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2014年6月

2014年6月30日 (月)

田端~白山

JR田端駅から都営三田線白山駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。


①田端切通し
・・・・・・・・・・・・田端駅北口前の都道に大きな切通しがある。 昭和8年(1933)、台地である山手線内側(文京区側)から、低くなっている山手線外側(荒川区側)に抜ける道か整備された。 この「田端切通し」には、「東台橋」と「童橋」が架けられている。 

・・・・・・・・・・・・・東台橋・・・・・・・・・・・東台橋(とうだいばし)、竣工年不明だが切通しが造られた昭和8年に近い時期に橋も架けられ、さらに現在の橋は近年架け替えられたものと思われる。

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・・・・・・・・・・・・・・東台橋から田端駅側を望む。 けっこう高い位置に架かっている、右のビルから推測すると3階以上の高さはあるね! 中央正面には東北新幹線の高架橋も見えるが、その高さよりも高い!!

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・・・・・・・・・・・・・・東台橋から童橋の方を望むと、両側の石積みのスケールが大きいね! 人も車も谷底を移動中。

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・・・・・・・・・・・・・・童橋・・・・・・・・・・・切通しにより分断された東西をつなぐ橋としてかけられた鉄骨のアーチ橋。 近くの滝野川第一小学校へ通う児童の通学路として利用されている。

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②田端八幡神社
・・・・・・・・・・・文治5年(1189)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州藤原一族を平定し、その帰路に鎌倉八幡宮を勧請した。 田端村の鎮守さま。 社殿は平成4年(1992)に再建された。

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③東覚寺
・・・・・・・・・・田端八幡神社の隣りに、別当であった真言宗豊山派の東覚寺がある。 延徳3年(1491)に創建され、慶長年間に現在地(北区田端)へ移転した。 昨年の正月に「谷中七福神巡り 」で福禄寿を見に来たが、チョイトした失敗で、お会いできなかった!

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・・・・・・・・・・・・・・・山門の脇には、石仏の赤紙仁王尊が立っているが、悪魔を焼除する色の赤紙が全身に貼られ、姿かたちが見えなかった! 仁王さんもペタペタ貼られた赤紙に動きがとれず、息苦しいようだ!

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④天祖神社
・・・・・・・・・・・・・文京区本駒込の天祖神社。 こちらも、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐の時、創建した神社。 先の田端八幡神社と同年に建てたようだ、頼朝は神社好きの武将だね! 現社殿は昭和29年(1954)に新築された。 森の中に佇むような雰囲気があり、しっとりとした心地よい神社だ。・・・・・・・・今日は6月末、「夏越の大祓い」である。 神社では茅の輪くぐりをしてきた。

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⑤本駒込の路地
・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・天祖神社の鳥居前を右に行くと、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・道はT字にぶつかり、左右どっちに行こうかな? 左は行止まりかと思いきや、赤い矢印の標識が、、、、、、なんだ! 行ってみよう!

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・・・・・・・・・・・・・・・駒込病院の裏道かな? 行けるとまで行ってみるか、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・一折れ、二折れ、金網越しに保育園が見える、、、、、、どうやら、病院職員用の保育園らしいが、中には入れず、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・病院の施錠された裏門前に出てきた!、、、、、、、自転車、乳母車なども通る生活道路だった。 でも、夜は怖そうな道だ!

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⑥吉祥寺
・・・・・・・・・・・・文京区本駒込にある、曹洞宗寺院の諏訪山吉祥寺。長禄2年(1458)太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、城内に一宇を設け吉祥寺を創建した。 その後、家康の入府に伴い水道橋へ移転し、明暦の大火(1657)後は、現在地に移転した。 境内は広い!・・・・・・・・ちなみに、中央線の武蔵野市吉祥寺には「吉祥寺」と称する寺は存在しない。 なぜなら、寺の吉祥寺が水道橋の地で明暦の大火により被災したとき、門前の住民が現在の武蔵野市吉祥寺へ移転し、愛着を込めて吉祥寺村と称したことが地名の起こりである。

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・・・・・・・・・・・・・・・本堂・・・・・・・・空襲で本堂は焼失し、戦後、再建された。 鉄筋コンクリート造。

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・・・・・・・・・・・・・・・経蔵・・・・・・・・・空襲で被災を免れた、文化元年(1804)の建築。

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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中をウロウロ、、、、、、、発見、榎本武揚の墓

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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは、二宮尊徳の墓。 墓の横には、本家本元のあの像が、、、、、、

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●・・・・・・・・・・・・・・・この後、東洋大学前を通り白山駅へ。

2014年6月27日 (金)

金町

常磐線金町駅の北側をウロウロ、キョロキョロ歩いてから、南側に出て京成金町線柴又駅まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。


①JR金町駅
・・・・・・・・・・盛土の高架下に改札があり、改札を出ると南北を結ぶ自由通路により、南口、北口に抜け出てくる構造になっている。 ホームは1面2線の島式で、緩行線のみの停車である。

・・・・・・・・・・・・・・北口・・・・・・・・・駅前のロータリー越しに、旧住宅公団の金町駅前団地が建ち、民間による大規模な再開発は難しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・南口・・・・・・・・こちらも駅前は広いロータリーがある。 その先には高層ビルも建ち並びはじめた。

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・・・・・・・・・・・・・・・南北を結ぶ自由通路、この通路の中程に改札口がある。

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②東京理科大学 葛飾キャンパス・
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・金町駅から、どっちに歩こうかと思ったとき、目に入った「金町理科大商店会」の文字。 ヨシ、まずは理科大に行ってみよう!

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・・・・・・・・・・・・・去年(平成25年(2013))オープンしたキャンパスだが、地元は商店会の名称だけでなく、道路名にも「理科大」が付いた。 敷石に埋め込まれたネーム。

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・・・・・・・・・・・・・・見えた!旧三菱製紙工場跡地に建つ東京理科大学葛飾キャンパス。 理科大の神楽坂キャンパスが手狭になってきたため葛飾キャンパスが建設された。 キャンパスは周囲を「葛飾にいじゅくみらい公園」に囲まれ、公園とキャンパスの敷地境界には何もなく、まさに公園と一体となって、地域に開かれたキャンパスとなっている。 とくに公園の芝生・池がキャンパスに続き、広さと緑による空間の演出は、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・キャンパスの設計は日建設計、工事は鹿島建設、大成建設、大林組、竹中工務店が分担して施工。 鹿島建設が担当した、キャンパス最大の研究棟。 延床面積約4万4千㎡、 地上11階建て。

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・・・・・・・・・・・・・・・講義棟は大林組の施工、延床面積約1万7千㎡、 地上7階建て。

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・・・・・・・・・・・・・・管理棟は大成建設の施工、延床面積約1万㎡、 地上6階/地下1階建て。
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・・・・・・・・・・・・・・・第1実験棟、第2実験棟は大成建設の施工。 地上4階建ての第1実験棟、地上2階の第2実験棟。

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・・・・・・・・・・・・・・体育館も大成建設の施工。 延床面積約5千㎡、 地上6階建て。

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・・・・・・・・・・・・・・図書館は竹中工務店の施工、延床面積約1万㎡、 地上5階建て。 なんとなく、新興国の議事堂のようなイメージだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・キャンパスの中央に木々が茂る歩道、右に講義棟、左に研究棟、正面に図書館が配されている。 シンボリックな景観だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・公園に残されている地球釜。 三菱製紙の工場で、古い紙をリサイクルする際に、この丸い釜を回転させて溶かしたことから「地球釜」と呼ばれている。 公園には5台あったうちの1つが残されている。

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③金町駅前団地・・・・・・・・・・・金町駅北口ロータリー前に建つ公団の15階建ての高層住宅。 昭和43年(1968)に竣工、4棟1,417戸からなり、かなり広い敷地をユッタリと利用している。 「只今、耐震化工事中」と、いうことは当分建て替えはないようだね! この団地の建て替えが進まないと、金町駅前の再開発は難しいかも、、、、、、?

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④A邸・・・・・・・・・・・・・北口から自由通路を抜け南口へ、京成金町線沿いに柴又へ向かう左手に、大正12年(1923)に建てられた元医院の住宅がある。 大きな三角屋根の風格ある建物だ!

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●・・・・・・・・・・・・・・今日は帝釈天に寄らずに帰ることに、、、、、、、柴又駅から。

2014年6月26日 (木)

墨田5丁目

東武スカイツリーライン堀切駅から鐘ヶ淵駅までの、東武鉄道と墨堤通りに挟まれた地区が「墨田区墨田5丁目」である。 この辺りの迷路状の裏道・路地を行ったり来たり、通り抜けたり戻ったり、1万1千歩、8kmの散歩です。

①堀切駅・・・・・・・・・・・私の好きな都内の駅ベストテンに間違いなく入る駅。 このブログにも度々登場! 明治35年(1902)に開業したが、いつまで経っても、駅前の寂しい哀愁を感じる駅。 通勤時間帯の上りホームも人影まばら!

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②隅田水門
・・・・・・・・・・・・荒川と隅田川を結ぶこの水門は、荒川開削以前は綾瀬川が隅田川に合流していた場所に造られている。 隅田水門は荒川と隅田川を往来する舟運の要衝として、大正13年(1924)に建設された。 現在の水門は昭和43年(1968)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・・水門の内側を東武鉄道が走る!

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・・・・・・・・・・・・・・荒川から水門を入った綾瀬川は隅田川に合流する。

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③カネボウ公園
・・・・・・・・・・・・堀切駅から南に約500m程の所に、「カネボウ公園」と称する小さな公園があり、「鐘淵紡績株式会社 発祥の地 明治二十二年五月六日創立」と彫られた、石碑が寂しそうに建てられている。 この地は, かつては 鐘紡(鐘淵紡績)の大きな工場があった場所で、昭和44年(1969)まで東京工場として操業していた。 公園の隣りの区立「堤野球場」には、鐘紡の工場時代の塀の一部と思われる、煉瓦塀、コンクリート塀が残されている。・・・・・・・・・・紡績工場の復興は夢の、また夢の夢。 “昭和”が消えた、寂しい話だ!

