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2014年7月

2014年7月30日 (水)

日暮里

夕涼みを兼ねて、日暮里駅周辺の散歩です。 歩いた後は、汗びっしょり、

JR日暮里駅 ・・・・・・・・・・明治38年(1905)に日本鉄道土浦線(常磐線の前身)の駅として開業。 翌年には国有化された。 京成電鉄は昭和6年(1931)に日暮里~青砥間の開業によって乗り入れた。 現在は、3面6線の島式ホームと線路、また4本の通過線を持つ地上駅で、駅舎は橋上にある。

・・・・・・・・・・・・・東口・・・・・・・日暮里駅の改札口は北口と南口の2か所で、北口改札は出ると東西2か所の出口に振りわかれる。 東口は京成線、舎人ライナーの乗換方向で、駅前ロータリーにも通じる日暮里駅のメインの出口である。 駅前には3棟の高層ビルと舎人ライナーの橋上駅舎が、デン!と見上げる位置に建っている。

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・・・・・・・・・・・・・・韓国人が多い街で、駅前のペコちゃんはチマチョゴリで客を迎えていた。

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・・・・・・・・・・・・・・西口・・・・・・・・谷中銀座方面の出口。 小さな出口で、下御隠殿橋の橋上に出る構造となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・南口・・・・・・・・・・とんがり帽子の南口駅舎。 駅舎を出ると橋上となり、右は京成線の高架下を抜け駅前ロータリー方向へ、左は谷中霊園方向へ向かうことになる。

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②谷中霊園
・・・・・・・・・・南口を出て、年寄りに優しい階段を上ると霊園に続く。 日が落ちるまでは怖くないが、落ちた後の闇夜は怖いね。

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③正緑荘
・・・・・・・・・・・谷中7丁目のJRを見下ろす崖の上に立つ化石のようなアパート。 戦前は「天王ホテル」と称した高級下宿であったらしい。 近頃、取り壊しの噂があるようだ。 

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・・・・・・・・・・・・・・・近くには、煉瓦の瓦礫を積んだ石垣が、見事なアートを描いている。 この瓦礫の出処は、震災かも?

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④芋坂跨線橋
・・・・・・・・・・・日暮里駅の南側(鶯谷駅側)に、古レールで造られた跨線橋が架かっている。 「芋坂」は、鉄道開通の際に谷中霊園側の崖を削ったため、そこにあった芋坂が消滅した。 跨線橋は、その位置に架けられ「芋坂跨線橋」と称した。 大正時代に架けられたようだ。 古レールをY字形に組んだ橋脚は見事なものだ!

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・・・・・・・・・・・・・・跨線橋からパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・・跨線橋から、常磐線ホームは目の前。 目の右横には京成本線の高架橋がある。

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・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋を渡り、京成本線の高架下を抜けると、正岡子規を好んで食べた「羽二重だんご」の店の横に出てくる。 「羽二重団子」は文政2年(1819)創業の老舗、店の中でも食べられるので、御賞味あれ! 今日はすでに閉まっていたので残念!

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⑤下御隠殿橋
・・・・・・・・・・・・・・日暮里駅北口改札前の跨線橋を、下御隠殿橋(しもごいんでんばし)という。 橋の全体像は橋上駅舎などが邪魔をして見ることができない。 昭和3年(1928)に初代の跨線橋が竣工し、現在の2代目の跨線橋は平成7年(1995)の完成である。 ちなみに、橋名の「御隠殿」とは、東叡山寛永寺の住職輪王寺宮法新王の別邸のことで、江戸時代に、寛永寺から別邸に行くために作られた道の途中の坂が「御隠殿坂」である。 写真右側がJR日暮里駅、正面が京成本線の高架駅。

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・・・・・・・・・・・・・下御隠殿橋からパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・鉄ちゃんがお母さんと電車を見に来た。 暑くて眠れないのかもね?

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・・・・・・・・・・・・・・下御隠殿橋が京成本線の下で大きくカーブして、駅前ロータリーに擦り付くところには、昭和3年竣工時ものと思われるコンクリート製の欄干が残されている。

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⑥谷中ぎんざ・
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・夕やけだんだん・・・・・・・・日暮里駅から谷中銀座へ下る坂の途中にある階段。ここから見る夕やけが美しいのでつけられた名前。

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・・・・・・・・・・・・・商店街は、そろそろ店じまい。

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西日暮里の路地
・・・・・・・・・・以前歩いた、本行寺と経王寺の間の路地裏を再び歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・路地の入口

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・・・・・・・・・・・・・・道は折れながら、和風の家と垣根が続く

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・・・・・・・・・・・・・・・そろそろ路地は終点に、、、、、
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2014年7月29日 (火)

鐘ヶ淵~東向島

東武スカイツリーラインの鐘ヶ淵駅から隣の東向島駅まで、9千歩、7㎞の散歩です。

今日は線路の西側、迷路のような路地裏を、いつものように行きつ戻りつ、右へ左へ、さまよい歩いてきた。 線路の東側は、かつて赤線地帯で、私も幾度となく歩いている『玉の井』地区である。


鐘ヶ淵駅
・・・・・・・・・・ブログ「雅万歩」では、北隣の堀切駅とともに登場回数の多い、おなじみの駅。 明治35年(1902)に、東武伊勢崎線の吾妻橋(現・業平橋)~北千住間開業時にできた駅。 普段は下町の哀愁漂う静かな駅だが、今朝は久喜で人身事故があり電車は遅れ、乗る人・降りる人も多い。

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②大鳥百貨店
・・・・・・・・・・・婦人用鞄、日用雑貨、大工用品、文房具、情報関連雑貨、と2万点以上の品数を誇る、鐘ヶ淵駅前の“街のデパート”。 明治22年(1889)の創業以来、「困った時の大鳥です」と、地元に愛されてきた店らしい。・・・・・・・・覗いてみると、けっこう面白いものがありそうで、癖になるかも?

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③墨田2丁目の裏道・その1
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・この裏道、入って行ってみよう!

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・・・・・・・・・・・・・・やはり、真っ直ぐな道ではない、道幅も広がったかな?

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・・・・・・・・・・・・・・狭くなってきたか?

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・・・・・・・・・・・・・・“すみだ梅若会”? 町内会か、敬老会か?・・・・・・・・・この辺りは、梅若伝説の残る町だ。 伝説は、京都洛北にいた“梅若丸”という12歳の子が人買いにさらわれ、隅田川のほとりで、衰弱死してしまう。 梅若丸の母親は、子供を訪ねて旅を続け、最後は悲しみのあまりとうとう発狂して隅田川のほとりをさ迷うという、歌舞伎の話です。

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・・・・・・・・・・・・・・・梅若伝説を思い出したら、前方から買い物カートを押したお婆さんが、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・裏道はT字にぶつかる。 この家の木製窓、何となく年季の入った老夫婦の声が聞こえるようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・ここまで、歩いた道を振り返る、、、、、、

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④五味自動車工業墨田工場
・・・・・・・・・・・自動車用タイヤの摩耗した古いゴムの部分を削り落とし、貼り替え、ベースの部分を再利用する再生タイヤの工場。 この工場の脇に事務所と思われる木造モルタル仕上げの建物がある。 昭和初期頃の建築と思われる? 1階の窓は建築時のままか、建物四隅にはレリーフを見ることもできる。 全体的に劣化しているので、できれば補修を期待したい。

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⑤墨田2丁目の裏道・その2
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・この道を入ってみよう!

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・・・・・・・・・・・・・・突き当りには、小さな家が、、、右に、左に、迷うね!

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・・・・・・・・・・・・・・私、右利きなので、右に行ってみた、、、、
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・・・・・・・・・・・・・・道なりに折れて、、、

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、懐かしき雰囲気の家もある、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・アレ! どうやら裏道を一周したみたい、小さな家の前に戻ってきた。

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・・・・・・・・・・・・・・道を変えて、、、、
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・・・・・・・・・・・・・・玄関わきに、竹簾に朝顔の飾りつけ、粋な家だ! きっと、小股の切れ上がった美人奥さんの飾りつけか? 勝手に想像しちゃって!

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⑥墨田1丁目のブドウ・
・・・・・・・・住宅の角にベンチが、横の椅子にはブドウの鉢が。 蔓が柵に絡まり、緑の塀となっている。 ブドウの実もつき、食べながらひと休みという気遣いかな?

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⑦大正通り・
・・・・・・・・白髭橋方面と東向島駅の北側を結ぶ通り。 地元の幹線道路で、去年は私も世話になった病院、スパー、公園などが沿線にある。

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東向島駅
・・・・・・・・・・・・明治35年(1902)、白鬚駅として開業。 明治38年(1905)から営業を取りやめ、大正13年(1924)から玉ノ井駅として営業再開。 昭和62年(1987)に高架駅となり東向島駅に改称。 地上駅であった旧駅舎のイメージは無くなり、現在は東武博物館として、鉄道ファンに人気の駅。

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2014年7月28日 (月)

南品川

京浜急行の新馬場駅から隣の青物横丁駅まで、直線距離1㎞程のところを、1万歩、7㎞の散歩。


①品川神社
・・・・・・・・・・第一京浜を挟み、新馬場駅 前の小高い所に品川神社はある。 神社は、文治3年(1187=鎌倉時代)に源頼朝が、海上交通の安全を祈願し安房国州崎明神を勧請し、創建した。 

・・・・・・・・・・・・・・第一京浜に面し正面鳥居があり、その左には大きな富士塚が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・鳥居に続く急な階段の中程に、富士塚の登山口がある。 頂上からの見晴らしはいいね。 江戸時代は品川沖の船が見える神社だったであろう。

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・・・・・・・・・・・・・・現社殿は、昭和39年(1964)に再建された。 鉄筋コンクリート造で、正面の屋根が長くせり出した流造(ながれづくり)の様式である。

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②稼穡稲荷神社の大イチョウ・
・・・・・・・・・・新馬場駅に近い品川図書館の脇に、稼穡稲荷神社(かしょくいなりじんじゃ)がある。 この地は薩摩藩島津家の屋敷跡で、その屋敷内に祀られていた神社。 イチョウは神木として保護され、樹齢500~600年と推定され、高さ23m、周囲4.1mの大樹である。

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③荏原神社
・・・・・・・・・・・新馬場駅の東側に荏原神社はある。 元明天皇の御代、和銅2年(709)、奈良の元官幣大社・丹生川上神社より高神(龍神)を勧請し、創建された古社である。 ご利益のデパートみたいで、荏原神社に祈願すれば叶わぬことは無いといわれ、勝運、学問、商売繁盛、交通安全、病気平癒、家内安全、恋愛などに、特別のご神徳があるそうだ。 つまり、何にでも効く神社。 似たようなもので、私の幼き頃(終戦直後)は、歯痛、腹痛、下痢、など、身体の調子が悪いと「正露丸」を服用させられた。 切り傷、擦り傷、湿疹、やけどには「メンソレータム」。 家庭の常備薬は、この2種の薬でほぼ足りたね!

