(2013/10/30撮影)

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②東海道新幹線沿いに・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・中馬込3丁目に広大な空き地があった。 「東京地下鉄」の保有地で、千坪(3300㎡)の敷地に地上7階/地下1階の社宅が計画されているようだ。 さすが、儲かっている大会社だ!

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・・・・・・・・・・・・・空き地の先には新幹線。 ヨシ、新幹線沿いに歩いてみるか!

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・・・・・・・・・・・・・新幹線と横須賀線のガード「宮の下架道橋」をくぐると西馬込地区となる。 

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・・・・・・・・・・・立正大学付属中高等学校の一角に、謎の建物を発見!・・・・・・窓が少ない、どうやら昭和30年代の建物のように見えるが、建物を一周してみたが用途が解るそれらしき表示がない。 しかも、建物は無人のようだが、ヘンスに囲まれ施錠されている。 調べてみた複数の地図には建物名が表示されていない。 ますます気になる建物だ!・・・・・・・・私の推測では、近くに新幹線が走ることから、新幹線用の高圧電流を扱う変電所ではないだろうか?

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・・・・・・・・・・・・・馬込は起伏の激しいところで、新幹線沿いに歩いてもアップ・ダウンの連続!

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・・・・・・・・・・・・・・・新幹線に並走する横須賀線

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・・・・・・・・・・・・・・オー、跨線橋の金網から馬込の給水塔の帽子が見える! これより、給水塔を見に行くことにした。

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③馬込給水塔・・・・・・・・・・・西馬込2丁目の高台にドッシリと立つ二つの給水塔。 大田区・品川区の給水状況を改善するため、戦後、多摩川浄水場・長沢浄水場より水を引き、配水できるように造られた。・・・・・・・・・・南側(白い帽子屋根)の第一給水塔は昭和26年(1951)に完成、北側(黒い帽子屋根)の第二給水塔は昭和29年(1954)に完成した。 高さは28m、直径32m、容量9,000m3で、鉄筋コンクリート造である。・・・・・・・・この辺りでは、屋並みの間に帽子がチラチラ見える、馬込のシンボルかな?

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④大田区立郷土博物館・・・・・・・・・西馬込駅に近い、大田区立の博物館。只今、特別展「川瀬巴水 -東京の風景-」の展覧会が開催されていた。 これはぜひ拝見しよう!・・・・・・・・3階建ての立派な区の施設を入ると、「入場無料」の立て看板があり、私を喜ばせてくれた。 3階の展示は先客が一人だけ、のんびり、ゆっくり、じっくり拝見できた。 誰もが一度はみたことのある川瀬巴水(かわせはすい)の版画がズラリ、しかも、各作品には写生したスケッチブックと複数の版元の版画が展示されていた。 大満足し、巴水を学んできた。

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⑤馬込の秋・・・・・・・・・・・・・・・

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2013年11月 4日 (月)

銀座

午前中は小雨がパラツキ散歩は諦め、昼からは夫婦で日本橋へ買いものに行くことにした。  日本橋のお店では、商品が揃うまで数時間待ってほしいと店員に言われ、銀座までブラブラして来ることにした。 結局、日本橋から銀座8丁目まで往復したことになる。 1万歩、7km、途中で休憩タイムもあり効果の期待できない散歩となった。

銀座の町名案内板を、1丁目から8丁目まで撮影してきた。 

①銀座1丁目・・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・雨上がりで人出も少ないようだ!

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②銀座2丁目・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・「ママ、草履がぬげた!」

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・・・・・・・・・・・・・・もう、クリスマス用の飾り付けだ!

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③銀座3丁目・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・・・国への土産話に銀座をパチリ!

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④銀座4丁目・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・この猫、今や銀座の名物。 案内板の上にのせられ、街行く人の晒し者になり、降りて逃げられず可哀そうだと、私は思うが、多くの人は『可愛い~~』だって!・・・・・・・2時間後に、猫は「和光」のショーウィンドに場所替えして、ここでも晒し者だ。

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・・・・・・・・・・・・・・・4丁目交差点は、それなりの人出だ!