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④カネボウ公園近くの路地
・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・チョイト、奥へ行ってみるか、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・オヤ、視界がチョイト開けたかな?

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・・・・・・・・・・・・・・・行止まりかと思いきや、右折できた! ちゃんと外灯もある、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・出てきた道は裏道だ!

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・・・・・・・・・・・・・・引き続き道は続く! 右、左どっちへ? 男は左?

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・・・・・・・・・・・・・・・・迷路のように、私を楽しませてくれる、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・出たところは、多聞寺の裏だった。

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⑤多聞寺
・・・・・・・・・・・・・隅田山吉祥院多聞寺(たもんじ)は言宗智山派の寺。 天徳年間(957-60)に墨田堤にて草創された。 江戸時代初めに現在地(墨田区墨田5)に移転した。 茅葺の山門は江戸時代中期の建物である。いいね!

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⑥円徳寺
・・・・・・・・・・曹洞宗の醍醐山円徳寺は、朱の山門が出迎え、別名:赤門寺とも呼ばれている。 駒込吉祥寺の和尚が慶長18年(1613)に開山したと伝えられている。

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⑦そば 坂むら
・・・・・・・・・・多聞寺と円徳寺のほぼ中間にある創業明治35年(1902)、風情ある佇まいの木造2階建てのそば屋さん。 ゴク、普通の下町のそば屋さん! もちろん、私の好きな、もりそば、カレー南蛮もある。 建物は昭和7年(1932)の建築。 定休日は毎週木曜日、ということは、今日だった!

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⑧墨田5丁目の建物
・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・煉瓦造りの蔵・・・・・・・・・隣の母屋(?)は瓦が落ちかけている

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・・・・・・・・・・・・・・「成田山隅田参拝講事務所」の札が下がっていた。

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・・・・・・・・・・・・・香取神社・・・・・・・・・多聞寺の横に鎮座する香取神社は隅田川神社の末社である。 社殿は神輿庫のようだ、仮の社殿か?

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・・・・・・・・・・・・・・2軒長屋

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・・・・・・・・・・・・・・武田商店・・・・・・・・・・・銅板建築

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・・・・・・・・・・・・・工場のようだ!

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・・・・・・・・・・・・・小沢理容店・・・・・・・・・・元気に営業中。

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⑨終戦直後の住宅か?
・・・・・・・・・・・裏道に建つ、木造平屋の長屋。 裏側には物干し竿を架ける柱がズラリ!

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⑩鐘ヶ淵駅
・・・・・・・・・・私には一生忘れられなくなった駅。 ちょうど一年前、駅前踏切で転び右肩を脱臼し、交番のお巡りさんが救急車を呼んでくれて病院へ、、、、、、以来、今年の4月までリハビリ通いとなった。 現在も後遺症で、まだ肩がおかしいね。

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2014年6月23日 (月)

市川~下総中山

総武線市川駅から下総中山駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。  総武線の北側は千葉街道(国道14号)が並行し、街道沿いには歴史ある建物も多く残り、また『千葉の鎌倉』として文士も住んだクロマツの茂る避暑地でもある。 総武線の南側は江戸川の河口地帯で、戦後の住宅・工場が並ぶ街で、“古き良きもの”を探すことはできない。 今日の散歩はこの南側を歩いてきた。


①市川駅南口
・・・・・・・・・・市川駅は明治27年(1894)、総武鉄道(市川~佐倉)の起点駅として開業。昭和47年(1972)、島式ホーム2面4線の高架駅となった。・・・・・・・・・・・駅のメインゲートは北口であり、今も変わらない。 南口は平成21年(2009)に駅前再開発が竣工し、地上45階と地上37階の超高層ビル2棟を中核とした「I-linkタウン」が整備された。 45階には、無料の展望施設 がある。

・・・・・・・・・・・・・中央にロータリーを配し、その左右に高層ビルが建つ。 駅はロータリー中央がら入る。

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・・・・・・・・・・・・・・ホームは3階の床面と同じ高さ。

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・・・・・・・・・・・・・45階建て超高層ビル「ザ・タワーズ・イースト」・・・・・・・・・・余談だが、このビルの建設中に、高層階の柱で鉄筋の不足が判明し、施工ミスしたS建設が補強工事をする事態が生じた。 チョイトした新聞沙汰になり、記憶している人もいるでしょう。 今は安心して住めますよ!

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・・・・・・・・・・・・・37階建て超高層ビル「ザ・タワーズ・ウエスト」
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②新田商友会商店街
・・・・・・・・・・・I-linkタウンから総武線と並行に伸びる商店街。 500m程の長さの左右に50店舗程が散らばる商店街。 店舗が並び、セールの旗がなびき、客寄せの曲が流れる商店街には程遠い!

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③外環道、只今工事中
・・・・・・・・・・・都心から半径15㎞のエリアを結ぶ延長約85kmの「外環道」は、只今本体工事中。 工事現場は広く、長く、何処で、何を造っているのやら? 前を通っただけでは、サッパリ判らん!

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④平田3丁目の裏道
・・・・・・・・・・・市川駅と本八幡駅の中程に位置する町だが、私の興味を誘う建物は見渡らない、残念だ!

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本八幡駅
・・・・・・・・・・昭和10年(1935)に開業したが、この駅も千葉街道側の北口が活気あり、京成八幡駅、都営地下鉄新宿線本八幡駅とも北側で連絡している。 南口は小さなロータリー前の高架下に出入口があり、周辺には小さな店舗はあるが、大型の店舗はなく、北口と比べては可哀そうかも!

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⑥南八幡のアパート
・・・・・・・・どうやら廃屋となったようだが、今どきのアパートとしては入居を考えるね!、、、、、、建物右端の出っ張りが共同トイレだが、冬の寒い日は外気に触れ用を足すのと同じだ! 風呂はもちろん無し! ガスは各戸にありそうだ、水道は?

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⑦高架橋
・・・・・・・・・・大型ショッピングセンター「ニッケコットンプラザ」の脇に、高架橋が真直ぐ伸び、下総中山駅へ向かう。

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⑧下総中山駅
・・・・・・・・・・・明治28年(1895)、総武鉄道の中山駅として開業し、大正4年(1915)に下総中山駅に改称した。 ここの駅には大正初期に、東葛人車鉄道が延伸し鎌ヶ谷~中山間の営業が開始されたが、数年後には休止し、会社も廃業した。 知る人は少ないね!・・・・・・・・・・ここも高架下の南口は寂しい状態で、北口の賑わいには負けている。

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・・・・・・・・・・・・・・法華経寺 への参道であり、かつては中山競馬場への参道でもあった道が、北口前に待ち受けている。

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2014年6月22日 (日)

小名木川

夕暮れ時から、新大橋を渡り小名木川へ、小名木川と大横川の十字路まで行き、両国橋を渡り帰ってきた。


新大橋
・・・・・・・・・・・元禄6年(1693)に初代の新大橋が架けられ、その後は度々架け替えが行われ、現在の橋は昭和52年(1977)に竣工した。 橋長170mの2径間連続斜張橋である。 

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・・・・・・・・・・・・・・新大橋から

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②小名木川の橋
・・・・・・・・・・・・・小名木川 (おなぎがわ)は旧中川から隅田川を結ぶ、江戸時代に造られた運河。 今日は、隅田川側から順に大横川と交差する川の十字路まで見てきた。

・・・・・・・・・・・・・・萬年橋・・・・・・・・・昭和5年(1930)に架けられた復興橋。・・・・・・・・橋から、隅田川側には隅田川との合流点が見え、旧中川側には小名木川水門が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・高橋・・・・・・・・・・昭和49年(1974)架橋。 橋上は清澄通り。

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・・・・・・・・・・・・・・・西深川橋・・・・・・・・・昭和5年(1930)に架橋。 こちらも、復興橋か?

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・・・・・・・・・・・・・・東深川橋・・・・・・・・・・昭和53年(1978)に現橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・・・大富橋・・・・・・・・・・・・平成8年(1996)完成の大富橋(おおとみばし)。

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・・・・・・・・・・・・・・新高橋・・・・・・・・・・震災復興橋の一つで昭和5年(1930)の架橋。

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・・・・・・・・・・・・・小名木川と大横川の十字路・・・・・・・・・・スカイツリーの足下から流れ下る大横川とクロスする。
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・・・・・・・・・・・・・小名木川もさらに旧中川の方向に続く。 帰りの夜道が怖いので、、、、、私の散歩は、ここで我が家の方向に向かう。 

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③両国橋
・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)に架け替えられた現橋。 大きな球形の飾りがついた親柱は、両国橋のシンボル。

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2014年6月21日 (土)

神田川(佃橋~久我山橋)

あ神田川を遡り、今日は京王井の頭線高井戸駅前の佃橋から久我山駅前の久我山橋まで、11橋を歩いてきた。 1万歩、8km。


①佃橋
・・・・・・・・・・・前回の神田川橋歩きの最後の橋、最下流の柳橋からは117番目の橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・高井戸駅・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)、帝都電鉄の駅として築堤上に開業した。 現在は、環八通り上にある島式ホーム1面2線有する高架駅。

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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺側のホーム端部から見ると、渋谷方面行の線路は築堤上に残り、吉祥寺方面行の線路は高架となっている。

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②あずま橋
・・・・・・・・・・118番目は、高井戸駅の裏手、佃橋からは50m程上流で、川筋に斜めに架かる橋。 昭和51年(1976)完成。

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・・・・・・・・・・・・・・この辺りの神田川は、川底まで見える清流となり、鯉が泳いでいる。

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③やなぎ橋
・・・・・・・・・・・・・・神田川最下流の柳橋中野新橋駅近くの柳橋、そして最後は仮名表記の「やなぎ橋」。

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・・・・・・・・・・・・・・日本基督教団高井戸教会・・・・・・・・・・明治22年(1889)、現在の新宿駅西口付近で伝導を開始し、角筈教会として発展してきた。 戦災で被災したため、戦後は昭和36年(1961)に、現在地に聖堂を建て移転した。 ここの、パイプオルガン(昭和53年(1978)奉献)は、日本のプロテスタント教会のオルガンとしては、代表的なものらしい。 聴いてみたい、見てみたい、、、、、扉は閉じられていた、残念!

