平和島~西馬込
京浜急行平和島駅から環七を通って東海道線を越え、龍子記念館を素通りして都営地下鉄西馬込駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
①平和島駅・・・・・・・・・・・・・明治34年(1901)に京急が六郷橋~大森停車場間を開業する時、途中駅として同時開業した。 開業当時の駅名は「沢田」で、その後「学校裏」に改称し、昭和36年(1961)に「平和島」と称した。・・・・・・・・・私の知る平和島は、船橋ヘルスセンター、隅田川温泉などに対抗した、平和島温泉(レジャーランド)の時代だ、古い話である!
②羨ましい通学・・・・・・・・・・・・朝、学校まで仲良く手をつなぎ通学です。右側の学校に入って行った。 私も手をつないで通学・通勤してみたかったね。・・・・・・・・・私の中学生時代は、手をつなぐことは以っての外、男女ペアで歩くことは不純と見られた時代だ。 その後遺症が残っているようで、男性ばかりの私立中・高等学校で思春期を過ごした私は、女性と会話する機会もなく、いまだに女性にはビクビクしている可哀そうな男となった!
③オゥ~、桜だ!・・・・・・・・・・・大森のお屋敷には春が来ていた。
④春日橋・・・・・・・・・環状七号線が大田区内を通る多くの部分は、戦前に道路工事が着工されていたそうだ。 その環状七号線が東海道線をまたぐ跨線橋が春日橋である。 昭和16年(1941)の完成。 橋名は近くの春日神社に由来しているのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・現在は、東海道線を越えた環七の車道は、引き続き春日橋陸橋により池上通りも越え、馬込方向へ進んで行く。
⑤春日神社・・・・・・・・・・・天児屋根神(あめのこやねのかみ)を祭神とする、旧新井宿村(大田区中央1丁目付近)の鎮守。 鎌倉時代の創建らしいが不詳、奈良の春日大社から勧請した。 現社殿は昭和13年(1938)の建設で木造春日造りの堂々たるものだ。
⑥龍子記念館・・・・・・・・・・・・裏道を歩いていたら龍子記念館に出た。 日本画の巨匠:川端龍子の喜寿を記念し建てられたものだ。 今日は前を素通り、ゴメン!
⑦馬込桜並木通り・・・・・・・・・・・・南馬込4丁目と6丁目の境、600m程の通りに約100本の桜が立ち並んでいる。 花が咲いたら見事な桜並木となることまちがいなし!
⑧熊谷恒子記念館・・・・・・・・・・桜並木をチョイト100m程入ると、現代女流かな書道家:熊谷恒子の旧宅(昭和11年築)を改修した熊谷恒子記念館がある。・・・・・・・・・熊谷恒子は、明治26年(1893)京都に生まれ、鳩居堂を営む熊谷家に嫁ぎ、30歳過ぎに書を始めた。 書道界の第一人者で、皇太子妃美智子殿下(現:皇后陛下)へのご進講も務めた。 昭和61年(1986)没。・・・・・・・・・記念館には、女性の優しく清い筆の流れを感じる作品が展示されてる。(撮影禁止)・・・・・・・・・建物は昭和初期の面影を残す住宅として残されていた。
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