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2014年2月

2014年2月26日 (水)

池袋~中井

池袋駅から、西武池袋線の椎名町駅、西武新宿線の中井駅を通り、都営大江戸線中井駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①東京芸術劇場・・・・・・・・・・池袋駅西口のシンボル的な施設で、学芸大附属小学校の跡地に、平成2年(1990)、東京都が総事業費320億円で建てた総合文化施設。 建物は大・中・小のホールと展示室を中心とした構成で、設計は芦原建築設計研究所、施工は大成建設・間・他6社のJV。・・・・・・・・・“でかい!”の一言。

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②大きなアパート・・・・・・・・・・・・西池袋の裏通りに、40部屋以上ある木造のアパートがある。 ズラリ並んだ郵便受けはスゴイね!・・・・・・・・建物は昭和57年(1982)の建築。

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③長崎不動尊・・・・・・・・・・・・西武池袋線の椎名町駅北口の正面に、旗がたなびき不動尊が祀られている。お堂は真言宗豊山派の金剛院山門へ向かう参道脇にある。・・・・・・・・不動尊は、金剛院の住職が昭和21年(1946)10月に地域の守護仏として祀ったものだ。 ちなみに、祀った年月は私の誕生日と同じ、私は仏の分身かも?

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④小野田製油所・・・・・・・・・中落合3丁目で目白通りに面して、江戸時代から続く「玉締め法」と呼ばれる伝統的な技術で「ゴマ油」を製造・販売する小野田製油所。・・・・・・・・店と母屋を兼ねた建物は、昭和7年(1932)のモダンな建築。 左側に隣接する工場には2階の妻に屋号が標されている。 「ごま油」の老舗!

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⑤大正モダンの住宅・・・・・・・・・・「目白文化村」と称し、大正11年(1922)~大正14年(1925)にかけ、現、落合・中井一帯の地域を西武系の箱根土地(株)が分譲した宅地。 その文化村当時の、貴重な面影の残る住宅が2軒、日本画家のW邸とI邸が、並んで残っている。(写真はパノラマに合成)

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・・・・・・・・・・・・・W邸・・・・・・・大正期の大工は、洋風住宅を建てる技量が不足していたため、宮大工が建てたそうだ。昭和初期に2階が増築され、1階にあったアトリエを2階へ移動した。 白ペンキの板張りの垣根がオシャレだね!さすが画家のアトリエだ!

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・・・・・・・・・・・・I邸・・・・・・・・・白の出窓にシュロの木、いいね! 大正の匂いが残る玄関まわりもサイコ~!

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・・・・・・・・・・・・Y邸・・・・・・・・・・文化村では昭和20年(1945)の空襲では70%以上の住宅が焼失したそうだ、残された住宅の1軒。 こちらは、だいぶ劣化したようで、なんとなく取り壊しが予感される。

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⑥中井の住宅・・・・・・・・・・・・・新目白通りを渡り中井2丁目に入ると、数軒の歴史ある建物が目についた。

・・・・・・・・・・・・・・H邸・・・・・・・・・・玄関わきの丸窓が歳月の経過を物語っている。 こちらは、故あって50年前訪問したことがある、懐かしいい住宅だ。

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・・・・・・・・・・・・・A邸・・・・・・・・・・・大正15年(1926)の建築で、文化村のできた当初からの木造住宅だ。 こちらの93歳のお元気なおばあちゃんには、19歳で嫁いできて、ご近所には武者小路実篤、李香蘭など有名な方もいた、NHKが建物の取材に来た、庭が以前は広く桜が綺麗だったなど、楽しいお話を聞かせてもらった。

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・・・・・・・・・・・・・・Y邸・・・・・・・・・昭和初期の建物か?

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⑦林芙美子記念館・・・・・・・・・・記念館になっている数奇屋風の木造住宅は、『放浪記』・『浮雲』などを書いた作家:林芙美子が、昭和16年(1941)から昭和26年(1951)にその生涯を閉じるまで住んでいた家だ。 林芙美子は大正11年(1922)に上京し、多くの苦労をして、昭和5年(1930)に落合の地に移り住み、昭和14年(1939)にはこの土地を購入し、新居を建設した。 建物は建築家:山口文象(1902~1978)の設計によるもので、京風の繊細で落ち着きある佇まいを表現している。 

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2014年2月25日 (火)

千葉県水道局千葉分場

一月ほど前、千葉大医学部を拝見したが、実はその時帰りに千葉大附属病院の隣りに在る千葉県水道局の給水塔を見て帰る予定だった。 しかし、時間が不足し見ることができず、今日、改めて見に来た次第である。

①千葉大医学部附属病院・・・・・・・・・・・只今、正面玄関右隣に新外来棟を建設中で、近くに行くと仮囲いが邪魔して写真は撮れなかった。仕方なしに、案内資料(『←給水塔』の文字は私が加筆)を頂戴してきた。

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・・・・・・・・・・・・表紙中央の建物群は全て渡り廊下でつながり、内部に入ると廊下が迷路のようで、巨大な病院であることが実感できる。 よそ者がウロウロしている姿を見られるとまずいので、静かに深く潜行して給水塔が見える場所を探したが、1階の外来部分には給水塔の見える場所が見つけられなかった。 どうしても見たかったら、入院して高層棟の上からならOKかも。・・・・・・・ちなみに病院の実力は、資料によると医師740名、看護師等955名、医療技術職員281名、入院患者数(1日当たり)761名、外来患者(1日当たり)1985名。 デカいね、凄いね、なんとなく怖いね!

②千葉県水道局千葉分場・・・・・・・・・・・給水塔は千葉浄水場(千葉県水道局千葉分場)の施設の一部である。 浄水場は、千葉大附属病院と並んで給水塔・配水池の在る台地の上の部分と、台地の北側に都川を挟み位置する、ポンプ施設などのある本館部分に分かれている。(空撮写真はGoogleマップより)

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・・・・・・・・・・・・給水塔・・・・・・・・・千葉県営水道が創設された、昭和10年(1935)から昭和12年(1937)にかけて建設された。 鉄筋コンクリート造5階建て、高さ30m、正12角形の平面形状、屋根は円錐形、デザインはアール・デコ風。 どっしりと落ち着いた風格ある建物だ!・・・・・・・・・塔は現役で活躍しており、1階はポンプ室、上部には内径11m、水深5mの水槽が在るそうだ。 国登録の有形文化財。・・・・・・・・・高台に在る塔の撮影には苦労した、、、、、、下から見上げられそうだが、周囲は木立で囲まれ、なかなか全体が見える場所が無かった。 ナイショだが、近くのマンションの屋上から撮らしてもらいました。

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・・・・・・・・・・・・・・・墓地からパチリ。

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・・・・・・・・・・・・・・窪地からパチリ。給水塔の右の低い建物は配水池と思われる。 配水池は木立の中だ。・・・・・・・・・配水池も給水塔と同じ昭和12年(1927)の竣工。鉄筋コンクリート造、有効水深4.3m、内径29m。

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・・・・・・・・・・・・・給水塔のある高台は無人の施設で、都川から上るゲートは施錠されている。

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・・・・・・・・・・・・・本館側から、都川に架かる水源橋(昭和54年(1979)竣工)を通して見る給水塔のある高台。 橋の正面には、送水管と高台に上る階段が見える。

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・・・・・・・・・・・・・本館正面ゲート、もちろん立ち入り禁止。 本館建物は年代不詳だが、おそらく給水塔と同時期と思われる。

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・・・・・・・・・・・・・・・・パノラマ写真を作ってみた。 右端:高台上に給水塔、下を流れる都川、川に架かるは水源橋、左端は本館建物。

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・・・・・・・・・・・・・・・・町中から眺める給水塔。

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2014年2月24日 (月)

浅草橋~草加

雪と寒さで、散歩も弱気だった。 昨日の東京マラソンに刺激され、今日は我が家(浅草橋)から草加まで歩いてきた。 途中、古い建物、寄りたい神社・教会も素通りし、目の前を通る美人に目もくれず、ただひたすら草加を目指し、頑張ってきた。 3万歩、22km。

●12:00・・・・・・・・誰一人声援を送ってくれることもなく、寂しく浅草橋をスタートする。 これより「江戸通り」(国道6号)を北へ向かう。

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●12:30・・・・・・・・東武スカイツリーラインの浅草駅を通過し、言問橋西詰。 『30分で浅草を通過すとは、今日は早いペースです。』

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●13:00・・・・・・・・山谷地区の中心、台東区と荒川区の境、泪橋(なみだばし)交差点を通過。

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●13:15・・・・・・・日光街道(国道4号)にぶつかり、これより日光街道を北上する。 合流点にある、南千住の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)にお立ち寄り。 神社の鳥居に几号水準点があるので見て行く。

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●13:30・・・・・・・・千住大橋を渡り、足立区に突入する。

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●14:00・・・・・・・千住新橋 を渡り荒川を越える。 橋の中程には、日本橋から9kmの地点を示す表示がある。

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●14:30・・・・・・・・足立区役所 にてトイレ休憩。 時間も順調だが、腸のほうも順調で、国道沿いに庁舎を建ててくれた足立区に感謝!