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④錦橋
・・・・・・・・・・・・都営住宅:高井戸西一丁目アパートに付近の架けられた歩行者専用橋。  昭和51年(1976)完成。

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⑤むつみ橋
・・・・・・・・・・こちらも、神田川には同名の橋が3橋ある。 方南町駅近くの学校専用橋「睦橋」、下高井戸の「むつみ橋」、そして、ここの「むつみ橋」。 この橋は車道橋らしいが、車は通れず、歩道部分はぺんぺん草が茂り、中途半端な橋だ。

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⑥浴風会
・・・・・・・・・・・むつみ橋の南に広がる浴風園は、震災後、扶養者のいない罹災老人を保護する目的で立てられた施設で、現在は老人医療・介護などの総合施設となっている。 外周を一周歩いてみたが、2万7千坪の広い敷地にはビックリ、入り口だけで6~7箇所、建物の数は多くて数えられない! 構内には、平成になり建てられた、複数の老人ホームと病院、研究施設などの新しい施設がある。 その中で、歴史を語る施設として本館と礼拝堂が保存されている。

・・・・・・・・・・・・・・浴風会本館・・・・・・・大正15年(1926)に内田祥三と土岐達人により設計された。 中央に塔を配し、両翼を広げたプランの建物。 内田祥三は東大の建物を多く手掛けている。

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・・・・・・・・・・・・・・本館裏の中庭に建つ礼拝堂。 設計者は不詳、昭和2年(1927)の竣工。 本館を意識したデザインと思われるが?

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⑦あかね橋
・・・・・・・・・・・・・・122番目の橋。 人、車が分離された橋の幅は、川幅より広いようだ。

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⑧高砂橋
・・・・・・・・・・・チョイト変わった平面形状は、車をスムーズに通行させる工夫か? 面白い形の橋だ! 昭和51年(1976)完成。

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⑨月見橋
・・・・・・・・井の頭線富士見ヶ丘駅前の通りに架かる橋。 昭和49年(1974)完成。 橋名の“月見”の由来は解らない。 区役所の担当者が近くの蕎麦屋で“月見そば”を食べながら思いついた名前かも?

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・・・・・・・・・・・・・・富士見ヶ丘駅・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に開業した、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。

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⑩京王電鉄専用橋
・・・・・・・・・・・・神田川に架かり、井の頭線富士見ヶ丘検車区へ向かう京王電鉄の専用橋。 専用橋だが、一般の人も自由に通行できるので、125番目の橋としてカウントすることにした。 (ちなみに、隅田川からここまでは21.7km) 

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・・・・・・・・・・・・・専用橋を渡り、検車区の門の前を左に曲がると、神田川もホンノチョイト渓谷の雰囲気が出てきた。 川の水も綺麗で、ホタルも飛んでいるそうだ! 久我山は、東京のホタルの名所となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・・検車区はフェンスが邪魔で、覗きにくいね!

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⑪清水橋・
・・・・・・・・・・検車区の西端付近に架かる橋。

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⑫久我山橋
・・・・・・・・・・久我山駅前に架かり、「人見街道」を通す橋。 127番目の橋。

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・・・・・・・・・・・・・久我山駅・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に開業した、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、駅舎は橋上である。

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・・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代前半の久我山駅

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●・・・・・・・・今日は、127番目の久我山橋で散歩は終わり。 残りは12橋、次回、乞うご期待!

2014年6月19日 (木)

見番通り

今宵も、夕暮れ時からの散歩、押上から向島・桜橋をとおり浅草まで、8千歩、6kmです。


①スカイツリー
・・・・・・・・・・・日没前で、まだライトアップ前。

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②見番通り
・・・・・・・・・・・・言問橋のきわから始まり、隅田川に沿って北上し、墨堤通りに接続する、向島花柳界の中心の通り。 

・・・・・・・・・・・・・・“通り”の案内がある。

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・・・・・・・・・・・・・三囲神社・・・・・・・・・・財閥三井家の守護神。 三越のライオン像もある。 夕方5時以降は閉門している。

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・・・・・・・・・・・・・・見番通りに味を添える煉瓦塀。 煉瓦積み専門の工務店で塀で、歴史はないようだ。 本物の煉瓦塀は、渋い味をだすね!

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・・・・・・・・・・・・・ブティックの優しい灯りが、歩く人を落ち着かせるね。

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・・・・・・・・・・・・・・粋な塀の建物は、元待合? 元料亭?、、、、、?

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・・・・・・・・・・・・・こちらの料亭は、明りが灯っていない、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・玄関に明りが灯る料亭「美家古」も、、、、、建物は大正末期の建築。
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・・・・・・・・・・・・・「向島墨堤組合」、こちらが見番です。

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・・・・・・・・・・・・・大きな料亭「櫻茶ヤ」。

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・・・・・・・・・・・・・黒塀の料亭「千代田」。 玄関先の灯りがまぶしい!

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③桜橋
・・・・・・・・・・・隅田川の上でX字形に歩道が交差する歩行者専用橋。台東区と墨田区が工事費を折半して、昭和60年(1985)に完成した、両岸の隅田公園を結ぶ橋。

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④隅田公園
・・・・・・・・・・

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2014年6月18日 (水)

小菅~西新井

東武スカイツリーラインの小菅駅から西新井駅まで、夕暮れからの散歩です。 1万歩、8km。


①小菅駅
・・・・・・・・・・・大正13年(1924)に開業した、ご存知「東京拘置所」の最寄駅。 

・・・・・・・・・・・・・平日の帰宅時間帯だが、乗降客は少なく寂しいホーム。 拘置所で“長のおつとめの人”は護送車で通勤するから、乗降客が少ないのか、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・ホームから見える、大きく立派な東京拘置所 。 一度でいいから体験入所してみたいものだ!

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・・・・・・・・・・・・・も一つ、ホームの端から見える、東武鉄道荒川放水路橋梁。

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・・・・・・・・・・・・・・高架ホームの下に、チョイト薄暗い改札がある。

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・・・・・・・・・・・・・・たった一か所の改札は拘置所側に出られるようになっている。

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・・・・・・・・・・・・・・改札を出て高架に沿って歩くと、拘置所官舎が並んでいる。 拘置所より官舎の方が、見た目お粗末な建物だな!

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・・・・・・・・・・・・・官舎の前の高架下を抜けると、『ハットした その瞬間を忘れるな』の立て看板。 拘置所を脱走した者が、線路の反対側に出て、やっと成功したと思い、一息つきたくなるころの位置に看板がある。 この看板を見て脱走者は、より真剣になって逃げるかも、、、、、?

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・・・・・・・・・・・・・駅から直線で100m程の距離にある平屋の3軒長屋。 かつて、小菅駅の周囲にはこのような建物が多かったと思われる。

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②西ノ宮稲荷神社
・・・・・・・・・・・・・足立区足立3丁目にある稲荷神社。 神社の創建年代は不詳。  明治3年(1870)に、近くの東之宮稲荷・氷川神社を合祀、さらに大正元年(1912)には本田之宮稲荷を合祀した。 昭和20年(1945)、戦災により社殿焼失し、昭和30年(1955)に再建。 さらに、現在の社殿は平成12年(2000)に建てられた。・・・・・・・・・神楽殿では、お囃子の練習らしく、ピーシャラ・ピーシャラ・ステテコ・テンテン~ いい音!

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五反野駅
・・・・・・・・・・・大正13年(1924)に小菅、梅島の両駅と同時に開業。

・・・・・・・・・・・・・改札からは帰宅するサラリーマン、学生が出てくる、出てくる。

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・・・・・・・・・・・・・・薄暗い線路沿いを歩く女子高生。 『気を付けよう 暗い夜道とオヤジには?』

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・・・・・・・・・・・・・駅前商店街のラーメン屋も営業中。 赤い光が、温かさと食欲と誘い、入りたくなるね!、、、、、最近、食べていない“ニラ・レバー炒め”を思い出した!

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④日光街道
・・・・・・・・・・足立区梅島付近の日光街道。

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⑤梅島駅
・・・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)開業。

・・・・・・・・・・・・・きょうも、お勤め、御苦労様です!

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・・・・・・・・・・・・・駅周辺はマンションが建ち並び、、、、『ただいま!』

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西新井駅
・・・・・・・・・・・・・明治32年(1899)開業

・・・・・・・・・・・・・ゾロゾロと蟻の行進のように駅から出てくるサラリーマン、、、、、数年前は、私もサラリーマン、今はフーテンオヤジ。

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2014年6月17日 (火)

新井薬師前~東中野

西武新宿線新井薬師前駅から東中野駅まで、1万歩、8kmの散歩です。


①新井薬師前駅
・・・・・・・・・・西武新宿線は、明治27年(1894)に川越鉄道川越線として国分寺―久米川間が開業し、以後、都心に向かい順次開業していった。 昭和2年(1927)には、村山線として高田馬場―東村山間が開業し、同時に新井薬師前駅も開業した。 相対式2面2線のホームだが、急カーブ上にあり通過電車もスピードを落として運転している。 カーブ外側(下り)のホームには、常時、駅員が立ち、安全確認を行っている。・・・・・・・・昨年、西武鉄道新宿線連続立体交差事業について認可され、工事が着工された。 事業は、新井薬師前、沼袋の両駅を含む中井~野方間の地下化で、この間の踏切7箇所がなくなることになる。 事業期間平成25年度~平成32年度、事業費726億円也。

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②新井薬師参道・・・・・・・・・・・・駅前から新井薬師 までは500m程で、参道の幅も広いバス通りで商店街となっている。 しかし観光地の参道とは違い、“温泉まんじゅう”などのみやげ屋はない。・・・・・・・・・・・まだ通勤時間帯、店の開いていない商店街を歩いてもつまらないので、新井薬師はパスすることにした。

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③上高田3丁目
・・・・・・・・・ゴク普通の住宅街で、特徴を問われても、答えに困るね! しいて言えば、高級住宅街でないことは間違いない。

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④上高田4丁目団地1号棟
・・・・・・・・・・昭和46年(1971)に建てられた、11階建て、270戸の旧日本住宅公団の分譲住宅。 住宅地の中のランドマーク的な建物だ! 

