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2013年11月21日 (木)

王子~板橋

京浜東北線王子駅から埼京線板橋駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

音無橋・・・・・・・・・・・・石神井川に架かる、昭和5年(1930)完成の音無橋。  御茶ノ水の聖橋に良く似たコンクリート造の三連アーチ橋は、千住大橋四ツ木橋白鬚橋などを手がけた増田淳による設計。 増田淳(1883~1947)は東京帝大土木工学科を卒業した後、15年間アメリカで橋梁の設計技術を学び、帰国後、東京に設計事務所を開設し、全国で80橋以上の橋梁を設計した。・・・・・・・・・・・渓谷を連想させる橋下の親水公園もいいね!

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②北区役所・・・・・・・・・・音無橋近くにある北区役所は、一番古く床面積が最大の第一庁舎(中央棟)が昭和35年(1960)の建設で50年以上経過し耐震強度不足である。 また、庁舎が周辺6ケ所に分散しており区民サービスを低下させている。 さらには、50年近く経過した建物が多く設備の劣化と維持コストの増加で頭を痛めているようだ。・・・・・・・・・建て替えの話があるが、お役所仕事なのか? 長すぎる! 「新庁舎建設基本構想」が昨年まとまったが、内容はコンセプト止まりで、具体策はなし。今後、10年先に建設工事の着手を考えているようだ。・・・・・・・・・・10年間の間に大きな地震が来るかも? 役所で執務する所員は怖くないのかね!

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③王子/王子本町アパート・・・・・・・・・・・陸上自衛隊十条駐屯地の東南に、都営住宅の王子アパートと王子本町アパートが隣接している。 王子アパートは昭和31年(1956)から昭和35年(1960)にかけ建てられた8棟(191戸)の団地。 王子本町アパートは昭和40年(1965)から昭和46年(1971)までに建てられた16棟(280戸)の団地。・・・・・・・・・ここでも、建替え工事が進められていた。 どこの団地でもお年寄りは、今更、引っ越、家賃の値上げはイヤだ! 猪瀬知事には、お年寄りにやさしい都政を期待しよう!

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・・・・・・・・・・・・・・・建て替えでも新築なのだから、もうチョット、設計を工夫して、団地らしくない団地を造れないものか? 50年経っても、団地のデザインは変わらず、進歩なし!

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④北区中央公園・・・・・・・・・・・自衛隊駐屯地の南側に、戦前は陸軍で使われる銃弾などの兵器を製造していた東京第一陸軍造兵廠があった。 戦後は米軍の王子キャンプ(ベトナム戦では野戦病院)となり、昭和46年(1971)に返還された。 その広大な敷地に昭和51年(1976)に北区中央公園が開園した。・・・・・・・・公園内を散策

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・・・・・・・・・・・・・・公園内には戦前の東京第一陸軍造兵廠の本部の建物が残されている。現在は、中央公園文化センターとして区民の生涯学習・会議・研修の施設となっている。・・・・・・・・・現在は、耐震補強・エレベータ設置工事のため仮囲いの中で、見ることはできない。 残念、無念!

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・・・・・・・・・・・・・・3年前に撮った東京第一陸軍造兵廠の本部の建物。昭和5年(1930)完成。

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⑤滝野川橋・・・・・・・・・・石神井川に架かる、滝野川橋は昭和36年(1961)に竣工。

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⑥四本木稲荷神社・・・・・・・・・・・四本木(よもとぎ)稲荷神社は、かつては自衛隊駐屯地の東側にある稲荷公園にあった。 当時(日露戦争の頃)、公園の地には十条兵器製造所があり、工場を拡張するとき、この地にあった古墳を壊した。 その後、火薬の爆発などによる事故で死傷者も出、古墳の祟りと言うことで、社殿を造り工場の守り神としたそうだ。 戦後は工場もなくなり、神社は現在地(滝野川3丁目)に移された。・・・・・・・・・境内全体に木が茂り、狭いながらも森の中に入ったような雰囲気の神社。

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⑦滝野川八幡神社・・・・・・・・・・・神社は旧滝野川村の鎮守さま。建仁2年(1202=鎌倉時代)の創建ともいわれているが、詳細は不明。 明治18年(1885)に改築された本殿は総欅造り、拝殿は大正11年(1922)に修築された。・・・・・・・・・お祭り・縁日・七五三・初詣ん、何でも似合いそうな、“おらが村の鎮守さま”。・・・・・・・・・・社殿の裏で、縄文時代後期の住居址が発見され、考古学上も貴重な遺跡らしい。

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⑧きつね塚通り・・・・・・・・・・・・・・中山道滝野川6丁目交差点から板橋駅方向に伸びる250mほどの小さな商店街が「きつね塚通り」である。 「きつね塚通り」の名は、かつて、この通りが王子稲荷への道だったことに由来しているそうだ。・・・・・・・・チョイト、寂れ、シャッターの下りた店も多い。

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・・・・・・・・・・・・・・この通りには、昭和の匂いが残る建物が残されている。モルタル系看板建築の4軒長屋。

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・・・・・・・・・・・・昭和初期のアパート風建物。1階は店舗だが、2階の窓、1階玄関まわりに匂いが残っている。

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・・・・・・・・・・・・・強烈に昭和の匂いを放つは、神召教会(しんしょうきょうかい)である。キリスト教正統派プロテスタント教会。・・・・・・・・・昭和2年(1927)に完成した、鉄筋コンクリート造2階建ての小ぢんまりとした教会。白と直線を基調とし、装飾を廃したシンプルな作りは昭和の匂いだ。

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⑨近藤勇の墓・・・・・・・・・・・板橋駅東口ロータリー前に、新選組近藤勇の墓がある。函館で戦死した土方歳三をはじめ新撰組隊士と共に墓が建てられています。 ・・・・・・・・・・近藤 勇は、慶応4年(1868)板橋刑場で処刑された。処刑後、首は京都に運ばれ、胴体は刑場よりチョイト離れた、この場所に葬られたそうだ。・・・・・・・・・首をもってきて、胴体と一緒に葬ってあげたいね!

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