千住柳町
日没が早くなり午後4時を過ぎると、そろそろ灯りをともし、夕飯の準備を始める家もある。 私は夕暮れ時に、北千住駅から15分程の千住遊郭があった“千住柳町”界隈をぶらついて来た。 9千歩、7km。
・・・・・・・・・・日光街道の千住宿としては、水戸黄門の時代以前から宿場女郎・飯盛女がいたことは想像できる。 当時、日光街道は現在の日光街道(国道4号線)の東側(北千住駅より)にある、今は街道の面影残すショッピングロードとして賑わっている。 近くの金蔵寺には遊女の供養塔も残されている。
・・・・・・・・・・大正時代中頃、警視庁は国道4号線の西側に新遊郭地「柳新地」を指定した。 「柳新地」は北千住駅西口から日光街道(国道4号線)を渡り、駅からチョイトと遠い現在の千住柳町にあった。 指定後、関東大震災があり、吉原・洲崎など被災地の客が押し寄せ、街は賑わったそうだ。昭和初期には、50軒以上の店、300人以上の娼妓の規模となった。
・・・・・・・・・・戦後は昭和32年(1957)の赤線廃止まで営業が続けられていた。戦後70年にならんとする今、当時の赤線跡を見つけることはできないが、当時の面影残す路地・住宅の雰囲気は残ってる。
①千住寿町の裏道・・・・・・・・・・・・
②大正通り・・・・・・・・・・正しくは「大正記念道」で、「大正通り」は通称。荒川放水路の完成によって廃止になる堀を埋め立て、大正5年(1916)に完成した。大正天皇御即位の記念として、命名された道路だ。・・・・・・・・国道4号線の西側の、千住中居町から千住柳町をとおり千住大川町に至る、地域の幹線道路。 名前に釣られ、“大正ロマン”をさがしても見つからず!
③千住大門商店街・・・・・・・・・・その名のごとく、千住遊郭の大門に位置する商店街だ、しかし遊郭の跡を示す物証はない。 今は、落ち着いた地域密着型の商店街である。・・・・・・・・・千住柳町には、「大門通り」、「いろは通り」、「仲通り」なる、商店街があった。 “大門”、“仲通り”は吉原に、“いろは通り”は玉ノ井にもある名前だ!
④千住柳町・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・千住柳町の中央に位置する地点、昭和の面影もほぼ消えてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・オー、公園で遊ぶ小学生、いいね。 小さな昭和の雰囲気だ!
・・・・・・・・・・・・・・この路地を行くと質屋の前にでる、どんな娘が通った店か?
④ニコニコ商店街・・・・・・・・・・千住柳町と千住大川町の境にある商店街。昭和初期の遊郭華やかなりし頃は、一番の繁華街であったそうだ。この商店街の近くに、遊郭が並んでいたらしい。・・・・・・・・今は、残念ながらシャッターが下りっぱなしの、寂れに寂れた商店街となった。
⑤千住大川町・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・黙って静かに町の変化を見つめる金の湯の煙突
・・・・・・・・・・・・・公園の隅でお年寄りが犬の自慢話中
・・・・・・・・・・・・・玄関先のクリスマス。この家には、サンタも迷わずに来ることだろう!
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