浅草橋~門前仲町
浅草橋の我が家から、清洲橋を渡り深川へ、深川不動、富岡八幡に手を合わせ、門前仲町駅からお帰りの、1万3千歩、10kmの散歩です。
①清洲橋・・・・・・・・・・・隅田川両岸の江東区清澄と中央区日本橋中洲を結ぶ橋で「清洲橋」と命名した。 大正14年(1925)に着工し、昭和3年(1928)に竣工した震災復興橋。 構造形式は“自碇式チェーン吊り橋”、橋長:186.3m、幅員:22.0m。 設計は鈴木精一(意匠面では建築家の山田守や山口文象も関与した)、施工は東京市復興局、橋桁製作は神戸川崎造船所。 総工費321万円也。・・・・・・・・平成19年(2007)に、勝鬨橋、永代橋、清洲橋の3橋が国の重要文化財となった。 優美な姿はいいね!
・・・・・・・・橋のモデルは当時美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋である。 私、ドイツ語は大学でチョイト勉強したが他人には通じないので、ナイショで、ケルン市のホームページより写真を拝借!
②清澄橋・・・・・・・・・・・こちらは、清澄庭園の南側、仙台堀川に架かる「清澄橋」。 橋長:22mのどこにでもあるような橋。 平成6年(1994)に架け替えられた鋼製ガーター橋。
③亀久橋・・・・・・・・・こちらも仙台堀川に架かる、全長34mの「亀久橋」。昭和59年(1984)に竣工した1径間鋼製トラス橋。
④元ノ杢網の墓・・・・・・・・・・・・・ことわざに「元の木阿弥」がある。由来は、、、、、戦国時代、大和郡山の城主・筒井順昭が病死した時、その子順慶が幼かったので、順昭に声の似た木阿弥という男を替え玉として寝所に寝かせ、死を隠した。順慶が成人した後、順昭の死を公表し、木阿弥は再びもとの生活にもどったという故事から。・・・・・・・・・清澄橋と亀久橋の中程に浄土宗の正覚寺がある。 こちらの寺には「狂歌師 元ノ杢網夫妻の墓」が祀られていた。 オヤ?戦国武将が、江戸時代の狂歌師に化けたか! 調べてみたら、ナント、、、、、狂歌師:元ノ杢網は、江戸京橋の湯屋の主人で、姓は渡辺、名は正雄(どこぞで、聞いたことのある名だな!)、号は杢網。画を高嵩谷に学ぶ。天明年間の狂歌の大家だ。文化8年(1811)に88歳で没した。 妻の名は智恵内子(ちえのないし)であるとのこと。 読みを間違え“知恵の無い子”と読んだら、これまた失礼!・・・・・・・・湯屋に憧れる、現代の助平狂歌師の出来損ないが、誰有ろう私“わたなべまさお”ということか。、、、、、ここでひとつ『杢網の 本名知って ドッキリと 素性も知り コリャだめだ』
⑤旧新田橋・旧弾正橋・・・・・・・・・・富岡八幡宮の東側に「八幡掘遊歩道」があり、そこには歴史ある2橋の上部が残されている。
・・・・・・・・・・・・・旧新田橋・・・・・・・・・・江東区木場の大横川(旧大島川)に架かり、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな人道橋。 大正時代、岐阜県から上京し、木場で開業医をしていた新田清三郎さんが、昭和7年(1932)、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める供養の意味を込めて架けた橋である。 当初、「新船橋」と名付けられたが、新田医師の亡きあと、「新田橋」と呼ばれるようになった。 下は案内板にあった当時の写真。
・・・・・・・・・・・・・・旧弾正橋・・・・・・・・・・橋は、明治11年(1878)工部省赤羽製作所にて作られた国産第1号の鉄橋。 長さ15.2m、幅3mの単径間アーチ型式。 近代橋梁技術史上において価値の高い橋で、国の重要文化財に指定されている。
⑥富岡八幡宮・・・・・・・・・・・寛永4年(1627)創建の神社は、徳川家の保護の下で「江戸最大の八幡様」となった。 社殿は、火災、震災、戦災と被害を受け、現在は昭和31年(1956)に造営された鉄筋コンクリート造、重層型準八幡造りの建物である。
・・・・・・・・・・・・・・社殿の右奥に昭和レトロな婚儀殿がある。
⑦和倉橋跡・・・・・・・・・・・富岡八幡宮と深川不動尊の間の通りを北へ行くと、首都高9号深川線の下に親柱が残されている。 首都高は“油堀川”という川を昭和50年(1975)に埋め立てた上に造られたものである。 この油堀川には、昭和4年(1929)に架けられた「和倉橋」があった。 親柱はその遺構である。・・・・・・・橋が架けられる以前は、ここに「和倉の渡し」が通っていた。 こんなところに“渡し”とは、私も驚きだ!
⑧大喜旅館・・・・・・・・・・・・深川不動尊の参道から、ホンのチョイト入ったところにある、江戸下町情緒満点の旅館。 今はビジネスユースが主体だが、チョイト前の時代には、お忍びで、、、、、、?
・・・・・・・・・・・・・“ヤドヤ”とは、洒落た電話番号だね! だがチョイトまて、市外局番3桁、電話番号88の2桁、いつの時代の看板だ! 現在は“3641―0088”だ。
⑨深川不動尊・・・・・・・・・・・成田山新勝寺の東京別院。 不動明王は平成24年(2012)に完成した新本堂に祀られている。 写真の旧本堂には、現在は木像の“おねがい不動尊”が祀られている。 近代的な建物より、木造のこちらの方が本堂らしいね。
⑩深川不動燈明塔・・・・・・・・・・・お不動様に向かって左側に、古ぼけた石造りの塔が立っている。 この塔は、明治時代に、日清戦争の勝利を記念して立てられた「燈明台」である。 塔の4面には、市川団十郎、尾上菊五郎、市川左団次などの歌舞伎役者、築地の魚河岸、洲崎の遊郭など、不動様を信仰する、多くの人々の名前が刻まれている。・・・・・・・・・私の名前“元の杢網”は無いようだ。
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