市川市八幡
JR総武線本八幡(もとやわた)駅から歩きはじめ、脚本家:水木洋子邸では内部の見学だけでなく、案内していただいた方と世間話に盛りあがり、結局タイムオーバーで、散歩途中で帰宅することになった。 7千歩、5km。
①本八幡駅・・・・・・・・・・・・・昭和10年(1935)に総武本線の駅として開業。 京成の京成八幡駅とは、300m程離れ、両駅の中間に千葉街道が走っている。 また、都営地下鉄新宿線の本八幡駅はJRと京成の両駅を地下で結ぶような配置となっている。
②京成八幡駅前の再開発事業・・・・・・・・・京成八幡駅の隣り、千葉街道と京成線に挟まれた一帯が再開発されている。 既に完成した、地上40階建ての住宅「グランドターミナルタワー本八幡」と、地上7階建ての「京成八幡ビル」、只今建設中の商業棟の3棟で構成される。・・・・・・・・・「京成八幡ビル」には今年9月に京成電鉄本社が押上から移転した。 私鉄の本社が都心から郊外に移転したのは、昭和63年(1988)に京王電鉄が新宿から多摩市に移転して以来のことである。 私鉄の本社は都心に位置する必要性が低いのかも?
③葛飾八幡宮・・・・・・・・・・・京成八幡駅の東にある神社。寛平年間(889~898=平安時代)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立された。 平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士の信仰を集めたらしい。
・・・・・・・・・・・・・鳥居の前を電車が通る
・・・・・・・・・・・・・・入母屋・平入りの拝殿・幣殿・本殿の3棟を、入母屋・妻入りの縦の棟で串刺しにした権現造りの神社である。・・・・・・・下総の国の総鎮守として崇敬されており、手を合わせる地元の人が多いね!
④市川市中央公民館・・・・・・・・・葛飾八幡宮の参道脇に建つ木造二階建ての公民館。この建物は、もともとは旧国鉄信越地区自動車局長であった、新潟県柏崎市の小熊容徳の邸宅を解体移築したもので、昭和27年(1952)に公民館として開館した。 明治10年(1877)には、明治天皇が北陸巡幸の折に泊まった邸宅で、玄関・ロビーは当時の姿を残しているそうだ!・・・・・・・・・・・本日は内部も拝見。 玄関・ロビー以外は最近の造りで木肌もピカピカで、チョイト、ガッカリ!
⑤S邸・・・・・・・・・・・八幡5丁目、洋風瓦の木製窓、チラリと目える古い洋館風の建物。
⑥水木洋子邸・・・・・・・・・平成15年(2003)に92歳の生涯を閉じた脚本家:水木洋子の邸宅がある。 映画「ひめゆりの塔」、「浮雲」、「裸の大将」、テレビ「竜馬がゆく」などの作品がある。 明治43年(1910)生まれで、昭和22年(1947)から市川市八幡の住んだ。 死ぬまで暮らした市川市に、自宅、原稿、蔵書、著作権など一切を寄付したそうで、市ではサポーターにより遺品の公開を行っている。・・・・・・・・・今日、散歩で前を通ると、玄関が開いていたのでチョイト覗かしてもらうと、サポーターの方が数名おり、内部を案内していただいた。
・・・・・・・・・・・・・八幡のグネグネした裏道を行くと水木邸の前に出る。
・・・・・・・・・・・・・まずは、玄関前から庭に出て、書斎のある南側からパチリ。・・・・・・老いた水木は、晩年一人暮らし12月の寒い時期に、浴衣姿・裸足で庭の草むしりしている姿を、近所の人に見られ、即刻老人ホームに入れられたそうだ。 多くの名作を生み出した偉大な脚本家も老いの病(認知症)には勝てなかった。
・・・・・・・・・・・・・書斎にはを拝見。奥には、スグに寝られる造りつけのベッドもある。 “明治の女性”で自宅にいるときは着物姿が多かったそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・和室には当時の家具・調度がそのまま残されている。
●・・・・・・・・・・・ひと通り拝見した後、サポーターの方と、戦後の話、市川に住んでいた永井荷風の話、墨東奇譚から娼婦の話、玉の井・鳩の街・向島の話、私の住む浅草橋・柳橋の話、、、、、、、、、いろいろ話題が移り、気づいたときはタイムオーバー。 午後から来客があるため、急ぎ帰宅する。