平和島~鮫洲
旧東海道を平和島から鮫洲まで歩いてきた。1万3千歩、9km。
①美原通り・・・・・・・・・・・・・旧東海道の品川宿と川崎宿の間に位置する「美原通り」は、南端が大森警察署交差点、北端が平和島口交差点で、総延長1km程の第一京浜の裏通りである。・・・・・・・・「美原通り」は、大正7年(1918)の第一京浜国道建設工事の祭、「三原通り」であった商店街を避けて国道を敷設したことで、現在も旧東海道のおもかげを多少残している。 通りの名は美原通りに改称された。
・・・・・・・・・・・・・・・美原通り(旧東海道)沿いには海苔問屋も多く、街道の雰囲気は多少残っているが、チョイト“おもかげ”不足で観光客はここまで来ないようだ。只今、街道沿いの4商店街では街道の景観を整備し、観光客の増加も狙った、地域ぐるみの取り組みが始まっている。 各店舗は統一の景観基準により、木製の表看板・袖看板や店頭看板、瓦屋根の軒びさし、木製格子、店頭の大型ノレンなどが設置され、さらには浮世絵を描いたシャッターアートにも取り組んでいる。・・・・・・・・・・商店街が活性化するといいね!
・・・・・・・・・・・・・・・通勤時間帯は自転車専用道(?)のようだ。 景観を重視し、駕籠で通勤したら面白いかも?
・・・・・・・・・・・・・・・開店準備中の海苔問屋
・・・・・・・・・・・・・こちらは、営業中の自転車屋さん。看板には「創業 大正八年」の文字が見える。 スポーツカーも売ってんの?
・・・・・・・・・・・・・美原不動尊・・・・・・・・御利益は期待できるのかな???
②第一京浜国道・・・・・・・・・中央区日本橋から横浜市神奈川区まで、ほぼ旧東海道に沿ってとおる国道15号線。 京浜急行大森海岸駅の前後では、旧東海道は国道の下に埋もれてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・国道に立つ、大森の“海水浴場跡”の案内板
・・・・・・・・・・・・・・第一京浜国道の前身は、明治18年(1885)に「1號國道」に指定されたことに始まる。昭和27年(1952)からは道路法により「国道15号」となる。・・・・・・・・ちなみに、第二京浜国道は、品川区五反田から横浜市神奈川区までで、第一京浜国道のバイパスとして昭和33年(1958)全線開通した。・・・・・・・・さらに、ちなみに、フランク永井の「夜霧の第二国道」は第二京浜国道のことである。 歌は昭和31年(1956)のヒット曲 ♪♪ つらい恋なら ネオンの海へ 捨てて来たのに 忘れてきたに バック・ミラーに あの娘の顔が 浮かぶ夜霧の ああ 第二国道 ♪♪
③鈴ヶ森刑場跡・・・・・・・・・南大井の第一京浜国道から旧東海道が分かれる地点に鈴ヶ森刑場跡がある。 大経寺の境内に残る鈴ヶ森刑場は、江戸時代から明治3年(1870)まで使われていた処刑場。・・・・・・・・・・現在は国道の脇であり、もし今ここで処刑されたらチョイト恥ずかしいね!
・・・・・・・・・・・・・磔台(はりつけだい)・・・・・・・説明文では「丸橋忠弥を始め罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられその上部に縛りつけて刺殺したのである」・・・・・・・・・磔は痛そうだ、刑の執行も見たくない!
・・・・・・・・・・・・火炙台(ひあぶりだい)・・・・・・・・・説明文では「八百屋お七を始め火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。真中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである」・・・・・・・・・・・・怖いね、懇ろに手を合わせてきたよ!
④旧東海道の建物・・・・・・・・・・鈴ヶ森刑場から北は品川区、南は大田区。品川区の街道沿いに昭和レトロの建物が点在する。
・・・・・・・・・・・・・・こちらの建物は古くないが、安政3年(1856年)創業の蕎麦屋さん。
⑤天祖神社・諏訪神社・・・・・・・・・京急立会川駅の南に位置する神社で、かつては東京湾に面し立会川を挟み並んで祀られていた天祖神社と諏訪神社を、社殿の改築を機に昭和40年(1965)に合祀した。・・・・・・・・築50年経つ神社だが、手入れが良いようで綺麗だ!
⑥50mで海だった・・・・・・・旧東海道から海側へ50m程行くと、昭和56年(1981)に完成した堤防が民家ギリギリに残っている。 今は、堤防のさらに海側に新しい堤防があり、先には埋立地の勝島があるので、堤防の外側は勝島運河となっている。・・・・・・・・旧東海道が海べりにあった証だ!
・・・・・・・・・・・・・・・・写真中央のフェンス下のコンクリートの塊が堤防であった。
・・・・・・・・・・・・・・勝島運河
⑦鮫洲八幡神社・・・・・・・・・・鮫洲駅の脇にある、この辺りの総鎮守さま。 創立年代は不明だが、寛文年間(1661~1673)には、すでにあったらしい。
⑧鮫洲駅前・・・・・・・・・・・・鮫洲には東京で最も古い鮫洲運転免許試験場がある。 かつては、鮫洲駅から試験場までの通りの左右に“代書屋”がぎっしり並び、早朝から開店し、呼び込みのおばさんが各店の前に立っていた。写真を撮って、書類をタイプで打ち、茶封筒に入れた申請書をもらってから試験場に行ったのを記憶している。メガネ屋も必ずあった、視力が不足していると強力な度のメガネを売りつけていた! 三文判を売っている店もあった!・・・・・・・・・今は、写真の持参は不要、書類はIT化され、“代書屋”の需要は激減したようだ。駅前には1軒の代書屋が残っていた、店の中もガラガラ、時代は変わったね。
・・・・・・・・・・・・・・・かつて、ズラリと並んでいた駅前の代書屋は店を閉じた。
・・・・・・・・・・・・・・・1軒だけ残っている。 懐かしさを感じる店構えだね!
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