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⑤上高田4丁目の寺院
・・・・・・・・・・・4丁目の高台に寺院が並んでいる。 私の好みで数寺紹介、、、、

・・・・・・・・・・・・・万昌院功運寺・・・・・・・・・・上高田4丁目にある大きな寺で、元々は萬昌院という寺と功運寺という別々の寺が、昭和23年(1948)に合併してできた。 元の万昌院は、江戸時代、新宿区市ヶ谷付近にあり、忠臣蔵の吉良家の菩提寺。 元の功運寺は、港区三田のあたりにあった寺。・・・・・・・・・寺には付属の幼稚園があり、通園時間帯は門の前に女性警備員が立ち、ママチャリで送ってきたお母さんでイッパイ! 気の弱い私は怖くて入れず、門前をパチリとして退散! 代わりに、4年前に撮った本堂の写真をみてね。

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・・・・・・・・・・・・・・宝泉寺・・・・・・・・・・・・・万昌院の隣りにある、曹洞宗の寺院。 宝泉寺は永禄5年(1562)、江戸城清水門外に創建された、その後、移転をかさね、明治41年(1909)現在地に移った。  奥州中村・相馬家、奥州福島、備中庭瀬の板倉家の菩提寺である。

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・・・・・・・・・・・・・・境妙寺・・・・・・・・元は日蓮宗であったが、元禄11年(1698)に天台宗に改宗した。 黒門と本堂の瓦の葵の紋が、徳川家ゆかりの寺の証拠である。

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・・・・・・・・・・・・・願正寺・・・・・・・・・・・境妙寺の隣は、浄土真宗大谷派の願正寺。 寺は天正18年(1590)に開基である法樹院安養坊了善法師が外神田に創建した。 その後、数度移転し、明治43年(1910)に現在の地へ移転した。 高台に在り、門前からは中野の町が良く見える。

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・・・・・・・・・・・・・・神足寺・・・・・・・・・願正寺の北に、真宗大谷派の神足寺がある。 寺は慶長12年(1607)に江戸木挽町(歌舞伎座のある処)にて創建された。 その後、八丁堀、三田などに移転したが、明治43年(1910)に現在の地に本堂、庫裏をそのまま移転した。 ということは、本堂、庫裏は江戸時代の建物である。・・・・・・・・・願正寺から高台を下り、しばらく歩くと、神足寺の山門が高台の上に見える。 今度は上りだが、いいアプローチだ!

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⑥中央線
・・・・・・・・・・・・東中野の明大付属中野高校前の跨線橋から。

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●・・・・・・・・・・・・・・・今日は、なんだか寺巡りになってしまい、チョイト、期待外れの散歩となった! 

2014年6月16日 (月)

大森~大井町

JR大森駅で下車し、東海道線と並行する第一京浜(国道15号)の間にある、品川区南大井・東大井地区をブラブラ、キョロキョロ、フラフラ、ヨタヨタ、コソコソと大井町駅まで、1万歩、8kmの散歩です。

大森駅 ・・・・・・・・・・・・・・・鉄道開業の4年後、明治9年(1876)に開業した駅。 都内では新橋、品川に次いで開業した3番目に古い駅。 ホームの上屋はいまだに木造で歴史を感じるね!

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②あらがや
・・・・・・・・・・大森駅東口近くの元クリーニング屋。 丸いデザインの屋号「あらがや」、「DRY CLEANING」、清潔感を感じさせる青いタイル、、、、、印象的な看板建築だ!

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③大森駅前住宅
・・・・・・・・・・・・・昭和45年(1970)に建てられた、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上13階建て2棟、総戸数759戸、東京都住宅供給公社による分譲住宅。 大森駅東口を出て駅前ロータリーを渡ると、そこは品川区南大井6丁目、ここに大きな大森駅前住宅が2棟並んでいる。 大森駅西口の山手住宅街とは対照的に、東口のここは、下町の住宅だ、見た目の派手さ、洗練されたデザイン、近代的設備、入居する喜び、、、、どれひとつなさそうな旧公団住宅のようなマンション(?)だ。 何が魅力?、、、駅に近い、中古購入価格が安い、治安が良い、きれいに清掃されている?

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④東海道線・・・・・・・・・・・・・・線路を見ると、片肌さらした美女が手招きしているように、ワクワク、ニコニコ、ドキドキ、近づいて行くのが私! 「山王道跨線人道橋」からパチリ!

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⑤桐畑地下道
・・・・・・・・・・・・・・JR大森駅の北600m程に、大森貝塚遺跡庭園 がある。 この公園は、明治10年(1877)にアメリカ人学者:エドワード・モース(1838~1925)が縄文後期の遺跡である大森貝塚を発見した処。 東海道線その脇を走っている。・・・・・・・・・ここには、以前「桐畑踏切」があったが、事故も発生し危険なため平成5年(1993)に地下道に改装された。 地下道中央の壁には、貝塚から出土した実物の貝殻を使用し、貝塚の断面が復元されている。 線路下の貝塚だ!

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⑥20号棟、1~19号棟が無い!
・・・・・・・・・桐畑地下道の前に建つ、チョイト古くなった区営住宅の棟番号は“20”、階段のところにも“20”。 『ナント! 20棟以上が建ち並ぶ大規模団地だ!』と思い、目をキョロキョロ、足をウロウロ、建物の周りを探しまわってみたが在るのはこの1棟のみ。 近くに住む人に聞いてみたが、、、、、『解らないね?』・・・・・・・・・・・・帰宅後、調べてみたら、品川区は現在16カ所ほどの区営住宅が区内に点在しており、その住宅に連番がふられていた。、、、、、ということは、“20”は品川区営住宅の20番目の建物と云うことだ! まぎらわしい、インチキぽい、変な番号をふるな!! この住宅は「南大井六丁目区営住宅20号棟」と称している。 ちなみに19号棟は東大井にある。

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⑦水神社
・・・・・・・・・・・南大井5丁目の水神社は、鹿島神社の境外末社で、社殿はなく、溶岩の洞窟の中に鎮座している。 貞享2年(1685)に大井村の村人が願主となって九頭竜権現社として創建した。 住宅の庭の隅に祀った神社のように小さい!

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⑧桜新道共栄会
・・・・・・・・・・・・・・JR東海道線と第一京浜の中間を南北に貫く「桜新道」は、大正時代に作られた。 その後、道沿いに桜を植え、その名がついたそうだ。 南北に1km程の長さの商店街だが、昔ながらの個人商店が多い地域密着型の商店街だ。 長さの比べ、商店数が少なく、寂しいね!

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⑨大福生寺の裏道+路地
・・・・・・・・・・・東大井3丁目の大福生寺 を通り抜け、裏道を奥へ進むと、ドキドキ、ワクワク、、、、、

・・・・・・・・・・・・・大福生寺の本堂前をとおり、護摩堂の横を抜け階段を下ると、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・路地が一折れ、二折れ、三折れ、、、、、

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・・・・・・・・・・・・まだ、裏道は続く、、、、、軽自動車一台分の裏道の十字路を直進すると、、、、正面の住宅を前を左右に道は分かれる、、、、、どっちに行こうか?
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・・・・・・・・・・・・・私は右利きだ! ヨシ、右へ行くことに、、、、、、、一折れすると、ナント行止まりだ! ここで、突き当りの凄いアパートに遭遇・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・郵便受けを見ると6世帯分だが、住んでいるのか?

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・・・・・・・・・・・・・・天井に脚立がぶら下がる入り口を覗くと、右に、光さすボロボロの壁と2階へ上がる階段が、左に、埃まみれの洗濯機とタイルの洗面台が、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・あらためて、外部を見直し、『年代物のアパートだ!』

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・・・・・・・・・・・・・・行止まりはあきらめて、黄色の軽自動車がる住宅まで戻り、左に行くことに、、、、、、、、こちらも、一折れしたら行止まりとなった

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・・・・・・・・・・・・結局、路地を抜けた直後の裏道の十字路に戻り、左に進むと、、、、

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・・・・・・・・・・・・・『コリャマタ、行止まり! シェー、いいかげんにしろ!』と、叫びたくなる、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・捨てる神あれば、拾う神あり、何もしない神もいるが、、、、、、奥へ行くと階段が見えた!

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・・・・・・・・・・・・・階段の上は、東大井3丁目の「見晴し通り」であった、、、、、、、、感動と、満足と、喜びと、楽しい迷路だった! 