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●15:00・・・・・・・竹の塚駅前を通過。 草加まで、あと1時間、自分で自分に声援を送る『頑張って』。

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●15:18・・・・・・・足立区と草加市の境を流れる毛長川に到着。昭和32年(1957)竣工の水神橋を渡り、草加市に突入。 橋も川も、もう少し手をかけ綺麗にしてほしいね!

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●15:30・・・・・・・・谷塚駅の近くの富士浅間神社に到着。 この神社の本殿は天保13年(1842)に再建された。 谷塚駅は草加駅の一つ手前だ、もうひと頑張り!

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●15:42・・・・・・・・草加市吉町5丁目交差点の「火あぶり地蔵」前を通過。 ここは昔の処刑場跡であったらしい? 「火あぶり地蔵」については、娘が火あぶりの刑になる悲しい母娘の物語があるのだ!(物語は長くなるのでカット)

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・・・・・・・・・・・・・・火あぶり地蔵の近くに建つ三角屋根の住宅。 塀の外からパチリ!

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●16:00・・・・・・・・旧日光街道の草加宿入り口(南端)に到着。 写真左の道が旧街道。 順調に草加に到着。 この宿場の北端にある神明宮を目指すのみ!・・・・・・旧街道沿いの建物をチラリと見ながら歩く余裕ができた。

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・・・・・・・・・・・・・・・草加市役所浅古家の地蔵堂。 江戸時代の豪商:浅古家の子育て地蔵尊。

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・・・・・・・・・・・・・・浅古正三家の建物、明治末期に完成。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の通りを過ぎ北へ向かう。 享保年間に稲荷社を祀ったのが始まりと言われている八幡神社がある。 誰も常駐していない、裏道のような荒れた参道の神社だった。

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・・・・・・・・・・・・・・明治初期の町屋建築として貴重な藤城家

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・・・・・・・・・・・・・・久野家(大津屋)は、安政2年(1855)の大地震に耐えた町屋建築。

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●16:15・・・・・・・・・今日の目的地である神明宮に到着。 かつて、草加宿の総鎮守とされていた神社である。 ここには、鳥居の脇に明治時代の水準測量の基準となった几号水準点が残されている。・・・・・・・・これにて、今日の目的は達成、草加駅へ行くぞ!

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●16:25・・・・・・・・旧草加小学校西校舎は、大正15年(1926)の建築で埼玉県内初の2階建て鉄筋コンクリート造校舎。 屋上には山形のデザインを施し、窓は1階・2階とも縦長の2連の窓で、特徴づけられた学校。

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●16:30・・・・・・・・・ゴールの草加駅に到着。 『お疲れ様』、また自分で自分の労をねぎらい、チョイト寂しいね! ゴールでは、美人が出てきて抱きついて、濃厚な口づけをしてくれたら、一気に疲れは吹っ飛ぶのだが、、、、(オリンピックなら期待できる場面だ!)

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2014年2月23日 (日)

東京マラソン

午前11時の気温5度、かすかに小粒の雪が舞う浅草橋。 寒い中での東京マラソン、ご近所の人もボランティアで駅前に出て救護を担当、私も野次馬根性で応援に参加。 散歩は休みです。

・・・・・・・・・・・・・・駅前は応援の人で、チョイト混んでるね!

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・・・・・・・・・・・・・・ランナーが来た! 

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・・・・・・・・・・・・・・おや、足が揃っているね! 練習したのかな?

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・・・・・・・・・・・・・・有力ランナー、、、『頑張れ~~』の応援が一段と大きくなる。

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・・・・・・・・・・・・・・女子ランナーには、『頑張れ~~、頑張れ~~』、も一つ『頑張れ~~』。

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・・・・・・・・・・・・・・市民ランナーも奮闘!

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・・・・・・・・・・・・・・・真剣な眼で競技を見守る人。 審判員?

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・・・・・・・・・・・・・・・沿道で恋人の応援。 遅いな~、心配だ! 転んだかな?

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・・・・・・・・・・・・・・・まだ出場している社員が到着しないようで、上司は携帯で到着を確認中。 走るのも、応援するのも、仕事かな?

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・・・・・・・・・・・・・・・楽しそうに走るランナー、応援も楽しそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・『早く見たいの、ダッコして!』

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・・・・・・・・・・・・・・AEDを背負ってボランティアも参加

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・・・・・・・・・・・・・・『撮影中』を撮影。

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・・・・・・・・・・・・・『タバコを吸いながら走るのはやめましょう』、只今、監視中!

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・・・・・・・・・・・・・・・通行止めの千葉街道はガラガラ、コーヒーショップの出店もガラガラ、店員さんは寒さに震えトイレかな?(本当は、私が寒くて買いたかったの!)

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・・・・・・・・・・・・・・・浅草橋で応戦がすんだ方は、屋形船でゴールのビックサイトまで無料で送ります。 これも、ボランティアだ、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・我が家へ戻る道は、まだ車両通行禁止。 寒い中、警備、御苦労さま。

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2014年2月21日 (金)

北千住~南千住

北千住駅で下車したが、東へ歩こうか、西へ歩こうか迷い。 センスのいいお姉さんの後について歩いたら、南口(仲町口)に出た。 よし!駅前のゴチャゴチャした飲食店街、路地を通勤の人にまじり歩いてみよう! 千住1丁目・2丁目、千住仲町、千住河原町を踏破し、千住大橋を渡って南千住駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①仲町出口前の飲食店街・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・北千住駅南口・・・・・・・・・平成17年(2005)、つくばエクスプレスの駅が開業し、同時にJR・東武・東京メトロ(千代田線)が南口(仲町方面出口)の供用を開始した。 2階部分が改札フロアーで天井も高く、明るく気持ち良い空間が創られている。

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・・・・・・・・・・・・・・北千住駅南口(仲町出口)を出ると、道路の向かいに3階建ての長~~いビルが在る。

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・・・・・・・・・・・・・・このビルは広い道路に面した方が裏手で、ビルの途中途中にある通路を通し表側に出られるようになっている。

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・・・・・・・・・・・・・通路を抜けると、そこは飲み屋街だ。 こちらが正面だ!

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・・・・・・・・・・・・・・こんなビルがなぜできた? 私の答え、、、、、、ここには以前から飲み屋街があり、このビルのある土地の下に地下鉄千代田線の北千住駅を造ったため、地下鉄建設に伴い、ビルとして建て替えた。 その証拠に、地図を見ると地下鉄駅とビルが重なっている。 さらに、飲み屋街の片側はこのビルだが、反対側はゴク普通の戸建ての建物が並んでいる。 そして、飲み屋街の南端に行くと、そこには地下鉄千代田線の出入口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・上記の出入口の裏側の細い道には、何やら東京メトロが管理する、フェンスに囲われたコンクリート構造物があった。・・・・・・・・・・どうやら、上部に穴が開いている換気施設の一部らしい。 この下に千代田線が通っているのだ!

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金蔵寺 ・・・・・・・・・千住1丁目にある、真言宗豊山派の寺。 千住に来ると手を合わせたくなる不思議な寺だ!・・・・・・・・・・・近くに、もう一つ手を合わせたくなる寺として浄土宗の勝専寺 がある。 今日は地元の方の葬儀があるようで、撮影は遠慮した。

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③喫茶「蔵」・・・・・・・・・・・・千住1丁目の路地の奥に入っていくと、喫茶店「蔵」がある。・・・・・・・・・関東大震災直後に建てられた、大倉屋質店の蔵を改造した店だ。 外壁の看板文字と家紋が、しっかりと残されているね!

