神田川(豊橋~神高橋)
今日は早稲田から高田馬場まで、神田川を上る散歩です。 1万3千歩、10km。・・・・・・・前回までに豊橋(ゆたかばし)まで歩いたので、今日はつづきです。
①豊橋・・・・・・・・・都電早稲田停留所から豊橋を渡り、豊島区高田の街に入ると、看板建築の家具屋、飲み屋、パテでガラスを押さえたスチールサッシの工場など、古くなった建物が目に入る。 昭和の残る町だ。
②仲之橋・三島橋・・・・・・・・・・・・・・最下流の柳橋から数えると、人が渡れる橋としては31番目になる仲之橋。 そして、32番目の三島橋。 下流の豊橋と欄干のデザイン・色がにており、個性を感じられない橋が続き、まことに残念だ。
・・・・・・・・・・・・・・三島橋から川を覗くと、左右の桜の枝が川を覆うように伸びている。花見のシーズンはいいね!
③甘泉園公園・・・・・・・・・・仲之橋・三島橋の南、西早稲田にある新宿区立の回遊式庭園。 甘泉園公園の、「甘泉園」とは、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われている。・・・・・・・・・・・ここは、江戸時代宝永年間(1704~1711)に尾張徳川家の拝領地となり、明治になると相馬子爵邸の庭園となり、昭和13年(1938)には早稲田大学の付属施設となった。 昭和36年(1961)、早稲田大学が都に売却し、その後新宿区に移管され公園となった。・・・・・・・・・・湧水でお茶を飲んだら下痢になりそうだが、公園としては整備され、四季の変化を楽しめそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・水稲荷神社・・・・・・・・・・甘泉園の隣りに鎮座する神社である。 旧称冨塚稲荷と命名されたが元禄15年(1702)、神木の根元から霊水が湧き出し、水稲荷神社と改名した。眼病のほか水商売および消防の神様として評判である。・・・・・・・・昭和38年(1963)に、早稲田大学と土地交換を行い、甘泉園の隣りの現社地に遷座した。
④面影橋・・・・・・・・・33番目の橋は都電面影橋(おもかげばし)停留所前の橋。 この橋もデザイン・色が下流の橋と同じで、ガッカリするね! 綺麗な名前から想像できる橋のデザインにならないものか。・・・・・・・・・・「於戸姫(おとひめ)」伝説と言うものがあるそうだ。 戦国時代に、この地に来たという和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説である。結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、やがて近所の小川左衛門に嫁いだ於戸姫は、夫の友人に夫を殺され、仇はとったものの、自分の身に相次いで起こる不幸から、家を出て神田川の川辺でわが身を水に写し、亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に急いだ。里人は於戸姫の心情を思いやり、面影橋・姿見橋と名付けたという。・・・・・・・・・この手の伝説で身を投げるのは女性ばかりだ、たまには親爺が身を投げる伝説を訊きたいね!
⑤曙橋・・・・・・・・・「曙橋」といえば、都営新宿線の曙橋駅近くの陸橋が有名だが、こちらは小柄な橋である。 江戸川の桜は下流の江戸川橋からこの曙橋までが見どころである。
⑥白十字販売・・・・・・・・・・曙橋の北側に疲れたビルがみられる。明治29年(1896)に創業し、脱脂綿・包帯などを生産している「白十字」の旧本社ビル。 建物は昭和34年(1959)の建築で、開口部が大きく、当時としてはモダンなビルだったと思われる。 玄関には創業者のレリーフもある。・・・・・・・現在は高戸橋の際に新本社ビルが建ち、こちらは子会社のビルとなっている。・・・・・・・・最近家庭では見ることが少なくなったが、私の若い頃は、赤い丸の中に白抜きの十字のマークのマスク、包帯、眼帯、絆創膏が薬箱に必ず入っていた。 チョイト、昔を思い出す会社だ!
⑦都電荒川線神田川専用橋梁・・・・・・・・・・都電荒川線は、ここで神田川を越えて、池袋方面へ向かう。現在の橋桁は昭和51年(1976)に架け替えられた。
⑧高戸橋・・・・・・・・・・・・・高戸橋(たかとばし)は、都電専用橋を横に見て、神田川に架かる35番目の橋。 橋名は橋の両側の旧町名である、豊島区「高田」と新宿区「戸塚」から一字ずつを頂戴したようだ。 橋の上は明治通り。
⑨高田橋・・・・・・・・・・明治通りと新目白通りの高戸橋交差点では、北側に高戸橋があり西側に高田橋がある。神田川は交差点を巻くように両橋の下を流れる。・・・・・・・・・・高田橋の下で、神田川に妙正寺川が合流する。 妙正寺川は下落合付近で新目白通りの地下にもぐり、ここ高田橋で顔を出す。(写真右の分水路の吐水口が妙正寺川。左は神田川。)・・・・・・・・この辺りの水も綺麗になって、高度成長時代の川は想像できないね! あと10年もしたら泳げる川になるか?
⑩源水橋・・・・・・・・・・・橋は最近の護岸工事で、新しく作り変えられた。 この橋の名は、この辺りの地名「源兵衛村」と、村にあった「水車」から、一字ずつパクリ「源水橋(げんすいばし)」となった、ウソのような話だ。・・・・・・・・南こうせつの「神田川」にでてくる“三畳一間の小さな下宿”はここ辺りにあったそうだ。 こちらは、本当のような話。
⑪戸田平橋・・・・・・・・・・・・・・大正8年(1919)に架橋され、現在の橋は平成11年(1999)に架け替えられた。 橋の名は地名の戸塚から“戸”を、高田から“田”を、架橋に貢献した淀橋区議会議員の平野与三吉から“平”を頂戴し、「戸田平橋(とだひらばし)」となったそうだ。・・・・・・・これまた、ホントの話。橋の近くに石碑が残されている。
⑫高塚橋・・・・・・・・・・・・39番目は高塚橋。高塚橋は地名の「高田」と「戸塚」から一字ずつパクリ命名したようだ!
⑬神高橋・・・・・・・・・今日の最後は40番目の神高橋。 高田馬場駅から西武線沿いに北へ向い、神田川に架かる橋。 現在の橋は平成15年(2003)に架けられた。
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