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・・・・・・・・・・・・・現社殿は弘化元年(1844)のもので、今年で170年を迎える。

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・・・・・・・・・・・・・・神社前を流れる目黒川に架かる昭和60年(1985)に架け替えられた鎮守橋。 旧橋(昭和3年架橋)の親柱は境内に残されている。

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④品川橋
・・・・・・・・・・・旧東海道の品川宿と南品川宿の境を流れる目黒川に架けられた橋で、江戸時代には境橋と呼ばれていた。 もちろん、江戸時代は木橋であったが、その後石橋、コンクリート橋、そして現在の鋼橋に、時代とともに変わった。 旧東海道を演出する、地域密着型のデザインである。

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⑤旧交番跡
・・・・・・・・・・品川橋の南詰め交差点に残る旧交番跡。 昭和初期に建てられたものかも? 現在は地域の物置となっているようだ! 都内に現存する同時代の交番跡は少なくなり、駒形橋交番月島西仲通交番厩橋交番猿楽町交番などが、かろうじて残っている。

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⑥海徳寺
・・・・・・・・・・・・南品川1丁目の海徳寺は日蓮宗の寺。 大永2年(1522)に、鳥海和泉守(法名自覚院岸日性)が出家し自宅を寺としたらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・境内には軍艦千歳殉難者之碑がある。 明治39年(1906)渡英のため品川湾に碇泊していた軍艦千歳へ乗り込む通船が突風により転覆して千歳の乗組員など83人名が死亡した。 死者を供養するため、大正8年(1919)に建立された。

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⑦南品川の建物
・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・S邸・・・・・・・・・以前は焼海苔問屋を営んでいた銅板建築の商家。

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・・・・・・・・・・・・・・・出桁造りの建物が2棟。 中央はアオイ化粧品店。 右隣は酒屋さんだったと思う。

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・・・・・・・・・・・・・・稲垣商店・・・・・・・・・・・・たばこ・雑貨屋さんだが、、、、、看板には、薄く「ロッテ」と、ガーナチョコの絵柄が、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・トタン張りの住宅・・・・・・・・・黒く塗ったトタン(屋根もトタン葺き)が、時代を感じる。

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・・・・・・・・・・・・・木造の2軒長屋だが、右の住宅の1階は、かつて床屋さんだったような造りだ!

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・・・・・・・・・・・・・富田屋工業所・・・・・・・・・・創業明治27年(1894)の水道工事屋さん。 創業時の取り扱い商品は何だったのか? 当時は水洗トイレ、浄化槽、湯沸かし器、、、、みんな無い時代だ!、、、、、、???
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・・・・・・・・・・・・・・IW家の蔵・・・・・・・・・街道沿いの住宅に残る蔵。 明治時代の蔵で、関東大震災(1923)では壊れ、2年かけ修復したそうだ。 

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・・・・・・・・・・・・・元は鮮魚店「魚長

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・・・・・・・・・・・・・畳松岡・・・・・・・・・地元の名職人7代目の店主が営む、創業230余年経つ畳屋さん。 築約100年の現家屋は昔、店先が海だったため、中2階建ての珍しい造り。建物は将来武蔵小金井の江戸東京たてもの園へ移築予定らしい。

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・・・・・・・・・・・・・・竹内医院 ・・・・・・・・・・明治40年(1907)に建てられた、ノスタルジックな素敵な病院だが、只今、改修工事中。 医院は、工事期間中も開業しています。

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・・・・・・・・・・・・・・出桁造りのたばこ屋・・・・・・・・・・外壁は新建材で張り直しているが、雰囲気は残っている。

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⑧常行寺
・・・・・・・・・・天台宗の常行寺は、嘉祥3年(850)に創建され、末寺500ヶ寺以上を擁した古刹。 しかし、江戸時代には規模が大きく縮小され、一寺院となった。

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⑨長徳寺・・・・・・・・・・・・・時宗の長徳寺は、寛正4年(1463)に創建された。

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⑩天妙国寺
・・・・・・・・・・・顕本法華宗の天妙国寺は、弘安8年(1285)に日蓮の弟子中老僧天目が開創した。 昨日は、何やらまつりがあったようで、境内は片付けの真っ最中、邪魔者にならないよう、遠くから合掌。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここらで、青物横丁駅から変えることにした。

2014年7月27日 (日)

鶯谷

鶯谷駅から隣の日暮里駅まで、夏の夜の散歩。 8千歩、6㎞。


鶯谷駅
・・・・・・・・・・・明治45年(1912)、東北本線の駅として開業。 出入口は南北2か所あり、ともに現駅舎は昭和3年(1928)頃に建てられたと思われる。

・・・・・・・・・・・・・・南口・・・・・・・・・・・・京浜東北線北行線の上に建つ、小さな可愛らしい橋上駅舎。 

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・・・・・・・・・・・・・・改札とホームをつなぐ通路は木造である。

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・・・・・・・・・・・・・・・通路から眺める線路。 線路の向こうはラブ・ホテル街。

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・・・・・・・・・・・・・・・北口・・・・・・・・・・南口と同じ頃に駅舎は建てられたようだ。 こちらは、ホテル街に近く、地上駅舎となっている。 駅前に立つと、目の前にはラブ・ホテルの看板が輝き、写真を撮るにはチョイと気が引ける。(気の弱い男なので?) 

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②新坂橋
・・・・・・・・・・・・・・南口は寛永寺のある台地側にあり。 駅前には跨線橋の新坂橋が架かっている。 中央の鉄筋コンクリート道の車道部は駅舎と同じ昭和3年(1928)頃に竣工した、車道部の両側に昭和41年(1966)に鉄骨製の歩道部が架けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・・歩道部は、飾り気のない簡単な構造の跨線橋である。

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・・・・・・・・・・・・・・ラブ・ホテル街側には歩道部に続く階段がある。 階段を下り、ロウソンの横を曲がればホテルが並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・橋から日暮里方向を眺める

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ラブ・ホテル街
・・・・・・・・・・・・よく散歩でここを歩くのだが、利用したことがなくコメントが書けないのが残念! 光り輝く、まぶしい街。

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元三島神社
・・・・・・・・・・・・ラブホテル街のど真ん中に鎮座する神社で、祭神は大山祇命、伊佐那岐命を頂き、和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命を配祀している。 弘安4年(1281)の創建と云われる古い神社だが、社殿は、近年、鉄筋コンクリートにて建て替えられた。 夜の参拝もいいね、二人連れだともっといいね!

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⑤寛永寺橋
・・・・・・・・昭和3年(1928)竣工、言問通りが鶯谷駅北側で大きくカーブして、10本の線路(新幹線の地下線路2本を含む)を跨ぐ陸橋。 

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・・・・・・・・・・・・・・・・橋の上からパチリ!

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上野トンネル・
・・・・・・・・・京成電鉄が上野の山から地上に顔を出すトンネル。 上野の住宅街から地下にもぐり、国立博物館前の道路下を走り、京成上野駅の地下ホームに続く、私の好きな風景だ。

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⑦京成電鉄跨線橋
・・・・・・・・・・・上野の山から顔を出した京成線が、JRの線路上で大きくカーブして日暮里駅に向かう処。 明治45年(1912)に押上まで開業していた京成電鉄が、山手線の内側に乗り入れるために、昭和8年(1922)に開通させた部分。

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⑧御隠殿坂橋
・・・・・・・・・・・・京成電鉄跨線橋のスグ隣に架かる人道橋。 昭和3年(1928)頃の竣工と思われる。 橋の奥は谷中霊園、チョイト、怖いかも!

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●・・・・・・・・・・・・・御隠殿坂橋を過ぎると日暮里駅。 今日はここまで!

2014年7月26日 (土)

隅田川花火大会

連日の暑さで、今日も日中は自宅待機状態。 夜は地元のよしみで、隅田川花火大会を見物に両国橋まで行ってみた!


●浅草橋駅
前は、年に1回だけ、若者で賑わう日。 慣れない浴衣姿の若い人も多く、『ちゃんと、着こなせよ!』と声を掛けたくなるね。 

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●水戸街道
も全面通行止め、花火の打ち上げ中は歩行者天国だ!

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●屋形船
はすでに隅田川に出ているようで、船宿には1隻も泊まっておらず、ガラ~~ン! 

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●両国橋
は、打ち上げ10分前、既に厳戒態勢! 警官だけでは足りず、民間の警備員も配置。

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●両国橋
の浜町際は、見物する人が待機中。
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●両国橋
からは遠い、第一会場(桜橋)で打ち上げ始まった! 橋の上はまだ空いてる。

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●そろそろ第二会場(駒形橋)でも打ち上げが始まるので、人が集まってきた!

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●打ち上げ開始
、威勢よく連発で、ド、ド、ド、ド、ド~ン、、、、、、オヤ?、橋の際に寄りすぎて、首都高に邪魔されて見えない、、、、、、まずは気持ちで、“玉や~~ 鍵や~~”。

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●橋の中央へ移動、、、、、、、オヤ? けっこう楽に移動できるね! 今年は見物する人が減ったのかな?

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●見えた!
、、、、、、『橋の上は、撮影禁止です。 まだ、皆様の後ろには花火をご覧になっていない人が大勢います。 ゆっくりで結構ですから、立ち止まらずに歩きながら見物してください。』、女性DJポリスのアナウンスが響き、花火の音も委縮したようだ! 私も、若い婦人警官に見つめられ委縮した。

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●もうちょっと、花火を見ていたい、、、、、と、思いつつ、、、、、、警官に誘導され橋を渡る。

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●柳橋
を渡れば、もうすぐ我が家、、、、、

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●浅草橋駅
は人の流れが変わり、駅へ吸い込まれていく、、、、、

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●我が家
へ戻る道も、車の規制をしていた、、、、、ご苦労様です。

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2014年7月25日 (金)

上野駅

今夏初の猛暑日で、アッチアッチ。 日中は、まだ熱中症で死にたくないので、家でゴロゴロ。 夕方から散歩でノソノソ。 上野駅と周辺をブラブラ。 8千歩、6㎞。


上野駅
・・・・・・・・・・・・日本鉄道の駅として、明治18年(1883)に開業した。 その後、北のターミナルとして大きくなっていったが、関東大震災で駅は焼失した。 震災復興建築として現在の駅舎は昭和7年(1932)に建て替えられた。 設計は鉄道省(技師:酒見佐市)、施工は鹿島組(現:鹿島建設)、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建。 総工費は当時の金額で270万円(醤油1升63銭の時代)。 建物は東京駅よりチョイト見映えが悪いが、哀愁漂い、多くの歌手が歌い語った“演歌の駅”、私の好きな駅。 

・・・・・・・・・・・・・まずは、正面玄関から!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅舎の落成式(昭和7年)の写真

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・・・・・・・・・・・・・・・広小路口はサラリーマンで熱気ムンムン、これから暑気払い! ちなみに、駅前の気温は、19時半で、32℃、飲みたくなる暑さだ!