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④森鴎外が住んでいた足立都税事務所・・・・・・・・・・・千住1丁目の都税事務所が在る地は、かつて森鴎外の父が開業した「橘井堂森医院」の跡地である。 鴎外は19歳で東大医学部を卒業後、明治17年(1884)のドイツ留学までの4年間ここに住んでいたそうだ。(写真中央に碑がある)・・・・・・・・・都民税納めたかな?

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⑤慈眼寺・不動院・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・千住1丁目の南詰に在る、新義真言宗の慈眼寺は、正和3年(1314=鎌倉時代)に創建された。 江戸時代には将軍が鷹狩で休息する場所として、立ち葵の紋が認められた、由緒ある寺だ。 

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・・・・・・・・・・・・・・・慈願寺とは地続きで隣りに不動院がある。こちらも新義真言宗の寺で、は、元弘2年(1332=鎌倉時代)の創建。 元々は慈願寺の護摩堂であったが独立して一寺となったそうだ。 御本尊はもちろん不動明王である。

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⑥仲町氷川神社・・・・・・・・・・千住は神社の多い町で、“氷川神社”は北千住だけでも4社もある。仲町氷川神社は、その名のごとく千住仲町の氷川神社である。 延喜年間(901~923)に北千住の隣り町「牛田」に鎮座していたのを、元和2年(1616)に現在地に遷座した。 由緒ある神社。・・・・・・・・・・・いつか、千住の「氷川神社めぐり」をしてみよう!

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⑦千住河原町の路地・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・今日の路地裏探検はここからスタート! 

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・・・・・・・・・・・・・まだ、雪が所々にチョイト残っているね。 行けども行けども、クネクネ曲がる路地だ!

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・・・・・・・・・・・・・私が小学生の頃(昭和30年代)には、我が家(浅草橋)の周辺にも見られた、“路地裏のそろばん塾”。 懐かしい路地の光景が残っていた。

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・・・・・・・・・・・・路地の終点は、京成本線高架橋の前だった!

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⑧千住大橋・・・・・・・・昭和2年(1927)に開通した、隅田川に架かる震災復興橋のひとつ。設計は四ツ木橋白鬚橋などを手掛けた増田淳、施工は石川島造船所。・・・・・・・・・現在は東側に昭和48年(1973)新橋が増設され、上下線分離して使用されている。

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●・・・・・・・・・・・・千住大橋を渡ると荒川区となる。来たついでに荒川区立荒川ふるさと文化館で、「番付から見る あらかわ」展を拝見。 江戸時代に作成された相撲番付風のランキング表が展示されていた。 有名な川、稲荷神社、名薬、飯盛旅籠、仇討、名物、茶屋など、各種番付が展示されていた。(撮影禁止)・・・・・・・・江戸時代の庶民の情報源だ!

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2014年2月19日 (水)

旗の台

都営地下鉄浅草線の中延(なかのぶ)駅から、いつものように、表通りをブラブラ、裏道をグルグル、路地をクネクネ歩き回り、結局元の中延駅に戻ってしまった。1万1千歩、8kmの散歩です。

中延駅 ・・・・・・・・・・東急の中延駅は昭和2年(1927)に目黒蒲田電鉄大井町線の駅として開業。 都営の中延駅は昭和43年(1968)に国道1号(第二京浜)の地下で開業した。 両駅の出入口は約50m程離れていて、乗り換え客は寒い一般道を歩かされる。 遅刻しそうで走る人もいるけどね!

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②中延商店街・・・・・・・・・・・東急大井町線・都営浅草線の中延駅と東急池上線の荏原中延駅を結ぶ、約330mの商店街。都会のまん中で、ゆっくりとお買物ができる地域密着のアーケード商店街です。・・・・・・・・・・時刻は8:30、店はまだ開いていないので、途中から商店街を外れて歩くことにした。

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③旗岡八幡神社・・・・・・・・・・・大井町線荏原町駅の北側に旗岡八幡神社(はたがおかはちまんじんじゃ)がある。 長元3年(1030=平安時代中期)、平忠常の乱を平定すべく、源頼信が下総へ赴く途中で、この地に宿営し戦勝を祈願したのが発祥らしい。 つまり、野宿した処だと思うよ!・・・・・・・・・・・社殿は昭和20年(1945)の空襲により焼失した。現社殿は、昭和39年(1964)に、鉄筋コンクリート造、八幡造形式(2棟の建物を前後にくっつけたて一つの建物とした形式)で再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・・旗岡八幡神社の隣りには、別当寺であった日蓮宗法蓮寺がある。

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④荏原町駅・・・・・・・・・・・東急大井町線の駅で、昭和2年(1927)の大井町線開業と同時に開業した。 大井町駅から4つ目の駅。 北側の出入口は法蓮寺の前にある。

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旗の台駅 ・・・・・・・・・・・・大井町線と池上線が立体交差する乗換駅、高架で上部を走る大井町線。高架下でのんびり走る池上線。・・・・・・・・大井町線のホームは昭和2年(19027)の開業時には、東洗足駅として現在位置より二子玉川寄りにあった。 池上線のホームは同じく昭和2年の開業時には、旗ヶ岡駅として五反田寄りに在った。 戦後の昭和26年(1951)、東急は両ホームを現在位置に移設し旗の台駅とした。・・・・・・・・・大井町線の高架ホームは近代的だが、池上線の昭和レトロの風情が残るホームはいいね!

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⑥稲荷通り・・・・・・・・・・・旗の台駅南側から中原街道までの約300m程を「稲荷通り」と称し、中原街道寄りに旗の台伏見稲荷神社が祀られている。・・・・・・・・・・大正15年(1926)の創建で、太平洋戦争の折、この神社に出征祈願した120名の兵は、全員が生還したと言われる、ありがたい神社。 でも、商店街を見るとシャッターが下りている店もある、お稲荷さんは商売繁盛の神様のはずだが? チョイト、力不足のお稲荷さんかな?

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⑦昭和大学・・・・・・・・・稲荷通りから中原街道を跨ぎ、昭和大学の前に出てきた。・・・・・・・・・昭和3年(1928)に昭和医学専門学校として設置された。 現在は、医学部、歯学部、薬学部、保健医療学部の4学部をゆうする大学。 昭和40年(1965)からは、山梨県富士吉田市のキャンパスで、1年次の全寮制教育を実施している。・・・・・・・・・・旗の台キャンパスは、医学部・歯学部・薬学部の学生が学んでいる。 校舎は正門中央の中庭を囲むように、統一されたデザインによる建物が配されている。

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・・・・・・・・・・・・・・正面左手の校舎の奥に、大学の創設者:上條秀介を記念して、昭和27年(1952)に建てられた「上條講堂」と「2号館」がある。

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⑧昭和大学病院・・・・・・・・・・・大学の斜め前、中原街道に面して建つ大きな総合病院。 昭和53年(1978)に竣工した、地上17階建ての入院棟と平成9年(1997)に竣工した地上11階建ての中央棟が、天に向かって建つ。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・病院前で中原街道を再び跨ぎ、しばらく歩くと数時間前に通った道に出た。 アリャ!コリャ!どうしたことか? 中延駅だ!

2014年2月18日 (火)

平和島~西馬込

京浜急行平和島駅から環七を通って東海道線を越え、龍子記念館を素通りして都営地下鉄西馬込駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①平和島駅・・・・・・・・・・・・・明治34年(1901)に京急が六郷橋~大森停車場間を開業する時、途中駅として同時開業した。 開業当時の駅名は「沢田」で、その後「学校裏」に改称し、昭和36年(1961)に「平和島」と称した。・・・・・・・・・私の知る平和島は、船橋ヘルスセンター、隅田川温泉などに対抗した、平和島温泉(レジャーランド)の時代だ、古い話である!

