東京タワー
正月の寺社巡りは飽きたので、スカイツリーに上る前の予行練習(私は高い所が苦手なので)を兼ね、妻と東京タワーに行くことにした。 8千歩、6km。
①芝大神宮 ・・・・・・・・・・・寛弘2年(1005=平安中期)の創建で、天照皇大御神・豊受大御神を主祭神とする歴史ある神社。 江戸時代には将軍家の庇護を受け、明治になると准勅祭社・府社に列格した権力ある神社。 現在の:新橋・芝公園・浜松町・芝大門・海岸・東麻布などの広い地域を氏子とする動員力ある神社。 境内の石段を上がる手前には「貯金塚」なる碑が建ち銀行がバックについている財力ある神社。 巫女さんは若手美人が多く参拝が楽しくなる集客力ある神社。 文化2年(1805)には境内で、江戸町火消し「め組」と相撲の力士による乱闘事件「め組の喧嘩」が発生し話題性に富んだ神社。
・・・・・・・・・・・・ついでに、神社の北側には、昭和50年頃まで「芝神明花街」として三業地が存在していました艶っぽい神社。 大正時代には料亭40軒以上、芸妓120名以上で花街の全盛だった。
②増上寺・・・・・・・・・・・東京タワーに行くには通り道の寺なので、とりあえず参拝して行こう!
・・・・・・・・・・・・・朱漆塗のデカイ門は三解脱門・・・・・・・・・現在の門は、徳川幕府により元和8年(1622)に再建された。 門の2階は非公開らしいが、チョイト拝見したいね!
・・・・・・・・・・・・・三解脱門の左隣の旧方丈門・・・・・・・・三解脱門が参拝客が出入りする表門(本当の表門は大門)とすると、こちらは駐車場につながる裏ゲートである。・・・・・・・・・その昔は、黒漆塗りの増上寺方丈の表門であった。 三代将軍家光の寄進で、慶安年間(1648~1652)の建立とされている。 国の重要文化財には指定されておらず、都の文化財となっている。 だいぶ風蝕しているので、チョイト修理してほしいね!
・・・・・・・・・・・・旧方丈門の脇に「土木建築殉職者慰霊塔」がある・・・・・・・・・全国建設業協会が昭和12年(1937)に建立した、建設業での殉職者約6万2千柱を合祀した慰霊塔。 平成8年(1996)に改修工事が行われ、塔の中からは当時の竹中藤右衛門(竹中工務店初代社長)、鹿島精一(鹿島組(鹿島建設)社長)らが未来に託した漆塗りの箱が発見されたそうだ。 タイムカプセルで、100年後の平成52年までは封印されているため内容は???・・・・・・・・・ゼネコンで禄を頂いた私にとっては、諸先輩の霊を弔う場所の一つである。 妻と二人で合掌!
・・・・・・・・・・・・・経蔵・・・・・・・・・・・徳川幕府の助成により、慶長10年(1605)に建立された経蔵は内部中央に八角形の輪蔵を配する、八間四面、土蔵造りの典型的な経蔵である。 つまりは、大きな蔵だ!
・・・・・・・・・・・・・大殿・・・・・・・・・旧本堂は戦災で焼失し、昭和49年(1974)、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で大殿(本堂)が再建された。 正面に本尊阿弥陀如来(室町期製作)が祀られている。
③東京タワー・・・・・・・・・・・・・・昭和33年(1958)に竣工した高さ333mの電波塔。 施工は竹中工務店。・・・・・・・・今日は、久しぶりに夫婦で見学。 私達も、『スカイツリーが見える!』、『富士山はどこ?』、『あの橋はレインボーブリッジ?』、、、、、まるで遠足気分! 塔の下のビルでは、『蝋人形館がないね!』、『科学館が無くなった?』、『タワーの形した鋳物の置物売っていないね?』、、、、これまた、思い出話だ!
●・・・・・・・・・・・・展望台では恐怖を感じず。 ヨシ、今度はスカイツリーだ!