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2014年4月17日 (木)

芝公園

新橋駅から、大門、芝公園、飯倉を抜けて、大江戸線赤羽橋駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。 増上寺・東京タワーをぐるりと大きく回った散歩です。



①有章院霊廟二天門
・・・・・・・・・・・・有章院(ゆうしょういん)は江戸幕府第7代将軍:徳川家継(いえつぐ)(1709~1716)の院号。 霊廟は第8代将軍:徳川吉宗が享保元年(1716)に造営したもので、日光東照宮に並ぶ豪華な建築だったそうだ。 昭和20年(1945)の空襲によりこの二天門だけを残して、全て焼失してしまった。・・・・・・・・・・墓所は改葬され、この二天門だけが、プリンスホテル前に、都会の空気に汚され静かに残されている。

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②安蓮社・・・・・・・・・・・御成門小学校の西に、安蓮社(あんれんじゃ)がある。 寺院らしくない名前、建物は事務所ビル風、道路からは墓石の頭部がチラリと見えるだけの、“寺”らしくない寺である。 ビルの谷間に位置する、ここの墓地に入ると、増上寺の歴代大僧正の墓がズラリと並んでいる。 墓石は、丸く膨らんだものが、蓮模様の台座の上に突き出ている、特異な形状をしている。・・・・・・・・・・正月には、増上寺の大僧正が50人以上の僧を従えて墓参りするそうだ。 スゴイだろうね、見てみたい。

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③正則高等学校
・・・・・・・・・・・御成門交差点近くの私立高等学校。 明治22年(1889)に予備校として創立した、歴史ある高校だ。 戦後しばらくは男子校であったが、平成12年(2000)から男女共学となった。

・・・・・・・・・・・・・・現在一部が残る、昭和11年(1936)完成の校舎。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和11年(1936)完成当時のモダンな校舎

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・・・・・・・・・・・・・・大正4年(1915)当時の校舎

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④オランダ大使公邸
・・・・・・・・・・・・正則高等学校前の坂を上るとオランダ大使館があり、敷地内にオランダ大使公邸もある。 明治16年(1883)に芝公園の現在地に公使館が開設された。当時は木造2階建ての建物であったが震災で焼失した。昭和3年(1928)に「和蘭公使館」が再建された。 その後、オランダ大使館は別に建てられ、公使館の建物はオランダ大使公邸となった。 設計はアメリカ人のJ・M・ガーディナ、施工は清水組(現:清水建設)、鉄筋コンクリート造2階建て。・・・・・・・・・外観は左右対称で、調和のとれた均衡ある建物で、美しい!

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⑤東京都水道局芝給水所
・・・・・・・・・・・オランダ大使公邸のお隣は芝給水所。 明治29年(1896)に竣工し、明治31年(1901)に給水が開始された。 歴史ある給水所だが、平成になり大規模に改造された。

・・・・・・・・・・・・・正門は、明治31年(1898)に造られた淀橋浄水場の門を昭和40年(1965)に移築したもの。

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・・・・・・・・・・・・・給水所のレリーフは、明治31年(1898)の通水時の流入弁室の入口部に、銘板を嵌め込み保存したもの。 明治22年(1889)に決められた、東京都の紋章がいいね!

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・・・・・・・・・・・・・平成14年(2002)に完成した現在のポンプ棟

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⑥幸稲荷神社
・・・・・・・・・・給水所前に鎮座する小さな神社。 応永元年(1394)に豊島郡岸之村(現:芝公園2丁目辺り)の鎮守として勧請された。 創建時は岸之稲荷大明神と称していたが、氏子・崇敬者に願望成就・商売繁盛・子孫繁栄などの幸事が多く起こったため、寛永元年(1624)幸稲荷に改称した。・・・・・・・・そんなに御利益あるなら、神社自身が商売繁盛の御祈祷をしたらどうだ! デッカイ拝殿でも建てられるかも!

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⑦懐かしき学生姿・
・・・・・・・・・・・布製肩掛け学生カバン、カラーのついた学生服、どちらも下ろしたてを身に付けた芝中の新入生さん。 50年前と変わらない、懐かしい通学風景だ!・・・・・・・・・私も中学生時代に御愛用。 アルミの弁当箱から出た醤油のシミが白いカバンにくっきりと匂いと共につき、セルロイドのカラーで首筋がスレてヒリヒリしたのは、今でも覚えている!

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⑧巨大な纏!
・・・・・・・・・・・給水所の近くにある日鳶連会館の巨大なる纏だ。 “日鳶連”とは、とび・土工工事業者による全国団体で、国土交通省許可の公益法人。 纏の中は、鉄骨のらせん階段がある。

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⑨聖アンデレ教会/聖オルバン教会
・・・・・・・・・・・飯倉交差点近くに建つ、聖アンデレ教会は、日本聖公会に明治6年(1873)、2人の英国人宣教師が日本に派遣され、日本人への伝道が開始された。 明治10年(1877)、現在の地を購入し聖堂を建てる。 これが聖アンデレ教会の始まりとなる。 敗戦の年、それまで強制移転や信徒住宅で礼拝を守っていた、教会活動が再開され、昭和23年(1948)には聖アンデレ教会の仮礼拝堂が整備された。 昭和31年(1956)には、「敷地内に英語礼拝のための聖堂を建てたい」という思いがあり、新たな礼拝堂として聖オルバン教会が建設された。 平成8年(1996)には、現在の聖アンデレ教会が完成した。

・・・・・・・・・・・・・・坂の途中に建つ、聖アンデレ教会(左)と聖オルバン教会(右)

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・・・・・・・・・・・・・・聖アンデレ教会・・・・・・・・香山壽夫の設計、ナカノコーポレーションの施工で平成8年(1996)に竣工。・・・・・・・・・・20日のイースターに向け、今日から「聖なる三日間の礼拝」が始まるので司祭が集まって準備中。 邪魔しないように聖堂を拝見!

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・・・・・・・・・・・・・聖オルバン教会・・・・・・・・・・・・昭和31年(1956)、アントニン・レーモンドの設計で、シンプルな木造の礼拝堂が建てられた。 レイモンドは聖路加病院、カトリック目黒教会、旧星商業学校(星薬科大学)なども設計している。

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⑩ノアビル・
・・・・・・・・・飯倉交差点のシンボル。 楕円形のランドマークは、事務所兼ショールームのノアビル。 設計は昭和期の建築家:白井晟一(1905~1983)。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地下2階/地上15階建、竹中工務店の施工で、昭和49年(1974)に建てられた。・・・・・・・・・・今でも、新鮮な感じを受け、違和感の少ない建物だ!

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