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②羨ましい通学・・・・・・・・・・・・朝、学校まで仲良く手をつなぎ通学です。右側の学校に入って行った。 私も手をつないで通学・通勤してみたかったね。・・・・・・・・・私の中学生時代は、手をつなぐことは以っての外、男女ペアで歩くことは不純と見られた時代だ。 その後遺症が残っているようで、男性ばかりの私立中・高等学校で思春期を過ごした私は、女性と会話する機会もなく、いまだに女性にはビクビクしている可哀そうな男となった!

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③オゥ~、桜だ!・・・・・・・・・・・大森のお屋敷には春が来ていた。

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④春日橋・・・・・・・・・環状七号線が大田区内を通る多くの部分は、戦前に道路工事が着工されていたそうだ。 その環状七号線が東海道線をまたぐ跨線橋が春日橋である。 昭和16年(1941)の完成。 橋名は近くの春日神社に由来しているのだろう。

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・・・・・・・・・・・・・・現在は、東海道線を越えた環七の車道は、引き続き春日橋陸橋により池上通りも越え、馬込方向へ進んで行く。

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⑤春日神社・・・・・・・・・・・天児屋根神(あめのこやねのかみ)を祭神とする、旧新井宿村(大田区中央1丁目付近)の鎮守。 鎌倉時代の創建らしいが不詳、奈良の春日大社から勧請した。 現社殿は昭和13年(1938)の建設で木造春日造りの堂々たるものだ。

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龍子記念館・・・・・・・・・・・・裏道を歩いていたら龍子記念館に出た。 日本画の巨匠:川端龍子の喜寿を記念し建てられたものだ。 今日は前を素通り、ゴメン!

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⑦馬込桜並木通り・・・・・・・・・・・・南馬込4丁目と6丁目の境、600m程の通りに約100本の桜が立ち並んでいる。 花が咲いたら見事な桜並木となることまちがいなし!

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⑧熊谷恒子記念館・・・・・・・・・・桜並木をチョイト100m程入ると、現代女流かな書道家:熊谷恒子の旧宅(昭和11年築)を改修した熊谷恒子記念館がある。・・・・・・・・・熊谷恒子は、明治26年(1893)京都に生まれ、鳩居堂を営む熊谷家に嫁ぎ、30歳過ぎに書を始めた。 書道界の第一人者で、皇太子妃美智子殿下(現:皇后陛下)へのご進講も務めた。 昭和61年(1986)没。・・・・・・・・・記念館には、女性の優しく清い筆の流れを感じる作品が展示されてる。(撮影禁止)・・・・・・・・・建物は昭和初期の面影を残す住宅として残されていた。

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2014年2月17日 (月)

神田川(淀橋~千代田橋)

中野坂上駅から淀橋へ、淀橋からは神田川に沿って千代田橋(中野新橋駅)へ、そこから北上し中野駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①淀橋・・・・・・・・・・前回の神田川橋めぐりの終点。 隅田川に最も近い最下流の柳橋から数えて59番目の橋。

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・・・・・・・・・・・・・橋の上を通るのは青梅街道

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・・・・・・・・・・・・・中本一稲荷神社・・・・・・・・・・青梅街道から急な石段を15段くらい登ると、チョイトした高台に神社はある。 創建時代は不明だが、300年の歴史ある神社らしい、ほんとかな~~。 社殿は昭和31年(1956)の再建。 神社の名「中本一(なかほんいち)」は、当神社のある旧地名が「中野本町通り一丁目」であった。 なんだ~~つまらない!

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②豊水橋・・・・・・・・・・・初めて橋が架けられたのは戦前のようだ。 現在の橋は平成11年(1999)に完成した。

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・・・・・・・・・・・・橋から東方の「十二社通り(じゅうにそうどおり)」に向け、「けやき橋商店街」が在った。 今は商店街の街路灯だけが残り、道の両側は西新宿5丁目再開発の工事用仮囲いで覆われている。

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●・・・・・・・・・・・・・神田川の上流は、豊水橋からほぼ100m間隔で橋が架けられ、橋の上から次の橋が間近に見える。 このあたりでは川から離れてブラブラすると、見落とす橋が出てきそうなので、一気に中野新橋まで歩くことにした。 豊水橋から相生橋を見る。

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③相生橋・・・・・・・・・・・現在の橋は平成11年(1999)の完成。 相生橋(あいおいばし)は下流から61番目の橋。

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④菖蒲橋・・・・・・・・・・・・62番目は菖蒲橋(あやめばし)。 この橋も、平成11年(1999)の完成。・・・・・・・・・小滝橋から菖蒲橋までの神田川は、中野区と新宿区の区界となっている。 菖蒲橋から上流はしばらく中野区内を流れることになる。

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⑤宝橋・・・・・・・・・・室町時代の商人:鈴木九郎は、神田川が流れる現在の中野坂上から西新宿一帯を開発し財を成した。 その中野長者も喜びそうな橋名だ! この橋も、平成11年(1999)に完成した。

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⑥長者橋・・・・・・・・・・・山手通りを通す橋。 この橋の北側に成願寺という寺があり、中野長者(鈴木九郎)の住居跡とされている。・・・・・・・・・現橋は平成15年(2003)前後の完成。おそらく山手通りの整備と並行して完成したようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・山手通り・・・・・・・・道路中央に長く建つ、首都高中央環状線の換気塔がシンボリックだ!

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⑦東郷橋・・・・・・・・・・65番目は、平成12年(2000)に完成した東郷橋(とうごうばし)。

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⑧桔梗橋・・・・・・・・・・66番目は、同じく平成12年(2000)完成の桔梗橋(ききょうばし)。

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⑨皐月橋・・・・・・・・・・67番目は、これまた平成12年(2000)完成の皐月橋(さつきばし)。・・・・・・・・・・・橋の袂には富士山型した鉄筋コンクリート造の神社らしからぬ神社が在った!

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⑩中ノ橋・・・・・・・・・・・68番目は、またまた平成12年(2000)完成の中ノ橋(なかのはし)。

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⑪月見橋・・・・・・・・・69番目は、まだ続く平成12年(2000)完成の月見橋(つきみばし)。・・・・・・・・・・・完成時期が同じとは、、、、、護岸工事に合わせすべての橋を架けかえているようだね。

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・・・・・・・・・・・・・・・月見橋から見る新宿超高層ビル

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⑫花見橋・・・・・・・・・70番目は、まだある平成12年(2000)完成の月見橋(つきみばし)。 なんだか、橋名もいい加減に付けたような気がして来たね!

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⑬桜橋・・・・・・・・・・・・・71番目は、この橋も平成12年(2000)完成。 川岸は花見するような桜が見渡らない桜橋(さくらばし)。・・・・・・・・・橋が多く、命名に苦労しているのかも? 

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⑭新橋・・・・・・・・・・・72番目は、平成23年(2011)に完成し、架け替えられた新橋。 この付近は昭和60年頃までは花街だったそうだ(知らなかった!)、朱塗りの欄干が風情を残している。 後日、花街の面影を求めてこの付近を探索することにしよう!・・・・・・・・・・橋の袂の公園には、旧橋の擬宝珠(ぎぼし)が残されていた。・・・・・・・・・橋の近くには地下鉄丸ノ内線の中野新橋駅が在る。

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・・・・・・・・・・・・・・・中野新橋駅は只今改良工事中! これまでの男女兼用便所は無くなり、別々になるようだ。 まだ、あったの、兼用便所、これは驚き!

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⑮氷川橋・・・・・・・・・・只今、架け替え工事中。 合わせて護岸工事中。 総工事費5億8千万円也。・・・・・・・・・神田川の下流側から護岸工事と橋の架け替えを行い、現在、氷川橋付近を工事中ということだ! これで、平成の橋がまた一つ増えるね!

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⑯千代田橋・・・・・・・・・・74番目の橋は千代田橋(ちよだばし)。 昭和56年(1981)に完成した橋。 やっと、昭和に架けられた橋に逢えた、本日の散歩で最も古い橋だ、感動したね。

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・・・・・・・・・・・・・・千代田橋から見る上流側。 護岸が古い造りだ! 氷川橋の次は千代田橋が工事対象となると、私は読んだ! 