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⑩都営元芝アパート
・・・・・・・・・・・大井町駅近くの東大井3丁目に建つ都営住宅。 昭和37年(1962)~昭和38年(1963)の建築で、2棟54戸が入居している。 築50年の歴史を誇る建物である。

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2014年6月15日 (日)

日本橋の祭り

夫婦で買い物に、日本橋高島屋、東京駅大丸の2軒のデパートを行ったり来たり。 今日は赤坂日枝神社の「山王祭」で、氏子である日本橋・京橋も祭りで、中央通りには神輿が繰り出していた。 高島屋では神輿を正面玄関まで入れてのお祭り騒ぎ! 妻は買い物に集中、デパートの中へ、夫は祭りに夢中、デパートの外で! この地域は日本経済の中心地、祭りは大手企業の支援で行われているようだ、従業員による神輿担ぎ、企業名を染め抜いた半纏、祭りの責任者は企業の総務部長らしき人、従業員は子連れで参加、、、、、

・・・・・・・・・・・・・・家族揃って祭りに燃える! お母さんが一番燃えそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・ベビーカーの赤ちゃんも、お母さんと参加、担ぐぞ! その前にオムツの交換。

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・・・・・・・・・・・・・・・何やら、話題が盛り上がっているようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・デパート前に神輿が到着。 チョイト、小ぶりの神輿だな。

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・・・・・・・・・・・・・・・カッコイイ後姿! 粋か、いなせか、、、、、
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・・・・・・・・・・・・・・・派手に染め抜いたマーク、これで“お中元商戦”も勝ち抜くぞ!
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・・・・・・・・・・・・・・・鉢巻、半纏、似合っているね! 担ぐ姿も見てみたい。

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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは? 
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・・・・・・・・・・・・・・神輿の前には提灯持ちが行進。 疲れたら、変わってあげようか!
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・・・・・・・・・・・・・・出番はまだか? 極めたぞ!
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・・・・・・・・・・・・・・お祭り支援企業(デパート)の前では、一層の盛り上がり。
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・・・・・・・・・・・・・・一生懸命、担いでくれよ! 来年もご支援を、、、、、
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・・・・・・・・・・・・・・・私達の出番は?、、、、、?
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・・・・・・・・・・・・・・神輿がデパートに入って行くぞ! 私の妻は、もう入っているぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・・重要文化財の建物だ、壊さず、傷つけず、注意して担げよ!

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・・・・・・・・・・・・・・中央通りを担がれ行く神輿。 そろそろ、お祭りも終わりだね。
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・・・・・・・・・・・・・・・・コレドの前にも神輿が、こちらも何処ぞで見たマーク?

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・・・・・・・・・・・・・・・“野村”と染めた半纏は、ただいま株価上昇中で元気な企業か? 不動産を扱う企業か?
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・・・・・・・・・・・・・・さて、祭りの後のビールの味が楽しみだ! これからが本番!
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2014年6月14日 (土)

荒川土手

久しぶりに朝から、家に居たくない晴天、だが我が家は午前・午後の来客。 『ヨシ、夜散歩しよう!』、ということで、四ツ木駅から荒川土手を上流へ堀切菖蒲園駅まで、1万歩、8kmです。


①八広駅ホームから・
・・・・・・・・・・・『どこへ行こうか?』決めずに電車に乗り、荒川右岸(都心側)にある京成押上線の八広駅 で、綺麗な夕日が目に入り、ひとまず下車。 ホームから夕日を撮影し、隣の四ツ木駅(荒川左岸の駅)に行くことにした。・・・・・・・・「SUICA」は行先を決めずに乗れるから、便利で重宝、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・ホームの先には京成押上線荒川橋梁が見える

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・・・・・・・・・・・・・・・夕日を浴びた京急1000形
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②四ツ木駅から荒川へ
・・・・・・・・・・・・夕日を浴びた四ツ木駅

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・・・・・・・・・・・・・・週末の夕方、睡魔が招いてる! 気持ちよさそうに、グウ~~グウ~~♪♪

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・・・・・・・・・・・・・・・都心方向をには、荒川橋梁とスカイツリーが、、、、

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・・・・・・・・・・・・・駅裏の公園には「犬のつれこみ禁止」の札が。 「つれこみ」に、ふと、懐かしい響きを感じ、「つれこみ旅館」、「つれこみホテル」なる単語を連想してしまった。

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・・・・・・・・・・・・・首都高の下をくぐり荒川土手に出る、、、、、

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木根川橋
・・・・・・・・・・荒川に架かる橋だが、主要道路と直結していないため、比較的交通量の少ない橋。 生活道路に近いせいか、行き交う人も車も、墨田・葛飾の匂いがプンプン、私が好きな橋の一つだ!

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・・・・・・・・・・・・・・荒川の左岸の土手は、荒川と綾瀬川に挟まった間にある。 西を見れば荒川、東を見れば綾瀬川だ。 綾瀬川の左岸には、邪魔な首都高が! でも、これも東京の風景と諦めるか! 『諦めました どう諦めた 諦められぬと 諦めた』

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・・・・・・・・・・・・・土手から都心方向を眺めれば、左側に木根川橋、右側に京成押上線荒川橋梁。

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④京成押上線荒川橋梁
・・・・・・・・・・・

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四ツ木橋/新四ツ木橋
・・・・・・・・・・・・・水戸街道(国道6号)を通す四ツ木橋と、国道6号の支線を通す新四ツ木橋。 写真:右が四ツ木橋、左が新四ツ木橋。

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⑥暗くなってきた、そろそろ帰ろう
・・・・・・・・・・・

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⑦堀切避難橋
・・・・・・・・・・・・・堀切地区から荒川左岸堤防(土手上)への避難用人道橋で綾瀬川に架かる。 昭和56年(1981)に完成した、1径間鋼アーチ橋。・・・・・・・・・・四つ木・堀切地区は0m地帯、何かあったら土手上に逃げるのだ! 土手が崩壊したら何処に逃げるか、これも考えておこう!

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・・・・・・・・・・・・・・堀切避難橋から上流側を眺めると、右に綾瀬川、左に荒川。

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・・・・・・・・・・・・・・対岸(墨田区)には、向島の防災拠点(白鬚東アパート )が見える

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⑧堀切菖蒲水門
・・・・・・・・・・・綾瀬川の堀切菖蒲園に近い処に、堀切菖蒲水門がある。 平成3年9月の台風18号では、綾瀬川下流で合流する中川の水が綾瀬川に逆流し2万戸以上が浸水する被害が発生した。 この水門は、その逆流を防ぐ目的で造られている。 平成9年(1997)に完成した、ユニークな形状の水門である。

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⑨堀切ジャンクション
・・・・・・・・・・・綾瀬川の上で首都高6号向島線と中央環状線を結んでいる。 荒川土手から、ジャンクションが形づくる造形美と光のコラボを拝見。

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⑩堀切菖蒲園駅へ・
・・・・・・・・・・・只今、菖蒲祭り開催中。 人影少ない商店街に旗がはためく! 20140614_227_1024x683

2014年6月13日 (金)

神田川(永福橋~佃橋)

2ヶ月ぶりに神田川の散歩です。 最下流(隅田川寄り)に架かる柳橋から数えて、100番目の永福橋(杉並区)までは、前回(4月9日)までに歩き、今日は続きです。 100番目の「永福橋」から、117番目の「佃橋」まで。 1万歩、8km。

永福橋・・・・・・・・・・・・前回はここまで、今日はここから。 永福橋は、下流側から100番目の橋。 この辺りは川幅も狭くなり、川沿いの遊歩道は散策にちょうど良いね!

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸駅・・・・・・・・・永福橋に近い京王線、東急世田谷線の駅。 大正2年(1913)、京王電気軌道の下高井戸駅として開業した。 東急世田谷線は、大正14年(1925)に開業。 両線とも、地上駅で隣接しており、さらに軌間は同じ1,372mmである。 戦時中は、線路がつながって物資輸送に直通運転がされたそうだ。 もし今もつながっていたら、“三軒茶屋発高尾山口行”が運転されているかも?

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・・・・・・・・・・・・・・柏木精米店・・・・・・・・・・・・下高井戸駅前の市場を抜けた先、甲州街道の手前にある、りっぱな造りの米屋さん。 店先のガラス戸、2階の雨戸、綺麗に並びいいね!

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸橋・・・・・・・・・・・甲州街道のきわを流れていた玉川上水に架かる橋。 現在は暗渠化され、川は遊歩道にと化した。 昭和2年(1927)完成のコンクリート橋。 橋の前後にある、コンクリート製の柱に鉄パイプを通した柵が素朴な味を出し、いいね!

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②かんな橋
・・・・・・・・・・・・・101番目は、かんな橋。 “かんな”とは、植物のカンナのことらしい。 橋が多いと役所も命名に困り、無難なところで植物の名を橋名にするのだろう。 橋名のプレートが古くなったのか、字が読みず楽なってきたので、チョイト取り替えてほしいね!

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③神田橋
・・・・・・・・・・・・・またまた出ました! 神田川に架かる神田橋。 神田川には神田橋が3橋ある下流側から、中野区南台の神田橋、当地の神田橋、さらに上流の神田橋である。 本橋は昭和47年(1972)完成したが、その後交通量も増え左右に人道橋が増設された。

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・・・・・・・・・・・・・・川沿いを歩いていると、ジャスミンのような香りが、、、、、、一瞬、すれ違った女性の香水かな? 正体は道沿いに咲いていたクチナシだ!

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④幸福橋
・・・・・・・・・・・・103番目は、イージーなネーミングの幸福橋。 かんな橋と同じような構造の橋で、同時期に架けられたようだ。

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⑤向陽橋
・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)完成の向陽(こうよう)橋。 この辺りの自治会は向陽町友会と称している、近くには向陽中学校もある、“向陽”の由緒は?、、、、、解りません!

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⑥弥生橋
・・・・・・・・・・・・またまた花に関連した橋名だ! かんな橋と同じ構造の単純桁橋。

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⑦むつみ橋
・・・・・・・・・・・“仲良し”のイメージで“むつみ”橋、どうでもいいや! 橋の正面には、瀟洒なプロテスタントの「永福南キリスト教会」がある。

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⑧八幡橋
・・・・・・・・・・・・浜田山1丁目と下高井戸3・4丁目を結ぶ橋で、現橋は昭和48年(1973)に架けられた。 近くには「下高井戸八幡神社」があり、橋名はここに由来する。

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸八幡神社・・・・・・・・・・・・太田道灌が江戸城を築く際、鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して長禄元年(1457)に創建した。 下高井戸宿の鎮守さま。 森の中にある、落ち着いた鎮守さま。

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⑨藤和橋
・・・・・・・・・・・・・・・この橋も、昭和48年(1973)に架けられた。 橋の欄干は「藤」をイメージして、よじれた枝が波打つデザインとなっている。 なぜ“藤”なのか?、、、、、私には、解らない!