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・・・・・・・・・・・・・・公園口は、動物園も閉まり、乗降客もチョイと少なくなったようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・知る人も少ない入谷口は、ご近所に勤める人専用の出入口のようなもの。 この出入口の真下地下30mに新幹線のホームがあるのを、知る人は少ないね。

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・・・・・・・・・・・・・正面玄関ホール。 かつては、このホールの両側に出札窓口が並んでいた。 当時を知る人は今は少なくなった。 ちなみに、私は戦後の切符売り場としての記憶はある。 現在は飲食店が占めている。

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・・・・・・・・・・・・・・正面玄関から地下鉄銀座線上野駅につながる階段。

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・・・・・・・・・・・・・・正面玄関右には交番もあります。 家出少女、迷子、お上りさんはこちらへ!

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・・・・・・・・・・・・・・中央改札前のコンコース。 “This is 上野駅”。

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・・・・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に完成した、中央口と公園口を結ぶ連絡橋、その名は「パンダ橋」。

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・・・・・・・・・・・・・・パンダ橋から眺める、ホームとアメ横方向。

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・・・・・・・・・・・・・・橋上駅舎の屋上からパンダ橋を通し、御徒町方面を眺める。

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・・・・・・・・・・・・・・・15番線ホーム車止めの後ろにある石川啄木の歌碑。 「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにゆく」 いやでも、故郷の情景を想い、懐かしさを感じる歌だ!  

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・・・・・・・・・・・・・・広小路口の前には、「ああ上野駅」歌碑がある。 昭和30年~40年の高度成長期、就職列車で上京した若者を支えた心の応援歌。 歌うは井沢八郎 ♪♪~どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ 上野は俺らの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった~♪♪

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②北斗星
・・・・・・・・・・・・・ご存じブルートレインの「北斗星」。 上野発19:03、函館着6:35、札幌着11:15。 夏休みで、家族連れが多く、今日満席かも? 二人連れも、いいね、ロマンチックで! 写真を撮っているのはみんな大人だ、特に中高年は何かを感じているのだ、私もね!!

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③両大師橋
・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に完成した、上野駅北側で山手線、京浜東北線、東北本線、常磐線、引上げ線も含めて、計21本の線路を跨ぐ橋。 現在の橋は、昭和46年(1971)に架け替えられた。 橋名の“両大師”とは、上野の輪王寺ことを別名「両大師」(慈恵、慈眼の二人の僧侶)と称していることに由来する。 この橋の下には上野駅の中距離路線のホームが見える。 新幹線が開通する以前は、この橋の上から、東北・信越・上越・常磐の特急列車・夜行列車を眺めて時を過ごしたが、今は常磐特急と数本の夜行だけだ。寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・橋上からパチリ!

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2014年7月23日 (水)

浅草橋

梅雨も明け、今日は大暑。 熱中症に気を付け、日中は家で昼寝、夕方から我が家(浅草橋)の周りを散歩。 

『オヤ、旦那! カメラを提げてどちらへ?』てな声が、ご近所の人からかからないように、注意しながら、我が家の周りをグルグル、ブラブラ、コソコソと歩いてきた。 8千歩、6㎞。

①浅草橋・・・・・・・・・・・地名となった神田川にかかる橋。 2kmほど北にある浅草寺への参道で、ここに浅草見附があった。 現在の橋は、昭和5年(1930)に間組の施工で、総工費27万7千円也にて、完成した。 橋の上は「江戸通り」(国道6号=水戸街道)、橋の北側は台東区浅草橋・柳橋、南側は中央区日本橋馬喰町・東日本橋。・・・・・・・・・この橋は、何だかんだ言っても、幼き頃の私の遊び場の一つであった。 感謝します!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋から柳橋を見ると、屋形船が東京湾に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・橋の際に建つ、2つの建物・・・・・・・・・昭和4年(1929)に建てられた5階建ての浅草橋ビル。 も一つは、戦前に建てられた4階建ての本格ビル

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柳橋
・・・・・・・・・・・・「雅万歩」では、こちらもなじみの橋。 昭和4年(1929)完成。 この橋も、私の遊び場の範囲内にある、『ここは、俺の縄張りだ!』

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・・・・・・・・・・・・・・橋の上では、、、、、、愛を語る二人

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・・・・・・・・・・・・・・・橋の下では、、、、、、大川(隅田川)に出ていく屋形船

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・・・・・・・・・・・・・・・橋の際では、、、、、船宿の佃煮屋さん

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・・・・・・・・・・・・・・・橋の袂には、、、、、、戦前に建てられた元病院の建物

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③柳橋の町
・・・・・・・・・・・・・橋を見て町を見ないのは、端を食べて中を食べない栗羊羹!

・・・・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)に建てられた木造には見えない、原歯科医院の建物。 閉院しましたので、治療は最寄りの歯科医院でお願いします!

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・・・・・・・・・・・・・・昭和を代表する芸者歌手だった故・市丸さんの旧邸宅を改装したギャラリー。 市丸のヒット歌謡はなんたって「三味線ブギ」(昭和24年)  ♪♪ 三味線ブギで シャシャリツシャンシャン さあさ 踊ろよ ブギウギ うきうき 浮いた浮いたよ シャシャリツシャンシャン 踊る阿呆に 踊らぬ阿呆だよ 同じ阿呆なら 踊らにゃ損だよ さあさ 猫も杓子も ブギウギ ハチョイト ブギウギ ♪♪  いいね、盆踊りの定番だった。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和40年代までは料亭がズラリ並んでいた、隅田川沿いの通り

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・・・・・・・・・・・・・料亭・料理屋・寿司屋・待合、、、、、名残の建物が、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・暖簾をくぐるお姐さん、、、、、、今宵は暑気払い、、、、

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浅草橋駅
・・・・・・・・・・・・・・両国~御茶ノ水駅間の高架路線の完成と同時に昭和7年(1932)に開業。 我が家の最寄り駅で、私が中学生のころまでは、駅を通過する蒸気機関車の音も聞こえた、60余年お世話になっている駅。

・・・・・・・・・・・・江戸通りに面する東口(両国寄り)がメイン。 駅前はジャンボ宝くじを買い人の列が続いている! 

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・・・・・・・・・・・・・・3ヵ所あるブースで、真ん中の「秀じいの窓口」に人気集中。 中に入っている秀じいさんは、80歳前後と思われるが、元気な様子だ! 

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・・・・・・・・・・・・・・江戸通りに架かる、JR浅草橋架道橋

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋駅ホームは高架橋の両側、道路上に張り出している。

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・・・・・・・・・・・・・・・高架下の西口(秋葉原寄り)は、昭和が強く香る駅。

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・・・・・・・・・・・・・・ホーム下の店は、、、、、、チョイと寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・・ホーム中央の真下の第一福井橋架道橋。 この通りの奥に我が家が、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・駅の北側には、銀杏八幡神社があり、我が家の地鎮祭・七五三・毎年の厄払い、いろいろお世話になってます。

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・・・・・・・・・・・・・駅周辺には立ち呑みの店もある

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旧東京市柳北尋常小学校
・・・・・・・・・・大正15年(1926)に建て替えられた復興小学校。・・・・・・・何といっても、私も、わが娘達も卒業した「台東区立柳北小学」なり。 残念だが、10年程前に少子化のあおりで廃校となった。 現在は区の施設として使用中。

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⑥旧日光商事
・・・・・・・・・・・・昭和初期の建築と思われる、建物上部の紋章のような装飾が特徴的なビル。 現在はミュージックスクールとして使用されている。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・駅から徒歩3分の我が家周辺は、既に静かになっていた!

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2014年7月21日 (月)

東京高速道路

東京高速道路の京橋JCTから新橋まで、1万2千歩、8kmの散歩。

・・・・・・・・・・・「東京高速道路」とは、銀座の町を囲むように、京橋JCTと新橋の間をつなぐ全長:約2kmの高速道路で、首都高速と接続しているが、民営の道路である。 昭和34年(1959)から昭和39年(1964)に建設された。 この高速道路は、14棟の鉄筋コンクリート造2階建てビルを並べ、隣同士のビルの屋上をつないで道路とした構造となっている。 誰でも考えそうな構造だが、現実に造られている道路は少ない。  また、この道路は銀座を囲んでいた外堀・汐留川・京橋川を埋め立てて造られたもので、有名な橋も名を残し消えた。 (東京高速道路(株)のHPにあった、地図を引用しました。)

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・・・・・・・・・・・と、言うことで、今日は京橋JCTから新橋まで、14棟のビルを見てきた。

●京橋JCT・・・・・・・・・・・弾正橋から見る京橋JCT。 下が首都高都心環状線、上が東京高速線。 

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・・・・・・・・・・・・・東京高速線は昭和通りをこえる。 写真右側で橋に接続している部分から東京高速道路の新京橋ビルとなる。

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①新京橋ビル
・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に竣工、14棟の中では建築面積が一番小さい(2,611㎡)ビル。 ビルにはタクシー会社、電気工事会社などが入居している。

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②東京橋ビル
・・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に竣工。

・・・・・・・・・・・・・・・昭和通り方向の出入口横には、銭湯「銀座湯」があり、タクシー会社の人も利用している?

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・・・・・・・・・・・・・・中央通側は、京橋川が昭和34年(1959)に埋め立てられ、そのあとに東京高速道路ができた。 テナントとして洋服屋さんなどが入居。 ビルのわきには親柱が保存されている。

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・・・・・・・・・・・・・・中央通りをこえると、次の西京橋ビルに移る。

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③西京橋ビル
・・・・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に竣工。 海鮮料理屋さん、レストランなどが入居。

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・・・・・・・・・・・・・・ビルの脇には、「江戸歌舞伎発祥之地」の碑が建てられている。

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④紺屋ビル
・・・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)竣工。 

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・・・・・・・・・・・・・・・高速道路の通行料金は無料である。 しかし、道路会社は道路の維持・保守があり、その原資として道路下のビルの賃貸料、地下の駐車場収入などを当てている。 

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・・・・・・・・・・・・・・・外堀通り側には、日本酒バー、茨城県のアンテナショップなどが入居している。

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・・・・・・・・・・・・・・・このビルの屋上です、、、、、、交通量は少ないね?

