東京高速道路
東京高速道路の京橋JCTから新橋まで、1万2千歩、8kmの散歩。
・・・・・・・・・・・「東京高速道路」とは、銀座の町を囲むように、京橋JCTと新橋の間をつなぐ全長:約2kmの高速道路で、首都高速と接続しているが、民営の道路である。 昭和34年(1959)から昭和39年(1964)に建設された。 この高速道路は、14棟の鉄筋コンクリート造2階建てビルを並べ、隣同士のビルの屋上をつないで道路とした構造となっている。 誰でも考えそうな構造だが、現実に造られている道路は少ない。 また、この道路は銀座を囲んでいた外堀・汐留川・京橋川を埋め立てて造られたもので、有名な橋も名を残し消えた。 (東京高速道路(株)のHPにあった、地図を引用しました。)
・・・・・・・・・・・と、言うことで、今日は京橋JCTから新橋まで、14棟のビルを見てきた。
●京橋JCT・・・・・・・・・・・弾正橋から見る京橋JCT。 下が首都高都心環状線、上が東京高速線。
・・・・・・・・・・・・・東京高速線は昭和通りをこえる。 写真右側で橋に接続している部分から東京高速道路の新京橋ビルとなる。
①新京橋ビル・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に竣工、14棟の中では建築面積が一番小さい(2,611㎡)ビル。 ビルにはタクシー会社、電気工事会社などが入居している。
②東京橋ビル・・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に竣工。
・・・・・・・・・・・・・・・昭和通り方向の出入口横には、銭湯「銀座湯」があり、タクシー会社の人も利用している?
・・・・・・・・・・・・・・中央通側は、京橋川が昭和34年(1959)に埋め立てられ、そのあとに東京高速道路ができた。 テナントとして洋服屋さんなどが入居。 ビルのわきには親柱が保存されている。
・・・・・・・・・・・・・・中央通りをこえると、次の西京橋ビルに移る。
③西京橋ビル・・・・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に竣工。 海鮮料理屋さん、レストランなどが入居。
・・・・・・・・・・・・・・ビルの脇には、「江戸歌舞伎発祥之地」の碑が建てられている。
④紺屋ビル・・・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)竣工。
・・・・・・・・・・・・・・・高速道路の通行料金は無料である。 しかし、道路会社は道路の維持・保守があり、その原資として道路下のビルの賃貸料、地下の駐車場収入などを当てている。
・・・・・・・・・・・・・・・外堀通り側には、日本酒バー、茨城県のアンテナショップなどが入居している。
・・・・・・・・・・・・・・・このビルの屋上です、、、、、、交通量は少ないね?
・・・・・・・・・・・・・・・外堀通りを超えると、首都高八重洲線と接続する西銀座JCTがある。
⑤北有楽ビル・・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)竣工。 ショッピングセンターの「銀座インズ3」、マクドナルドなどが入居。
・・・・・・・・・・・・・・北側には八重洲線が地下から車路を上り合流する構造になっている。
・・・・・・・・・・・・・・南側はショッピングセンターの入口(写真右側のビル)。 いまから40年程前、このビルには診療所があり、数年間にわたり、健康診断でバリュウムを“イヤ”というほど飲まされ、、、、、、、検査結果は、そのつど「要精査」の判定が付き、毎年、精密検査で病院に送り込まれた、苦い思い出のあるビル。
⑥中有楽ビル・・・・・・・・・・・・・昭和33年(1958)竣工。 この辺りは外堀を埋めた上に建てられている。 ショッピングセンターの「銀座インズ2」が入居。
・・・・・・・・・・・・・・・手前の「銀座インズ2」から奥の「銀座インズ3」と続く。
・・・・・・・・・・・・・・・銀座インズ前の外堀通りは愛称『西銀座通り』。 いい名だね、西銀座デパート、銀恋、フランク永井、ジャズクラブ「シグナス」、銀座教会、数寄屋橋、君の名は、など、、、、、、昭和の恋の町だ、思い出すね!
⑦南有楽ビル・・・・・・・・・・・・・昭和33年(1958)竣工。 ショッピングセンターの「銀座インズ1」が入居。
・・・・・・・・・・・・・・・右側は中有楽ビルの「銀座インズ2」、左側は南有楽ビルの「銀座インズ1」
・・・・・・・・・・・・・・・・「銀座インズ2」から「銀座インズ1」を見る
⑧北数寄屋橋ビル・・・・・・・・・・・・昭和33年竣工。 14棟のビルのうち最も建築面積が大きく3,521㎡ある。 まさに、西銀座デパートである。 出来た頃から、“デパート”の名から受ける百貨店のイメージはなく、銀座のおしゃれなショッピングセンターである。
・・・・・・・・・・・・・・数寄屋橋交差点として見ると、交番と背後に建つ「マリオン」は印象に残るが、西銀座デパートは木立に隠れ存在感が薄い!
・・・・・・・・・・・・・・・その木立に隠れ、宝くじチャンスセンターがある。 今日も行列です。 6億円なんて欲張らず、せめて1億円でも当たるなら、買うんだけど!
⑨南数寄屋橋ビル・・・・・・・・・・・昭和32年(1957)竣工。 晴海通りから帝国ホテル方面に抜けるショッピングセンタ「銀座ファイブ」が入居。
・・・・・・・・・・・・・・・・晴海通り側の「銀座ファイブ」の入口脇に、「明治大学発祥の地」の碑がある。 前身の明治法律学校はこの地で、明治14年(1881)に開校したそうだ。
⑩山下ビル・・・・・・・・・・・・・・帝国ホテルから東電本社付近まで、東海道線、新幹線などと並行して走る部分で、昭和29年(1954)の最も早い時期に竣工した。 ビルは「コリドー街」として飲食店がズラリ並んでいる。
⑪西土橋ビル・・・・・・・・・・・・・昭和31年(1956)竣工。 自動車はまだ普及していない時代だ、高速道路の必要性をどの程度予測していたのか、知りたいところだね! このビルも飲食店が多く、交番も入居している。
・・・・・・・・・・・・・・・西土橋ビルの角から高速道路は直角に折れてシオサイト方向に向かう。
⑫東土橋ビル・・・・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)竣工。 「銀座ナイン1号館」として、比較的規模の大きいい居酒屋チェーン店が入居している。
⑬西新橋ビル・・・・・・・・・・・・・・昭和38年(1963)に竣工した、中央通りに面したビル。ショッピングセンターとして「銀座ナイン2号館」が入居している。
・・・・・・・・・・・・・・・中央通りをこえると、「東京高速道路」最後の14番目のビルとなる。
⑭東新橋ビル・・・・・・・・・・・・・昭和38年(1963)竣工。 銀座8丁目、かつて「新橋」が架けられていた地で、ビルは中央通りから昭和通りに抜けている。
・・・・・・・・・・・・・・・14棟の繋がったビルのENDは昭和通りに面した安売りの店。
・・・・・・・・・・・・・・ビルの脇にはランプ(傾斜路)がある。
・・・・・・・・・・・・・・ビルの脇に残る新橋の親柱と、「銀座柳の碑」。
・・・・・・・・・・・・・・四谷文子の歌声で、♪♪ 植えてうれしい 銀座の柳 江戸の名残りの うすみどり 吹けよ春風 紅傘日傘 今日もくるくる 人通り ♪♪(西条八十:作詞 中山晋平:作曲) 昭和7年(1932)の歌でした。
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