新小岩~四ツ木
松の内は年始客の合間の散歩となり、今日は3時過ぎのお出かけとなった。 総武線新小岩駅から荒川の左岸を上り京成押上線四ツ木駅まで、1万歩、7kmの歩きです。
(一昨年、ほぼ同じコースを四ツ木から新小岩に向かって歩いている。 →こちら)
①巽橋・・・・・・・・・新小岩駅北口駅前の道を行くと蔵前橋通りと平和橋通りの交差点にぶつかる。 ここが巽橋(たつみばし)交差点である。 この交差点の下に、運河「西井堀」が流れていた。 運河は暗渠化され巽橋の遺構として、昭和初期(?)の竣工と思われるコンクリート造りの親柱・欄干が残されている。 暗渠上の道路は車止めもあり車は入れない、中途半端な整備だな!
②上平井水門・・・・・・・・・・・中川と綾瀬川の合流点に昭和45年(1970)に完成した上平井水門。 有効幅員30m×4連の大きなスケールの鋼製ローラーゲート形式(扉の両側にローラーを取り付け引きあげて開閉する)水門で、高潮や津波による中川の洪水を阻止し、中川・綾瀬川流域の街を水害から守るのが役目である。・・・・・・・・・この水門、建設当時の金額で約23億円也。 都民を水害から守るのであれば安いかな!
・・・・・・・・・・・・・・上流側から眺めると・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・水門の脇に見える斜張橋は「かつしかハープ橋」
③上平井橋・・・・・・・・・・上平井橋は上平井水門の上流で、綾瀬川と中川が合流する直前の中川に架かる橋。 昭和三十年代に架け替えられた、下路曲弦ワーレントラス橋。 話題の無い、影の薄い橋。
④浄光寺(木下川薬師)・・・・・・・・・・・・・嘉祥2年(849=平安初期)に創建された天台宗の古刹。通称、木下川(きねがわ)薬師と呼ばれている。 江戸時代には徳川家の祈祷所・御膳所として庇護され、江戸名所として賑わっていた。・・・・・・・・・現在地は東四つ木1丁目だが、以前は荒川の“川のど真ん中”にあった。大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、立ち退き、現在地に移転した。
⑤木根川商店街・・・・・・・・・葛飾区東四つ木で2軒だけが営業中の商店街。
・・・・・・・・・・・・・正月早々、理容店"タジマ"の灯りがともる商店街入り口
・・・・・・・・・・・・・左右の店を結ぶ、渡り廊下の下を入ると、商店が続いていた。
・・・・・・・・・・・・・かつては寿司屋や鳥料理店、電器店、美容室なが左右に並び、奥に銭湯「宝湯」があったそうだ。 その頃は商店街名も「宝商店街」と称し、銭湯を中心とした昭和の街があったそうだ。 屋根がないアーケードに白熱電球が寂しそうに灯った!
・・・・・・・・・・・・・・理容店とともに頑張って営業を続ける中華食堂"宮城"。
⑥荒川左岸の土手を行く・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・綾瀬川 に架かる東四つ木避難橋。 昭和62年(1987)に架けられた、東四つ木地区から荒川左岸堤防への避難用人道橋。 橋の正面にはスカイツリーがお出迎えしてくれる。
・・・・・・・・・・・・・荒川土手から見ると、左側に綾瀬川、右側に荒川、正面にハープ橋が見える。
・・・・・・・・・・・・土手の上では、まだ見物人はいないタップダンス練習中の男性、寒い中で語らう熱いカップル、衰えを感じジョギングに活路を開く中年カップル。
・・・・・・・・・・・・・日が落ちてきた、河川敷での練習を終え帰るぞ! 後を追う、PTA!
・・・・・・・・・・・・・木根川橋・・・・・・・・・昭和44年(1969)完成した、墨田区八広と葛飾区東四つ木とを結ぶ鋼トラス桁の橋。
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