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⑤銀座5丁目・・・・・・・・・・・・・・

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⑥銀座6丁目・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・・取り壊しが始まっている松坂屋銀座店 ・・・・・・・・・・・跡地には、地上13階、地下6階、高さ約66m、敷地面積約9000㎡の複合ビルができる。 地下2階~6階に商業空間を創り、7階~13階はオフィス、地下3階には多目的ホールも創られる。 施工は鹿島建設、総事業費約758億円のビックプロジェクトである。 平成28年(2016)8月の竣工が楽しみになってきた。  

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・・・・・・・・・・・・・・・猫と一緒にしては失礼だが、こちらの大道芸のマリオネットも銀座の名物となったようだ。 いつ来ても6丁目付近で芸を披露している。

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⑦銀座7丁目・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・散歩で歩き疲れたら、裏通りの「リンツ ショコラ カフェ」でひと休み。

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⑧銀座8丁目・・・・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・銀座の南端(8丁目)はチョイト人出が少ないね!

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⑨銀座9丁目・・・・・・・・・・・・・・(写真なし)

・・・・・・・・・・・・・・・銀座9丁目は地図上には無い。あるのは、昭和33年(1958)に神戸一郎(かんべいちろう)が唄った「銀座九丁目水の上」の歌の中だ!  ♪♪ 夢の光よ シャンデリア 粋なカクテル マンハッタン 欧州通いの 夢のせて 銀座九丁目は 水の上 今宵は船で すごしましょう ♪♪ ・・・・・・・・・・この歌ができた頃は、今の東京高速(銀座を囲む高速道路)は無く、京橋・数寄屋橋・新橋が架かっていた川であった。 新橋付近の川には小さな舟も繫がれ、船上で生活する者も多かった時代である。 現在は銀座8丁目と新橋1丁目の境に東京高速が走り、その下は「GINZA9」としてショッピングセンター、飲食店街となっている。・・・・・・・・・私が小学生の頃は川も流れていた。大学生の頃には高速道路に変わり、その下(現:博品館の前あたり)の小さなバー『フミ』に同級生と通ったことがある。 おばさんママが一人で仕切っていた、楽しいい場で、懐かしき学生時代の思い出だ!

2013年11月 3日 (日)

お酉さま

11月の酉の日は「酉の市」、今年は「三の酉」まである、火事の多い年である。 開運招福・商売繁盛のお願い事だけではなく、今年は火難・災難除けのお願いも合わせ、家族で参拝してきた。 ・・・・・・・・・ ということで、今日の散歩はおやすみ!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草の鷲神社前は境内に入るまで30分待ちの行列。 皆さん、去年買った熊手を持って並んでる。 

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・・・・・・・・・・・・・入口でお祓いを受けて境内にはいる。 拝殿まではもう少し!

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・・・・・・・・・・・・・拝殿前は満員状態。 拝殿には7個の鈴がぶら下がり、賽銭チャラチャラ、鈴音ガラガラ、拍手パンパンは、暮に向かい庶民の気持ちの掛け声である。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、鷲神社のかわいい巫女さんから、熊手のお守りと猫の置物に入ったおみくじなどを授かる。 

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・・・・・・・・・・・・・・鷲神社に隣接する鷲在山長國寺(じゅざいさん・ちょうこくじ)にも行列が!酉の市は鷲神社(神)と長国寺(仏)でコラボで行われている。

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・・・・・・・・・・・・・・・こちらでは、火除けのお守りを授かり、火打ち石を打ちパワーを吹き込んでもらう。

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・・・・・・・・・・・・・・このお守りは、「三の酉」のある年だけいただける限定品。 江戸火消しのシンボル“纏”をデザインしたお守り、インテリアに良いかもね!

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・・・・・・・・・・・・・・境内の熊手屋さん。 

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・・・・・・・・・・・・・・手を合わせ、お守りも授かり、あとは屋台の連なる裏道を、ブラブラ浅草へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・・90歳の我が母はそろそろ疲れてきたようだ、“死の行軍”にならないように、浅草で美味いものを食べ、ひと休みして帰る!・・・・・・・・・例年同じ、我が家の行動パターンである。

2013年11月 2日 (土)

南千住~町屋

南千住駅から隅田川沿いに裏通りを歩き尾竹橋まで、尾竹橋からは町屋駅へ、1万2千歩、9kmの散歩です。

素盞雄神社 ・・・・・・・・・・・・南千住6丁目、日光街道沿いに鎮座する素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は、延暦14年(795)の創建したと伝えられる。・・・・・・・・11月の連休、神社は「七五三」の参拝客を迎えるため、朝から準備が始まったようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿前には碁盤が用意され、盤の上から飛び降りて健やかに育つことを願う儀式もある。 サービスかな?

