浜松町~有楽町
何故か、昨日、浜松町駅の兜をかぶった小便小僧を思い出した。 今日の散歩は、しばら御無沙汰していた小便小僧を訪ねることからスタートした。 浜松町駅から有楽町駅まで、1万1千歩、8km。
①小便小僧・・・・・・・・・山手線外回り・京浜東北線南行ホーム(3・4番線ホーム)の田町寄りに小便小僧の像がある。 この像は昭和27年(1952)10月14日の鉄道開通80周年を記念して、新橋駅の嘱託歯科医:小林光が、診療所に置かれていた白い陶器製の小便小僧を寄贈したのが最初である。 昭和30年(1955)には、小林医師より新たにブロンズ製の像が贈られ、衣装が着せられるようになった。 この頃から小便小僧は、新しい衣装に変わる度に、新聞に載り話題となった。 私が思い出した、折り紙の兜をかぶった小便小僧、サンタクロースの小便小僧、、、、、いろいろな衣装を着替えて60年が過ぎた。 もう60歳、そろそろ紙おむつの“小便爺さん”が登場するかも?
②渡邉ビル・・・・・・・・・・・浜松町駅前の昭和レトロなビル。大林組の設計で、昭和6年(1931)に竣工した帝冠様式(昭和初期に流行した、鉄筋コンクリート造の建物に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷様式)のビル。 浜松町駅ホームからパチリ!
③金井医院・・・・・・・・・・浜松町にある、戦後の昭和レトロが残る渋い建物。 医院は閉院したようだが、今でも、老先生が出てきて、診察してくれそうな雰囲気だ!
④JR東日本新橋変電所・・・・・・・・・・・変電所はテロに狙われやすく、対策の為と思われるるが情報が少なく、何所にあるか、何時造られたか、不明な場合が多い。 ここも情報が少なく、建築年代は不詳。 ただ、大正15年(1926)には存在していた写真がある。 当時は「汐留変電所」と称していたようだ。
⑤ニュー新橋ビル・・・・・・・・・・名前は知らなくても、新橋駅前SL広場横のビルとして有名だ。 昭和46年(1971)、戦後のヤミ市を再開発して建設された。 サラリーマン男性が昼はマッサージで癒し、夜はアルコールで癒す、若い営業マンは客先に行かずゲームセンターで時間をつぶす、OLは皮膚科、精神科、内科、歯科の診療所通いと、なんとも客の出入りが多い雑居状態のビル。・・・・・・・・私もサラリーマンの時代には利用した思い出のあるビル。
⑥堀商店・・・・・・・・・・創業明治23年(1890)の建具金物の卸売。 100年以上続く老舗の風格を漂わせる建物は、公保敏夫の設計、安藤組(現:安藤ハザマ)の施工で、昭和7年(1932)に竣工した。 塔屋が付いた鉄筋コンクリート造4階建ての建物は、チョイト疲れたのか、ネットで外壁タイルの剥落を防いでいる。 国の登録有形文化財。
⑦堤第一ビル・・・・・・・・・・・新橋駅西口の堤第一ビルは、大正9年(1920)竣工、酒井祐之助設計、東洋コンクリート工業施工、鉄筋コンクリート造5階建てのビルだ。 現存する震災前のビルの一つだが傷みが激しく、痛々しく見える。 内部も、階段手すり・窓枠など木製の部分も多く、いやでも年季を感じさせる。
⑧東京高架橋(新永間市街線高架橋)・・・・・・・明治43年(1910)に完成した。現在の山手線部分の烏森(新橋)~有楽町間の高架橋。・・・・・・・・・新橋から有楽町にかけ、高架橋の西側では煉瓦造の外観を見ることができる。
⑨高架下・・・・・・・・・煉瓦造りの高架橋の東側は、鉄筋コンクリート造の東海道線の高架橋と東海道新幹線の高架橋が、ピッタリ並んでいる。 その高架下は、JR関連企業、鉄道関係の団体、新聞社の倉庫、そして飲食店が入居し異空間が創られている。
・・・・・・・・・・・・・右は新幹線の高架、左は東海道線の高架、さらに、その左に煉瓦造の高架がある。 写真中央の高架の間を入っていく、、、、、
・・・・・・・・・・・・まずは駐車場と、鉄道関係団体の事務所が並んでいる、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・所々に、煉瓦造の高架橋の耐震補強工事で、アーチ型の空間が見える、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・丸の内新聞(?)社員食堂もある。隣りは韓国料理、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・有楽町に近づくと、居酒屋の提灯が並ぶ、、、、、
・・・・・・・・・・・・・今どき、故郷からの便りでもないだろうが、郵便配達が通り抜けて行く、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・晴海通りの近くに出て、後は有楽町駅、、、、、