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は千代田橋まで、16橋を制覇。 残り66橋、まだまだ神田川の橋めぐりは続く、、、、、、いつ終わることやら。

2014年2月16日 (日)

隅田公園

今度の大雪はドシャ降りの雨とセットで、可愛げのない迷惑な降り方をする雪だった。 おかげさまで外出できず、家でゴロゴロ・グウ―グウ―・パクパクの二日間を過ごした。

今日はまだ、雪も解けていないので、隅田公園経由で浅草まで買い物がてらの散歩です。 1万2千歩、8km。

①雪の残る浅草橋・・・・・・・・・・・我が家の周辺、裏道、表通り、橋の上にも、まだ雪が残り、足下に要注意!

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②駒形堂・・・・・・・・・・・浅草寺本堂の南方0.7km、駒形橋西詰に小さな堂がある。 ここは、推古天皇36年(628)、浅草寺の本尊の聖観音像が漁師の網にかかって姿を現した「示現の地」とされている。・・・・・・・・・堂は度々炎上し、都度再建されていた。現在の堂は平成15年(2003)に建立された。 堂の中には30cm足らずの本尊:馬頭観音が祀られている。 堂内に一人では寂しいと思うので、弁天様でも一緒に祀ってあげると、話相手となっていいかもね!

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駒形橋 ・・・・・・・・・・・・優美なアーチ橋は、橋長:149.6m、幅員:22.0m、総工費:1,710,955円、震災復興橋梁の一つとして、大正13年(1924)に着工し、昭和2年(1927)に完成した。

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④リバーピア吾妻橋・・・・・・・・・・リバーピア吾妻橋は、旧アサヒビール吾妻橋工場跡地に建築された、アサヒビール吾妻橋本部ビル(アサヒビールタワー)とスーパードライホール、アサヒビールアネックスやリバーピア吾妻橋ライフタワー、墨田区役所といったビル群の総称。 平成元年(1989)完成。・・・・・・・・・・・・隅田川を挟み対岸の“浅草”からスカイツリーを見ると、必ず目に入るビル群。

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・・・・・・・・・・・・・アサヒビールタワー+スーパードライホール・・・・・・・・・・・吾妻橋本部ビル(アサヒビールタワー)はジョッキから泡が盛り上がっているデザインのビル。 階数は地上22階、高さ:94.9m、平成元年(1989)の竣工。・・・・・・・スーパードライホールは、フランスの有名デザイナー:フィリップ・スタルクによる設計。 屋上のオブジェクトは燃え盛る金の炎を表しているそうだ。(我が家では『うんち』と呼んでいる)

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・・・・・・・・・・・・・・・リバーピア吾妻橋ライフタワー・・・・・・・・平成元年(1989)に完成した、地上30階建て、総戸数448戸のUR都市機構の集合住宅。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・墨田区庁舎・・・・・・・・・・・平成2年(1990)に竣工した、地上19階建ての区役所。 庁舎前には、墨田区で生まれ育った勝海舟の像が建っている。

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⑤源森川水門・・・・・・・・・・・・・浅草を出た東武鉄道が、隅田川鉄橋を通過し、スグ右手に見える水門が源森川水門。 昭和35年(1960)に竣工した、鋼製単葉ローラーゲート形式の幅11mの水門。 江東ゼロメートル地帯を高潮や洪水から守る水門の一つである。・・・・・・・・・・・源森川は北十間川のうち、隅田川からスカイツリーの下を流れ大横川までの区間を云う。 寛文3年(1663)に開削された運河である。・・・・・・・・・この水門は集中管理されて、常駐する管理人はいないらしい。 高潮・洪水のとき水門の開閉が間に合うのかな?

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⑥枕橋・・・・・・・・・・・源森川水門の後ろ側で、源森川に架かる橋。 現在の橋は、昭和3年(1928)に架けられた震災復興橋。 橋はコンクリート製のアーチ橋で、石橋のように石を積んだ感じの欄干などデザインがいいね! また、独特のデザインの街灯もGood~。 
                      

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・・・・・・・・・・・・・隅田公園の案内板にあった源森橋。 震災直後の撮影のようだ、右奥に隅田公園の前身:水戸徳川家の門柱が4本見える。 電信柱には『花柳病 専門療院』と書いた看板が、、、、、“花柳病”とは、懐かしいい言葉だね、しかも専門病院とは、この地は「向島」だから納得!

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・・・・・・・・・・・・・・上の写真とほぼ同じアングルで

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・・・・・・・・・・・・・・・橋から眺めるスカイツリー

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⑦隅田公園・・・・・・・・・・・枕橋を渡ると右手:徳川家屋敷跡に震災後造られた隅田公園がある。 園内の池は一面白く氷が張っていた。

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⑧牛嶋神社・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)、関東大震災後の隅田公園建設にともない、隅田川上流の東岸に在った神社が、隅田公園隣りに移された。 社殿は昭和7年の建築で、東京大空襲では被害も軽微であった。

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・・・・・・・・・・・・・・撫で牛・・・・・・・・・・・文政8年(1825)奉納の青銅製の牛。体の悪い所と同じ場所をなでると病気が治るという。 私は、頭と顔を撫でてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・・雪の残る神社で結婚式、チョイト寒そうだが、二人は熱い! 雪の白さに負けない白無垢、いいね! おめでとう。

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⑨言問橋西詰から・・・・・・・・・・・・

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2014年2月12日 (水)

四ツ木~立石

京成押上線の四ツ木駅から立石駅まで、8千歩、6kmの散歩です。

京成線の北側に四つ木1丁目・2丁目は、木造家屋が密集する“木密地域”で、地震・火災などの対策を講じる重点地区の一つである。 散歩は裏道・路地を歩いてきた。

①まいろーど四つ木商店街・・・・・・・・・四ツ木駅を出て、「四ツ木の灸の前の裏道を行くと、「まいろーど四つ木商店街」と称するバス通りに出る。 “昭和レトロの空気が流れ、一昔前にタイムスリップをしたよう商店街”と言いたいが、正直に言うと“チョイト、寂れたかな”。・・・・・・・・近くのイトーヨーカドーに客を奪われたようだ、寂しいね!

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②四つ木の裏道・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・商店街から裏道へ入ると、まだ雪が残っていた。 道は真直ぐ伸びておらず、行き止まりのように見えるところもある。

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・・・・・・・・・・・・・・・裏道から見上げると銭湯の煙突が天を指している。 正面に回ってみた。 「本日休業」の貼紙。

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・・・・・・・・・・・・・銭湯の横には、木造平屋の建物に「大塚洋品店」の看板が見える。 きっと、何年か前までは銭湯帰りの客を相手に下着類などを売っていたのかも?

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・・・・・・・・・・・・・商店街を挟み、銭湯とは反対側の裏道の奥には「西光寺 」の山門が見える。

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・・・・・・・・・・・・・おや! こちらは色あせているが竹垣だ、下町では珍しい! 建物は木造平屋の工場のようだが、廃業(?)したのか、暗く静かであった!・・・・・・・角の『私道』の立札もいいね!

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・・・・・・・・・・・・・さらに、裏道を曲がりくねって進むと、「四つ木白髭神社」にぶつかる。

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・・・・・・・・・・・・・・この神社は地図で見ると、四つ木2丁目のイトーヨーカドーの裏に鎮座している。 まともに、神社に行こうとすると判りにくい処だ!・・・・・・・・・・四つ木白髭神社は、承応3年(1654)、四つ木村が立石村から分村したとき、四つ木村の鎮守として勧請された。

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呑べい横丁・・・・・・・・・・・立石駅北側の再開発地区にある飲み屋街。まだ数店舗は営業中。・・・・・・・・・・私の好きな雰囲気が残る飲み屋街。 飲めない私であるが、せめて雰囲気だけでも記憶に留めておきたいね!

