神田川(せせらぎ橋~大東橋)
高田馬場駅からせせらぎ橋にでて、大東橋から東中野駅まで、神田川を遡る散歩です。1万2千歩、9km。
①チョイト、昭和レトロの香・・・・・・・・・・・・高田馬場で撮影
・・・・・・・・・・・・・・・タッパの低いコンクリート製の門柱、一時代前の玄関のガラス扉。 中から、サザエさんのカツオ君がバットを持って飛び出してきそうな雰囲気だ!
・・・・・・・・・・・・・・銅板建築の3軒長屋。
②茶道会館・・・・・・・・・・高田馬場3丁目に、昭和25年(1950)に完成した、数寄屋作りの茶道会館がある。ここは、裏千家の稽古場のようだ。敷地内にはゆったりとした緑の庭園があり、静かに、一服所望できそうだ!
③せせらぎ橋・・・・・・・・・・前回はここまで、今日はここから、神田川下流から47番目の橋。
④落合水再生センター・・・・・・・・・・・処理場屋上を拝見! 公園風に造られているが、ところどころには、開閉装置のハンドルのようなものが出ている。 この下で、汚水が綺麗な水に再生されているのだ!・・・・・・・・・・・落合水再生センターは、昭和39年(1964)の処理場建設当初から、周辺住宅地のことを考慮して臭気が発生しないように、処理施設をコンクリートでふたをして、その上に公園を造り緑の空間にした。 さすが、首都東京の下水道局だね!
⑤久保前橋・・・・・・・・・・・再生センターの前に架かる、48番目の橋。 現橋は昭和61年(1986)に架けられた。
・・・・・・・・・・・・・・橋の近くに、「大正拾五年六月竣工 久保前橋 新設 記念碑」なる碑が残されている。 碑の裏には寄付者芳名と、「落合町金千六百四拾円」、「戸塚町金千六百四拾円」と刻まれている。 川の両側の町で同額の寄付金を出し合って架橋したのであろう。
⑥小滝橋・・・・・・・・・・小滝橋は江戸時代には既に架けられていたらしい。 名の由来は、下流に堰があって小さな滝のようだったという。 解りやすい命名だ!・・・・・・・・現橋は昭和61年(1986)に架けられて。橋上は早稲田通りである。・・・・・・・・・小さな橋だが、近くに戦前から都営バス小滝橋営業所があり、「小滝橋車庫」行きの表示をしばしば目にしたので、変に有名な橋だ!
⑦亀齢橋・・・・・・・・・・・綺麗な川に綺麗な橋(?)、その名は亀齢橋(きれいばし)。
⑧旧中野区立東中野小学校・・・・・・・・・・・・・・・亀齢橋の西側に高台の上に、昭和31年(1956)に開校し、平成21年(2009)に閉校した旧中野区立東中野小学校がある。 50年前の近代的なデザインで建てられた学校である。
・・・・・・・・・・・・・学校の横に在る坂。(無名の坂のようだ) 真直ぐ伸びるキツイ勾配の坂。 坂の上には何か期待できる喜びがあるような雰囲気の坂だ! いいね。
⑨南小滝橋・・・・・・・・・・・・新宿区北新宿と中野区東中野を結ぶ橋の一つ。
・・・・・・・・・・・・・・南小滝橋から眺める神田川
⑩竹中工務店家族寮・・・・・・・・・・・南小滝橋の横に、垢抜けた共同住宅があった。 竹中工務店の家族寮だ。 商売柄、いい建物だね!
⑪大東橋・・・・・・・・・・・今日、最後の橋は52番目の大東橋(だいとうばし)。 昭和63年(1988)の竣工。 JR中央線が神田川を越えるスグ北に位置し、橋の西側はかつての結婚式場「日本閣」である。
⑫ユニゾンスクエア・・・・・・・・・・・・年輩の人で知る人の多い、東中野駅前のかつての「日本閣」は平成16年(2004)に休業し、跡地を再開発した。 跡地はユニゾンスクエア(Unison Square)と称し、2棟の高層マンションとスーパーマーケットなどの商業施設さらに、「West 53rd 日本閣」としてリニューアルされた日本閣で構成されている。・・・・・・・・大正9年(1920)に当地で創業した日本庭園のある日本閣の姿は消え、超高層マンション下の5階建ての式場に変わった。
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