柴又~亀有
朝からどんよりとした空模様、今日は降りそうだ、でも歩いてこよう! とりあえず佐倉行の地下鉄に乗ったが、何処で降りようか? 車内で「柴又帝釈天」の広告が目に映り、柴又へ行くことにした。 とりあえず帝釈天に手を合わせ、後は気儘に小雨の中を亀有まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
①柴又駅・・・・・・・・・・・・・・4両編成の電車がとまる相対式ホーム2面2線の地上駅。・・・・・・・・・明治32年(1899)に帝釈人車鉄道(金町~柴又間)の駅として開業し、大正元年(1912)に京成電気軌道の駅として高砂~柴又間が開業。 大正2年(1913)には、金町まで延伸され、京成金町線の唯一の中間駅となる。・・・・・・・・昭和の匂いがムンムンの駅と、続く参道。
・・・・・・・・・・・・・・・構内踏切(駅の内部にある踏切で、正式には渡線路と称する)が残っている嬉しい駅だ!
・・・・・・・・・・・・・・・踏切の脇には、臨時の改札もある。 使うのは初詣の時期? スイカの客は利用できるのか?
・・・・・・・・・・・・・・駅舎は昭和62年(1987)に、瓦葺き風の駅舎に改良された。
・・・・・・・・・・・・・・・その駅前に立つ寅さん。 タスキは余分だ、イメージを壊すので掛けてほしくないね!
・・・・・・・・・・・・・おりつ地蔵尊・・・・・・・・駅の券売機前にあるコーヒースタンドの裏に、しっそりと祀られている「おりつ地蔵尊」。・・・・・・・・・昭和7年(1932)、ここ柴又で、肉親のために尊き生命を絶たれる悲惨事があった。 或る貧困の家庭に五人の子供があり、その三女律子を他家へ養女として出したものの、五才の時故あって実家に戻されたが何故か両親は何の罪科もない律子を虐待し果ては実父がなぐり殺して、その死体を床下に埋めたが約一ヶ年余の後に父親の胸に、頑是ない少女の浄き魂がよみがへり、良心の呵責に堪えかねて、亀有警察署に自首した。・・・・・・・・・幼き律子の死を憐み、隣り近所の人々によって地蔵尊が建立された。
②帝釈天参道・・・・・・・・・・時刻は8時半、まだ参拝客・観光客もほとんどなく、参道は静かだ。 草だんご屋さんは、仕込みの最中。 店を開けた処も数軒、今日の天気と客足の予想はいかに?
③柴又帝釈天 ・・・・・・・・・・・・・江戸時代初期の寛永6年(1629)に開創された、日蓮宗の経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)。
・・・・・・・・・・・・・・境内には、参拝人も少なく、地元の人が数人程。 参拝人が少ないときに、手を合わせると、仏も閑だから御利益が期待できるかも、、、、、100円奮発して合掌!
④柴又踏切・・・・・・・・・・都心から水戸方面に向かい、水戸街道(国道6号)が中川大橋を渡ると亀有警察署がある。 柴又街道は亀有警察署の西北200m程の地点で旧水戸街道から分岐して、警察署の横を抜け帝釈天方向に向かう道である。 その柴又街道が新金貨物線を横切る踏切が「柴又踏切」である。・・・・・・・・名前から想像すると、交通量が多く、道路幅の広い立派な踏切をイメージしそうだが、実態は、極々普通の踏切である。
・・・・・・・・・・・・・・・真直ぐ伸びる水戸街道、左端の亀有警察署横から斜めに交差し、柴又方向に伸びる道が「柴又街道」。
・・・・・・・・・・・・・・亀有警察署の横路を行くと「柴又踏切」がある。
・・・・・・・・・・・・・・・さらに進むと、旧水戸街道からの分岐点に、「帝釈道」(明治30年(1897)建立)と標した石碑。 13体の石仏が置かれている。
⑤中川橋・・・・・・・・・・・亀有と金町の間を、北から南に流れる中川に架かる、旧水戸街道の橋。 初代は明治17年(1884)に架けられ、2代目は昭和8年(1933)に架けられた。 平成20年(2008)に3代目の現橋が完成した。・・・・・・・・橋の東詰には2代目の橋の親柱が残されている。
●・・・・・・・・・・・・・・・雨足も強くなり、橋を渡り、大型商業施設の中を通り抜け、亀有駅へ急ぐことにした。
●・・・・・・・・・・・・・・・雨に濡れ、しっとり色づいた桜。 私は、雨に濡れ、しっとり艶っぽくなった親爺、、、、、、キモイ!