田端~白山
JR田端駅から都営三田線白山駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
①田端切通し・・・・・・・・・・・・田端駅北口前の都道に大きな切通しがある。 昭和8年(1933)、台地である山手線内側(文京区側)から、低くなっている山手線外側(荒川区側)に抜ける道か整備された。 この「田端切通し」には、「東台橋」と「童橋」が架けられている。
・・・・・・・・・・・・・東台橋・・・・・・・・・・・東台橋(とうだいばし)、竣工年不明だが切通しが造られた昭和8年に近い時期に橋も架けられ、さらに現在の橋は近年架け替えられたものと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・東台橋から田端駅側を望む。 けっこう高い位置に架かっている、右のビルから推測すると3階以上の高さはあるね! 中央正面には東北新幹線の高架橋も見えるが、その高さよりも高い!!
・・・・・・・・・・・・・・東台橋から童橋の方を望むと、両側の石積みのスケールが大きいね! 人も車も谷底を移動中。
・・・・・・・・・・・・・・童橋・・・・・・・・・・・切通しにより分断された東西をつなぐ橋としてかけられた鉄骨のアーチ橋。 近くの滝野川第一小学校へ通う児童の通学路として利用されている。
②田端八幡神社・・・・・・・・・・・文治5年(1189)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州藤原一族を平定し、その帰路に鎌倉八幡宮を勧請した。 田端村の鎮守さま。 社殿は平成4年(1992)に再建された。
③東覚寺・・・・・・・・・・田端八幡神社の隣りに、別当であった真言宗豊山派の東覚寺がある。 延徳3年(1491)に創建され、慶長年間に現在地(北区田端)へ移転した。 昨年の正月に「谷中七福神巡り 」で福禄寿を見に来たが、チョイトした失敗で、お会いできなかった!
・・・・・・・・・・・・・・・山門の脇には、石仏の赤紙仁王尊が立っているが、悪魔を焼除する色の赤紙が全身に貼られ、姿かたちが見えなかった! 仁王さんもペタペタ貼られた赤紙に動きがとれず、息苦しいようだ!
④天祖神社・・・・・・・・・・・・・文京区本駒込の天祖神社。 こちらも、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐の時、創建した神社。 先の田端八幡神社と同年に建てたようだ、頼朝は神社好きの武将だね! 現社殿は昭和29年(1954)に新築された。 森の中に佇むような雰囲気があり、しっとりとした心地よい神社だ。・・・・・・・・今日は6月末、「夏越の大祓い」である。 神社では茅の輪くぐりをしてきた。
・・・・・・・・・・・・・・天祖神社の鳥居前を右に行くと、、、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・道はT字にぶつかり、左右どっちに行こうかな? 左は行止まりかと思いきや、赤い矢印の標識が、、、、、、なんだ! 行ってみよう!
・・・・・・・・・・・・・・・駒込病院の裏道かな? 行けるとまで行ってみるか、、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・・一折れ、二折れ、金網越しに保育園が見える、、、、、、どうやら、病院職員用の保育園らしいが、中には入れず、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・病院の施錠された裏門前に出てきた!、、、、、、、自転車、乳母車なども通る生活道路だった。 でも、夜は怖そうな道だ!
⑥吉祥寺・・・・・・・・・・・・文京区本駒込にある、曹洞宗寺院の諏訪山吉祥寺。長禄2年(1458)太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、城内に一宇を設け吉祥寺を創建した。 その後、家康の入府に伴い水道橋へ移転し、明暦の大火(1657)後は、現在地に移転した。 境内は広い!・・・・・・・・ちなみに、中央線の武蔵野市吉祥寺には「吉祥寺」と称する寺は存在しない。 なぜなら、寺の吉祥寺が水道橋の地で明暦の大火により被災したとき、門前の住民が現在の武蔵野市吉祥寺へ移転し、愛着を込めて吉祥寺村と称したことが地名の起こりである。
・・・・・・・・・・・・・・・本堂・・・・・・・・空襲で本堂は焼失し、戦後、再建された。 鉄筋コンクリート造。
・・・・・・・・・・・・・・・経蔵・・・・・・・・・空襲で被災を免れた、文化元年(1804)の建築。
・・・・・・・・・・・・・・墓地の中をウロウロ、、、、、、、発見、榎本武揚の墓。
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