三田
都営浅草線三田駅から、慶大のキャンパスをブラブラし、三田の町をグルグル歩き回り、芝公園をスタスタとおり抜け大門駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
①慶應義塾大学・・・・・・・・・・・通勤のサラリーマンが行き交う、JR田町駅前の「慶応仲通り商店街」に入り、裏道をジグザグに歩くと東館の前に出た。 可愛い娘が構内に向かう、ヨシ、私も!久しぶりに大学の中を拝見しよう!
・・・・・・・・・・・・・東館・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に竣工した、9階建ての「東館」と呼ばれる校舎。銭高組の施工。 図書館旧館に合わせたデザインだ!・・・・・・・・・・慶應義塾は明治4(1871)に、芝新銭座から現在の三田の肥前島原藩松平家の中屋敷に移転した。屋敷の家屋を塾舎として利用したが、現:東館の建つ場所には、木造の黒塗り門があり、この門も義塾の正門として利用していた。・・・・・・・・・・つまり、東館は明治時代からの正門跡に建っているのだ。現在の正門は構内南側に移っている。 建物中央のアーケードが構内への入口。
・・・・・・・・・・・・幻の門・・・・・・・・・・・東館の後ろにたつ図書館旧館ができた明治45年(1912)ころは、義塾の正門は依然として木造の黒門であった。 正門の老朽化により、大正2年(1913)、改造費2000円也で花崗岩の門柱と鉄門扉の洋風の門に改造された。・・・・・・・・・・「幻の門」の謂れは諸説あるらしい、その一つ、、、、、、酔った学生がふざけて夜中門標を持ち去り、いくら新しいものを設置してもそのつど盗られるので、ついには門標なしの門となり「幻の門」と呼ばれるようになったとする説。・・・・・・・・平成12年の東館建設で、幻の門は東館アーケードを抜け、左手に続く石畳の坂道の上にモニュメントとして移設された。
・・・・・・・・・・・・図書館旧館・・・・・・・・・・・福沢諭吉が慶應義塾を創設した安政5年(1858)から、50年目の明治40年(1907)に慶應義塾創立50周年記念事業として建設された図書館である。 設計はジョサイア・コンドルに建築を学んだ曾禰達蔵とその後輩:中條精一郎による、曾禰中條建築事務所が手がけた。・・・・・・・・赤レンガと花崗岩で美しく仕上げられた建物は記念館として印象的なものとなっている。 玄関ホールは重厚に造られ、玄関横の福沢諭吉像も満足げだ!
・・・・・・・・・・・・・・塾監局・・・・・・・・・・こちらも曾禰中條建築事務所の設計で、大正15年(1926)竣工、鉄筋コンクリート造4階建ての建物。 スクラッチタイル張りの、落ち着いたデザインである。 義塾の運営を担う塾長室、総務部、経理部などの部門が使用している。
・・・・・・・・・・・・・第一校舎・・・・・・・・・・・・昭和12年(1937)竣工、鉄筋コンクリート造4階建て。 スクラッチタイル張りの、シンプルな建物で、研究室として使われている。こちらも曾禰中條建築事務所が担当。
・・・・・・・・・・・・三田演説館・・・・・・・明治8年(1876)に開館した、木造2階建て、我が国初の演説会堂。重要文化財。・・・・・・・・・・ナマコ壁の建築で、まだ江戸時代の匂いが残っている。 内部は木製の椅子が並び、教会の聖堂のようだ。
・・・・・・・・・・・・・新萬來舎・・・・・・・・・・・・「萬來舎」は明治時代から義塾構内にあった談話室の建物である。 昭和19年(1944)戦災で消失してしまった。 昭和26年(1951)建築家:谷口吉郎、イサム・ノグチの合作により「新萬來舎」として再建された。 しかし、平成17年(2005)建っていた場所に南館が建設され、現在は南館屋上に移築されている。
②旧三井家綱町別邸・・・・・・・・・慶應大の北側、三井家の賓客接待用の施設として、大正2年(1913)に竣工した。三菱の岩崎邸や、ニコライ堂を設計したイギリス人のジョサイア・コンドルがこちらも設計した。バロック(=彫刻や絵画、家具などが建物と一体となった総合芸術)風の建物で格調高い。・・・・・・・・・現在は三井グループの会員制倶楽部「綱町三井倶楽部」として、結婚式などで使用している。 ここで、もう一度結婚式してみたいね!
③旧逓信省簡易保険局・・・・・・・・・・・・旧三井家綱町別邸の前の現:東京簡易保険事務センター。 三田の高台に、デンと構える役所建築。 設計は逓信省、施工は大林組、 昭和4年(1929)の竣工。
・・・・・・・・・・・・・・同じ敷地内の左側に、チョイト気になる建物がある。 戦前の建物のようだが、建築年代・用途とも不明?
④三田1丁目の建物・・・・・・・・・大使館、超高層マンションなどが周囲を囲む、三田1丁目の昭和レトロの匂いが残る町並み。
・・・・・・・・・・・・・龍原寺・・・・・・・・旧逓信省簡易保険局の近くの浄土宗の寺。弘化3年(1846=江戸時代)の再建。 本堂は土蔵造りで、土壁の上に、腰は洗い出し、上は漆喰塗りの仕上げ。 向拝の天井には龍が描かれ、 綺麗に保存されている。
・・・・・・・・・・・・・龍原寺の裏道を行くと、細い路地・急な階段が現われ、風呂屋の煙突が見える。
・・・・・・・・・・・・・・旧小山湯・・・・・・・・・・・・・大正10年(1921)創業の古い銭湯だったが、残念なことに、平成19年(2007)に廃業した。 大正時代の建物は今も壊されずに残っている。
・・・・・・・・・・・・小山湯の周辺は、今も昭和だ! でも、再開発の波は間違いなく来るだろう!
・・・・・・・・・・・・日完工芸・・・・・・・・・・一角に残る木造モルタル塗りの建築。
・・・・・・・・・・・・東京さぬき倶楽部・・・・・・・・・・香川県の宿泊施設で、ここの門と昭和初期の2階建て鉄筋コンクリート造の蔵はレトロだ。
●・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、芝公園を抜け大門駅へ・・・・・・・
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