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2014年4月19日 (土)

印旛日本医大~安食

北総線印旛日本医大駅から、春の日差しを受けて畦道を、成田線の安食駅まで、2万3千歩、17kmの散歩です。

印旛日本医大駅・・・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に開業した北総線と京成成田空港線の駅。 駅舎には2つの塔があり、丸い塔はコンコースのドーム天井、尖った塔は展望台(非公開)で、ユニークな駅だ。・・・・・・・・・・駅には売店が無く、駅前の交番は閉鎖し、駅前には商店・コンビニが1軒もなく、寂しい駅だ。 

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・・・・・・・・・・・・・駅前の跨線橋から眺める、北総線の折り返し列車。

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②鳥見神社・・・・・・・千葉県の北部(旧印旛村、旧本埜村、印西市、白井市、柏市)には「鳥見神社」が21社あるそうだ。 旧印旛村萩原の鳥見神社は、その内の一社である。 まさに村の神社で、林の中の拝殿は閉じられ無人である。 神社の由緒は、『第五代考昭天皇の御代大和国城上群萩原村の鳥見山の神々の霊を当地に遷座した』とのこと。・・・・・・・・・誰が参拝しているのか、綺麗に掃除された境内だ!

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・・・・・・・・・・・・・・神社の周辺では、畑にも春到来、、、、、

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③慶昌寺・・・・・・・・・・・こちらは、村のお寺さま。 曹洞宗大雄山東祥寺の末寺七つのうちの一つだ。 本堂の前では、大黒様が参拝客を出迎える。

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・・・・・・・・・・・・・・お寺の周りの水田は、田植えの準備中

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・・・・・・・・・・・・・・童謡でも歌いたくなる散歩道だが、私が口ずさむ曲は、何故か春日八郎の「お富さん」?

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④東漸寺・中根不動堂・・・・・・・・・宝暦5年(1754)に旧堂を焼失し、宝暦14年(1764)に再建された田舎のお不動さま。 まるで、時代劇映画のワンカット、、、、、恋い慕う男の無事を祈り、名主の娘が願掛けに登場、、、、、、この後、悪代官にさらわれ、、、、、アレ~~、代官様お許しを、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・近くの名主屋敷のような農家

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⑤鳥見愛宕両社・・・・・・・こちらは、印西市笠神の「鳥見神社」。 鳥居に注連縄が倒れかけ、急な石段を登った上には、民家風の拝殿のお社があるだけ!・・・・・・石段には手摺もなく、石積みは崩れかけ、降りるのが怖かった!

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⑥蘇羽鷹神社・・・・・・・・・・・・鳥見愛宕両社の近くに、蘇羽鷹神社(そばたかじんじゃ)がある。 参道の石段は苔で覆われ、苔の中から竹の子が頭を出し美味そう! 踏んで歩く人もない神社なり! 奥には、小さな堂があるだけ。

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⑦南陽院・・・・・・・・・・・天台宗の寺。 印西大師を興したのは江戸時代の南陽院の住職・臨唱法印なり。 大師堂(写真左の堂)も寂しく、土埃にまみれていた。

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・・・・・・・・・・・・・・・お寺の前には、タンポポが、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・水田の中に、先祖代々続く、一族の墓地が!

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⑧成田線我孫子支線・・・・・・・・・・成田線の本線は佐倉~松岸(銚子の手前)間である。我孫子支線は、ズバリ、全線単線の我孫子~成田間である。 E231系10両編成が走っている。 安食駅付近ではガラガラだ。

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⑨成田線長門川橋梁・・・・・・・・・・・・・成田線我孫子支線は、利根川沿岸の物資及び成田山への参拝客の輸送を目的に明治34年(1901)に成田鉄道として開業した。 後に国有化され、民営化後はJRに引き継がれた。 小林~安食間の長門川橋梁の橋脚は開業時に建設された煉瓦造である。 明治期のお雇い外人の一人として、碓氷峠の煉瓦橋梁を設計した英国人:Charles Assheton Whately Pownallにより、明治27年(1894)に設計された。 橋長は168m。 橋桁は明治期の英国製で、単線上路プレートガーダーである。

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⑩安食の街・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・石井時計店・・・・・・・・・この次訪れた時は壊されているかも?

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・・・・・・・・・・・・・旅館竹村・・・・・・・・・・築50年以上の老舗旅館らしい

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・・・・・・・・・・・・・山本太四郎本店・・・・・・・・大きな建物の瀬戸物屋さん

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・・・・・・・・・・・・・割烹三福・・・・・・・・・路地奥の洋館風の料理屋、営業はしていない

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⑪安食駅・・・・・・・・・・明治34年(1901)開業。駅名“あじき”は難読で有名。

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