浅草橋~上野
浅草橋の我が家からスタートして、東本願寺、上野公園と歩き、公園内の五條天神社では祭礼に見入り散歩を忘れた。 上野駅までの、1万歩、7kmのチョイト短い散歩となった。
①吉祥院・・・・・・・・・・元浅草の街中の寺院は、真言宗智山派の吉祥院。 創建年代は不詳、慶長16年(1611=大坂冬の陣の3年前)に中野に寺地を与えられ、寛永21年(1644=将軍家光の時代)には台東区元浅草の現在地へ移転した。・・・・・・・・・この寺院の特徴は小さな境内に、手入れの行き届いた植栽が多く、落ち着いた癒しの雰囲気がある。
②誓教寺・・・・・・・・・・・・吉祥院の向かいに、創建年代不詳の浄土宗誓教寺があり、ここには、浮世絵師:葛飾北斎の墓がある。 葛飾北斎は、本所(墨田区)で生まれ、生涯に号を変えること30回以上、引っ越しは93回、結婚2回と、名も居所も転々としたそうだ。 現代なら、住所変更届、婚姻届など諸手続きが多く、こんなことできないね! 最期は、嘉永2年(1849)、山谷堀(台東区)にて90歳で没した。 墓石には「画狂老人卍墓」と正面に、右側面には辞世「ひと魂で ゆく気散じゃ 夏の原」が刻まれている。
③仏壇通り・・・・・・・・・・JR上野駅から浅草へ続く浅草通りは、別名「仏壇通り」といわれ、地下鉄銀座線「田原町」駅を中心に、通りの南側左右に50軒程の仏壇・仏具店が軒を連ねている。 江戸時代、上野の山には東叡山寛永寺が建立され、隅田川沿いには浅草の観音さまが祀られ、さらに周辺には明暦の大火(1657)により多くの寺院が集められ寺町となった。 まさに、仏具店が増える好条件だ! そして、浅草通りは仏壇通りと化した。 ただし、仏壇屋は直射日光を避けるため、通りの南側に軒を連ねている。・・・・・・・・仏壇、仏具、位牌、数珠、線香、仏像、盆提灯、神棚、鳥居、神輿など、宗教用具なら何でも揃う街だが、十字架、聖書はないね!
④難波仏具店・・・・・・・・・・仏壇通りに建ち並ぶ仏具屋さんの1軒が、榎本徳蔵の設計、戸田組(現:戸田建設)の施工で、昭和4年(1929)に建てられた「難波仏具店」。 鉄筋コンクリート造、3階建てだが、屋上に中国風の塔を設け、外壁には大きな丸窓が3か所の、エキゾチックなデザインの建物だ!
⑤東本願寺・・・・・・・・・東本願寺の正式名称は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」。 かつては、浅草本願寺、東京本願寺などとも呼ばれていましたが、真宗大谷派から独立した。 関東大震災により本堂を焼失し、昭和14年(1939)に鉄筋コンクリート造の本堂が再建された。
⑥西郷隆盛像・・・・・・・・・明治31年(1898)に建立された、東京の代表的な名所だが、最近は像を見る人も少なくなった。 特に、修学旅行の生徒が、像の前で記念写真を撮る光景はなくなったね!
⑦五條天神社大祭・・・・・・・・・・・上野公園内に祀られている、医薬祖神の五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)の例大祭。 私が着いたころは、神輿の宮出し前、神主・巫女・地元の世話人・担ぎ手、皆さん準備して、お祓いして、出発です。・・・・・・・・・・・なぜか、私の住む浅草橋の住人がここで、半纏を着ている、写真を撮っている、アレレ、世間は広いようで狭い!
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