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2014年6月13日 (金)

神田川(永福橋~佃橋)

2ヶ月ぶりに神田川の散歩です。 最下流(隅田川寄り)に架かる柳橋から数えて、100番目の永福橋(杉並区)までは、前回(4月9日)までに歩き、今日は続きです。 100番目の「永福橋」から、117番目の「佃橋」まで。 1万歩、8km。

永福橋・・・・・・・・・・・・前回はここまで、今日はここから。 永福橋は、下流側から100番目の橋。 この辺りは川幅も狭くなり、川沿いの遊歩道は散策にちょうど良いね!

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸駅・・・・・・・・・永福橋に近い京王線、東急世田谷線の駅。 大正2年(1913)、京王電気軌道の下高井戸駅として開業した。 東急世田谷線は、大正14年(1925)に開業。 両線とも、地上駅で隣接しており、さらに軌間は同じ1,372mmである。 戦時中は、線路がつながって物資輸送に直通運転がされたそうだ。 もし今もつながっていたら、“三軒茶屋発高尾山口行”が運転されているかも?

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・・・・・・・・・・・・・・柏木精米店・・・・・・・・・・・・下高井戸駅前の市場を抜けた先、甲州街道の手前にある、りっぱな造りの米屋さん。 店先のガラス戸、2階の雨戸、綺麗に並びいいね!

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸橋・・・・・・・・・・・甲州街道のきわを流れていた玉川上水に架かる橋。 現在は暗渠化され、川は遊歩道にと化した。 昭和2年(1927)完成のコンクリート橋。 橋の前後にある、コンクリート製の柱に鉄パイプを通した柵が素朴な味を出し、いいね!

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②かんな橋
・・・・・・・・・・・・・101番目は、かんな橋。 “かんな”とは、植物のカンナのことらしい。 橋が多いと役所も命名に困り、無難なところで植物の名を橋名にするのだろう。 橋名のプレートが古くなったのか、字が読みず楽なってきたので、チョイト取り替えてほしいね!

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③神田橋
・・・・・・・・・・・・・またまた出ました! 神田川に架かる神田橋。 神田川には神田橋が3橋ある下流側から、中野区南台の神田橋、当地の神田橋、さらに上流の神田橋である。 本橋は昭和47年(1972)完成したが、その後交通量も増え左右に人道橋が増設された。

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・・・・・・・・・・・・・・川沿いを歩いていると、ジャスミンのような香りが、、、、、、一瞬、すれ違った女性の香水かな? 正体は道沿いに咲いていたクチナシだ!

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④幸福橋
・・・・・・・・・・・・103番目は、イージーなネーミングの幸福橋。 かんな橋と同じような構造の橋で、同時期に架けられたようだ。

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⑤向陽橋
・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)完成の向陽(こうよう)橋。 この辺りの自治会は向陽町友会と称している、近くには向陽中学校もある、“向陽”の由緒は?、、、、、解りません!

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⑥弥生橋
・・・・・・・・・・・・またまた花に関連した橋名だ! かんな橋と同じ構造の単純桁橋。

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⑦むつみ橋
・・・・・・・・・・・“仲良し”のイメージで“むつみ”橋、どうでもいいや! 橋の正面には、瀟洒なプロテスタントの「永福南キリスト教会」がある。

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⑧八幡橋
・・・・・・・・・・・・浜田山1丁目と下高井戸3・4丁目を結ぶ橋で、現橋は昭和48年(1973)に架けられた。 近くには「下高井戸八幡神社」があり、橋名はここに由来する。

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸八幡神社・・・・・・・・・・・・太田道灌が江戸城を築く際、鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して長禄元年(1457)に創建した。 下高井戸宿の鎮守さま。 森の中にある、落ち着いた鎮守さま。

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⑨藤和橋
・・・・・・・・・・・・・・・この橋も、昭和48年(1973)に架けられた。 橋の欄干は「藤」をイメージして、よじれた枝が波打つデザインとなっている。 なぜ“藤”なのか?、、、、、私には、解らない!

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⑩梢橋
・・・・・・・・・・・・・・・・梢(こずえ)橋とは、コレマタ、名の由来が不明だ! 昭和50年(1975)頃の架橋。 親柱は何をデザインしたのか?・・・・・・・・以前、横浜のキャバレーに『こずえ』ちゃんがいたね!(関係ないけど思い出した) 

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⑪鎌倉橋
・・・・・・・・・・・・110番目は、鎌倉街道に架かる鎌倉橋。 大正3年(1914)頃の鎌倉橋は長さ3間、幅1間程の木橋であった。 その後架け替えられ、さらに昭和50年(1975)に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・・・鎌倉橋の西側には塚山公園があり、園内に縄文時代の塚山遺跡がある。 竪穴住居が復元され、内部には人形もいた! 人形の肌は色白で、すべすべお肌、顔つきは現代風、髪は床屋で調髪済み、衣装は腰に巻いた毛皮だけ、チョイト時代考証が不足しているかもね!

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⑫塚山橋
・・・・・・・・・・・・・・塚山公園の下に架かる、石造りで重厚な感じの、歴史のありそうな橋。 完成時期不明? レトロで、ロマンチックで、、、、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・川幅も狭く、両側には緑が、、、、、、

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⑬堂ノ下橋
・・・・・・・・・・・昭和49年(1974)完成の堂ノ下橋。 「堂ノ下」は、かっての字名で、橋の北側の高台に「堂ノ上」の字名があった。

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⑭乙女橋
・・・・・・・・・・・・・乙女橋の左岸一帯は、かつて徳川御三卿(田安、清水、一橋)の鷹場であった。 将軍が定めた場所で「お留め場」と呼ばれ、つまり立ち入り禁止地区であった。 橋は当時、「お留橋」と呼ばれていたが、慶應3年(1868)に鷹狩が廃止となり、橋の呼称も音を合わせ「乙女橋」となった。 現在の乙女橋は薄いピンクに塗られ、チョイト艶っぽい橋だが、昭和49年(1974)の完成だから、“姥桜”の橋かもね!

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・・・・・・・・・・・・・昭和初期の乙女橋付近

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⑮池袋橋
・・・・・・・・・・・・ここは杉並区高井戸東である、豊島区池袋との関わりは?、、、、無関係で、「池袋」とは川が蛇行し袋状になった地形を指すそうだ。 つまり、神田川が蛇行し水が溜まって処だ! 解りやすい解説、納得! 橋は昭和50年(1975)完成。

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⑯正用下橋
・・・・・・・・・・・江戸時代の字名「正用下(しょうようしも)」からつけられた名前らしい。 こちらの橋も昭和50年(1975)完成。 橋の先には京王井の頭線が走る。

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・・・・・・・・・・・・・・杉並清掃工場の解体・・・・・・・・・・・・神田川、京王井の頭線の脇に、巨大な煙突と鉄骨の大屋根が見える。 これは清掃工場の建替え工事で、大屋根の中で既存の建物を壊していたのだ。 ほぼ、建物の取り壊しは終わったようだ。 完成は平成29年(2017)を予定。
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⑰高井戸橋
・・・・・・・・・・・・・高井戸駅に近い、人車専用橋。 昭和53年(1978)完成。

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⑱佃橋
・・・・・・・・・・・117番目は、今日の最後で、高井戸駅前に架かる、昭和48年(1973)完成の佃橋。

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