・・・・・・・・・・・・・・京成線路脇の入り口

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・・・・・・・・・・・・・・数軒の店が営業中。

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・・・・・・・・・・・・・出口はこちら

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立石仲見世 ・・・・・・・・・・立石駅南側の再開発地区には、昭和レトロの雰囲気ムンムンの商店街が残っている。

・・・・・・・・・・・・・奥戸街道側の入り口。 駅に向かい真直ぐ伸びる商店街。

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・・・・・・・・・・・・・・お年寄り向けの普段着を売る店。 立ち飲みの店。 蒲鉾・おでんを売る店。、、、、、いろいろな店が営業中、でも半数の店はシャッターを下ろしていた。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の両側は長屋形式の店舗が建ち並び、アーケードもある。

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・・・・・・・・・・・・・・駅側の入り口には惣菜屋、魚屋さんが元気に営業中。

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2014年2月10日 (月)

湯島

まだ雪は融けず午前中の散歩はひかえ、3時過ぎに我が家(浅草橋)から湯島まで往復してきた。 8千歩、6km。

2k540 AKI-OKA ARTISAN・・・・・・・・・・・・平成22年(2010)にJR山手線・京浜東北線の秋葉原駅〜御徒町駅間の高架下に開業した“ものづくり”の街。 蔵前橋通りの北側に位置し、東京駅からの距離が2540mであることから、「2K540」が名前の一部になっている。・・・・・・・・・・JRは駐車場・倉庫であった高架下を整備し、白を基調とした明るく若々しい、下町の“職人(ものづくり)の街”を再現した。 50店舗ほどが入居し、多様な手作りの品物が売られている。・・・・・・・・・・革製品・陶器・衣料品・ガラス製品・帽子・ジュエリー、、、、、、いろいろあるので面白い!・・・・・・・・・ちなみに、この間の高架橋は大正14年(1925)に完成した。

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②台東区立黒門小学校・・・・・・・・・上野松坂屋の西側に位置する、明治43年(1910)創立の小学校。 関東大震災のあと、復興小学校として昭和5年(1930)に現在の校舎が再建された。東京市の設計、日本土木建築KKの施工による、鉄筋コンクリート3階建て。玄関部分はアールデコ調、3階外部の舟形が連続する窓はドイツ表現派のデザインだ。

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③皇太子の通過・・・・・・・・・・湯島天神下を歩いていると、お巡りさん・パトカー・警視庁の腕章した私服警官がウロウロ。  悪いことしていない私だが、一瞬、ドキ!・・・・・・・・・近づいてくる警官に、勇気を出して『何かあったのですか?』と尋ねる。 『皇太子が博物館へ行くので、20分後に、ここを通過するのです。』・・・・・・・・よし! お顔を拝見して、写真を撮るか!

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・・・・・・・・・・・・・・待つこと20分、変な車が来た! 警察官らしき人が、警棒らしきものを窓から降り廻し通過する車。 その後に同じような黒の車・グレーの車と続き、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・アレ? パトカー、サイドカー、オートバイなど、先導する車が見当たらない。 まだ来ないのかな? 近くの警察官に聞くと、『もう通過しました、3台目のグレーの車です。』  ナント!この手の外出は、市民に迷惑をかけないように、目立たないように、素早く移動するのだそうだ。 私の隣りで一緒に見ていた夫婦も、カメラを持ってガッカリしていた。・・・・・・・・・私のカメラに残っていた、2台の車。交差点手前奥のグレーの車が、皇太子であった。 お顔も見られず残念!

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湯島天神・・・・・・・・・・・・

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2014年2月 9日 (日)

雪の後は選挙

東京の都心では45年ぶりに27センチを超えた積雪量となり、我が家の玄関先にも雪だるまを作ることができる量の雪の山ができた。

散歩は休み、老いた母を連れ、我が母校へ投票に行くことにした。

・・・・・・・・・・・・・・明け方に雪は止んだが、昼過ぎでも雪だらけ!

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・・・・・・・・・・・・・・下町では路地裏の通りほど除雪は素早く、我が家の周りは朝から隣近所、競って生活道路を確保したので、年寄りでも歩けるようになった。

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・・・・・・・・・・・・・・都知事選の投票場は、私の母校「旧台東区立柳北小学校 」(浅草橋駅北側)の体育館(現:柳北スポーツプラザ)だ。 

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・・・・・・・・・・・・・投票を済ませ、母校をグルリ一周して来た。・・・・・・・・・・・明治9年(1876)に第五中学区第十四番公立小学柳北女学校として創立し、明治20年(1887)柳北女子尋常高等小学校と改称し、明治41年(1908)にやっと男女共学の柳北尋常小学校となった。    しかし、平成13年(2001)には生徒数の減少により、100年以上の歴史に幕をおろし閉校となった。・・・・・・・・・現在残っている校舎は、大正15年(1926)に震災復興小学校の一つとして建て替えられた建物である。 東京市の設計により、鉄筋コンクリート造3階建ての校舎である。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・まもなく午後8時、開票が始まるね! 新知事に期待しよう!

2014年2月 8日 (土)

駈けまわる大雪

ひさびさ16年ぶりの大雪に、暮に買っておいたスノーブーツが役立った。 朝から新しいブーツを履いて、調子に乗って皇居前まで散歩。 午後は、再び調子に乗って両国まで散歩。・・・・・・・・どうも、雪が降ると、犬の気分になるようだ。 ♪♪ 雪やこんこ 霰やこんこ 降つては降つては ずんずん積る 山も野原も 綿帽子かぶり 枯木残らず 花が咲く ♪♪ これは1番。 そして、2番で、『犬は喜び 庭駈けまはり 猫は火燵で丸くなる』と歌われる。 猫のほうが楽なんだけれど! 妻は猫のようだ。

皇居前・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・土曜日の丸の内は、人通りも少なく、足跡もくっきり。 降りやまぬ雪がその足跡をスグに消してくれるね。

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・・・・・・・・・・・・・・巽櫓 ・・・・・・・・・・・・・江戸城に残る唯一の隅櫓で、晴れた空の下、濠に映えるその姿は美しくシンボ的だ。 今日の姿はどうかな?

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・・・・・・・・・・・・・・桔梗門・・・・・・・・・・・慶長19年(1614)に造られた。名は、江戸城を築いた太田道灌の家紋の桔梗紋から付けられたといわれています。 “桔梗門”と“桔梗紋”のシャレか?

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・・・・・・・・・・・・・・皇居前広場の松・・・・・・・・・水墨画の世界に変身!

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・・・・・・・・・・・・・・二重橋・・・・・・・・・・・一般には、この石橋を二重橋と称している。 明治21年(1888)完成。 この奥に、同年完成の鉄橋がある。こちらが、本来の二重橋。

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・・・・・・・・・・・・・・祝田町見張所・・・・・・・・・・・二重橋が見える位置にあるミニ交番。 正式名は警視庁丸の内警察署祝田町見張所。 明治時代の竣工と思われる。・・・・・・・・・お巡りさんも寒そうで小屋の中。

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・・・・・・・・・・・・・・雪の中でも、二人は暖かい! 燃えてるかも?

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・・・・・・・・・・・・・丸の内も人影少なく、明治生命館 、三菱一号館も雪の中、静かに佇んでいる。

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両国橋・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・午後2時だが薄暗く、あかりも点灯した両国橋。

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・・・・・・・・・・・・・・橋の上は吹き付ける雪、橋の下はどこへ行くのか屋形船、橋の向こうは我が家へ戻る柳橋。

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柳橋・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・通る車も少なく、雪の積もった橋は画のように静かだ!

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・・・・・・・・・・・・・・橋の袂では、船宿が佃煮を売る灯りが、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・黒板塀に雪景色。 花柳界華やかなりし頃を思い出すね!

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浅草橋 ・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・浅草橋も雪に埋もれそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋から見る柳橋

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・・・・・・・・・・・・・・橋の袂に建つ浅草見附跡の碑。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は散歩2回に雪掻き3回、はしゃぎ過ぎたようだ。 脱臼した肩が痛い! ブログ書きながら、イテ~、イテ~!! 

2014年2月 6日 (木)

浅草橋~亀戸

連日の氷点下で、散歩もチョイト辛い! 我が家(浅草橋)から亀戸まで、1万4千歩、10km。

①金桝屋・・・・・・・・・・・・・昭和25年(1950)創業の、浅草橋のゴム風船専門店。 店は創業時からのもので、60余年になる。・・・・・・・・・屋号の金文字、窓を囲む半円のデザイン、戦後の看板建築か?

