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2013年12月 1日 (日)

青山~新宿

夫婦で買い物に出た帰り、青山から新宿まで歩いてきた。1万1千歩、8km。

①イチョウ並木・・・・・・・・・・明治神宮外苑の入り口である青山通りから、絵画館に向かい真直ぐに植えられたイチョウ並木。 この並木は、隅田公園、錦糸公園、浜町公園など震災復興公園の設計を数多く手掛けた建築家:折下吉延(1881~1966)により設計された。 イチョウは絵画館が竣工する3年前の大正12年(1923)に植栽された。・・・・・・・・私は数えたことがないが! 現在は直線部分だけでなく絵画館の周りの円周道路の分を含め146本あるそうだ。

・・・・・・・・・・・・・オイオイ、何だ、この人出は!! 黄葉を見に来たのだが、春の花見のような人出。 コリャ、静かな秋を期待して来た私に誤算があったようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・空を見上げりゃ、並木の美しさは変わらない!

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・・・・・・・・・・・・・・・去年は人出も少なく、ゆっくりと歩けたのだ!  今日は、人出の多さに戸惑い、神宮球場を抜け、霞ヶ丘アパート方向へ進路変更。

②近衛連隊の碑・・・・・・・・・・・神宮球場前にある明治公園の片隅に近衛連隊の碑がある。・・・・・・・・・・・神宮外苑一帯の広大な地に、江戸時代には、大名屋敷や幕府役人の役宅があった。 明治19年(1886)に日比谷練兵場が政府の庁舎になり、ここ青山(現:神宮外苑)に練兵場が移された。・・・・・・・・・・碑がある明治公園の地は、近衛歩兵第四連隊と近衛歩兵第六連隊の駐屯地であった。 戦後も70年にならんとする今、この地を訪れ、当時に思いをはせる人は少なくなったことであろう。・・・・・・・・・・新国立競技場の建設予定地にあり、この碑は残るのか? 残して欲しいね!

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③将棋会館・・・・・・・・・・・千駄ヶ谷:鳩森八幡神社の前にある、昭和51年(1976)に竣工した地上5階/地下1階の将棋界の大本山「将棋会館」。・・・・・・・・・江戸時代は 「家元制度」で世襲の名人が君臨していた。 しかし明治維新後、家元制度は崩壊し、実力による名人制度へ移行していった。 大正13年(1924)、「東京将棋連盟」が結成され、その後「日本将棋連盟」となり、昭和22年(1947)には財団法人となった。・・・・・・・・・・・そろそろ建物も古くなり、現会長:谷川浩司氏に改築でも考えてもらったらどうだろう! 駒の形をした建物は止めてね!

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④鶴の湯・・・・・・・・・・・・千駄ヶ谷:国立能楽堂の南にある銭湯「鶴の湯」。 大正12年(1923)創業の銭湯で、建物は昭和24年(1949)に建て替えられた。・・・・・・・・・“能楽鑑賞の後の一風呂に、お立ち寄り” たぶん、そんな人はいないだろうね!

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⑤国立能楽堂・・・・・・・・・・・・・千駄ヶ谷4丁目に、「能」の一般公開や、後進者の育成などを目的として建てられた国立の能楽堂です。 設計は、乃木神社などを手掛けた大江宏(1913~1989)、昭和58年(1983)竣工。 ちなみに、大江宏の父:大江新太郎は明治神宮宝物殿神田明神などを手掛けた建築家。・・・・・・・・・・一生に一度くらい、本格的に「能」を勉強して鑑賞してみたい気持ちはあるが、勉強するための腰が上がらないのが本音だ! 

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⑥都道四谷角筈線(414号線)・・・・・・・・・・・能楽堂の近くを走る都道:414号線。 ナント、見事な黄葉。 しかも、ガラガラ、ゆっくり落ち着いて秋を味わえる穴場です。

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