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⑩梢橋
・・・・・・・・・・・・・・・・梢(こずえ)橋とは、コレマタ、名の由来が不明だ! 昭和50年(1975)頃の架橋。 親柱は何をデザインしたのか?・・・・・・・・以前、横浜のキャバレーに『こずえ』ちゃんがいたね!(関係ないけど思い出した) 

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⑪鎌倉橋
・・・・・・・・・・・・110番目は、鎌倉街道に架かる鎌倉橋。 大正3年(1914)頃の鎌倉橋は長さ3間、幅1間程の木橋であった。 その後架け替えられ、さらに昭和50年(1975)に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・・・鎌倉橋の西側には塚山公園があり、園内に縄文時代の塚山遺跡がある。 竪穴住居が復元され、内部には人形もいた! 人形の肌は色白で、すべすべお肌、顔つきは現代風、髪は床屋で調髪済み、衣装は腰に巻いた毛皮だけ、チョイト時代考証が不足しているかもね!

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⑫塚山橋
・・・・・・・・・・・・・・塚山公園の下に架かる、石造りで重厚な感じの、歴史のありそうな橋。 完成時期不明? レトロで、ロマンチックで、、、、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・川幅も狭く、両側には緑が、、、、、、

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⑬堂ノ下橋
・・・・・・・・・・・昭和49年(1974)完成の堂ノ下橋。 「堂ノ下」は、かっての字名で、橋の北側の高台に「堂ノ上」の字名があった。

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⑭乙女橋
・・・・・・・・・・・・・乙女橋の左岸一帯は、かつて徳川御三卿(田安、清水、一橋)の鷹場であった。 将軍が定めた場所で「お留め場」と呼ばれ、つまり立ち入り禁止地区であった。 橋は当時、「お留橋」と呼ばれていたが、慶應3年(1868)に鷹狩が廃止となり、橋の呼称も音を合わせ「乙女橋」となった。 現在の乙女橋は薄いピンクに塗られ、チョイト艶っぽい橋だが、昭和49年(1974)の完成だから、“姥桜”の橋かもね!

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・・・・・・・・・・・・・昭和初期の乙女橋付近

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⑮池袋橋
・・・・・・・・・・・・ここは杉並区高井戸東である、豊島区池袋との関わりは?、、、、無関係で、「池袋」とは川が蛇行し袋状になった地形を指すそうだ。 つまり、神田川が蛇行し水が溜まって処だ! 解りやすい解説、納得! 橋は昭和50年(1975)完成。

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⑯正用下橋
・・・・・・・・・・・江戸時代の字名「正用下(しょうようしも)」からつけられた名前らしい。 こちらの橋も昭和50年(1975)完成。 橋の先には京王井の頭線が走る。

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・・・・・・・・・・・・・・杉並清掃工場の解体・・・・・・・・・・・・神田川、京王井の頭線の脇に、巨大な煙突と鉄骨の大屋根が見える。 これは清掃工場の建替え工事で、大屋根の中で既存の建物を壊していたのだ。 ほぼ、建物の取り壊しは終わったようだ。 完成は平成29年(2017)を予定。
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⑰高井戸橋
・・・・・・・・・・・・・高井戸駅に近い、人車専用橋。 昭和53年(1978)完成。

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⑱佃橋
・・・・・・・・・・・117番目は、今日の最後で、高井戸駅前に架かる、昭和48年(1973)完成の佃橋。

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2014年6月11日 (水)

浅草橋~西日暮里

我が家(浅草橋)から、不忍池、谷中を抜けて西日暮里駅まで、1万4千歩、10kの散歩です。


①不忍池
・・・・・・・・・・・・・池の中央の弁天堂に至る3本の堤で3分割された池の一つ、一面が蓮で覆われる蓮池は、只今、緑で覆われているが、ピンクの花はまだチョイト早い!

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・・・・・・・・・・・・・・不忍池辯天堂・・・・・・・・・・・・天海僧正が琵琶湖竹生島になぞらえ、寛永年間(1624~44)に不忍池に中之島を築き、その地に建立された寛永寺の堂の一つ。 現在の堂は昭和33年(1958)の再建。・・・・・・・・・通勤時間帯は、上野駅から弁天堂経由、東大病院方向へ歩く人が多いね! おじぎもせずに素通りする人が多いこと、『バチ当たりめが!』

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・・・・・・・・・・・・・・天龍橋・・・・・・・・・・・上野の山から辨天堂に向かう参道に架かる小さな石橋。 辨天堂を創建した天界僧正は、舟で島と往来することを望み橋は無かったが、僧正が寛永20年(1643)に没すると、寛文10年(1670)に木製の天龍橋が架けられた。 現在の石橋は昭和5年(1930)に架けられた。

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②上野東照宮
・・・・・・・・・・・・・・元和2年(1616)、危篤の家康を駿府城に見舞った藤堂高虎と天海僧正は、家康の病床に招かれ、三人が一つ所に末永く鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けた。 そこで藤堂家の屋敷地であった現在の上野公園に寛永4年(1627)に東照宮を造営した。 現在の権現造の社殿は慶安4年(1651)に徳川家光が改築したものである。 昨年まで社殿の修復工事が行われ、今年から綺麗に修復された社殿が公開されている。・・・・・・・・・・散歩の時間が早く、まだ扉は閉められていた。 残念!

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・・・・・・・・・・・・・石灯籠・・・・・・・・・・社殿に向かう参道の両側には、200基以上ある石灯籠が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・旧寛永寺五重塔・・・・・・・・・・・石灯籠の後ろに、柵を隔て五重塔が見える。 寛永8年(1631)建立の初代寛永寺五重塔は寛永16年(1639)に焼失した。 その直後、ただちに下総・古河城主:土井利勝によって再建された塔が現存している。 ただし現在、塔は上野動物園の敷地内にあり、東京都の所有物となっている。 シカの檻の近くにあるので、シカと心得よ!

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・・・・・・・・・・・・・・几号水準点・・・・・・・・・不忍池から東照宮へ向かう石段の上り口に、崩れそうなチョイト危なっかしい鳥居が建っている。 その鳥居の足下(写真の赤○)に、明治時代の水準測量のポイントである几号水準点が埋められている。 人の知らない物を発見したような気持ちで、写真に収めてきた。(ナイショにしておきたいね!) 

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③旧忍旅館
・・・・・・・・・・・・池之端3丁目に建つ元旅館、現在は個人住宅。 昭和4年(1929)に建てられた、木造3階+搭屋、モルタル塗りの建物は、一見石造りに見える。 各階の窓廻り、柱のデザインはバツグン! 

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④六龍鉱泉
・・・・・・・・・・・象の鳴声が聞こえてきそうな動物園裏の、路地の奥にある老舗銭湯。 昭和6年(1931)に開業した銭湯で、建物は当時のまま。・・・・・・・・・・・残念だが、私は入浴したことがないので、湯加減は解らないが、人の話だと熱いらしい。

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⑤清水坂の煉瓦蔵
・・・・・・・・・・動物園裏の池之端4丁目にある清水坂、そこに煉瓦造りの蔵がある。 以前から何に使われているのか謎であったが、なんと煉瓦を残しギャラリー風に改装されていた、しかし今だに何に使われているのか不明。

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⑥護国院
・・・・・・・・・・・藝大と上野高校の間に、寛永寺の子院:護国院がある。 寛永元年(1624)に、現:東京国立博物館の近くに開創し、宝永6年(1709)に現在地に移転した。 谷中七福神 (大黒天)が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・・護国院の庫裏・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に建てられた、木造平屋一部2階建の建物。 建築家:岡田信一郎が手がけた数少ない和風建築のひとつとして貴重である。 国登録有形文化財。

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⑦IW邸
・・・・・・・・・・・・池之端4丁目の下見板張りの、チョイトれきしのありそうな建物。 隣りの木造平屋の和風住宅とは棟続きである。

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⑧玉林寺横の細い裏道
・・・・・・・・・・・・谷中1丁目に元横綱:千代の富士の像がある曹洞宗の玉林寺がある。 この寺の参道から細い裏道が、折れ曲がり150m程続く、、、、、、、、、、、二人で手をつなぎ、愛を語り、散歩する道だ!

・・・・・・・・・・・・・本堂を正面に参道を進み、右側の塀沿いに曲がる

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・・・・・・・・・・・・・裏道の中央に大木が点在する、車も入れぬ道が続く、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・一瞬、行止まりかと思うが、チャンと住宅が建ち、外灯もある、、、、、、
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・・・・・・・・・・・・・・ナント! 道は続く、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・『だいぶ奥に入ってきたな』と思ったら、正面に階段が現われた、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・階段の右には井戸、左には頭の折れたコンクリート製の外灯の残骸が、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・階段を上り、裏道は続く、一折れ、二折れすると、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の長運寺前に出た!

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⑨谷中のランドマーク
・・・・・・・・・・・寺町谷中の風情を感じるスポット。 高さ20m程のヒマラヤスギと、その木を育ててきた「みかどパン」の店。

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・・・・・・・・・・・・・蓮華寺・・・・・・・・・・・ヒマラヤスギの向かいには、寛永7年(1630)に創建された日蓮宗寺の蓮華寺がある。

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・・・・・・・・・・・・・大名時計博物館・・・・・・・・・・こちらもすぐ近く! まだ、開館前でした。

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●・・・・・・・・・・・・・・この後、寺町谷中の裏道を徘徊して西日暮里に出た。

2014年6月 9日 (月)

雨の浅草

今日もはっきりしない天気だ! 午前中にパラり・ポツリと一雨降りそうな天気と自分で予測し散歩は中止。 午後のニュースの予報は、チョイト一雨きそうだと、新宿・渋谷の傘を写し放送していた。 ところが午後1時、我が家の上空は晴れてる! 午後3時過ぎに、近場の浅草まで散歩しようと思い、出発! ナント、雷門に着くや、雨が降る降る、無情の雨が! しばらく、雷門で雨宿り。 小雨になり、雨天決行。 帰り際には青空も見える快晴。  今日の空模様には完全に頭にきた、おちょくられているようだ!  浅草まで8千歩、5kmの散歩。


①雨の雷門
・・・・・・・・・・・・・突然の雨、傘を持たず雨宿りの場所探し。 幸い、今日は平日、雷門の下が空いていた。 ここでしばし軒下を借りることに!

