桐ヶ丘団地
数日前、チョイト立ち寄った桐ヶ丘中央商店街の寂れた姿を見て、巨大団地の全容を見たく、今日の散歩先は桐ヶ丘団地とした。 1万2千歩、9km。
・・・・・・・・・・・・・桐ヶ丘団地は、赤羽駅から都市再生機構(旧住宅公団)の赤羽台団地を抜けた先にある都営のマンモス団地である。 団地は北側の「桐ヶ丘アパート」と南側の「桐ヶ丘一丁目アパート」で構成される。 周辺には「都営桐ヶ丘赤羽台アパート」、「都営赤羽西五丁目アパート」、「都営赤羽北三丁目アパート」などもある。 (空撮はGoogleマップを借用)
①赤羽駅・・・・・・・・・・・・・明治16年(1883)に日本鉄道が上野~熊谷間に開通。 2年後(明治18年)には、現:埼京線の経路で品川駅に至る分岐線を開通するのに合わせ、分岐駅として赤羽駅が開業した。・・・・・・・・明治の面影は何処にも残っておらず、現在は最上層に新幹線が通り抜ける立派な高架駅である。・・・・・・・・・近くの岩淵水門に在った土木研究所でバイトをしていた頃(50年前)、当時は盛土下に駅舎があり、ホームからは駅前のバス乗り場を見下ろすこともできた。 懐かしい駅だ!
②大坂・・・・・・・・大坂(おおさか)は、赤羽駅西口から赤羽台団地の東端へ登る、古くから往来の多い坂らしい。 説明できないが、私の右脳を刺激するパワーが宿っている坂だ、気に入った!
③赤羽台東小学校・・・・・・・・・・・・昭和39年(1964)に、赤羽台西小学校の生徒増により分校として、団地の東端に誕生した赤羽台東小学校は、設立40周年になる平成17年(2005)に生徒数の減少で廃校となった。 ピーク時には700人いた児童も、廃校時には54人となった。 団地の世帯構成が大きく変わったのだ、跡地は老人ホームにでもなるのかな?
④桐ヶ丘体育館・・・・・・・・・桐ヶ丘アパートと桐ヶ丘一丁目アパートの境に、オリンピック東京大会を記念して、昭和39年(1964)に竣工した八角形の体育館が建っている。 築50年経ち老朽化が進み雨漏りもするようだ、改築の話もあるようだが、具体化までにはまだ数年かかるらしい。 2020年のオリンピックまでに間に合わせ、再び東京オリンピック記念の体育館となることを期待したいね!
⑤桐ヶ丘団地・・・・・・・・・・昭和34年(1959)から建設され、現在も建替え・取り壊しなどが行われている。 「桐ヶ丘アパート」は、約150棟:2200戸の規模となっている。 住棟は北地区、西地区、東地区に分かれている。 「桐ヶ丘一丁目アパート」は、約20棟:1500戸の規模である。 建物は築50年以上経過し老朽化したものも多く、また住人も高齢化率50%以上となり、“二人に一人は高齢者”となった。・・・・・・・・・日中は、公園で遊ぶ子供もなく、若い夫婦の姿も見えず、一人で歩く老人の姿をたまに見かける、静かな団地だった!
・・・・・・・・・・・・・・人影を見つけるのが難しい、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・・住棟の北側は築50年の香がするね!
・・・・・・・・・・・・・・・南側は増築して一部屋分広くし、築50年の汚れを隠したね!
・・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘一丁目アパート」では、取り壊し、更地化、高層化が進んでいる。
・・・・・・・・・・・・・・・中央公園では、三人のお年寄りの姿を見ることができた。 でも、三人は言葉を交わすこともなく、バラバラ、、、、
・・・・・・・・・・・・・中央商店街に再訪。 今日も店は開いてない!
・・・・・・・・・・・・・中央商店街で一軒の味噌屋(乾物屋?)が開店準備中。 80歳ぐらいのおじいさんが店主だ。 味噌樽の上には、おじいさんが描いた絵がギッシリと飾られていた。 額縁も竹・段ボールなどで器用に作られている。 『遠くから絵を見に来てくれるお客がいて、ついでに何か買って行くよ!』と、話していたね。 私も缶コーヒーを買って、散歩を続けた、、、、、、
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桐ヶ丘団地をあとにして北赤羽駅へ向かう、、、、、、、