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・・・・・・・・・・・・・・境内には本社神輿を飾り、前には緑の御立ち台を置いて、この上で記念撮影をするのであろう。

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●・・・・・・・・・・・午後には小雨が降り、可哀そうな七五三となったようだ。

②旧柳湯・・・・・・・・・素盞雄神社に近い、創業大正3年(1914)の大倉屋という豆腐屋の工場。・・・・・・・・・この建物は元銭湯「柳湯」で、下町に多い江戸風(唐破風)の銭湯ではなく、映画館風の造りの銭湯だった。 おそらく昭和初期の建築? 入り口部分の天井は銭湯当時の格天井で、建物裏側には短くなった煙突の一部が見える。

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③南千住7丁目にて・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・終戦直後の下町の住宅。 丁寧に使われているようだ、イイネ!

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・・・・・・・・・・・・・・この辺りは、簡易旅館、アパート“○○荘”が多く、住人の足として自転車が活用されている。

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④東京電力荒川専用橋・・・・・・・・・・・・千住大橋から150m程上流に架かる、東京電力が管理する、送電用の専用橋。 橋上部のアーチが極めて細くスマートに見える!

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尾竹橋 ・・・・・・・・・・・・・隅田川に架かり、「尾竹橋通り」を通し、荒川区町屋と足立区千住桜木町を結ぶ橋。 平成4年(1992)に完成。

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⑥町屋にて・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・「荒川区 文化祭 歌謡大会」のポスター、なんとなく荒川区らしいね。また貼り方も、なんとなく荒川区だ! 

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・・・・・・・・・・・・・・いつものように路地裏も、チョイト拝見!

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・・・・・・・・・・・・・・都電のはしる町屋駅前

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2013年11月 1日 (金)

佃島

地下鉄浅草線宝町駅から、中央大橋を渡り佃島をブラブラして大江戸線月島駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。  (昨年6月に同じようなルートで散歩しているので、その時の記事はコチラ!)

①三福ビル・・・・・・・・・・・・中央区八丁堀の桜橋交差点角に立つビル。 昭和5年(1930)に竣工した、地上4階/地下1階の小柄でシンプルなデザインのビルである。・・・・・・・・・1階のそば屋が目立ち、ビル自身は印象が薄く、目立たないのがチョイト可哀そうだね!

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②旧京華小学校・・・・・・・・・・・京華小学校は明治34年(1901)に開校した。大正12年(1923)の関東大震災fでは当時の木造校舎は全焼し、仮校舎で勉強することとなった。・・・・・・・・・・東京市は災害時の学校建築の重要性を認識し、不燃化構造として鉄筋コンクリート造の小学校117校を、大正末期から昭和10年(1935)頃にかけ、中央区、台東区、千代田区、新宿区、文京区などに建設した。 これが「復興小学校」である。 現存する復興小学校は10数校ほどである。・・・・・・・・・京華小学校は昭和4年(1929)、東京市の設計、銭高組の施工で竣工した。 平成5年(1993)には少子化により廃校となる。・・・・・・・・・現在は「京華スクエア」として、地域活性化の拠点として利用されている。

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③亀島川水門・・・・・・・・・・“お江戸”を高潮・津波から守るため、日本橋川から分岐し隅田川に合流する亀島川の隅田川河口に備えた防潮水門。昭和44年(1969)の竣工。

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④中央大橋・・・・・・・・平成5年(1993)に竣工した二径間連続鋼斜張橋。・・・・・・・・・•橋を渡れば“佃島”

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⑤佃島の神仏・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・住吉神社・・・・・・・・・・・佃の渡しの時代までは、渡しを降りると神社の鳥居であった。 今は、車で橋を渡って来ると、チョイト、裏側になるような位置となってしまった。

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・・・・・・・・・・・・・・於咲稲荷波除稲荷神社・・・・・・・・・・船溜まりの際に、「於咲稲荷神社」と「波除稲荷神社」が、境内と鳥居を共有して祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・佃天台子育地蔵尊・・・・・・・・・・於咲稲荷波除稲荷神社の真正面の人一人が通れる路地を入ると、地蔵尊が祀られている。・・・・・・・・縁起によると江戸時代頃からの歴史がある地蔵尊だ。 路地の奥に御堂がある、これまた狭い、さらに銀杏の大木の幹が塞いでいる。・・・・・・・・・想像以上の狭さ、説明しきれない、『百聞は一見に如かず』!

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⑥佃島の町・・・・・・・・・・・・・古い住宅・商家が数多く残っており、ダイジェスト風に紹介。ついでに路地も!

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