根岸
我が家(浅草橋)から上野を抜け、根岸4丁目・5丁目をウロウロし、南千住の泪橋(なみだばし)交差点まで、1万4千歩、10kmの散歩です。
①坂本小学校・・・・・・・・・・・・関東大震災で焼失・倒壊した小学校で、震災後、復興事業で建築された一連の小学校を“復興小学校”と称している。 大正13年(1924)から昭和10年(1935)にかけ、117校が建設された。 中央区・台東区を中心に20校程が現存している。・・・・・・・・・・その内の一校が、入谷鬼子母神の隣の旧入谷尋常小学校(現:坂本小学校)。大正15年(1926)の建築。・・・・・・・・・・・私の母校、柳北小学校も復興小学校で現存している。
②根岸の建物・・・・・・・・・・・・・“金杉通り”沿いに!
・・・・・・・・・・・・・・中華料理光陽楼・・・・・・・・・・・銅板建築の2軒長屋
・・・・・・・・・・・・・左側:小ぶりの土蔵造りの建物和泉屋蒲鉾店と右側:昭和4年(1929)建築の五十嵐提灯店・・・・・・・・・五十嵐提灯店は明治9年(1876)創業の老舗。・・・・・・・・・下の写真は3年前に撮影:写真右端の3段屋根の家は明治27年(1894)の建築。
・・・・・・・・・・・・裏通りの蔵・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・鈴木食品工業 ・・・・・・・・・・・・安政年間(1854~1859)に創業した食品販売会社。 建物は昭和初期の頃かも?
・・・・・・・・・・・・・・写真左:本藤理髪店と写真右:住宅(もとは蕎麦屋かも?)・・・・・・・・3年前頃から足場が架かり、どうなることか心配な建物だ。 この床屋さん、大正14年(1925)の創業で、内部はほぼ当時のままで、数年前まで営業していた。・・・・・・・保存して欲しい建物だね!・・・・・・・・・・2枚目、3枚目の写真は2010年撮影。
・・・・・・・・・・・・・もと料亭?・・・・・・・・・・訪れるたびに減っていく、良き時代の建物。
・・・・・・・・・・・・矢島写真館・・・・・・・・・・スクラッチタイルと赤い屋根が絵本の中の建物のように可愛いらしい写真館。 大正末期か、昭和初期の建物。 ウィンドの中に店主の閉館メッセージが、、、、、御苦労様でした! 寂しいね!
・・・・・・・・・・・・・・・愛隣保育園・・・・・・・・・・・・大正9年(1920)創立、根岸5丁目にある保育園。 歴史ある建物が消え、工事中の仮囲いがあるのみだ!・・・・・・・・・・壊された建物(2枚目の写真)は昭和2年(1927)に建てられた。(2011年撮影)
●・・・・・・・・・・・・・大正・昭和の“根岸”は消えていく! 残念なり!
③小野照崎(おのてるさき)神社・・・・・・・・・仁寿2年(852=平安時代)、住民が小野篁(公家、歌人)を奉斎したのが起源である。 現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災や東京大空襲を免れた。・・・・・・・・・・・神社は初詣の準備中、忙しそうだ!