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・・・・・・・・・・・・・・・外堀通りを超えると、首都高八重洲線と接続する西銀座JCTがある。

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⑤北有楽ビル・
・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)竣工。 ショッピングセンターの「銀座インズ3」、マクドナルドなどが入居。 

・・・・・・・・・・・・・・北側には八重洲線が地下から車路を上り合流する構造になっている。

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・・・・・・・・・・・・・・南側はショッピングセンターの入口(写真右側のビル)。 いまから40年程前、このビルには診療所があり、数年間にわたり、健康診断でバリュウムを“イヤ”というほど飲まされ、、、、、、、検査結果は、そのつど「要精査」の判定が付き、毎年、精密検査で病院に送り込まれた、苦い思い出のあるビル。 

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⑥中有楽ビル
・・・・・・・・・・・・・昭和33年(1958)竣工。 この辺りは外堀を埋めた上に建てられている。 ショッピングセンターの「銀座インズ2」が入居。 

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・・・・・・・・・・・・・・・手前の「銀座インズ2」から奥の「銀座インズ3」と続く。

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・・・・・・・・・・・・・・・銀座インズ前の外堀通りは愛称『西銀座通り』。 いい名だね、西銀座デパート、銀恋、フランク永井、ジャズクラブ「シグナス」、銀座教会、数寄屋橋、君の名は、など、、、、、、昭和の恋の町だ、思い出すね!

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⑦南有楽ビル
・・・・・・・・・・・・・昭和33年(1958)竣工。 ショッピングセンターの「銀座インズ1」が入居。

・・・・・・・・・・・・・・・右側は中有楽ビルの「銀座インズ2」、左側は南有楽ビルの「銀座インズ1」

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・・・・・・・・・・・・・・・・「銀座インズ2」から「銀座インズ1」を見る

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⑧北数寄屋橋ビル・
・・・・・・・・・・・昭和33年竣工。 14棟のビルのうち最も建築面積が大きく3,521㎡ある。 まさに、西銀座デパートである。 出来た頃から、“デパート”の名から受ける百貨店のイメージはなく、銀座のおしゃれなショッピングセンターである。

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・・・・・・・・・・・・・・数寄屋橋交差点として見ると、交番と背後に建つ「マリオン」は印象に残るが、西銀座デパートは木立に隠れ存在感が薄い!

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・・・・・・・・・・・・・・・その木立に隠れ、宝くじチャンスセンターがある。 今日も行列です。 6億円なんて欲張らず、せめて1億円でも当たるなら、買うんだけど!

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・・・・・・・・・・・・・・晴海通りをこえる高速道路。

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⑨南数寄屋橋ビル
・・・・・・・・・・・昭和32年(1957)竣工。 晴海通りから帝国ホテル方面に抜けるショッピングセンタ「銀座ファイブ」が入居。

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・・・・・・・・・・・・・・・マリオンから見た高速道路。

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・・・・・・・・・・・・・・・・晴海通り側の「銀座ファイブ」の入口脇に、「明治大学発祥の地」の碑がある。 前身の明治法律学校はこの地で、明治14年(1881)に開校したそうだ。

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⑩山下ビル
・・・・・・・・・・・・・・帝国ホテルから東電本社付近まで、東海道線、新幹線などと並行して走る部分で、昭和29年(1954)の最も早い時期に竣工した。 ビルは「コリドー街」として飲食店がズラリ並んでいる。 

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⑪西土橋ビル
・・・・・・・・・・・・・昭和31年(1956)竣工。 自動車はまだ普及していない時代だ、高速道路の必要性をどの程度予測していたのか、知りたいところだね! このビルも飲食店が多く、交番も入居している。

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・・・・・・・・・・・・・・・西土橋ビルの角から高速道路は直角に折れてシオサイト方向に向かう。

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⑫東土橋ビル
・・・・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)竣工。 「銀座ナイン1号館」として、比較的規模の大きいい居酒屋チェーン店が入居している。 

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⑬西新橋ビル・
・・・・・・・・・・・・・昭和38年(1963)に竣工した、中央通りに面したビル。ショッピングセンターとして「銀座ナイン2号館」が入居している。

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・・・・・・・・・・・・・・・中央通りをこえると、「東京高速道路」最後の14番目のビルとなる。

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⑭東新橋ビル・
・・・・・・・・・・・・昭和38年(1963)竣工。 銀座8丁目、かつて「新橋」が架けられていた地で、ビルは中央通りから昭和通りに抜けている。

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・・・・・・・・・・・・・・・14棟の繋がったビルのENDは昭和通りに面した安売りの店。

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・・・・・・・・・・・・・・ビルの脇にはランプ(傾斜路)がある。

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・・・・・・・・・・・・・・ビルの脇に残る新橋の親柱と、「銀座柳の碑」。
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・・・・・・・・・・・・・・四谷文子の歌声で、♪♪ 植えてうれしい 銀座の柳 江戸の名残りの うすみどり 吹けよ春風 紅傘日傘 今日もくるくる 人通り ♪♪(西条八十:作詞 中山晋平:作曲) 昭和7年(1932)の歌でした。

2014年7月20日 (日)

上野

浅草橋の我が家から、上野公園まで、8千歩、6㎞の散歩です。


①戦前の木造建築
・・・・・・・・・・・・浅草橋から上野まで、戦前の木造建築を撮りながらブラブラ、、、、、

・・・・・・・・・・・・・清水勝商店+1・・・・・・・・・・浅草橋2丁目の木造2軒長屋。銅板の外装も見事。 昭和初期の建物と推定。

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・・・・・・・・・・・・・・・W邸・・・・・・・・・・・木造3階建ての戦前の住宅。 外装は張り直されているが、以前は下見板を押縁で留めた板張りであった。 私の小学校通学経路に建つ、思い出ある建物。

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・・・・・・・・・・・・・・A邸・・・・・・・・・・わが母校「旧柳北小学校 」の近くに建つ、出桁造りの商家の建物。 

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・・・・・・・・・・・・・IU邸+4軒長屋・・・・・・・・・・・A邸の前には、小唄か日舞の御師匠さんの家みたいな粋な一軒家があり、前を通るたびに奥から『チョイと兄さん、お寄りなさいな!』と声が掛りそうだ! その隣には、木造4軒長屋が並び、味のある景観をつくっている。 

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・・・・・・・・・・・・・・鶴の湯+2軒長屋・・・・・・・・・・・浅草橋5丁目の銭湯と木造の長屋。 私の家族も利用した銭湯だ! 桁の張り出した長屋である。

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・・・・・・・・・・・・・・4軒長屋・・・・・・・・・左端の家も棟続きで4軒長屋となっている。 戦前のトタン張りの建物。

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・・・・・・・・・・・・・木造一軒家・・・・・・・・・・・鳥越1丁目にあった、押縁下見造りの木造建物。 もう、この手の建物は、補修も大変で、少なくなってきた。 私が幼き頃、神田に住んでいた祖父母の家も、見た目こんなような家で、懐かしさを感じたね!

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・・・・・・・・・・・・・3軒長屋・・・・・・・・・台東3丁目の銅板建築の長屋。 昭和初期の建物か?

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・・・・・・・・・・・・・・西郷医院+銅板建築・・・・・・・・・・文化財級の診療所建築で、チョイと見には木造建築とは思えないほど保存状態がいい。 玄関の円柱、半円の飾りが付いた窓、昭和レトロの建築。 隣の銅板建築のいいね!

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②9軒長屋+9軒長屋
・・・・・・・・・・台東4丁目には、9軒長屋が向い合せに建つ路地がある。 車も入れぬ路地だから、今も建て替えられず、温かみある下町の生活空間が残されている。 できれば、このままの状態で、国の重要文化財に指定したいね!

・・・・・・・・・・・・・・路地の入口兼出口。 バイクなら、なんとか入れそうだが、無理は禁物!

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・・・・・・・・・・・・・・左右に並ぶ18軒、路地に点在するマンホール、玄関先にはエアコンと洗濯機、、、、、、、一言、“凄い!”

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・・・・・・・・・・・・・・狭くても、チャント、隣の家との仕切りがある。 長屋と言えども、この感性が“下町”だ!

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・・・・・・・・・・・・・こちらのお婆さん、元気よく外出帰りで、私に、家に入るよう勧めてくれた。 帰りには2階からお見送り! 再会するのを楽しみに、それまでお元気で!

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③不忍池
・・・・・・・・・・・・ハスが咲き始めた!

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④下町風俗資料館
・・・・・・・・・・子供の頃を思い出す、“懐かしさの塊”。 浅草六区、吉原、上野公園、そして我が家の周り、、、、、台東区の戦前、戦後を語る資料と復元家屋で、興味津々!

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・・・・・・・・・・・・・・下町の路地裏・・・・・・・・・これは、私の時代だ!

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・・・・・・・・・・・・・・商家の店先・・・・・・・・・こちらは大正時代かな? 残念だが、この時代は知らん!

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・・・・・・・・・・・・・・オ~~、駄菓子屋の店先、ラムネ、アンズ棒、のしイカ、メンコ、、、、、、あるある、思い出がある!

