浅草橋~お茶の水
我が家(浅草橋)から御徒町・東大を抜け、本郷の裏道をチョイト覗いて御茶ノ水駅まで、1万6千歩、12kmの散歩です。
①台東区台東の建築・・・・・・・・・・・御徒町駅に近く、昭和通りの東側で春日通りの南側の一帯が台東区台東の町である。 東京大空襲の被災を免れた家も多く、戦前の建物も多く残されている。・・・・・・・・・・・通りがかりにパチリ。
・・・・・・・・・・・・・・モルタル系の5軒長屋・・・・・・・・昭和15年(1940)頃の建物。 右端は森永牛乳の店であった。 2階には錆びたエンゼルマークと、森永マミーの球形の看板が残されている!
・・・・・・・・・・・・・・台東製作所・・・・・・・・・2階建ての鉄筋コンクリート造で、3階部分は後の増築らしい。昭和初期の建築と思われる。
・・・・・・・・・・・・木造の住宅もある。 チョイト古そうだが、玄関先の鉢植えは綺麗に手入れされているね!
・・・・・・・・・・・・・3軒長屋・・・・・・・・・・この手の長屋は私の住む台東区には多い!
②堺屋酒店・・・・・・・・上野仲町通りに、震災後大正末期に建てられた堺屋酒店のビルがある。 外装のスクラッチタイル、丸窓、窓廻りのテラコッタ、スペイン瓦、そして、特徴ある書体の店名、いずれもが建物のイメージを印象的なものとしていた。・・・・・・・・・・今日、前をとおりビックリ! 似て非なる建物に変身していた。・・・・・・・・・よく見れば、全ての材料・材質が違い、色も質感も変わり、重厚さは無くなり、ハリボテとなった。 タラバガニもどきのカマボコと本物のタラバガニの違いだ!
・・・・・・・・・・・・昨年2月撮影の本物のタラバガニ
③黒沢ビル・・・・・・・・・・・・堺屋酒店と同じ仲町通りに建つ昭和モダンな黒沢ビル。 こちらは本物のタラバガニだ。安心した!・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)竣工、鉄筋コンクリート3階建ての医院。国の登録有形文化財。 窓は3階の半円の庇を頂点に垂直に下がる細長い矩形でデザインされ、昭和モダンの雰囲気を表現している。 1階部分の鉄平石張り、玄関上のステンドグラス(大正時代の工芸家:小川三戸知作)は見事!・・・・・・・・・・・歯が痛くなったら、一度、ここの歯医者に来てみたいね。
④不忍池・・・・・・・・・・秋から冬に衣替え!
⑤東大・・・・・・・・・今日は、建物を見ず、イチョウの黄葉を見て帰ることにした。 (6月の東大はこちら)
⑥本郷の建物・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・徳田秋声旧宅・・・・・・・・・明治38年(1905)から亡くなる昭和18年(1943)まで住んだ旧宅。 今も子孫の方が住み、内部は非公開。
・・・・・・・・・・・・木造住宅Y邸・・・・・・・・・・戦前から戦後に多く見られた木造住宅
・・・・・・・・・・・・・太栄館・・・・・・・・・・修学旅行で泊まった人もいるだろう!
・・・・・・・・・・・・・鳳鳴館本館・・・・・・・・・・こちらも旅館、最近は外人客も多いようだ。 明治30年代に建てられた建物は国の登録有形文化財。
・・・・・・・・・・・・万定フルーツパーラー・・・・・・・・・・TV・雑誌でおなじみの喫茶店。創業は大正3年(1914)で、今の建物が昭和3年(1928)。 元々は果物屋さんだったそうだ。
・・・・・・・・・・・・・南陽堂・・・・・・・・・・・・・小柄であるが、くっきりとしたデザインのモルタル系の看板建築である。 「貸店舗」の張り紙が貼られている。
・・・・・・・・・・・・・・求道会館・・・・・・・・・・明治35年(1902)に欧州留学から帰国した真宗大谷派の僧近角常観が、青年らと信仰体験を語り継ぐ場としてここに求道学舎を開き、大正4年(1915)に信仰を説く施設としてこの会館を建てた。 仏教の“教会建築”だね!
・・・・・・・・・・・・・・求道学舎・・・・・・・・・・求道会館の裏手に大正15年(1926)に建てられた近代学生寮。 求道会館とともに建築家:武田五一(1872~1938)の設計である。・・・・・・・・最近、リフォームされリノベーション住宅として使用されている。
⑦清水橋・・・・・・・・・本郷と西片の高台を結ぶコンクリート橋。橋は明治13年(1880)に開通したが、大正時代に現在の橋に架け替えられたそうだ。
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