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②小降りになった
・・・・・・・・・・仲見世の裏を抜け、人影の少ない新仲見世の裏通りを抜け、六区へ・・・・・・・・『チョイト、兄さん、よかったら、この傘に入りなさい』てな具合に、声が掛るのを期待して、雨の中を歩いたが、シッポリ濡れたのは服だった。

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③六区
・・・・・・・・・・浅草の歓楽街「六区」は、只今休憩中です。 昭和30年代には30以上の映画館・劇場が通りの左右にビッシリと並んでいたが、数軒の劇場だけとなった。 平成24年(2012)、映画館は全て無くなり、跡地は再開発中。 場外馬券売り場も平日は静かだ。 

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・・・・・・・・・・・・・ROXの前、ロック座の前、JRA(場外馬券売り場)の前、それぞれ再開発中。 白い仮囲いのなかで、新しい浅草六区が蘇えるか、乞うご期待!

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④浅草寺
・・・・・・・・・・・・・雨は止んだ、観音さまに手を合わせて帰ろう!

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●・・・・・・・・・・・・・・雨で濡れたシットリ肌も、帰りは汗でベトベト肌になった! 

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2014年6月 8日 (日)

雨の鳥越祭り

きのうの午後から、雨音に混じり聞こえる祭囃子。 我が家から300m程にある鳥越神社の例大祭だ。 毎年6月初旬に行われる祭りは、ちょうど梅雨の時期に重なり、『鳥越の祭りは雨だ!』と言われてる。 今年はズバリ大雨、私はきのうは家にいたが、今日は朝か聞こえる“ドンドンシャララ ピーシャララ”につられて、雨の祭りを見に行った。 夜は雨も上がり、神輿の宮入りを見てきた。 1万2千歩、8km。

●朝8時の鳥越神社・・・・・・・・・・雨が降り続き、『中止すれば』と言いたくなるような天気。 でも祭りは雨天決行。 本社神輿は既に宮出しが行われ、神輿庫には獅子頭が留守番している。

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・・・・・・・・・・・・・担ぎ手も徐々に集合。 屋台は準備開始。

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●8時半、各町内・・・・・・・・・・・『雨よ、上がってくれ!』、チョイト神頼みしたいけど、よその神様に頼めないし諦めムード。

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●小雨だ・・・・・・・・・・・さあ、笑顔で、担ぐぞ!

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●本社神輿・・・・・・・・朝、鳥越神社から出て、十八ヶ町会を御渡りする。

・・・・・・・・・・・・・まもなく、当町会に来るぞ! 交代する担ぎ手も準備OK!

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・・・・・・・・・・・・・来ました、これが鳥越神社の名物「千貫神輿」。 実際の重さは、正真正銘“千貫”で約4トンあるそうだ。 ちなみに、深川富岡八幡宮の神輿は、約4.5トンあり最大だが、重すぎて担げないそうだ。(代わりに担ぐために約2トンの二ノ宮神輿が作られている) 三社祭りの本社神輿は約1トン。  担ぎ手の 顔が歪むぞ 千貫は

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・・・・・・・・・・・・・・神輿の後には、頼もしい人達が控えてる! 最後尾には神主も。

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・・・・・・・・・・・・・・氏子の範囲は広く、稲荷町に近い東上野6丁目の一部にまで及ぶ。 かっぱ橋の道具街も一部は氏子。

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●元浅草の神輿・・・・・・・・・・・・元浅草の町会の神輿、こちらも元気がいいね!

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●江戸っ子・・・・・・・・・・・いなせな兄い、粋な姉さん、、、、、写真を撮るのはドジな爺さん

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●子供用の山車は寂しい・・・・・・・・・・・・少子化の影響か? 雨のせいか? 大人の“祭り”となったようだ!

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●午前中はここまで、神社にチョイト立ち寄って我が家へ戻る・・・・・・

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●午後8時過ぎ、夜祭・・・・・・・・・・雨は上がり、いよいよ祭りのクライマックス「宮入」である。

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・・・・・・・・・・・・アルコールも充分飲んだ、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・神社前は、日中はいなかった警官がズラリ、バスもズラリ、凄い警備だ!

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・・・・・・・・・・・・・十八ヶ町の提灯に挟まれ本社神輿の宮入りが始まった!

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・・・・・・・・・・・・・鳥居の前には祭りの責任者が勢揃いで、神輿を迎える。 警視庁のカメラマンもこの光景を撮影。 さらに、警察官の人間バリケードもできた!

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・・・・・・・・・・・・・・提灯に囲まれ鳥居をくぐり、境内へ、、、、、

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●これにて“お開き”・・・・・・・・・・時刻は21時、家路へ急ぐ人、カメラに全てを収める外国の人、千貫神輿に労をねぎらう人、露店を覗いて帰る人、神社に手を合わせ帰る人、、、、、

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2014年6月 4日 (水)

堀切菖蒲園

明日から梅雨に入るかも? ヨシ、午前中に菖蒲園に行って来る! 四ツ木駅から菖蒲園を見て堀切菖蒲園駅まで、1万歩、7kmの散歩です。

①町工場の町・・・・・・・・・四ツ木駅から「葛飾区四つ木」の裏道を歩くと、家の中から“スト~~ン、プシュ~~”と音が数秒おきに聞こえてくる。 プレスの音、エアーの抜ける音、コンプレッサーの音、おまけに機械油の匂い、私の好きな音と匂いで迎えてくれる。 いいね!

・・・・・・・・・・・・・窓からチラリとプレス機が見える。 何を作っているのか?

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・・・・・・・・・・・・・・・旋盤機から出た鉄屑。 好きな匂いもするぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらはアルミ材で何を作っているのか? 
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・・・・・・・・・・・・・・錆び色は、街のシンボルカラー

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・・・・・・・・・・・・・・・奥に大きなカッターがあるぞ!

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堀切菖蒲園
・・・・・・・・なぜ、ここ堀切に菖蒲園があるのか、答えは二説ある。 ①室町時代、堀切村の地頭が家臣に命じ、陸奥国郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて栽培を始めた。 ②江戸時代、百姓の小高伊左衛門が趣味で各地の花菖蒲を集めて庭で栽培した。 どちらの説にしても、江戸時代には「江戸百景」に数えられ、名所として浮世絵にも登場した。 戦前までは、堀切には数ケ所の菖蒲園があった。 昭和34年(1959)、都がその内の1か所を購入し、堀切菖蒲園として公開した。 昭和50年(1975)には葛飾区に移管された。

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・・・・・・・・・・・・・菖蒲を鑑賞する『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花』を鑑賞しようと来てみたが、時間が早すぎた! 開園時間近くに来るのは、カメラを担いだ、暇な爺さんばかりだ(私もその一人)、ガッカリ!

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・・・・・・・・・・・・・こうなりゃ、『いずれが あやめか かきつばた』で、綺麗な菖蒲を鑑賞しよう!

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・・・・・・・・・・・・・花摘みをして維持管理、御苦労様です、感謝。
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③菖蒲七福神
・・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)、駅の近くにあった毛無池が埋め立てられ、堀切天祖神社の境外摂社として弁天様が祀られた。 平成6年(1994)、弁天様に他の六福神をプラスして、菖蒲七福神となった。 ソロの神様からグループの神様に変わり、“七福神”としてデビューのし直しだ、只今、道路脇で路上ライブを実施中!

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2014年6月 3日 (火)

市ヶ谷~四ツ谷

市ヶ谷駅から麹町を通り半蔵門、三宅坂へ、その後は麹町の裏通りを抜け四ツ谷駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。


市ヶ谷駅
・・・・・・・・・・明治28年(1895)に甲武鉄道の駅として開業。・・・・・・・・市ヶ谷駅は30年程前、私の勤め先の最寄駅であった。 勝手知ったる駅周辺と思いきや、ガラリと変わり、特に「千代田区四番町」、「一番町」は高級・高層マンションが建ち並び浦島太郎の気持になった!

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②日本棋院
・・・・・・・・・・市ヶ谷駅近い千代田区五番町に在る囲碁界の総本山。 戦前は港区赤坂にあったが空襲で被災し、高輪などに移り、昭和46年(1971)に現在の建物を建設し、移った。・・・・・・・・・・囲碁の好きな私だが、最近は話題性もなく、現在の本因坊、棋聖、名人など、タイトル保有者が誰なのか関心がなくなってきた。 囲碁人口も減少し、日本棋院の懐も厳しいそうだ!

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③女学校
・・・・・・・・・・・・この辺りは女学校が多く点在する、その内の3校。

・・・・・・・・・・・・・千代田女学園・・・・・・・・・・・明治21年(1888)に女子文芸学舎として現在地に創立した、浄土真宗系の学校。 明治43年(1910)に千代田高等女学校に改称し、昭和22年(1947)には新制の千代田女学園中学校となる。 翌年には高等学校も設立した。 樹木希林、秋元順子は卒業生。

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・・・・・・・・・・・・・・女子学院・・・・・・・・・・・千代田女学園から50m程離れて、プロテスタント系の中高一貫教育の女子学院がある。 女性宣教師や日本人キリスト者により創設された3つの女学校を、明治11年(1878)に統合して女子学院とした。 歴史ある旧校舎は平成4年に取り壊され、現在は新しい校舎となっている。 NHK朝のニュースのアナウンサー:和久田麻由子は卒業生だ、私もファンの一人。

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・・・・・・・・・・・・・麹町学園・・・・・・・・・・女子学院から300m程南に、明治38年(1905)、現在地に創立した麹町学園がある。 こちらも、中高一貫の女学校である。 歌手:小林幸子の母校。・・・・・・・・・ここ麹町学園のあたりは、四つの学校(海上学園、暁星学園、実践女子学園、麹町学園)の発祥地となっている。

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④泉屋東京店
・・・・・・・・・・・浮き輪のマーク、クッキーの泉屋のビルは麹町にある。 昭和2年(1927)、敬虔なクリスチャンであった先代泉伊助・園子夫婦が、宣教師に教わったクッキー作りをベースに、京都で泉屋を創業する。 昭和12年(1937)に店舗を東京に移転した。 麹町の泉屋のビルは、昭和48年(1973)に地上12階建ての規模で竣工。 泉屋のカラーであるブルーのタイルを貼り、上部に浮き輪のマークがデザインされた、シンプルな外観だが、印象的なビルとなっている。・・・・・・・・・・私は素朴な味が好きで、泉屋のクッキーは大好物! ちなみに、函館のトラピスチヌ修道院のクッキーもいいね! ついでに、森永製菓のマリーム、日清のココナッツ・サブレも、、、、、最近、あまり見かけない、“動物ビスケット”も懐かしく、いいね!

