鐘ヶ淵~東向島
東武スカイツリーラインの鐘ヶ淵駅から隣の東向島駅まで、9千歩、7㎞の散歩です。
今日は線路の西側、迷路のような路地裏を、いつものように行きつ戻りつ、右へ左へ、さまよい歩いてきた。 線路の東側は、かつて赤線地帯で、私も幾度となく歩いている『玉の井』地区である。
①鐘ヶ淵駅・・・・・・・・・・ブログ「雅万歩」では、北隣の堀切駅とともに登場回数の多い、おなじみの駅。 明治35年(1902)に、東武伊勢崎線の吾妻橋(現・業平橋)~北千住間開業時にできた駅。 普段は下町の哀愁漂う静かな駅だが、今朝は久喜で人身事故があり電車は遅れ、乗る人・降りる人も多い。
②大鳥百貨店・・・・・・・・・・・婦人用鞄、日用雑貨、大工用品、文房具、情報関連雑貨、と2万点以上の品数を誇る、鐘ヶ淵駅前の“街のデパート”。 明治22年(1889)の創業以来、「困った時の大鳥です」と、地元に愛されてきた店らしい。・・・・・・・・覗いてみると、けっこう面白いものがありそうで、癖になるかも?
③墨田2丁目の裏道・その1・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・この裏道、入って行ってみよう!
・・・・・・・・・・・・・・やはり、真っ直ぐな道ではない、道幅も広がったかな?
・・・・・・・・・・・・・・“すみだ梅若会”? 町内会か、敬老会か?・・・・・・・・・この辺りは、梅若伝説の残る町だ。 伝説は、京都洛北にいた“梅若丸”という12歳の子が人買いにさらわれ、隅田川のほとりで、衰弱死してしまう。 梅若丸の母親は、子供を訪ねて旅を続け、最後は悲しみのあまりとうとう発狂して隅田川のほとりをさ迷うという、歌舞伎の話です。
・・・・・・・・・・・・・・・梅若伝説を思い出したら、前方から買い物カートを押したお婆さんが、、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・裏道はT字にぶつかる。 この家の木製窓、何となく年季の入った老夫婦の声が聞こえるようだ!
・・・・・・・・・・・・・・ここまで、歩いた道を振り返る、、、、、、
④五味自動車工業墨田工場・・・・・・・・・・・自動車用タイヤの摩耗した古いゴムの部分を削り落とし、貼り替え、ベースの部分を再利用する再生タイヤの工場。 この工場の脇に事務所と思われる木造モルタル仕上げの建物がある。 昭和初期頃の建築と思われる? 1階の窓は建築時のままか、建物四隅にはレリーフを見ることもできる。 全体的に劣化しているので、できれば補修を期待したい。
⑤墨田2丁目の裏道・その2・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・この道を入ってみよう!
・・・・・・・・・・・・・・突き当りには、小さな家が、、、右に、左に、迷うね!
・・・・・・・・・・・・・・私、右利きなので、右に行ってみた、、、、
・・・・・・・・・・・・・・道なりに折れて、、、
・・・・・・・・・・・・・・チョイト、懐かしき雰囲気の家もある、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・アレ! どうやら裏道を一周したみたい、小さな家の前に戻ってきた。
・・・・・・・・・・・・・・玄関わきに、竹簾に朝顔の飾りつけ、粋な家だ! きっと、小股の切れ上がった美人奥さんの飾りつけか? 勝手に想像しちゃって!
⑥墨田1丁目のブドウ・・・・・・・・・住宅の角にベンチが、横の椅子にはブドウの鉢が。 蔓が柵に絡まり、緑の塀となっている。 ブドウの実もつき、食べながらひと休みという気遣いかな?
⑦大正通り・・・・・・・・・白髭橋方面と東向島駅の北側を結ぶ通り。 地元の幹線道路で、去年は私も世話になった病院、スパー、公園などが沿線にある。
⑧東向島駅 ・・・・・・・・・・・・明治35年(1902)、白鬚駅として開業。 明治38年(1905)から営業を取りやめ、大正13年(1924)から玉ノ井駅として営業再開。 昭和62年(1987)に高架駅となり東向島駅に改称。 地上駅であった旧駅舎のイメージは無くなり、現在は東武博物館として、鉄道ファンに人気の駅。