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・・・・・・・・・・・・・・オ~~、年頃になって憧れた銭湯の番台だ! 台秤も懐かしい! 踏み台は、子供の頃、風呂銭を払うのに手が届かず、のって払った覚えがあるね。 その瞬間、チラリと向こう側が見えたりして、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・どこかで見たような家だ! 窓の外には、割烹着とくりゃ、展示した学芸員の芸の細やかさに敬服。

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⑤清水観音堂
・・・・・・・・・・・・・・・上野の山に建つ、京都清水寺を模した舞台造りの堂で、寛永8年(1631)、天海大僧正により建立された。 天海大僧正は、比叡山に倣って「東叡山寛永寺」を開き、江戸城の鬼門の守りを託した。 その東叡山に、京都の諸寺になぞらえた堂宇を建立した、その中の一つである。 国の重要文化財。

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⑥時の鐘
・・・・・・・・・『花の雲 鐘は上野か 浅草か』と、芭蕉が詠んだ鐘である。 上野精養軒の玄関横にある。 寛文9年(1669)に設けられ、現在も正午と朝夕6時の一日3回、毎日時を告げている。

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2014年7月18日 (金)

田端~町屋

JR田端駅から、いつものように裏通りを、右に折れ左に折れ、北に行き南に下がり、同じ家の前を行ったり来たり、着いたところは千代田線町屋駅、1万2千歩、9㎞の散歩です。


①東灌森稲荷神社
・・・・・・・・・・・・・・・・・田端駅の北、東田端1丁目に東灌森稲荷神社(とうかんもりいなりじんじゃ)がある。 太田道灌が江戸築城の際、方除け稲荷として江戸に7つの稲荷を祀った。 7つの稲荷社とは、柳森稲荷社烏森稲荷社 杉の森(椙森)稲荷社雀の森稲荷社吾嬬森稲荷社宮戸の森稲荷社、そしてここ東灌森稲荷神社である。 石の鳥居は吉原遊郭の尾張屋彦太郎が奉納したもので、江戸下町庶民の信仰を受けていた。 境内は狭く、チョイトお稲荷さんが窮屈そうだ!

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②ただいま通勤時間帯です
・・・・・・・・・・・ひまで、ブラブラ散歩している親爺はジャマだ!

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③お出かけは駆けて駆けて!
・・・・・・・・・尾久の商店街近くで、オヤ? 尾久警察署の標語の立て看板。 時は金なり、急いで 『お出かけは 駆けて 駆けて』。 それとも、『お出かけは 賭けて 賭けて』か? 看板も古くなり、『お出かけは ○○○かけて ○○かけて』、、、、、、消えた、部分は何でしょうか? (答えは、本文の最後に)

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④東尾久2丁目
・・・・・・・・・・・・尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーの「赤土小学校前」駅の東側一帯が東尾久2丁目、、、、、ゴク、普通の下町です!

・・・・・・・・・・・・・・尾久橋通り

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・・・・・・・・・・・・・・コンクリート製の幹の門柱とは珍しい

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・・・・・・・・・・・・・・道幅も狭く、運転には注意を!

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⑤都電荒川線
・・・・・・・・東尾久3丁目付近

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・・・・・・・・・・・・・・車道を逆走する自転車、危ない! 脱法ドラッグ飲んで運転しているのか?

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・・・・・・・・・・・・・・お客様は、お年寄りです、、、、、病院通いかな?

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⑥石門通り商工会
・・・・・・・・・・・・首都大学荒川キャンパス前に商店街がある。 その入り口(出口かも?)に、昭和63年(1988)にカネヨ石鹸が寄贈した大谷石の門柱らしきものがある。 “石門”は、近くの下尾久石尊 という石を祀る社があり、その参道であったと思われることに由来している。 商店街は、閑古鳥も飛び去り、名が残るのみである。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街に面する北豊島学園の一角に、子育地蔵尊が祀られていた。 学校だから“子育”にかけ、祀っているのか?

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⑦町屋の町
・・・・・・・・・・荒川区町屋(まちや)とは、これまた、ゴクゴク普通の下町。

・・・・・・・・・・・・・・いまも健在、乾電池の自販機。買う人いるのか! ひょっとしたら、自販機も乾電池で動いているかも?

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・・・・・・・・・・・・・機械油の匂う町工場

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・・・・・・・・・・・・・原稲荷神社・・・・・・・・・・町屋に鎮座する神社。 天正18年(1590)、徳川家康の江戸入府にともなって、三河国の百姓が町屋に移住してきたときに創建された。

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⑧町屋の夏の花
・・・・・・・・・・・・・

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●・・・・・・・・・・・標語の答えは、『お出かけは ひと声かけて カギかけて』 昭和52年(1977)頃の全国防犯運動の標語でした。 

2014年7月16日 (水)

亀島川

今日も暑い中を所用で京橋まで行ってきた。 用事も済み、散歩と思ったが、もう一花咲かせたいので、まだ熱中症で死にたくない! ここは、安全策で我が家へ、素直に帰宅した。 でも、夕方には散歩虫が、ムズムズと動きだし、亀島川を歩いてきた。

『お江戸日本橋』の架かる日本橋川が隅田川に注ぐ500m程手前で、日本橋川から分岐し、四角い形の現在の中央区新川地区(かつての霊岸島、新川、越前掘の3地区)の2辺に沿い流れ、隅田川に合流する約1.1km程の川が「亀島川」である。 亀島川が日本橋川からの分岐する部分には日本橋水門があり、隅田川に合流する位置に亀島川水門がある。 水門に囲まれた亀島川には、霊岸橋、新亀島橋、亀島橋、高橋、南高橋の5橋がある。

①日本橋水門・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)に竣工した、長さ30m、高さ8.1m、鋼製単葉ローラーゲート形式の水門。

・・・・・・・・・・・・・・写真の右から左へ流れる日本橋川、亀島川は日本橋水門をくぐり流れていく。

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・・・・・・・・・・・・・・霊岸橋から眺める日本橋水門、、、、、、武骨で、丈夫そう!

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霊岸橋 ・・・・・・・・・・・・日本橋水門の隣に架かる橋で、橋上は「永代通り」。 江戸初期(寛永年間?)に初めて架けられたと思われる。 当時、霊巌上人が江戸八丁堀を陸地にし、そこに霊巌寺というお寺を建て、この地を霊巌島(霊岸島)と呼ぶようになった。 霊巌寺は明暦の大火後に深川に移転した。・・・・・・・・・現在の橋は昭和60年(1985)の竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・霊岸橋から下流、新亀島橋方向を眺める

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・・・・・・・・・・・・・・・第2井上ビル・・・・・・・・・・亀島川のほとりに建つ、昭和2年(1927)竣工の古いビル。 映画のワンシーンとなるような、昭和レトロのビルにはギャラリーなどが入居し、建物も、使い方も、アートだ!

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新亀島橋 ・・・・・・・・・・現橋は平成7年(1995)に架けられた。

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④亀島橋・・・・・・・・・・こちらは、平成14年(2002)に架け替えられた。 橋上の道は東京駅八重洲口正面に繋がっている。

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・・・・・・・・・・・・・・亀島橋から上流、新亀島橋を眺める

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・・・・・・・・・・・・・・下流、高橋の方向を眺めると、先には佃島の超高層ビルが見える

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・・・・・・・・・・・・・・橋の西詰め八丁堀側に、赤穂義士の堀部安兵衛武庸(ほりべやすべえたけつね)之碑がある。 安兵衛(1671~1703)は、当時、水谷町(現在の八丁堀1丁目)に居住していたそうだ。 東京駅から徒歩15分程の処で、場所的には通勤に便利だ! 安兵衛は通勤していたのかな?

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⑤高橋・・・・・・・・・・・・派手なライトアップの高橋は、昭和59年(1984)の架橋。 橋の際には、JR京葉線の八丁堀駅(地下)入口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・・高橋の親柱。 奥にチラリと見える橋は南高橋。

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⑥南高橋・・・・・・・・・・・・明治37年(1904)に架けられた両国橋の中央径間が転用され、昭和7年(1932)に架けられた震災復興橋の南高橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・南高橋から眺める上流、高橋の方角

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⑦亀島川水門・・・・・・・・・・・・・高潮・津波に備えた防潮水門として、昭和43年(1968)に完成した、鋼製単葉ローラーゲート形式の水門。

・・・・・・・・・・・・・水門を抜けると、そこは隅田川

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・・・・・・・・・・・・・・隅田川の方から水門を見る

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・・・・・・・・・・・・・合流点から、隅田川の下流、佃島方向を眺める

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・・・・・・・・・・・・・・・・霊岸島検潮所・・・・・・・・・・川の中に建つオブジェのような検潮所

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2014年7月15日 (火)

下落合3丁目

連日の暑さには、まいりました! 今日は所用で日中の新宿へ、ガンガン照りで汗はダラダラ! 用事が済み、目白駅から下落合3丁目の辺りを散歩してきた。

目白駅 ・・・・・・・・・・明治18年3月1日の品川~赤羽間の開業からなぜか半月ほど遅れ、3月16日に目黒駅と一緒に仲良く開業した駅。 目白駅、目黒駅とも、不動尊に由来した駅である。 現在の駅舎は平成12年(2000)に完成した橋上駅。

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目白聖公会 ・・・・・・・・・・下落合3丁目、目白通りに面する目白聖公会は、日本聖公会に属するキリスト教の教会。 聖堂は昭和4年(1929)に坪井正太郎の設計で建てられた、木造平屋建て、ロマネスク様式(ゴシック様式以前の中世ヨーロッパの建築様式)の建物。 小柄な聖堂であるが、英国から贈られた美しいステンドグラスが、清楚で格調ある雰囲気を創り出している。 私の好みの教会で、今日は2年ぶりに拝見!

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日本聖書神学校 ・・・・・・・・下落合にある、プロテスタントの神学校(日本基督教団の認可神学校)。 昭和21年(1946)に開校し、伝道者を養成している4年制の学校。 毎年10名前後が入学しているようだ。・・・・・・・・生徒数も少なく、校舎は、正門を入ると、右手に礼拝堂、正面に図書館、右手奥に校舎、さらに奥に寮が建つている。 草木も多く、綺麗に手入れされ、都心での学びの環境としては最高だね!

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④中村彜アトリエ記念館・・・・・・・・・・・下落合3丁目の住宅街の奥に、大正期に活躍した洋画家:中村彝(つね、1887~1924)のアトリエが復元され、公開されている。 中村彝は大正5年(1916)に、現在地にアトリエを新築した。 木造平屋のアトリエだが、肺結核で無理のできない彝は、この建物を愛し、絵を描きながら療養したそうだ。 しかし、大正13年に37歳の若さで没した。  

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2014年7月14日 (月)

中野~東高円寺

私の大事なパソコンが、出荷時の状態に戻さなければならない程の重病を患った。 バックアップ処理、システムの初期化、ネットワークの再接続、アプリケーションの再インストールなど、土日の2日間を要する外科的手術を断行した。 散歩にも出られず、パソコンと悪戦苦闘し、身も心もグッタリ!

今朝は、中野の病院で、以前患った眼病のその後を診る定期検査があった。 若い女医さんに、『悪いところはありません、良好ですね、次回は年末に診ましょう』と天使のお言葉を頂戴し、身も心もルンルン!

