池上
都営地下鉄浅草線の終着駅「西馬込」から、池上本門寺に参詣し、東急池上線池上駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
①西馬込駅・・・・・・・・・・昭和43年(1968)、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。
・・・・・・・・・・・・ホームは第二京浜(国道1号)の下にある。道は川崎につながるが、地下鉄はここで終点、以前は川崎方面に延伸の計画があったそうだ。
・・・・・・・・・・・・・相対式2面2線の終着駅だが、車止めは無い。線路はこの先、車両基地の「馬込車両検修場」へと続く。
②馬込車両検修場・・・・・・・・・・・昭和35年(1960)の都営1号線(現:浅草線)開業時には、まだ車両基地はなかった。 8年後の昭和43年(1968)、泉岳寺~西馬込間開業時に、馬込検修場と車両工場が分離して完成した。 平成16年(2004)、現在地に馬込検修場と馬込車両工場が統合した馬込車両検修場が完成した。
・・・・・・・・・・・・・・回送列車は、西馬込駅から地下を走り、車両基地の北側(写真左端)で地上に顔を出す。
・・・・・・・・・・・・・・そのまま北側(写真右端)を走り、池上梅園前の高架橋まで進む。
・・・・・・・・・・・・・・池上梅園前の高架部分。 ここで、回送列車は折り返し基地へと入って行く。
・・・・・・・・・・・・・車両基地。 只今、通勤時間帯で車両は出払い、稼ぎに出てます。・・・・・・・・・・車両基地の敷地の一部は昭和30年代にプロレスの力道山の邸宅が在った場所らしい。 広すぎて、何処に建っていたかは知らないよ!
・・・・・・・・・・・・・留守番の1編成と、工場の中には数編成が待機中。
・・・・・・・・・・・・・・馬込車両検修場の上を横切るどどめき橋。
③池上梅園・・・・・・・・・・・・池上本門寺の西に位置し、丘陵斜面を利用して、紅梅220本・白梅150本が競う区営の梅園。 戦前は日本画家:伊東深水の自宅兼アトリエ「月白山荘」であったが戦災で焼失した。 戦後は一時期、料亭として利用され、昭和53年(1978)に大田区に移管された。・・・・・・・・梅の季節を外しても見ごたえある庭園だ。
④池上本門寺・・・・・・・・・・・・弘安5年(1282=鎌倉時代)、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。 その途中、武蔵国池上郷(現:大田区池上)の池上宗仲の館に到着し最期の20日間を迎えた。 池上宗仲の館の背後の山上に開山した寺が長栄山本門寺である。・・・・・・・・・建物の多くは空襲で焼失したため、戦後再建の堂宇が多い。
・・・・・・・・・・・・・総門・・・・・・・・・・・元禄年間(1688~1704)に建てられた。
・・・・・・・・・・・・・此経難持坂(しきょうなんじさか)・・・・・・・・96段の石段
・・・・・・・・・・・・仁王門・・・・・・・・・昭和52年(1977)再建、鉄筋コンクリート造。
・・・・・・・・・・・・・大堂(祖師堂)・・・・・・・・・・・昭和39年(1964)再建。本堂のようなものだ!
・・・・・・・・・・・・・経堂・・・・・・・・・・・天明4年(1784)に建立された。戦災を免れた建物。
・・・・・・・・・・・・・・五重塔・・・・・・・・・・・・慶長13年(1608)建立。ベンガラ(赤色塗料)を全面に塗った高さ31.8mの塔。国の重要文化財。
・・・・・・・・・・・・・・宝塔・・・・・・・・・・文政11年(1828)、日蓮の550遠忌を記念し再建された。 只今、工事中。
・・・・・・・・・・・・本殿・・・・・・・・・・・本師(釈尊)のおわします殿堂との意味で、戦災で焼失した釈迦堂を、昭和44年(1969)に再建したものである。鉄筋コンクリート造。
・・・・・・・・・・・・・・・力道山の墓・・・・・・・・・力道山は、本門寺と故郷の長崎県:長安寺に分骨されている。
⑤本行寺・・・・・・・・・・本門寺のある山裾に、子院の中で筆頭とされている本行寺はある。 境内は、日蓮が湯治の途中、身を寄せた池上宗仲の館跡にあたる。 つまり、日蓮が没した地でもある。
・・・・・・・・・・・池上宗仲の館の仏間であった部屋の跡に建てられたお堂。ここには、日蓮「ご臨終の間」が残されている。
⑥實相寺・・・・・・・・・・・本行寺の隣りに、本門寺の子寺である實相寺がある。 天文19年(1550)江戸馬喰町に開創し、明暦の大火の後、浅草新寺町に移転し、関東大震災後に現在地に移った。・・・・・・・・・門と本堂は国登録の有形文化財である。
⑦池上駅・・・・・・・・・・大正11年(1922)、池上電気鉄道が当駅と蒲田駅間で開通したとき同時に開業した。 開業の頃は、寺社詣でが観光の中心であった時代だ、本門寺への参拝客の下車駅として、おおいに賑わったであろう!・・・・・・・・・・・木造の駅舎、ホーム上屋、作り付のベンチ、、、、、いいね!