千葉ニュータウン中央~新木
北総線の千葉ニュータウン中央駅から、裏道、農道、畦道を歩き、成田線の新木駅まで、1万9千歩、14kmの散歩です。
①千葉ニュータウン中央駅・・・・・・・・・・・・橋上駅舎を有する、島式ホーム1面2線の地上駅である。 素人的には北総鉄道の駅だが、鉄道オタク的には北総鉄道と京成電鉄が第二種鉄道事業者として私設・線路を借り鉄道を運営し、「千葉ニュータウン鉄道」が第三種鉄道事業者として施設・線路を保有している。 駅の運営は北総鉄道で、ややこしいね!・・・・・・・・でも、北総鉄道は京成グループで京成が筆頭株主、千葉ニュータウン鉄道は100%の京成子会社。 ということで、ここらは京成電鉄一家の縄張りである。
②ニュータウン・・・・・・・・・昭和41年(1966)に千葉県が事業を開始し、昭和50年代には宅地開発公団(現:都市再生機構)も事業参加した。 共同で大規模な宅地開発が進められ、約50年経過して、やっと駅周辺の半径1kmの範囲は“ニュータウン”になってきた。 今だ人口は当初計画の1/4で、100年後も“ニュータウン”開発中かも?・・・・・・・・・・駅周辺は住宅販売のパンフレットに載っている、This is “ニュータウン”である。 古いもの、歴史あるものが無い、私の肌には合わない街だ!
③田舎道・・・・・・・・・・・駅から1km北に県道59号が走っている。 この県道を境に、“ニュータウン”とは別れ、里山の空気も残る田舎道となる。
・・・・・・・・・・・・・県道沿いのショウブに誘われ、白幡地区の横路に入っていくと、白幡道の庚申塔群に出会う。
・・・・・・・・・・・・・庚申塔群の前を道なりに奥に進むと、三叉路の角に朱入笠付の三猿文字塔がある。 寛文十二年(1672)の年号が読める。・・・・・・・・・ここもそうであったが、鮮やかな朱を塗られた石塔・石仏は、今でも昔の信仰が息づいているようだ。 不思議なパワーを感じるね!
・・・・・・・・・・・・・・道はさらに奥へ続き、行き止まりには、白幡地区集落の中にひっそりと白幡山吉祥院がある。 堂は平成15年度の県の補助金で直されたそうだ。 境内には「四国八十八ヶ所」の“写し”である「印西大師」の第63番札所っが設けられている。
・・・・・・・・・・・・・・吉祥院から戻り、竹藪、竹の子、馬頭観音の石塔を見ながら道を行く。
・・・・・・・・・・・・・・あれは! 今は赤い屋根に変わったが、かつては茅葺の屋根の馬小屋(牛小屋かも?)だったと推定した! 懐かしい造りだと感動し、立ち止まっていたら、風が“かまど”で火を燃やす匂いを運んできた、再び感動!
・・・・・・・・・・・・・・・木立の間の細い道を行くと、八幡宮にでた。 厳島神社の大鳥居と同じ、主柱を4本の稚児柱で支える両部鳥居(りょうぶとりい)の神社だ。 境内には講の石碑が並んでいた。
・・・・・・・・・・・・・神社を過ぎると、視界は広がり里山の雰囲気だ!
・・・・・・・・・・・・・・・またまた、山の中へ。 道祖神が祀られている道を入る。
・・・・・・・・・・・・・印西市浦部地区の鳥見神社がお出迎え! もちろん、神主も巫女さんもいません!
・・・・・・・・・・・・・観音寺は、天長6年(829)~承和4年(837)の間に、慈覚大師が手賀沼湖畔の高台に開山した古刹。 境内の高台には観音堂もある。
④畦道・・・・・・・・・観音寺を過ぎると、手賀沼の下流にひろがる田圃は、一斉に田植えが始まった。
・・・・・・・・・・・・・・昭和35年(1970)に架けられた手賀干拓一の橋。
・・・・・・・・・・・・・・水田の中に、気持ちよさそうに立つ鉄塔。
・・・・・・・・・・・・・・手賀川に架かる、昭和61年(1986)に竣工した浅間橋。 この辺りは、釣り人も多いようだ。
⑤新木駅・・・・・・・・・・・明治34年(1901)の成田線我孫子~安食間の開業から57年後の、昭和33年(1958)に開業した新木(あらき)駅。 島式ホーム1面2線の地上駅。 かつて、コンクリート造の駅舎があったが、現在は取り壊されて駅舎はない。 跨線橋からホームへ降りた階段の先に改札がある。