帰りは、裏道をクネクネ歩き、丸ノ内線東高円寺駅までミニ散歩。 1万1千歩、8㎞。

①警視庁警察学校跡の碑・・・・・・・・・・・中野の東京警察病院の玄関前に、今月、「警視庁警察学校跡」の石碑が建てられた。

・・・・・・・・・・・・・・・玄関前の旗のポール下に石碑が建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・・・石碑の写真は、警察学校の入学式? 卒業式? それとも、全校集会?

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・・・・・・・・・・・・・・・この地は、サンプラザ、区役所、大学、四季の公園などとなった、広大な警察学校・警察大学校の跡地である。 ここが、警察関連の敷地になったのは、終戦後MPの施設から、警察予備隊に引き継がれた昭和24年(1949)から。 その前の戦中は、陸軍中野学校、さらにその前の明治29年(1896)から昭和13年(1938)までは軍事施設であった。 軍事施設として、鉄道連隊と通信隊・気球隊が使用していた。 鉄道連隊は甲武鉄道中野駅から線路を引き、現在の西武新宿線を敷設したそうだ。 その路線の一部を、我ながらの鋭い洞察により、現在の地図から推測してみた。 中野駅北口から明大キャンパスを横切り、大和陸橋の南側で環七を横断し、高円寺北の馬橋公園に向かう裏道が線路跡のようだ。・・・・・・・・・写真:左側の線路を通過する中央線快速の左側に、線路保守作業の作業員基地がある。 ここに、中野駅から鉄道連隊に向かう線路があったと、私は推測した。 鋭いね!

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②一本桧稲荷神社
・・・・・・・・・・・中野3丁目、JR線路沿いに一本の大きな桧が見える。 桧の下には、ナント、神社の廃墟と思われるの朽ちた小さな神社があった。 どう見ても、“真っ赤な廃墟”だ! 一応、手を合わせて通ってきた。

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・・・・・・・・・・・・・・100m程歩くと、同じ名の稲荷が、同じ町にある。 しかも、桧が立ち、最近作った祠もある、どうやら先の神社がこちらに遷座したようだ。

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③中野の住宅
・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・M邸・・・・・・・・・・戦前の建物と思われる。 塀越しに見える玄関部分も手の込んでいる仕上だ!

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・・・・・・・・・・・・・Garden Hills・・・・・・・・・・民間企業の所有建物のようだ。 こちらも戦前の木造住宅?

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・・・・・・・・・・・・・・洋風平屋住宅・・・・・・・・・・・瀟洒な洋風の住宅で、かなり古そうだ! 昭和初期か? 

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④小林サイクル・
・・・・・・・・・・・中野五差路交差点に建つ、モルタル塗の木造建築。 チョイト見には、鉄筋コンクリート造に見えるかも。

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⑤桃園橋・・・・・・・・・・中野通りが桃園川に架かる橋。 橋の親柱には、「昭和十一年二月完成」とある。下を流れる桃園川は昭和42年(1967)に暗渠化し、平成23年(2011)には緑道公園となった。 「桃園」の名は、江戸時代、川の流域には多くの桃が植えられ、徳川吉宗の命で、桃園も作られたことに由来する。

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⑥北野神社・西町天神
・・・・・・・・・・中野区中央5丁目に鎮座する天神様。 創建年代不詳だが、狛犬は明治42年(1909)に作られ、玉垣は昭和7年(1932)に作られた。 

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2014年7月11日 (金)

北品川

品川駅から新馬場駅まで、直線で2km程の処を、旧東海道沿いに、裏道をを含めゴチャゴチャ歩き、9千歩、7kmの散歩となった。


①品川駅創業記念碑
・・・・・・・・・・・・JR品川駅の高輪口正面に記念碑がある。 石碑の前面には『明治五年五月七日 品川駅創業記念碑 品川横濱間鉄道開業 伴睦 書』と刻まれている。 あれ?、『日本最初の鉄道は、明治5年(1872)10月15日に新橋~横浜間に開通した』と教わったが?、、、、、そうです、公式開業は、10月15日の新橋~横浜間です。 実は新橋~品川間の工事が遅れ、6月12日(旧暦では5月7日)に品川~横浜間で暫定開業していたのです。 記念碑は、暫定開業から80年経過した、昭和28年(1943)4月に建立された。 書は建立時の衆議院議員:大野伴睦(1890~1964)による。、、、、、“大野伴睦”とは、懐かしい名前だ! 今年は没して50年目にあたる。

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②八ツ山橋
・・・・・・・・・・・北品川で東海道線を跨ぐ「八ツ山橋」、現橋は4代目。 初代の八ツ山橋は、明治5年(1872)の鉄道開業に合わせて、架けられた日本初の跨線橋である。 当時は木造の跨線橋であったが、大正3年(1914)に2代目のアーチ形鉄橋に架け替えられた。 昭和5年(1930)に、2代目のアーチ橋の隣りに3代目のアーチ橋を増設する格好で架けられた。 昭和60年(1985)に現在の4代目に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・・・橋の下には東海道線が走る!
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・・・・・・・・・・・・・・橋の際に、2代目の八ツ山橋の親柱が保存されている。 風格のある親橋で、まさに大正時代の匂いがするね。

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③京浜急行八ツ山鉄橋
・・・・・・・・・・・八ツ山橋に並行して東海道線の上に架かる京浜急行のトラス橋。 昭和8年(1933)に北品川と高輪(現:品川)の間が専用軌道化された時に建造された長さ48mのワーレントラス橋である。 当鉄橋ができるまでは、京浜急行は八ツ山橋上に軌道を敷き、現在の品川駅前まで営業していた。

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・・・・・・・・・・・・・・右側が京浜急行八ツ山鉄橋、手前踏切の先、左側に八ツ山橋。

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・・・・・・・・・・・・・・八ツ山鉄橋を渡り、踏切を通過すると、すぐに北品川駅である。

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④昭和の家並み・
・・・・・・・・・・・・・北品川1丁目の一画に昭和の家並みが残されている。

・・・・・・・・・・・・・居残り連・・・・・・・・・・角の「居残り連」の店と、2軒の銅板建築の建物が並んでいる。 昭和初期の建物か?

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・・・・・・・・・・・・・・連の向かい側には、中華そばの「あさのや」。 白地に赤で中華ドンブリのマーク(雷紋)と“中華そば”の文字、解りやすいね! 醤油味に、細麺で、チャーシュ2枚、ナルト、支那竹、海苔、ホウレンソウのトッピング、懐かしき味の中華そば、食べたくなってきた! 隣りは、サバの塩焼き定食の店かな?

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・・・・・・・・・・・・・あさのやの裏手に、木造住宅の一画が残されている。 半分ほどは空き家となっていた。 ひょっとすと再開発の手が忍び寄っているのかも?

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・・・・・・・・・・・・・住宅の裏手は旧目黒川が品川浦に注いでいた頃の名残で、今は船溜まりのようだ。 奥に北品川橋がチラリと見える。

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・・・・・・・・・・・・・北品川橋・・・・・・・・・・・・旧目黒川に架かる、大正14年(1925)竣工の橋。  欄干などは改良されたようだが、橋と周辺の景観は古き品川を残している。

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・・・・・・・・・・・・・・・橋の上から、パチリ!

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⑤旧東海道の商店
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・星野金物店・・・・・・・・・・・明治時代に創業した金物店。  屋上と庇の左右対称にデザインされた銅板の緑、土色の壁のタイル、2階のガラス窓も細工され、時代を感じる店舗である。

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・・・・・・・・・・・・・丸屋・・・・・・・・・・・木造の建物は、慶応元年創業の履物屋さん。 

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・・・・・・・・・・・・・モルタル系の2軒長屋

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・・・・・・・・・・・・・トモ薬局・・・・・・・・・・・銅板建築の薬局。

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・・・・・・・・・・・・・こちらは銅板建築3軒長屋。
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・・・・・・・・・・・・・隣には、モルタル系看板建築の4軒長屋。 奥の1軒は黒く塗られたため、3軒長屋に見える!

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⑥旧東海道の寺院
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・善福寺・・・・・・・・・時宗の善福寺は、音響山伝相院と号し、永仁2年(1294=鎌倉時代)に開山した。 木造の本堂は、ボロボロの状態だが、外壁は漆喰で仕上げられているので、白っぽく、手入れが不足しているのか、木部まで白っぽくなり、カビが生えた寺のようだ。 よく見ると鏝絵(こてえ)だ、しかも作者は鏝絵の第一人者:入江長八である。 描かれた龍の姿も哀れに見える。 文化庁で何とかならないものだろうか?

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・・・・・・・・・・・・・法禅寺・・・・・・・・・・・浄土宗の法禅寺は、明徳元年(1390=室町時代)に創建された。 寺の門、本堂の側面などに、煉瓦が多用されている。 チョイト、重厚に造られた感じの寺だ。 

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・・・・・・・・・・・・・・一心寺・・・・・・・・・・真言宗智山派の一心寺は、安政2年(1855)に大老井伊直弼により開山した。 本尊は不動明王。

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・・・・・・・・・・・・・養願寺・・・・・・・・・天台宗の養願寺は、正安元年(1299)に創建された寺。

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・・・・・・・・・・・・・・正徳寺・・・・・・・・・・真宗大谷派の正徳寺は、永仁6年(1298)に開基となり善永寺として創建された、延宝3年(1675)に正徳寺と改名。 寺の裏道に面して、墓地を囲う煉瓦塀が長く伸びている。 裏道のいい景観を構成している!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・今日の天気はナンダ! 気温33℃、暑くて、暑くて、歩いてられないね! そろそろ、熱中症に要注意!

2014年7月10日 (木)

ほおずき市

超大型の台風8号は九州に上陸したが、東京はこれから、迎える備えに問題ないか、隅田川の様子を見に家を出た。 帰りは浅草寺にお立ち寄り。 チョイト、巷の見回りに出ただけなので、万歩計を忘れ、歩数は?

①隅田川・・・・・・・・・・・・・・・隅田川は増水していないか? 堤防は大丈夫か? 橋は流されていないか?、、、、、、、台風は、いまだ到着せず、備えに問題なし! 備えあれば憂いなし。

・・・・・・・・・・・・・厩橋 ・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工の厩橋。・・・・・・・・橋の上では、『台風で橋が飛ばされないように補強中』と思えるような光景が! 今月末の土曜日に行われる「隅田川花火大会」の準備で、柵を設置していた。 

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・・・・・・・・・・・・・・駒形橋・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)竣工の駒形橋。 チョイト、空模様が怪しくなってきた、、、、、、、そろそろ、台風が来るかな?

