堀切~浅草
東武スカイツリーラインの堀切駅から浅草駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
①綾瀬橋・・・・・・・・・・・・堀切駅前で荒川と隅田川を結ぶ、全長450mの超短い“旧綾瀬川”に架かる橋。 墨田区と足立区を結び、橋上を通る道路は「墨堤通り」。 昭和33年(1958)に坂田建設の施工で架けられた。・・・・・・・・・現在の綾瀬川は、埼玉県桶川市を水源とし足立区を流れ、小菅の東京拘置所横をから荒川に並行し、新小岩近くで中川と合流し、最終的には葛西付近で荒川と合流する。 荒川ができる以前の綾瀬川は拘置所横を流れ、現在の荒川を横断するように流れ、旧綾瀬川を経由して隅田川に流れ込んでいた。 つまり、荒川は綾瀬川を分断して、下流の短い部分を旧綾瀬川として堀切駅前に残したのだ。 「綾瀬橋」が綾瀬川には無く、綾瀬駅の付近にも無く、現在の綾瀬川からは離れた旧綾瀬川に架かっている由来である。 雑学オタクの好きそうになる話である。
②バス停「鐘紡」・・・・・・・・・・墨堤通りに面する旧鐘淵中学校の前に、御存じ鐘淵紡績の「鐘紡」を揚げたバス停が立っている。 旧鐘淵中学校の前は鐘淵紡績の発祥の地であり、現在、跡地はカネボウ関連の倉庫、カネボウ公園、野球グランドなどとして活用されている。・・・・・・・・・・それにしても、「鐘紡」は昭和46年(1971)に「カネボウ」に変わり、漢字表記で名が残っているのには驚いた! さらに、「○○前」ではなく企業名の単独表示だ。 日本の産業を引っぱってきた鐘淵紡績を追想し、全盛時代を懐かしみ、記憶に留めておくためにも、バス停として残しているのかも!
・・・・・・・・・・・・・・・グランドの隅にチョコット残るレンガ塀。 鐘淵紡績時代の名残か?
③白鬚東アパ―ト・・・・・・・・・・・・・隅田川の左岸(墨田区堤通2)に、全長1km超える白鬚東アパートがある。 1号棟~18号棟(約1600戸)まで川に沿い、連続して城塞のようにほぼ一列に並んでいる。 昭和47年(1972)から昭和57年(1982)ごろまで、「白鬚東地区防災拠点」と称し東京都により整備された。 大震災時に、火災から市民を守る防火壁として団地の建物が機能するように造られている。 見るたびに、スゴイ! コンクリートの塊だ!
・・・・・・・・・・・・・・すべての建物は、棟と棟の間に防火戸が設置され、隙間ができ火の手がまわらないように造られている。 一般道路も閉鎖できる、万全だね!
・・・・・・・・・・・・・・煙筒が3本? 緊急用のボイラーが地下に設置されており、発電できるそうだ。 数年に一度点検するらしく、煙突から煙が出ると火事と間違えて通報する人がいるらしい。・・・・・・・・・この団地の全ての棟は地下で繫がっており、見学会もあるそうだ!
・・・・・・・・・・・・各棟の要所々々には放水銃が首を出している。 これは、飛び火を入れないように撃ち落とす設備だが、ここ数年定期検査をしていないようで、機能するか?(施設の管理者の話) たまには、カラスでも狙って放水の練習したらいいね!
・・・・・・・・・・・・・・墨堤通りに面した側のベランダには、火災時には全階に防火シャッターが下り、火の粉が入るのを防ぐそうだ。 こちらも、たまには動作テストをしないと、イザという時、故障するかも?
・・・・・・・・・・・・・・火災時に熱くなった防火シャッターを冷やす水が、屋上の黄色い水槽に蓄えられている。 (写真は対岸の南千住から撮影)
・・・・・・・・・・・・・・団地内の公園には、この地で晩年を過ごした榎本武揚の像がある。
④石浜神社・・・・・・・・・・・・・白鬚東アパートの対岸(荒川区南千住)に鎮座し、天照大神・豊受姫神を祭神とする神社。 神亀元年(724)聖武天皇の命により創建した古い神社だ。・・・・・・・・・木造銅板葺神明造の拝殿は昭和63年(1988)に落成した。
⑤お化け地蔵・・・・・・・・・・・台東区橋場の松吟寺には、「お化け地蔵」が祀られている。 お化け地蔵の名は、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ3m余の並はずれた大きさからなど、いくつか説がるらしい。 地蔵は享保6年(1721)の建立で古いことは間違いない。
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