浅草橋~錦糸町
蔵前橋通りに出て亀戸方面に向かうつもりで我が家を出た。 蔵前橋の手前:旧蔵前国技館跡に来たら、『相撲』のキーワードが浮かび、散歩は『相撲めぐり』にすることにした。 1万5千歩、11Km。
①蔵前国技館跡・・・・・・・・・・蔵前警察署前の東京都下水道局の敷地が、昭和25年(1950)から昭和59年(1984)まで蔵前国技館のあった場所である。 現在は隅田川寄りに蔵前ポンプ場の建物(写真:レンガ色の建物)が建ち、隣は仮囲いに囲まれ水再処理センター(?)としての工事が行われているようだ。 蔵前国技館の土俵は、チョウド、仮囲いの中に位置していた。・・・・・・・・戦後の相撲の中心であり、小学生の私の遊び場の一つでもあった、いろいろ思い出ある処だ。 国技館は残りの取り組みが少なくなった頃に行くと、子供は無料で入れてくれた。学校を終えてからの遊び場だ。 蔵前橋通りを挟み、工事用仮囲い前に建つ旧東京貯金事務センターのあたりは、終戦直後は焼け野原で瓦礫置き場となり、磁石を持って鉄屑を拾って遊んだ記憶があるね。
②柳橋 ・・・・・・・・・・蔵前の南、浅草橋の東が柳橋地区である。・・・・・・・・蔵前国技館の時代には、柳橋地区には高砂部屋などの相撲部屋がいくつかあり、朝潮(元大関)、高見山、小錦などと、駅周辺で出会うことも多かった。 現在は、相撲部屋も移転し力士の姿は浅草橋から消えた。
・・・・・・・・・・・・・料亭「いな垣」・・・・・・・・・柳橋地区の中央、隅田川縁にあった料亭「いな垣」。平成11年(1999)に閉店し、現在は料亭時代の木造建物の一部をギャラリーとして残し、敷地の大半はビル・駐車場となっている。・・・・・・・・蔵前国技館の時代は横綱審議委員会の会場は「いな垣」であった。 当時の委員長は舟橋聖一、高橋義孝など、風格のある人が多く、料亭前に黒塗りの車がズラリと並び壮観であった。
③弁天湯・・・・・・・・・我が家から徒歩1分の銭湯で、我が家に内風呂ができるまで、家族全員が利用させてもらった銭湯。(90歳の母は現在も利用中!) 台東区内では、現在最も南にあり、歴史のある浴場です。・・・・・・・・・柳橋に相撲部屋があったころは、若い力士が度々銭湯に来ていた。 カランの前で、私の隣りに二人分のスペースを確保して身体を洗う姿は、やはり大きかったね! 私が横目でチラリ覗くと、大きな身体の下に、小さなポコチン。 “俺の方が大きな!” 一安心した私。
④両国橋・・・・・・・・・・旧橋は関東大震災後解体され、南高橋に再利用された。震災後、隅田川に架かる他の橋と共に再建され、現在に至っている。 昭和7年(1932)に開通したゲルバー橋(連続桁の支点間にヒンジ(継ぎ目)を配し、安定した構造の橋)で、下部工は間組の施工。総工費は98万7500円也。
・・・・・・・・・・・・・・・親柱は“両国の花火”にちなみ六尺玉を模したデザイン。
・・・・・・・・・・・・・・橋の柵には相撲の軍配・両国国技館の透かし・ポールの先っぽには小さな両国国技館がデザインされている。
・・・・・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)頃の両国橋。(Wikipediaより)・・・・・・対岸の丸いドーム屋根が旧両国国技館。
⑤回向院・・・・・・・・・・・浅草橋から両国橋を渡ると右に回向院がある。 明和5年(1768)から、回向院境内で勧進相撲が興行された。これが「大相撲」の起源となったようだ。 境内の「力塚」は、昭和11年(1936)に、相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したもの。 碑の玉垣には当時横綱:玉錦、武蔵山をはじめとして、力士の名が刻まれている。
・・・・・・・・・・・・・回向院山門と旧両国国技館跡に建つ複合施設「両国シティーコアビル」
・・・・・・・・・・・・・旧両国国技館は、東京駅を設計した辰野金吾と弟子の葛西萬司で、「大鉄傘」の愛称は当時のデザインに由来する。工事費用は27万円。 枡席約1000席を含む13000人収容の規模で、建物の内径は62m、中央の高さは25mであった。・・・・・・・・・・現在、跡地に建つ両国シティーコアビルの中庭に土俵跡を示す円形が標されている。
⑥力士像・・・・・・・・・・回向院から現両国国技館へ向かう国技館通りには、6か所に力士像がある。 台座には歴代横綱に手形が嵌め込まれている。
⑦現:両国国技館 ・・・・・・・・・旧両国貨物駅跡に昭和59年(1984)に建てられた新国技館。
・・・・・・・・・・・・・・只今、本場所中。力士は出勤して、お仕事、お仕事!
⑧両国の店・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・開店前の甘味処で「あんこあられ」をお土産にどうぞ! 煎餅にあんこを挟んだ、、、、、????
・・・・・・・・・・・・・・ちゃんこ屋さんは、まだ開店準備中。 店先は静かだ!
・・・・・・・・・・・・“相撲番茶”とは? 順序を変えて“茶番相撲”としたら、怒られるね!
・・・・・・・・・・・・・力士の御用達、キングサイズの店。
⑨相撲部屋・・・・・・・・・・両国界隈に多いね。 当たり前だ! チョイト、数部屋にお立ち寄り。
・・・・・・・・・・・・・春日野部屋・・・・・・・・・“春日野”といえば、元横綱:栃錦だ、思い出すね! 玄関先に並ぶ自転車は力士の足です。 パンクしない丈夫な自転車かな?
・・・・・・・・・・・・・出羽海部屋・・・・・・・・・・・名門の相撲部屋。
・・・・・・・・・・・・錦戸部屋・・・・・・・・・・・・元関脇:水戸泉が独立して起こした部屋。玄関先で私のカメラに立ってもらいました。
・・・・・・・・・・・・・式守?・・・・・・・・春日野部屋の近くにある住宅、名字が「式守」。 ひょっとすると行司の“式守”か?
⑩野見宿禰神社・・・・・・・・・・両国駅と錦糸町を結ぶ北斎通りに鎮座する、日本相撲協会の管理する相撲神社。 相撲の始祖とされる野見宿禰(のみのすくね)を祀る神社で、新横綱はこの社殿の軒先で土俵入りを披露するのが慣例となっている。・・・・・・・・神主・巫女さんもいない、社務所もない小さな神社だ。 境内は関係者以外、立ち入り禁止!
・・・・・・・・・・・・・・北斎通りを挟み、神社前で誕生した人が、あの「葛飾北斎」である。
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