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②旧東京貯金事務センター・・・・・・・・・・蔵前警察署の隣りに建つ旧東京貯金事務センター。 3万㎡以上の延床面積を有する10階建ての大きなビルは、平成4年(1992)の竣工。。事務センター機能は平成12年(2000)にさいたま市に移り、今は“日本郵政”が所有し、「日本郵政蔵前ビル」と名称を改めた。・・・・・・・・・“郵政のビル”としての特徴が、“各階に庇のように回る床板”、“縦長の窓に見えるスリット状のデザイン”などに見られる。 逓信ビル、旧東京国際郵便局、旧東京北部小包集中局などと同じ、旧郵政省時代の伝統的なデザインだ!

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③寒い朝・・・・・・・・・・・・・・朝8時、前を歩く人の影も長く、気温は1℃。 スカイツリーを横に蔵前橋を歩きながら、音痴が口ずさむ歌は、、、、、私の好きな、吉永小百合の「寒い朝」 ♪♪ 北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らかに咲いた 可憐な花を 緑の髪に かざして今日も ああ 北風の中に 聞こうよ春を 北風の中に 聞こうよ春を ♪♪

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④旧安田蓄財銀行本所支店・・・・・・・・・・・大正12年(1923)に完成した旧安田蓄財銀行。 戦災は免れたようだ。・・・・・・・・・・つい数年目までは、洋服店が営業していたが、今は看板も消え空き家状態のようだ。 壊すことはなく、保存して欲しいね!

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⑤法恩寺橋・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りに架かる報恩寺橋(ほうおんじばし)は、橋下を流れていた「大横川」が運河として掘られた時と同じ万治2年(1659)に初めて架けられた。 名前は橋の東側にある法恩寺に由来する。・・・・・・・・・現在の橋は、大正13年(1924)に架けられた両岸部分と、昭和57年(1982)に架け替えられた中央部分から成る。 大横川は平成5年(1993)に親水公園として整備された。

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⑥報恩寺・・・・・・・・・・太田道灌が江戸城築城:長禄2年(1458)に当たり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として法恩寺を開基した。 現在は塔頭の4ヶ寺が参道両側に在る。元禄の頃は20ヶ寺の塔頭を擁した、大きな日蓮宗の寺である。 震災・戦災で被災し、現在の堂宇は戦後に建てられたものだ。・・・・・・・・・境内には大田道灌の墓もある。

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⑦天神橋・・・・・・・・墨田区と江東区の区境の一部である横十間川に架かる天神橋。 その名のごとく亀戸天神の西側にあり、蔵前橋通りが走る。 現在の橋は昭和59年(1984)に架けられた。

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⑧亀戸天神・・・・・・・・・・・・・菅原道真の末裔であった太宰府天満宮の神官が、天神信仰を広めるため諸国を巡り、寛文元年(1661)、本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に飛梅で彫った天神像を奉祀したのが、亀戸天神の始まりらしい。・・・・・・・・・都知事選挙の日曜日から「梅まつり」が始まるので、神社はただいま接客の準備中でした。 梅は3分咲き。 境内はガラガラ。 巫女さんは、可愛い娘が一人。 観賞は今がチャンスか?

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⑨亀戸3丁目の路地裏・・・・・・・・・亀戸天神北側の路地裏をチョイト拝見!

・・・・・・・・・・・・・・路地奥の車が入りにくいところにアパートがある!

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・・・・・・・・・・・・・・路地裏のお稲荷さんは、「梅屋敷伏見稲荷神社」であった。・・・・・・・・“梅屋敷”とは? この付近はかつて梅屋敷として栄えた梅の名所が在ったそうだ。明治43年(1910)の洪水などにより梅の大部分が枯れて廃園となった。その跡地に残された稲荷神社と言うことです。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらの路地は奥に進むと、朽ちた煉瓦造りの蔵とご対面! まともに全体の写真を撮ることが難しい狭さだ!

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⑩亀戸香取神社・・・・・・・・・・・路地裏を探索していたら、香取神社の横に出た。 素通りして失礼しないように、お立ち寄り!・・・・・・・・・・かなり昔の話、亀戸は亀の形をした小さな島であった。天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが亀戸香取神社の起源である。・・・・・・・・・ 昭和20年(1945)の空襲で社殿を焼失し、23年(1948)に再建された。さらに、現在の社殿は昭和63年(1988)に建替えられたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・・境内には、スポーツ振興の神様、こんにゃく神輿、亀戸七福神の大黒・恵比寿の像、“亀戸”由来の亀ヶ井、亀戸大根の碑、木遣音頭碑、などなど・・・・・・・いろいろ祀って、参拝客を絶やさないことが商売のコツだ。

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・・・・・・・・・・・・・・鳥居前の参道の商店は、街並みを昭和レトロ風に改造。 看板建築を模して、こちらも客寄せに努力中。

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2014年2月 4日 (火)

雪が降る

真冬のしとしと雨、外に出られず朝から昼寝(?)、家でゴロゴロ状態だ。 4時過ぎに雪が降ってきた、『ヨシ!雪の降り具合を見て来よう!』と、チョイト外に出てみた。

隅田川・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・いつもは正面に見えるスカイツリーも今日は見えず。 どこへ行ったやら!

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・・・・・・・・・・・・・・総武線隅田川橋梁は雪景色にも合うね!

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・・・・・・・・・・・・・・正面の両国橋もボヤ~として寒そうだ!

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●浅草橋駅・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・おお! 結構、降ってきた積もるかな?

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・・・・・・・・・・・・・・傘が無いと寒そうだね!

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・・・・・・・・・・・・・・傘があっても寒いかな? そろそろ、帰宅時間だ。

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・・・・・・・・・・・・・・ボックスの中で、宝くじを売るのも寒いときは辛いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・暖かそうな灯りが、暖かい珈琲を、チョイト誘うね!

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●・・・・・・・・・・・・・・浅草橋周辺の雪は6時過ぎには止み、寒さだけが残ってる。 

2014年2月 3日 (月)

神田川(大東橋~淀橋)

JR東中野駅近くの大東橋から、メトロ中野坂上駅近くの淀橋まで、神田川を遡ってきた。 1万1千歩、8km。

①東中野駅・・・・・・・・・・・・明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅(かしわぎえき)として開業する。 同年10月1日には、国有化され官鉄となる。 開業時の駅は現:東口のみで、西口は無かった。 大正6年(1917)、柏木駅は東中野駅と改称する。 昭和3年(2928)、西口が開設される。・・・・・・・・・現在は山手通りに面する西口の方が立派で、都営地下鉄大江戸線の乗り換え口でもある。 東口は“裏口”になったかも?

・・・・・・・・・・・・・・西口・・・・・・・・・・・・・平成26年度の共用開始を予定し、ただいま駅前の整備中。

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・・・・・・・・・・・・・東口・・・・・・・・・・輸送量の増加、車両の長編成化に対応して、昭和2年(1927)に現在地に昭和の新駅舎が完成した。 写真は順に、昭和2年、昭和29年、現在、の東口である。 (古い写真は西口工事現場の仮囲いに掲示されていたもの)

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・・・・・・・・・・・・・昭和2年当時のホーム上屋は、古レールで組まれている。

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・・・・・・・・・・・・・・東口の交番前では、列車の運転本数が増え“あかずの踏切”であった「桐ケ谷踏切」が昭和37年(1962)廃止された。 写真の正面が踏切跡。 

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・・・・・・・・・・・・・踏切の反対側から見ると、ホームが踏切の位置まで伸び、踏切の復活は完全に無理だ!

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②リアル!・・・・・・・・・・・ユニゾンスクエア(旧:日本閣)前のカラオケスナック「富士の里」には、ミニスカで熱唱する等身大(?)のシルバーの像がある。 この像はスナックのママがモデルといわれている。 私はママに会ったことはないが、そっくりなの? 結構、リアルな作りだ。

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③大東橋・・・・・・・・前回、最後に渡った52番目の橋。 今日はこの橋から上流に向かうことに!

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④JR神田川橋梁・・・・・・・・中央線緩行線・急行線の上下4本が神田川を越える。 フジタ工業の施工で、PC桁により昭和61年(1986)架け替えられた。 

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⑤万亀橋・・・・・・・・・・この万亀橋(まんきばし)と下流の亀齢橋(きれいばし)、ともに「亀は万年」にあやかり、長寿を願ってつけられた名前のようだ。 ちなみに、“鶴”の字がつく橋は神田川にはないようだ! 現橋は平成元年(2012)に完成。

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⑥新開橋・・・・・・・・・・・最下流の柳橋から54番目は新開橋(しんかいばし)。 橋名の由来は? 

