神田川(柳橋~水道橋)
神田川に架かる橋を、我が地元の柳橋・浅草橋から順に上流へ水道橋まで歩いてみた。1万2千歩、9km。
①柳橋・・・・・・・・・・・神田川が隅田川に合流する、最下流に架かる震災復興橋。最初に橋が架けられたのは元禄11年(1698)で赤穂浪士討ち入りの4年前。・・・・・・・・現橋は昭和4年(1929)に架けられた。 橋の周辺は、江戸時代から戦後、私が女性に興味を持つ前までは、花柳界として情緒あふれる粋な街であった。
②浅草橋 ・・・・・・・・・・・江戸通りがとおる浅草橋は、江戸三十六門の一つ浅草御門で見付門といわれ寛永13年(1636=伊達正宗が死去した年)にできた。 現在は、橋のたもとに碑が立てられてる。・・・・・・・・・・・現在の橋は昭和5年(1930)に架けられた震災復興橋。
③左衛門橋・・・・・・・・・・・JR浅草橋駅西口に近くに架かる、こちらも震災復興橋。昭和5年(1930)完成。・・・・・・・・・「左衛門橋」の名は、この橋の北詰(台東区側)に、慶長3年(1598)から明治維新までずっと、出羽鶴岡藩(庄内藩)の大名:酒井左衛門尉(さえもんのじょう)の下屋敷があったことに由来する。
④美倉橋 ・・・・・・・・・・左衛門橋の上流に架かる美倉橋。こちらも復興橋で、昭和4年(1929)の架橋である。・・・・・・・・・橋の名は、近くに3つの倉があったことから「三倉地」と呼ばれていた。明治2年(1869)に“三”を“美”に改めて橋名とした。
⑤和泉橋・・・・・・・・・・・昭和通りを通す和泉橋は大正5年(1916)に架設された。昭和5年に架けられた復興橋という話もあるが、親柱に「大正五年三月完成」と記された銘板が残っている。 私の考えるところでは、架設は大正5年で、震災後昭和通りの拡張などにより、昭和5年に改修工事が完了したのであろうと推察する。・・・・・・・・昭和通りの中央を抜ける首都高が邪魔して、橋の景観も台なしだ! もっとも、橋自体にもデザイン的な特徴がなく、“景観”をとやかく言う必要もないか!
⑥神田ふれあい橋・・・・・・・・・・・神田川に架かる東北新幹線の橋梁に、すり寄って架かる鋼鈑桁の人道橋。 新幹線工事の折りに工事用に架けられた橋を、一般の人道橋として転用したそうだ。 長さ:48.60m、幅:2.5m、平成元年(1988)架設。・・・・・・・・・通勤時はけっこう利用者が多い、便利な橋だ。
・・・・・・・・・・・・・・神田ふれあい橋から眺める、柳原土手の柳森神社
⑦神田川橋梁(JR東北本線)・・・・・・・・・・・・JR東北本線の秋葉原駅~神田駅間に位置する橋梁で、現在は下流側から、東北新幹線、東北縦貫線(2015年開業予定の上野東京ライン)、山手・京浜東北線の8路線分である。・・・・・・・・この内、上流側のコンクリート造のアーチ橋は大正14年(1925)の架設である。・・・・・・・・写真奥から、新幹線、縦貫線、山手・京浜東北線のガード
・・・・・・・・・・・・・万世橋から眺めた神田川橋梁。
・・・・・・・・・・・・・関東大震災後の復旧工事、和泉橋から神田川橋梁を眺める
⑧万世橋・・・・・・・・・昭和5年(1930)に架けられた復興橋。
・・・・・・・・・・・・・旧万世橋駅跡の案内板にあった、昭和5年(1930)万世橋完成時の写真。「JK散歩」のない良き時代の写真だ!
⑨昌平橋・・・・・・・・・・現在の昌平橋は、大正12年(1923)の震災直前に完成したもので、昭和5年(1930)に修復工事と歩道の増設工事が行われた。 これにより、現在は左右の歩道部と中央の車道部で3本の並行するのアーチ橋が架かっているようだ。・・・・・・・・「昌平橋」の名は、寛政9年(1797)、上流に開設された幕府直営の昌平橋学問所(昌平黌)にちなんで付けられた。
・・・・・・・・・・・・・・昌平橋の脇に小公園がある。 私のおぼろげな記憶では、この公園のあたりに、旅籠町(はたごちょう)の交番があった。 秋葉原青果市場(現:UDX)の近くに居た小学生前の御幼少の時期に迷子になり、ここの交番に保護されたのだ。 チョイト、苦い思い出だな!
⑩神田川橋梁(JR総武線)・・・・・・・・・・・秋葉原を出た総武線が御茶ノ水の手前(昌平橋の上流)で、斜めに隅田川を越える。 手前の松住町架道橋(タイドアーチ橋)から神田川橋梁(鋼製ラーメン橋)に続き、大股を広げて神田川を跨いでいる姿は、迫力ある景観を演出している。 昭和7年(1932)頃の架橋。
⑪神田川橋梁(東京メトロ丸の内線)・・・・・・・・・・・総武・中央線の下から顔を出し、神田川を越え丸ノ内線御茶ノ水駅ヘ向かう。 丸ノ内線御茶ノ水~淡路町間の開業は昭和31年(1956)で、橋梁も開業に合わせ完成したものと思われる。
⑫聖橋 ・・・・・・・・・・・・印象的なアーチ橋で東京名所だ。 昭和2年(1927)の完成。・・・・・・・只今、御茶ノ水駅バリアフリー化工事で、聖橋の下には架設の桟橋ができ、景観を壊しているが、チョイト辛抱してね!
⑬お茶の水橋・・・・・・・・・・旧橋は関東大震災によって焼失し、現在のお茶の水橋は、昭和6年(1931)に架設された。 橋の全景は聖橋から見ることができる。
・・・・・・・・・・・・東京メトロ御茶ノ水駅・・・・・・・・昭和29年(1954)、帝都高速度交通営団丸ノ内線の駅として開業。 神田川の向け、緑の中にインターナショナル・スタイルのシンプルで洗練されたデザインの駅舎がある。
⑭水道橋・・・・・・・・・・・震災復興橋として架けられた旧橋は、橋を渡る白山通りの交通量が多く拡張工事により、昭和36年(1961)に現在の橋に架け替えられた。・・・・・・・・・中央・総武線が走る新水道橋架道橋は明治37年(1904)の年代物だ!
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