佃島
地下鉄浅草線宝町駅から、中央大橋を渡り佃島をブラブラして大江戸線月島駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。 (昨年6月に同じようなルートで散歩しているので、その時の記事はコチラ!)
①三福ビル・・・・・・・・・・・・中央区八丁堀の桜橋交差点角に立つビル。 昭和5年(1930)に竣工した、地上4階/地下1階の小柄でシンプルなデザインのビルである。・・・・・・・・・1階のそば屋が目立ち、ビル自身は印象が薄く、目立たないのがチョイト可哀そうだね!
②旧京華小学校・・・・・・・・・・・京華小学校は明治34年(1901)に開校した。大正12年(1923)の関東大震災fでは当時の木造校舎は全焼し、仮校舎で勉強することとなった。・・・・・・・・・・東京市は災害時の学校建築の重要性を認識し、不燃化構造として鉄筋コンクリート造の小学校117校を、大正末期から昭和10年(1935)頃にかけ、中央区、台東区、千代田区、新宿区、文京区などに建設した。 これが「復興小学校」である。 現存する復興小学校は10数校ほどである。・・・・・・・・・京華小学校は昭和4年(1929)、東京市の設計、銭高組の施工で竣工した。 平成5年(1993)には少子化により廃校となる。・・・・・・・・・現在は「京華スクエア」として、地域活性化の拠点として利用されている。
③亀島川水門・・・・・・・・・・“お江戸”を高潮・津波から守るため、日本橋川から分岐し隅田川に合流する亀島川の隅田川河口に備えた防潮水門。昭和44年(1969)の竣工。
④中央大橋・・・・・・・・平成5年(1993)に竣工した二径間連続鋼斜張橋。・・・・・・・・・•橋を渡れば“佃島”
⑤佃島の神仏・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・住吉神社・・・・・・・・・・・佃の渡しの時代までは、渡しを降りると神社の鳥居であった。 今は、車で橋を渡って来ると、チョイト、裏側になるような位置となってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・於咲稲荷波除稲荷神社・・・・・・・・・・船溜まりの際に、「於咲稲荷神社」と「波除稲荷神社」が、境内と鳥居を共有して祀られている。
・・・・・・・・・・・・・・佃天台子育地蔵尊・・・・・・・・・・於咲稲荷波除稲荷神社の真正面の人一人が通れる路地を入ると、地蔵尊が祀られている。・・・・・・・・縁起によると江戸時代頃からの歴史がある地蔵尊だ。 路地の奥に御堂がある、これまた狭い、さらに銀杏の大木の幹が塞いでいる。・・・・・・・・・想像以上の狭さ、説明しきれない、『百聞は一見に如かず』!
⑥佃島の町・・・・・・・・・・・・・古い住宅・商家が数多く残っており、ダイジェスト風に紹介。ついでに路地も!