山谷
台東区の北の端(荒川区との境)に泪橋(なみだばし)交差点がある。この交差点を中心として、かつてのドヤ街(日雇い労働者が多く住む街)が山谷である。 現在の住居表示では、台東区側は橋場・清川・日本堤が、荒川区側は南千住が該当する。 今日の散歩は、台東区内の旧山谷地区をブラブラしてきた。 9千歩、6km。
①ドヤ街・・・・・・・・・・簡易宿泊所が並ぶ街で、つい十年程前までは酒と汗と小便の臭いが、アッチ、コッチで漂っていた街だ。 私の知る昭和30年代は、朝の6時頃、手配師がトラックでやってきて、日雇い労働者をトラックに乗せ工事現場へ連れて行く光景が見られた。 山谷のマンモス交番が襲われた「山谷騒動」もあった。 昼間は、酔いつぶれ路上でグウ~グウ~、路地の奥ではギャンブル、時折聞こえる喧嘩の声、とチョイト女・子供には怖い処だった。・・・・・・・・・ここ数年、年ごとに街の雰囲気が変わり、臭いの無い、静かで、清潔な街に変貌している。 何より、安全になった。
・・・・・・・・・・・・・・・お宿の前は、泊り客の自家用自転車がズラリ!
・・・・・・・・・・・・・お宿の前は、ゴミは無く、打ち水し、自転車は並べられ、植木を置いて、行き届いた “お・も・て・な・し”。
・・・・・・・・・・・・・・「冷暖房完備」、「カラーテレビ完備」、「庭園風呂」で一泊2200円は安い!
・・・・・・・・・・・・・山谷では簡易宿泊所のお客に、外人観光客が加わり、新たなビジネスが展開中! 英文の看板には、一泊2900円からと表示されていた。
・・・・・・・・・・・・・・道路に出てる人も少なくなった!
・・・・・・・・・・・・・写真中央4階建てのビルは山谷の「マンモス交番」。 この交番前の道路で、数千人規模の日雇い労働者の暴動が発生した、それが「山谷騒動」だ。 今は、静かにお巡りさんが立つ、「浅草警察署 日本堤交番」。
・・・・・・・・・・・・・・現在、日雇い労働者の仕事は、「(財)城北労働・福祉センター」で紹介しているが、かつては、上野職業安定所の「玉姫労働出張所」(閉鎖)で紹介していた。
②都営石浜アパート・・・・・・・・・・・山谷地区の東に位置する清川2丁目に建つ都営アパート。 昭和38年(1963)に竣工、1階には「玉姫労働出張所」が入居していたこともあり、スラム化した時期もあった。・・・・・・・・いまでも、1階部分で寝泊ま(?)りするホームレスの姿がある。
・・・・・・・・・・・・・・3年前(2011)の「玉姫労働出張所」。 壁一面の落書き、おみごと! 1階の馬券売り場のような窓口は、仕事にアブレた人が貰う、アブレ手当の支給窓口である。 支給時間(昼の1時間)になると、日雇い労働者が窓口の周辺に集まり、チョイト、怖かったね!
③平賀源内の墓・・・・・・・・・・・・旧山谷地区の一部であった現:橋場2丁目に平賀源内の墓がある。 源内は安永8年(1779)に誤って殺傷事件をおこし、小伝馬町の牢屋で病死し、遺体は橋場にあった寺に葬られた。 昭和3年に寺が板橋に移転し、墓が当地に残された。 墓の築地塀は源内の生地:旧高松藩の当主により、昭和6年(1931)に整備されたものだ。・・・・・・・・・・墓の前の扉はいつも閉じられているが、錠をはずしてもらい中に入れます。 塀の中は広く、中央の堂に源内の墓がある。
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