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・・・・・・・・・・・・・橋上から下流を眺めると、北の方角にJR神田川橋梁を遠望して、桜の木が続く。 早く咲け、桜!

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⑦第六天神社・・・・・・・・・・・・神田川は、西側の中野区と東側の新宿区の区境を流れている。 西側(中野区)の奥まって裏道に神社はある。 神社は元々、中野区内の旧家:秋元家が奉納した屋敷神であった。 江戸時代、田畑の隅に祀った天神様を、近所の小作人が参拝するようになり、明治時代に共同祭祀することになった。・・・・・・・小さな一間の社殿が在るのみ。 鳥居脇の石碑には、由緒書きがあり、、、、神社は、我が家の近く(台東区蔵前)の第六天神宮(榊神社)の分霊を祀ったそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・参拝しようと思ったら、先着のホームレスが、暖かな陽の射す社殿の前でお昼寝中。 起こしたらわるいので、鳥居の下で頭を下げてパス!

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⑧柏橋・・・・・・・・・新宿区側は現在「北新宿」という味気ない名前であるが、以前は「柏木」と称していた。 その柏木地区の橋で「柏橋」。 解りやすい、納得! 現在の橋は平成2年(1990)に完成した。・・・・・・・・・この橋から隅田川までは11Km、井の頭公園の水源までは13.6km、まだ半分に満たない。

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・・・・・・・・・・・・・・・橋の近くに梅が、、、、、ここでチョイト、歩きながら唄うは、、、、、♪♪ 梅は咲いたか桜はまだかいな 柳やなよなよ風しだい 山吹や浮気で色ばっかりしょんがいな ♪♪

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⑨末広橋・・・・・・・・・大久保通りが神田川越える処に架かる末広橋。 現在の橋は平成3年(1991)に完成した。 橋の下で、暗渠化された桃園川(ももぞのがわ)が神田川に合流している。

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・・・・・・・・・・・・・・末広橋から上流を眺めると、今日は霧(靄?)で霞んで副都心の超高層ビルが見える。 この右側が中野区で、橋の袂に「神田川」の歌碑がある。、、、、、ここでも、南こうせつが驚くほどの音痴が歌う、一節、、、、、♪♪ 貴方は もう忘れたかしら 赤い手拭 マフラーにして 二人で行った 横丁の風呂屋 一緒に出ようねって 言ったのに いつも私が 待たされた 洗い髪が芯まで 冷えて 小さな石鹸 カタカタ鳴った 貴方は私の 身体を抱いて 冷たいねって 言ったのよ 若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった ♪♪

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⑩伏見橋・・・・・・・・・・初めて架橋された年代は不詳、現橋は平成5年(1993)に完成した。 橋名は、明治時代後半、この神田川の西側の地に皇族:伏見宮家の広大な邸宅があったことにちなんでいるそうだ。

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⑪北新宿の裏道・・・・・・・・・・・・北新宿は、JR大久保駅の西側、中央線の南側、神田川の東側、地下鉄丸ノ内線西新宿駅の北側、一帯である。 古くからの小さな商店、工場、住宅が密集しているが、最近はマンション化などで大きなビルが建ち始めている。

・・・・・・・・・・・・・・ガスの検針でおじさんが自転車で入っていく路地、私も続く、、、、

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・・・・・・・・・・・・・この狭さ、車はダメだ! 続いて階段、車は絶対ダメだ!

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・・・・・・・・・・・・・高層ビルの足下で、アパートが建ち並ぶ一帯もある、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、こちらのアパート覗かしてもらう、、、、、、整理・整頓・清掃が行き届き、感激!

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⑫栄橋・・・・・・・・・・現在の橋は平成8年(1996)に完成した。 橋の近くは再開発工事が始まっていた。

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⑬淀橋・・・・・・・・・・今日の最後は、下流から59番目の、青梅街道が通る淀橋(よどばし)。 橋は江戸時代には既に架けられていたようだ、この橋もよくある『将軍がこの地を訪れ、、、、、』で始まる話がある。 将軍家光は鷹狩でこの地を訪れ、京都の淀川に似ていることから淀橋と命名したらしい。・・・・・・・・淀橋浄水場、ヨドバシカメラも、この橋が命名の元である。

・・・・・・・・・・・・・・川幅より、道路幅のほうが広い!

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・・・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に完成した現橋の親柱は、大正14年(1925)架橋の先代のものを流用した。

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2014年2月 1日 (土)

山谷

台東区の北の端(荒川区との境)に泪橋(なみだばし)交差点がある。この交差点を中心として、かつてのドヤ街(日雇い労働者が多く住む街)が山谷である。 現在の住居表示では、台東区側は橋場・清川・日本堤が、荒川区側は南千住が該当する。 今日の散歩は、台東区内の旧山谷地区をブラブラしてきた。 9千歩、6km。

①ドヤ街・・・・・・・・・・簡易宿泊所が並ぶ街で、つい十年程前までは酒と汗と小便の臭いが、アッチ、コッチで漂っていた街だ。 私の知る昭和30年代は、朝の6時頃、手配師がトラックでやってきて、日雇い労働者をトラックに乗せ工事現場へ連れて行く光景が見られた。 山谷のマンモス交番が襲われた「山谷騒動」もあった。 昼間は、酔いつぶれ路上でグウ~グウ~、路地の奥ではギャンブル、時折聞こえる喧嘩の声、とチョイト女・子供には怖い処だった。・・・・・・・・・ここ数年、年ごとに街の雰囲気が変わり、臭いの無い、静かで、清潔な街に変貌している。 何より、安全になった。

・・・・・・・・・・・・・・・お宿の前は、泊り客の自家用自転車がズラリ! 

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・・・・・・・・・・・・・お宿の前は、ゴミは無く、打ち水し、自転車は並べられ、植木を置いて、行き届いた “お・も・て・な・し”。

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・・・・・・・・・・・・・・「冷暖房完備」、「カラーテレビ完備」、「庭園風呂」で一泊2200円は安い!

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・・・・・・・・・・・・・山谷では簡易宿泊所のお客に、外人観光客が加わり、新たなビジネスが展開中! 英文の看板には、一泊2900円からと表示されていた。

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・・・・・・・・・・・・・・道路に出てる人も少なくなった! 

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・・・・・・・・・・・・・写真中央4階建てのビルは山谷の「マンモス交番」。 この交番前の道路で、数千人規模の日雇い労働者の暴動が発生した、それが「山谷騒動」だ。 今は、静かにお巡りさんが立つ、「浅草警察署 日本堤交番」。

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・・・・・・・・・・・・・・現在、日雇い労働者の仕事は、「(財)城北労働・福祉センター」で紹介しているが、かつては、上野職業安定所の「玉姫労働出張所」(閉鎖)で紹介していた。

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②都営石浜アパート・・・・・・・・・・・山谷地区の東に位置する清川2丁目に建つ都営アパート。 昭和38年(1963)に竣工、1階には「玉姫労働出張所」が入居していたこともあり、スラム化した時期もあった。・・・・・・・・いまでも、1階部分で寝泊ま(?)りするホームレスの姿がある。

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・・・・・・・・・・・・・・3年前(2011)の「玉姫労働出張所」。 壁一面の落書き、おみごと! 1階の馬券売り場のような窓口は、仕事にアブレた人が貰う、アブレ手当の支給窓口である。 支給時間(昼の1時間)になると、日雇い労働者が窓口の周辺に集まり、チョイト、怖かったね!
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③平賀源内の墓・・・・・・・・・・・・旧山谷地区の一部であった現:橋場2丁目に平賀源内の墓がある。 源内は安永8年(1779)に誤って殺傷事件をおこし、小伝馬町の牢屋で病死し、遺体は橋場にあった寺に葬られた。 昭和3年に寺が板橋に移転し、墓が当地に残された。 墓の築地塀は源内の生地:旧高松藩の当主により、昭和6年(1931)に整備されたものだ。・・・・・・・・・・墓の前の扉はいつも閉じられているが、錠をはずしてもらい中に入れます。 塀の中は広く、中央の堂に源内の墓がある。

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