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⑤ワコール麹町ビル
・・・・・・・・皇居半蔵門の前に建つ、男性が勤めてみたい会社の一つ「ワコール」のオフィスと倉庫併用ビル。 巨大な鉛筆削りのような外観、色は白を基調にした建物。 設計は黒川紀章、施工は竹中工務店+東急建設、昭和59年(1984)に竣工。

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⑥半蔵門
・・・・・・・・・・今上天皇の住居である御所に近く、皇族が出入りに多用する門である。 よって、一般人の出入りは禁止されている、もちろん私もダメ! 太平洋戦争で旧来からの門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものである。・・・・・・・・・本日は、黄砂の影響か、暑さの影響か、梅雨まじかの為か、薄っすら靄がかかった天気で視界不良。

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⑦国立劇場
・・・・・・・・・・古典芸能の正しい保存と新しい芸能の創造発展を目的に、昭和37年(1962)、設計競技による設計案の募集が行われ、竹中工務店のグループによる案が最優秀作品に選ばれた。 校倉造をデザインした落ち着いた外観、約100m四方の正方形の平面形状など、特徴的な建物である。 デカすぎる!

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⑧最高裁判所
・・・・・・・・・・・・三宅坂交差点に、デンと構える重厚な建物が最高裁判所。 この建物も設計競技で案が決まった。 鹿島建設に所属していた岡田新一とそのグループの案が採用となった。 建物は昭和49年(1974)に竣工した、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階/地下2階建て。・・・・・・・・・・最高裁は、警備が厳重で、ぶらり散歩で中へ入るのは難しそうだ。

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⑨広告功労者の記念碑
・・・・・・・・・・三宅坂交差点の角、最高裁と地続きの一画に、広告功労者を顕彰する碑がある。 碑と言っても単に石が立っているだけではなく、100坪ぐらいの敷地に石組された基壇の上に、東京芸術大学名誉教授:菊池一雄の「平和の群像」が立ち、その台に広告功労者として複数の企業のトップの名が刻まれている。・・・・・・・・何でこの場所に、選ばれた人の功績の内容は、、、、、具体的説明は記されていない? 一帯なんじゃコリャ?・・・・・・・・・・前を通る人には見えない、像の後ろ奥に、この地が渡辺崋山の誕生地であったことを記す立札があった。

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⑩消えた社会文化会館
・・・・・・・・・・三宅坂に面する社会文化会館は昭和39年(1964)に完成した地上7階のビル。 旧社会党の党本部であり、各種イベントのホールもあった。 しかし老朽化により倒壊も想定される危険な状態となり、現:社民党の財政難も伴い補修工事もできず、取り壊して更地を国に返上することとなった。・・・・・・・・・更地となった跡地の脇に、社民党の車がポツリ!

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⑪平河天満宮
・・・・・・・・・・平河町に鎮座する天満宮。 太田道灌が、菅原道真の霊夢を見て、文明10年(1478)天満宮を建立した。 現社殿は昭和48年(1973)に再建した。 神社の銅鳥居は、天保15年(1844)の建造で、千代田区最古の鳥居と言われてる。

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2014年6月 2日 (月)

下谷

浅草橋の我が家から上野駅前に出て、昭和通り(日光街道)に沿って南北に細くのびる「下谷(したや)」地区を歩き日比谷線三ノ輪駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。

・・・・・・・・・・明治維新後の東京は、明治11年の郡区町村編清法の施行により、現在の千代田、中央、港、新宿、文京、台東、墨田、江東の8区に広がる地域に15区を設置した。 その中に、下谷区と浅草区がある。 下谷区は上野を中心とした現:台東区の西側で、明治の頃は下谷入谷町、下谷御徒町、下谷三ノ輪町など、広い範囲で町名に“下谷”を冠した。 浅草区は現:台東区の東側。 昭和7年、東京府は15区の周辺に20区を増設し35区とした。 戦後、昭和22年には、下谷区と浅草区を統合して台東区が誕生した。 現在は「下谷」の地名は、台東区下谷1丁目~3丁目として残るだけである。 また、統合された台東区は、23区中で最も面積の狭い区である。・・・・・・・・ちなみに、私の生まれは浅草区浅草新福井町(現:浅草橋2丁目)である。 浅草区では、町名に“浅草”を冠していた。 ついでに、新福井町の“福井”は、この辺りが福井藩の屋敷地であったため、町奉行:大岡越前守が命名したそうだ。


①斉藤理容館
・・・・・・・・・・下谷1丁目、上野郵便局近くの床屋さん。 私は、まだ刈ってもらったことはないが、昭和の匂いが残る町の床屋。 古そうな看板が掛けられた、創業明治41年(1908)で100年以上続く床屋の老舗(?)。 建物は戦後の建築と思われる。

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②カトリック上野教会
・・・・・・・・・・東京大空襲によって下町の大部分が焼失した。 終戦後、焼け残った上野駅周辺は、職がない、行き場がない、食べられない、家族がない人々が多くみられ、中には病人もいた。 この惨状を通りがかりに見た神父は、ベタニア修道女会と聖母病院 のシスター達と共に、昭和22年(1947)、現在教会のある地(下谷1丁目)に診療所を開設し救済にあたった。 その後、昭和29年(1954)に上野教会は浅草教会 から分かれて独立した。 現教会は昭和36年(1961)に建てられた。・・・・・・・・・当時は、上野駅の地下道に浮浪者が寝泊まりし、西郷さんの銅像下には傷痍軍人が座り、アメ横周辺にはパンスケがたむろする、多くの日本人が苦労した時代であった。 私は子供心に悲惨な光景として記憶している!

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③入谷鬼子母神
・・・・・・・・・・萬冶2年(1659)に開山した法華宗本門流の仏立山真源寺。 『恐れ入谷の鬼子母神』と言われる鬼子母神を祀っている寺で、毎年7月6日~8日、門前で催される朝顔市は入谷の名物となっている。

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坂本小学校・・・・・・・・・・・・鬼子母神の隣りに、関東大震災後に再建した復興小学校の一つで旧「入谷尋常小学校」がある。 大正15年(1926)に建てられた。

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⑤鶯谷アパート
・・・・・・・・今は無き、「同潤会鶯谷アパート」とは異なり、こちらは下谷2丁目に残る「鶯谷アパート」。 昭和7年(1932)に建てられた、“東京で最初の三階建て木造アパート。 10年程まえに多少改装したため、玄関は以前の茶色のドア、黄土色の外壁タイルと異なり、ドアは薄緑、壁はクリーム系のペンキが塗られている。 床のモザイクタイルは以前のまま残っている。 マンサード屋根の形もいいね!

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⑥下谷の裏道
・・・・・・・・・・・

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⑦英信寺
・・・・・・・・・・下谷2丁目、浄土宗の英信寺は、慶長年間(1596~1615)に現在地に創建された。 ここには、弘法大師作と伝えられる、“三面大黒天尊”が祀られている。 大黒さまには手を合わせ、“オンマカ キャラヤー ソワカ”と唱えてきた。意味不明!

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⑧小野照崎神社
・・・・・・・・・・・・平安時代の仁寿2年(852)、上野の住民が小野篁(公家、歌人)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀った。 寛永年間(1624~1643)に、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ現社地に移転した。 現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災、東京大空襲を免れた。

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・・・・・・・・・・・・・・境内の富士塚は、「下谷坂本の富士塚」と呼ばれ、文政11年(1828)に築造された。 高さ約5m、直径約16m、塚全体が富士の熔岩で覆われている。 いまは、熔岩も見えないくらい草で覆われている。

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⑨3軒長屋
・・・・・・・・・神社の隣りに建つ3軒長屋。 以前、右側は床屋、中央は電器屋であったが、共に数年前から空き家となっている。 左側の家も空き家と思い、『そろそろ取り壊されるかな?』と気にしていた。 ところが、今日左側の家の2階に電気が点いていた、さらに1階にはお祭りの注連縄が張られていた。 とんだ間違い、失礼しました。

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⑩肉のえびすや
・・・・・・・・・・根岸3丁目の交差点に、昭和44年(1969)に創業した、揚げもの(特にメンチ)と焼鳥の種類が豊富と言われている店。 建物は戦前の造りのようだ!

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⑪快哉湯
・・・・・・・・・・下谷2丁目の銭湯「快哉湯」。 昭和初期に建てられた木造建築の銭湯で、屋根には千鳥破風がダブルで重なって付いている。・・・・・・・・・本日は、前面道路の補修工事で、近づけません!

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⑫三島神社
・・・・・・・・・・下谷3丁目の三島神社は、弘安4年(1281)に、河野通有の発願により、彼の出身地に鎮座する三島神社を勧請、創建した。 根岸にある元三島神社 とは、ルーツ・由緒は同じだそうだ。

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⑬金太郎飴本店
・・・・・・・・・・・・散歩の最後は、明治初期に飴売りの露天商から始まり、現在地に店を構えた、根岸の飴屋で買い物をして帰ってきた。 どこを切っても金太郎が出てくる懐かしい飴だ!

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