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2014年2月 6日 (木)

浅草橋~亀戸

連日の氷点下で、散歩もチョイト辛い! 我が家(浅草橋)から亀戸まで、1万4千歩、10km。

①金桝屋・・・・・・・・・・・・・昭和25年(1950)創業の、浅草橋のゴム風船専門店。 店は創業時からのもので、60余年になる。・・・・・・・・・屋号の金文字、窓を囲む半円のデザイン、戦後の看板建築か?

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②旧東京貯金事務センター・・・・・・・・・・蔵前警察署の隣りに建つ旧東京貯金事務センター。 3万㎡以上の延床面積を有する10階建ての大きなビルは、平成4年(1992)の竣工。。事務センター機能は平成12年(2000)にさいたま市に移り、今は“日本郵政”が所有し、「日本郵政蔵前ビル」と名称を改めた。・・・・・・・・・“郵政のビル”としての特徴が、“各階に庇のように回る床板”、“縦長の窓に見えるスリット状のデザイン”などに見られる。 逓信ビル、旧東京国際郵便局、旧東京北部小包集中局などと同じ、旧郵政省時代の伝統的なデザインだ!

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③寒い朝・・・・・・・・・・・・・・朝8時、前を歩く人の影も長く、気温は1℃。 スカイツリーを横に蔵前橋を歩きながら、音痴が口ずさむ歌は、、、、、私の好きな、吉永小百合の「寒い朝」 ♪♪ 北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らかに咲いた 可憐な花を 緑の髪に かざして今日も ああ 北風の中に 聞こうよ春を 北風の中に 聞こうよ春を ♪♪

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④旧安田蓄財銀行本所支店・・・・・・・・・・・大正12年(1923)に完成した旧安田蓄財銀行。 戦災は免れたようだ。・・・・・・・・・・つい数年目までは、洋服店が営業していたが、今は看板も消え空き家状態のようだ。 壊すことはなく、保存して欲しいね!

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⑤法恩寺橋・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りに架かる報恩寺橋(ほうおんじばし)は、橋下を流れていた「大横川」が運河として掘られた時と同じ万治2年(1659)に初めて架けられた。 名前は橋の東側にある法恩寺に由来する。・・・・・・・・・現在の橋は、大正13年(1924)に架けられた両岸部分と、昭和57年(1982)に架け替えられた中央部分から成る。 大横川は平成5年(1993)に親水公園として整備された。

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⑥報恩寺・・・・・・・・・・太田道灌が江戸城築城:長禄2年(1458)に当たり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として法恩寺を開基した。 現在は塔頭の4ヶ寺が参道両側に在る。元禄の頃は20ヶ寺の塔頭を擁した、大きな日蓮宗の寺である。 震災・戦災で被災し、現在の堂宇は戦後に建てられたものだ。・・・・・・・・・境内には大田道灌の墓もある。

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⑦天神橋・・・・・・・・墨田区と江東区の区境の一部である横十間川に架かる天神橋。 その名のごとく亀戸天神の西側にあり、蔵前橋通りが走る。 現在の橋は昭和59年(1984)に架けられた。

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⑧亀戸天神・・・・・・・・・・・・・菅原道真の末裔であった太宰府天満宮の神官が、天神信仰を広めるため諸国を巡り、寛文元年(1661)、本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に飛梅で彫った天神像を奉祀したのが、亀戸天神の始まりらしい。・・・・・・・・・都知事選挙の日曜日から「梅まつり」が始まるので、神社はただいま接客の準備中でした。 梅は3分咲き。 境内はガラガラ。 巫女さんは、可愛い娘が一人。 観賞は今がチャンスか?

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⑨亀戸3丁目の路地裏・・・・・・・・・亀戸天神北側の路地裏をチョイト拝見!

・・・・・・・・・・・・・・路地奥の車が入りにくいところにアパートがある!

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・・・・・・・・・・・・・・路地裏のお稲荷さんは、「梅屋敷伏見稲荷神社」であった。・・・・・・・・“梅屋敷”とは? この付近はかつて梅屋敷として栄えた梅の名所が在ったそうだ。明治43年(1910)の洪水などにより梅の大部分が枯れて廃園となった。その跡地に残された稲荷神社と言うことです。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらの路地は奥に進むと、朽ちた煉瓦造りの蔵とご対面! まともに全体の写真を撮ることが難しい狭さだ!

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⑩亀戸香取神社・・・・・・・・・・・路地裏を探索していたら、香取神社の横に出た。 素通りして失礼しないように、お立ち寄り!・・・・・・・・・・かなり昔の話、亀戸は亀の形をした小さな島であった。天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが亀戸香取神社の起源である。・・・・・・・・・ 昭和20年(1945)の空襲で社殿を焼失し、23年(1948)に再建された。さらに、現在の社殿は昭和63年(1988)に建替えられたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・・境内には、スポーツ振興の神様、こんにゃく神輿、亀戸七福神の大黒・恵比寿の像、“亀戸”由来の亀ヶ井、亀戸大根の碑、木遣音頭碑、などなど・・・・・・・いろいろ祀って、参拝客を絶やさないことが商売のコツだ。

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・・・・・・・・・・・・・・鳥居前の参道の商店は、街並みを昭和レトロ風に改造。 看板建築を模して、こちらも客寄せに努力中。

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