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・・・・・・・・・・・・・吾妻橋 ・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)竣工の吾妻橋。 朱色の際立つ橋だが、怪しい雲の下では、チョイト可哀そう。 

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・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線隅田川鉄橋・・・・・・・・・・・・JR総武線隅田川橋梁 と同じ田中豊(元土木学会会長・東大教授:1888~1964)の設計により、昭和6年(1931)竣工。 天気曇天なれど波低し。

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・・・・・・・・・・・・言問橋 ・・・・・・・・・・・・・・昭和3年(1928)竣工の言問橋。 スカイツリーにも雲がかかり、そろそろ、風が強くなってきた、風速10㎧ぐらいかな? 

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②ほおずき市
・・・・・・・・・・・・・言問橋まで来たら、チョイト浅草寺によって帰ろうと思い、観音さまへ、、、、、、、、台風ばかり気にかけ、「ほおずき市」を忘れてました。・・・・・・・・・・・毎年7月9・10日は、参拝するとその御利益が、4万6千日分(約126年分)に相当する「四万六千日」の縁日である。 その昔、薬草としてホオズキを煎じてのむと、子どものかんの虫や女性の癪によく効くと言われており、縁日では、これを参拝土産に持ち帰るのが評判となり、境内で売られる「ほうずき市」となった。 ちなみに、1回の参拝で100円の賽銭を出すとすると、100円×46,000日=4,600,000円の賽銭を出したことになる。 儲かった感じがするね???・・・・・・・・・・さすが“浅草”、台風が襲うというのに、この賑わい! 私も、台風を忘れ、境内をグルグル!

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③復刻塗装の都バス・
・・・・・・・・・・・都バス90周年イベントで、戦後のボンネットバスの色に塗装したバスに浅草で遭遇。 懐かしさで、パチリ! 

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2014年7月 8日 (火)

小名木川

前回(6月22日)の続きで、夜の小名木川を、大横川との交差部から旧中川との合流点まで撮影してきた。 (昼間の小名木川はコチラ

・・・・・・・・・・・・大横川との交差部・・・・・・・・・・・東西に流れる小名木川(左端は隅田川の方向、右奥は旧中川の方向)と、北から南に流れる大横川(スカイツリーの見える左奥から写真手前を右端へ流れて行く)の十字路。 交差点だが信号は無し。 場所は、都営新宿線菊川駅の南東に位置する、今日はココから、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・新扇橋・・・・・・・・・・十字路の次は、昭和48年(1973)に架けられた、トラスランガー桁の橋で、橋長57.3m、幅員17.9mの新扇橋。

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・・・・・・・・・・・・・・扇橋閘門・・・・・・・・・・・小名木川の中間にあって、隅田川と旧中川の水位差を調整し、船舶の航行を可能にする施設。 30億の事業費で、昭和52年(1977)に完成した、パナマ運河と同じ形式の閘門。 “閘門”は“こうもん”と読む、“肛門”と同じ発音ですが、臭いはしません、ご安心を! 

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・・・・・・・・・・・・・小松橋・・・・・・・・閘門の旧中川寄りに架かる橋。 昭和5年(1930)完成の曲弦ワーレントラス形式の橋で、橋長56.4m、工事費160,137円で建設された。

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・・・・・・・・・・・・・・小松橋から隣の小名木川橋方向を望む

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・・・・・・・・・・・・・・猿江稲荷神社・・・・・・・・・・小松橋の北側に鎮座するお稲荷さん。 ここの社殿は、昭和6年(1931)に建立された、鉄筋コンクリート造の寺社としては国内最古である。 ちなみに、同じく鉄筋コンクリート造の神田明神 (国登録有形文化財)は昭和9年(1934)の建物。

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・・・・・・・・・・・・・小名木川橋・・・・・・・・・昭和63年(1988)に架け替えられ、現橋は橋長52.8m、幅員27.8m。 橋上は「四ツ目通り」が通る。 川底の下には、地下鉄半蔵門線が通っている。・・・・・・・・・橋の上で耳を澄ますと、地下鉄の通過音が聞こえるかな、聞こえるはずがないよね!

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・・・・・・・・・・・・・小名木川橋から隣の小名木川クローバー橋方向を望む
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・・・・・・・・・・・・・・小名木川クローバー橋・・・・・・・・・・ここは小名木川と横十間川の交差点。 その直角に交わる川の上に×型で架けられた橋が、「小名木川クローバー橋」である。 平成6年(1994)に完成した歩行者自転車専用橋。 川の十字路で分断されている、4つの町を結んでいる。
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・・・・・・・・・・・・・・橋の中央から、横十間川のスカイツリー方向を望む
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・・・・・・・・・・・・・・JR小名木川橋梁・・・・・・・・・・白いトラス桁が特徴の越中島貨物線 の鉄道橋。 昭和4年(1929)完成。

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・・・・・・・・・・・・・・進開橋・・・・・・・・・・現橋は、昭和42年(1967)の完成で、橋長44.1m、幅員 22.0m。 橋の上は「明治通り」。

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・・・・・・・・・・・・・・・砂島橋・・・・・・・・・・・・・進開橋と丸八橋の距離長く、中間に架けられた歩行者自転車専用橋。 昭和54年(1979)架橋。

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・・・・・・・・・・・・・・丸八橋・・・・・・・・・・都道476号線(通称:丸八通り)を通す丸八橋。 昭和47年(1972)の架橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・塩の道橋・・・・・・・・・こちらも、丸八橋と番所橋の中間地点に架けられた歩行者自転車専用橋。 架橋は新しく、平成20年(2008)の完成である。

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・・・・・・・・・・・・・・・番所橋・・・・・・・・・・最後は、昭和35年(1960)に架けられた番所橋。 

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・・・・・・・・・・・・・・この辺は東砂町2丁目で、橋の南側には大規模な都営住宅・公団住宅が、ビッシリ並び建っている。

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・・・・・・・・・・・・・番所橋から眺める旧中川と小名木川の合流点。

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●・・・・・・・・・・・・・・・これにて、夜の小名木川に架かる橋を完全制覇した! あ~~しんど

2014年7月 6日 (日)

京島2丁目・3丁目

京成曳舟駅から歩きはじめ、京島2丁目・3丁目をブラブラして、亀戸駅まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

京島2丁目・3丁目あたりは、関東大震災及び東京大空襲などの被害が少なかった地域で、大正からの昭和の長屋・木造家屋などが混在し現存している、古い下町の雰囲気が今もプンプン匂う地域である。 一方、緊急車両も入れぬ狭い路地が入り組み地域を覆い、いわゆる「木密地区」となっている。 京成曳舟駅 のある京島1丁目は、押上線の高架化工事・駅前再開発事業でかなり整備されてきたが、2丁目・3丁目はまだまだである。・・・・・・・・「京島」(=東京+向島)の名は、昭和40年(1965)の住居表示の変更で生まれた。

・・・・・・・・・・・・・・京島1丁目(写真右側)と京島2丁目・3丁目(左側)を分ける道路「押上通り」。

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・・・・・・・・・・・・・道路の先には東武亀戸線が走り、踏切の先の押上地区と手前の京島地区を分けている。 この道路も拡張されるようだ、でも立ち退きはこれからなので、いつ完成するのやら?

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・・・・・・・・・・・・・・裏道へ入ると、方向感覚のなくなる迷路状態の路地となる。 方向音痴の人は地図が必須だが、持っていてもダメな人はダメ、あきらめましょう。

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・・・・・・・・・・・・・・方向感覚がなくなったら、スカイツリーを探しましょう、見える方向が押上地区です。 スカイツリーが北斗七星の代役となったようだ! 木造の低い家が多いから見えるのです~~。

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・・・・・・・・・・・・・・随所に建ち並ぶ木造の長屋・住宅。

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・・・・・・・・・・・・・・掲示板に貼られていた「防災マップ」。 マップには消火器の位置が示されている。 緊急の場合は、互いに協力して消火しましょう、消防車は入ってこれません!

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・・・・・・・・・・・・・・・町中には、手押しポンプも随所に見られる。 「この水は雨水のため飲めません」の表示もあった。

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・・・・・・・・・・・・・・・防火用水も、忘れずにあるよ! 奥には手押しポンプもある、象の鼻はホースかな?

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・・・・・・・・・・・・・・今日は、梅雨の晴れ間。 洗濯物がやたら目立つね! 玄関先まで洗濯物が、、、、、、訪門するときには、汚さぬように注意してね!

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・・・・・・・・・・・・・・緑の多い町だが、雑草も多いね!
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・・・・・・・・・・・・・・夏の日差し除けにゴーヤ、アサガオ、フウセンカズラは、みなれているが、ナント、ネットに絡まり実をつけたスイカがあった。 大きくなって、重たくなったら、落っこちるぞ! その前に食べちゃうか!

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・・・・・・・・・・・・・・町の中央を横切る「キラキラ橘」商店街、今日は七夕祭りで各店では準備中。 忙しくなりそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・商店街裏の質屋さん「いづみや」。 ここの蔵は現在90歳程のお婆さんが、ここに嫁ぐ以前からあったそうだ。、、、、、ということは、震災後に建てたらしい。 お婆さんも蔵も、まだまだ元気!

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・・・・・・・・・・・・・・重要な交通機関は、、、、、、もちろん自転車!

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・京島と押上の境を走る東武亀戸線。
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2014年7月 3日 (木)

水道橋~お茶の水

2ヶ月毎の内科の定期検診日、今日は血液・生化学検査の結果を訊いてきた。 検査項目の並んだ見慣れた報告書には数字がズラリ! 基準値を超えたものはないか、、、、、、ありました、「中性脂肪」、「LDL(悪玉コレステロール)」の2か所に警告の印が、、、、、、、多くの検査項目の内、毎年同じ2項目が基準値を超えている。 しかも、はみ出している数値は“誤差範囲”と勝手に決めていたら、、、、、先生がグラフを見ながら、『7年間の傾向を見ると、毎年同じなので、中性脂肪とLDLは、自身で下げるのは無理なようだ! そろそろ薬で下げましょうか?』と、帰りに処方箋の土産をくれた。・・・・・・・前立腺癌の検査項目では、7年間の数値の変化をグラフで追跡し、『異常なし、安心してください!』・・・・・・・・・自分の身体のデータを長期間記録・保管し、そのデータを丁寧に読み、判断してもらえると、患者として安心できるものだね! 主治医の先生に感謝し、受付嬢にはニコッとし、“さようなら”。

・・・・・・・・・・・・・帰りは、後楽園から御茶ノ水までミニ散歩。 写真も“チョットだけよ!”

