下谷
浅草橋の我が家から上野駅前に出て、昭和通り(日光街道)に沿って南北に細くのびる「下谷(したや)」地区を歩き日比谷線三ノ輪駅まで、1万4千歩、10kmの散歩です。
・・・・・・・・・・明治維新後の東京は、明治11年の郡区町村編清法の施行により、現在の千代田、中央、港、新宿、文京、台東、墨田、江東の8区に広がる地域に15区を設置した。 その中に、下谷区と浅草区がある。 下谷区は上野を中心とした現:台東区の西側で、明治の頃は下谷入谷町、下谷御徒町、下谷三ノ輪町など、広い範囲で町名に“下谷”を冠した。 浅草区は現:台東区の東側。 昭和7年、東京府は15区の周辺に20区を増設し35区とした。 戦後、昭和22年には、下谷区と浅草区を統合して台東区が誕生した。 現在は「下谷」の地名は、台東区下谷1丁目~3丁目として残るだけである。 また、統合された台東区は、23区中で最も面積の狭い区である。・・・・・・・・ちなみに、私の生まれは浅草区浅草新福井町(現:浅草橋2丁目)である。 浅草区では、町名に“浅草”を冠していた。 ついでに、新福井町の“福井”は、この辺りが福井藩の屋敷地であったため、町奉行:大岡越前守が命名したそうだ。
①斉藤理容館・・・・・・・・・・下谷1丁目、上野郵便局近くの床屋さん。 私は、まだ刈ってもらったことはないが、昭和の匂いが残る町の床屋。 古そうな看板が掛けられた、創業明治41年(1908)で100年以上続く床屋の老舗(?)。 建物は戦後の建築と思われる。
②カトリック上野教会・・・・・・・・・・東京大空襲によって下町の大部分が焼失した。 終戦後、焼け残った上野駅周辺は、職がない、行き場がない、食べられない、家族がない人々が多くみられ、中には病人もいた。 この惨状を通りがかりに見た神父は、ベタニア修道女会と聖母病院 のシスター達と共に、昭和22年(1947)、現在教会のある地(下谷1丁目)に診療所を開設し救済にあたった。 その後、昭和29年(1954)に上野教会は浅草教会 から分かれて独立した。 現教会は昭和36年(1961)に建てられた。・・・・・・・・・当時は、上野駅の地下道に浮浪者が寝泊まりし、西郷さんの銅像下には傷痍軍人が座り、アメ横周辺にはパンスケがたむろする、多くの日本人が苦労した時代であった。 私は子供心に悲惨な光景として記憶している!
③入谷鬼子母神・・・・・・・・・・萬冶2年(1659)に開山した法華宗本門流の仏立山真源寺。 『恐れ入谷の鬼子母神』と言われる鬼子母神を祀っている寺で、毎年7月6日~8日、門前で催される朝顔市は入谷の名物となっている。
④坂本小学校・・・・・・・・・・・・鬼子母神の隣りに、関東大震災後に再建した復興小学校の一つで旧「入谷尋常小学校」がある。 大正15年(1926)に建てられた。
⑤鶯谷アパート・・・・・・・・今は無き、「同潤会鶯谷アパート」とは異なり、こちらは下谷2丁目に残る「鶯谷アパート」。 昭和7年(1932)に建てられた、“東京で最初の三階建て木造アパート。 10年程まえに多少改装したため、玄関は以前の茶色のドア、黄土色の外壁タイルと異なり、ドアは薄緑、壁はクリーム系のペンキが塗られている。 床のモザイクタイルは以前のまま残っている。 マンサード屋根の形もいいね!
⑥下谷の裏道・・・・・・・・・・・
⑦英信寺・・・・・・・・・・下谷2丁目、浄土宗の英信寺は、慶長年間(1596~1615)に現在地に創建された。 ここには、弘法大師作と伝えられる、“三面大黒天尊”が祀られている。 大黒さまには手を合わせ、“オンマカ キャラヤー ソワカ”と唱えてきた。意味不明!
⑧小野照崎神社・・・・・・・・・・・・平安時代の仁寿2年(852)、上野の住民が小野篁(公家、歌人)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀った。 寛永年間(1624~1643)に、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ現社地に移転した。 現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災、東京大空襲を免れた。
・・・・・・・・・・・・・・境内の富士塚は、「下谷坂本の富士塚」と呼ばれ、文政11年(1828)に築造された。 高さ約5m、直径約16m、塚全体が富士の熔岩で覆われている。 いまは、熔岩も見えないくらい草で覆われている。
⑨3軒長屋・・・・・・・・・神社の隣りに建つ3軒長屋。 以前、右側は床屋、中央は電器屋であったが、共に数年前から空き家となっている。 左側の家も空き家と思い、『そろそろ取り壊されるかな?』と気にしていた。 ところが、今日左側の家の2階に電気が点いていた、さらに1階にはお祭りの注連縄が張られていた。 とんだ間違い、失礼しました。
⑩肉のえびすや・・・・・・・・・・根岸3丁目の交差点に、昭和44年(1969)に創業した、揚げもの(特にメンチ)と焼鳥の種類が豊富と言われている店。 建物は戦前の造りのようだ!
⑪快哉湯・・・・・・・・・・下谷2丁目の銭湯「快哉湯」。 昭和初期に建てられた木造建築の銭湯で、屋根には千鳥破風がダブルで重なって付いている。・・・・・・・・・本日は、前面道路の補修工事で、近づけません!
⑫三島神社・・・・・・・・・・下谷3丁目の三島神社は、弘安4年(1281)に、河野通有の発願により、彼の出身地に鎮座する三島神社を勧請、創建した。 根岸にある元三島神社 とは、ルーツ・由緒は同じだそうだ。
⑬金太郎飴本店・・・・・・・・・・・・散歩の最後は、明治初期に飴売りの露天商から始まり、現在地に店を構えた、根岸の飴屋で買い物をして帰ってきた。 どこを切っても金太郎が出てくる懐かしい飴だ!