大森町~大鳥居
京浜急行本線大森町駅から空港線大鳥居駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
①大森町駅・・・・・・・・・・・・明治34年(1901)六郷橋~官設大森駅間が開通。 開通時の駅は道路上の停留所で、明治39年(1906)には線路は軌道となった。 現在の大森町(おおもりまち)駅の近くに、大森山谷駅があったが戦後廃止された。 現在の大森町駅は昭和27年(1952)に開業した。平成24年(2012)に高架駅となる。・・・・・・・・・まだ、高架下は整備中で改札・切符売り場も仮住まい状態、いずれ高架下に落ち着くことになる。
②貴舩神社・・・・・・・・・・・・大田区大森東の裏通りに鎮座する神社で、京都の貴舩神社(きふねじんじゃ)を総本社とする。 創建年代は不詳だが、文永3年(1266=鎌倉時代)以前からあったらしい。・・・・・・・・文化10年(1813)に建立された旧社殿は関東大震災により倒壊し、現社殿は昭和30年(1955)に、正面の柱間が一間の流造りで建立された。
③緑地公園・・・・・・・・・徳川家康は江戸に幕府を開く6年前の慶長2年(1597)、多摩川の水を下流域(大田区・川崎市)の灌漑用水として使用できるように、六郷用水(現在の総称)の工事を命じた。 慶長16年(1611)に完成し、現:大田区の水田は潤い、“城南の米蔵”と変化した。 しかし、大正期から大田区は市街化し、用水路は排水路と化した。 戦後、排水路と化した用水は、下水道の整備により暗渠化・埋め立てなどで消えていくことになる。 大田区東部では埋め立てられた用水路が緑地公園として活用されている。
・・・・・・・・・・・貴船堀緑地・・・・・・・・・貴船神社近くの緑地で、総延長600m程の緑地。東京湾側には貴船水門(昭和41年(1966)完成)があり、水門の内側は船溜まりとなっている。
・・・・・・・・・・・・旧呑川緑地・・・・・・・・・・・こちらは、東蒲田付近から始まり呑川水門の手前まで約2km程の緑地。 呑川水門は昭和41年(1966)の完成。 水門の内側は船溜まり。
・・・・・・・・・・・・北前掘緑地・・・・・・・・・東糀谷の北前掘緑地は400m程あり、こちらは北前堀水門(昭和41年(1966)完成)に続いている。 緑地の中程には昭和59年(1984)に完成した北前橋が残されている。
・・・・・・・・・・・・・南前堀緑地・・・・・・・・・こちらも東糀谷にある300m程の緑地。緑地の先には南前堀水門(写真なし)がある。 緑地の西端には、満潮時、地盤の低い糀谷地域に海水が逆流しないように水門を閉め、雨水や生活排水を堀へポンプで排水するため排水機場が戦前に造られた。 昭和56年には煉瓦造りの排水機場は役目を終えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨年の12月、東京都は貴船・吞川・北前堀・南前堀の4水門を廃止し、防潮堤を整備すことになった。 水門は取り壊され、船溜まりは埋め立てられるようだ。 これで、昭和の景観がまた一つ消えていく、残念!
④羽田可動橋・・・・・・・・・呑川河口(海老取川)近くに架かる、首都高速道路1号羽田線の橋梁である。・・・・・・・・・・建設の経緯は、海老取川の下を走る羽田トンネルの渋滞解消を狙い並走する道路が必要となった。 しかし、川底には東京モノレール、羽田トンネルが走り、スペースが確保できず、川には大型船が航行し、上空は航空機により高い構造物を造ることが難しく、高さの低い、中央が旋回する構造の橋を造ることになった。 そして、平成2年(1990)に可動橋が完成した。 しかし、平成6年(1994)に首都高速湾岸線が開通すると交通量は減少したため、平成10年(1998)には使用停止となった。 わずか8年間の使用であった。・・・・・・・・・首都高速道路は金持ちのようだね! 儲かっているのか?
・・・・・・・・・・・・・・参考にGoogleマップの航空写真(チョイト拝借)・・・・・・・・船が通れるように開いてます