・・・・・・・・・・・・・まずは、クリニックの在るビルに別れを告げて、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・後楽園の場外馬券売り場は、横目でチラリ、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・水道橋から神田川を眺め、水の綺麗さ、優しさに感心し、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・私の好きな、皂角坂(さいかちざか)に江戸の名残を感じ、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・ついでに、電車を下から覗き、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・文化学院の旧校舎に印象派の香を感じ、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・どんどん変わる我が母校:明治大学に驚き、、、、、 アレ!ここは旧商学部校舎の跡か? 私の知る校舎はほとんど建て替えられた!

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・・・・・・・・・・・・・お茶の水駅改良工事をチョイト覗いて、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・あと、1年後ぐらいから駅舎も変わり始めるだろう、、、、、、ホームの上にコンコースが造られる予定だ!

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・・・・・・・・・・・・・・・お茶の水から電車で帰宅

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2014年7月 2日 (水)

松が谷

浅草で買い物の用事ができ、散歩がてら行くことにした。 我が家(浅草橋)から、稲荷町にでて、合羽橋道具街の西側の「台東区松が谷」をぶらつき、旧国際劇場の裏から浅草寺へ。 そのあと買い物を済ませ、我が家まで、1万3千歩、10kmの散歩です。

①祝言寺・・・・・・・・・・・・・・地下鉄銀座線稲荷町駅と田原町駅の中程(台東区松が谷)に、曹洞宗萬年山祝言寺(しゅうげんじ)はある。 太田道灌が室町時代に建立したと言われている祝言寺は、祝言村(現在の日比谷あたり)に建てたが、徳川幕府は江戸城の拡張により祝言寺を含め複数の寺を移転させ、現在の地に移った。 寺は、振袖火事、震災、戦災などで被災し、記録・遺物など一切残っていないようだ。・・・・・・・・・・・・現代建築が合う、私のすきな寺。

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・・・・・・・・・・・・・・・・本堂・・・・・・・・・・・戦後の日本建築界を代表する建築家の一人、内井昭蔵(1933~2002、)による設計で、大成建設の施工により、昭和60年(1985)に竣工した。 渋い黒を基調に繊細なデザインと丁寧な仕上げによる、落ち着いた感じの建物だある。 本堂前のアプローチは、掃き目もクッキリとした砂が敷き詰められ気持ち良い。

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・・・・・・・・・・・・・・・山門・慰霊塔(鐘楼)・・・・・・・・・・燻製色の落ち着いた色合いのボーダータイル貼りで、本堂とも調和し、重厚で格調高い雰囲気を演出している。 設計はテツク建築設計事務所、施工は大成建設、平成18年(2006)の竣工。

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②江戸十大祖師
・・・・・・・・・・・・・江戸十大祖師とは、、、、、、、江戸にある10ヶ寺の日蓮宗寺院を参拝することにより祖師(日蓮)のご利益にあずかろうとする、江戸時代に盛んであった民間信仰。 その内の2寺(妙音寺、本覚寺)が台東区松が谷に在る。

・・・・・・・・・・・・・妙音寺・・・・・・・・・・もちろん、日蓮宗の寺。 慶長15年(1611)に日本橋馬喰町にて創建、明暦の大火により現在地に移転した。 境内には弁財天も祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・・本覚寺・・・・・・・・・・・本覚寺も、天正19年(1591)、日本橋馬喰町にて創建し、明暦の大火の後、現在地へ移転した。 江戸十祖師の一つ日限祖師として有名らしい。(私は知らなかったけど!) 本堂にはステンドグラスがあり、『教会じゃないよ、合わないね!』と言いたかった。 本堂とは別に、チョイト古そうな日限祖師堂がある。

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③S邸
・・・・・・・・・・・本覚寺の隣りには、1階角の上部にラーメンどんぶりの模様(正式には“雷紋”という)のある、昭和の建物がある。 この模様は、中国では皇帝など、高貴な人の身の回りにあしらう文様とされている、珍しいデザインだ!

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④松が谷の2社
・・・・・・・・・・合羽橋道具街の西側、「台東区松が谷」は寺社多い町で、チョッピリ有名な神社が2社ある。

・・・・・・・・・・・・矢先稲荷神社・・・・・・・・・・・・徳川家光が寛永19年(1642)に創建した浅草三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神が起源である。 三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転したが、稲荷大明神は現在地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、矢先稲荷神社と称した。

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・・・・・・・・・・・・・秋葉神社 ・・・・・・・・・・・神社の歴史は、明治2年(1869)暮の大火から始まる。 明治天皇は大火の翌年、現在のJR秋葉原駅構内に、火の神火産霊大神、水の神水波能売神、土の神埴山毘売神の三柱を祀神として勧請した。 この神社を当初、鎮火社と称した。 鎮火社は、火除地(空地)にあり、この地を「秋葉の原(あきばのはら)」などと称し、神社も「秋葉さん」と呼ばれるようになった。 明治21年(1888)、日本鉄道が上野から秋葉原まで延伸され、神社は現在の地へ移転することとなった。 移転後は「秋葉神社」と称した。

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⑤曹源寺
・・・・・・・・・・・かっぱ橋本通りに面する、曹洞宗の曹源寺は、「かっぱ寺」と呼ばれている。 文化年間(1804-18)、寺の近くに、雨合羽を商う合羽河太郎(合羽屋喜八)がいた。 この寺の付近は、低地で水害も多く、河太郎は住民の難儀を救うため、私財を投じて排水路をつくった。 工事の際、河太郎に恩義のある河童たちが助勢したとの伝承もある。 曹源寺には、その河太郎の墓と言われている石碑が残されている。 今日は植木が入り、境内の手入れの真っ最中。 邪魔するのはヤメタ!

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・・・・・・・・・・・・・・・合羽橋道具街に、平成15年(2003)に建立された、黄金の河太郎像で我慢するか!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・このあとは、浅草寺へ寄って帰宅。

2014年7月 1日 (火)

新京成線(二和向台~くぬぎ山)

新京成線の京成津田沼から松戸まで踏破の散歩、前回は二和向台駅で終わった。 今日は二和向台駅からくぬぎ山駅まで、1万7千歩、12kmです。

①二和向台駅・・・・・・・・・・・・昭和24年(1949)開業、相対式ホーム2面2線の地上駅。

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・・・・・・・・・・・ありました!10人以上がゆったり座れる、昔ながらの懐かしい、木製の長~~い腰掛け。 都内では、東急池上線旗の台駅などに残っている希少な腰掛だ! 

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・・・・・・・・・・・・・・・松戸行の8800形電車を歩きながら見送る。

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・・・・・・・・・・・・・・・近くに海上自衛隊下総航空基地があるので、上空では飛行機が大きな音で低空飛行。 基地の町か? 

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②鎌ヶ谷大仏駅
・・・・・・・・・・・島式ホームの地上駅だが、駅舎は橋上である。 昭和24年(1949)の開業。 駅名がいいね! 

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・・・・・・・・・・・・・・・駅の隣りは鎌ヶ谷八幡神社・・・・・・・・・・・祭神は誉田別尊(応神天皇)で、寛永6年(1629)の創建。 鳥居の奥には立派な本殿と拝殿があり、境内はよく掃除が行届き、駅の隣にあるとは思えない神社である。 参道の脇には、天保年間(1840頃)の庚申塔が、ズラリ90基並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の前に、駅名となった鎌ヶ谷大仏が祀られている。 安永5年(1776)に鋳造された、青銅製で高さ1.80m、台座含めて2.30mの小さな大仏。  大仏は墓地の入り口近くにあり、個人が先祖の霊の冥福を祈るために作らせ、墓地の近くに祀ったらしい。 現在も、個人の所有・管理で建っている。 観光で観に来るような大仏ではない、チョイト期待外れ! よくぞ、新京成も駅名に採用したものだと、感心し、あきれたね!(ゴメン!)

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③初富駅
・・・・・・・・・・・・昭和24年(1949)、鎌ヶ谷初富駅としてし、昭和30年(1955)に初富駅に改称した。 初富駅、鎌ヶ谷駅、北初富駅の3駅は、只今、高架化工事中。 駅舎・ホームとも仮設である。

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・・・・・・・・・・・・・・初富駅付近では、本線は仮線に切り替わり、本線跡では高架橋の工事中。

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・・・・・・・・・・・・・・初富駅から鎌ヶ谷駅よりには、高架橋が出来ていた。

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・・・・・・・・・・・・・・・鎌ヶ谷市庁舎・・・・・・・・・・・昭和51年(1976)竣工。

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④新鎌ヶ谷駅
・・・・・・・・・・・北総線は高架駅、新京成線は並行する地上駅(只今、高架化工事中)。 改札口は北総線高架下に共用している。 東武野田線は北総線・新京成線と高架下の掘割で交差している。・・・・・・・・・・東武野田線は船橋~柏間が大正12年(1923)に開業しており、新京成線は昭和30年(1955)に初富~松戸間が開業した。この時点では、新京成線・東武野田線に新鎌ヶ谷の駅は無かった。 昭和54年(1979)に現:北総線の北初富~小室間が開業し、北総線が北初富から松戸まで乗り入れてた。 平成3年(1991)、現北総線の高砂~新鎌ヶ谷間が開通し、翌平成4年(1992)に新京成への乗り入れが中止となり、新京成・北総線の新鎌ヶ谷駅の開業により乗換駅となる。 東武野田線の新鎌ヶ谷駅は平成11年(1999)である。

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・・・・・・・・・・・・・・・北総線に並行して高架化工事が進行中。

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・・・・・・・・・・・・・・・・新京成の新鎌ヶ谷駅の横には高架橋が出来てきた。

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・・・・・・・・・・・・・・・・現北総線が新京成線に乗り入れてた頃の接続部分。 写真中央の階段がある位置で高架の北総線と地上の新京成線が接続していた。

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⑤北初富駅
・・・・・・・・・・・・昭和30年(1955)開業。 現在は高架化工事の為、仮ホーム・仮駅舎にて営業中。

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・・・・・・・・・・・・・・・北総線の高架下で北(松戸方面)に抜ける新京成線。

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・・・・・・・・・・・・・・・くぬぎ山車両基地・・・・・・・・・・くぬぎ山駅と北初富駅の中間に位置する新京成唯一の車両基地。 出入庫線はくぬぎ山駅側にあり、北初富側からは入出庫できない。

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⑥くぬぎ山駅・・・・・・・・・・・・昭和30年(1955)開業。 島式ホームに橋上駅舎。

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前には、新京成電鉄の本社がある。

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・・・・・・・・・・・・・・到着した松戸行8000形電車。

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●・・・・・・・・・・・・今日の散歩はココまで。 次回は松戸まで踏破したいね!

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